帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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裏口登校、そして拒絶

 

 七月十一日、金曜日。朝。

 

 僕とエカっぺは通学路で会い、そのまま一緒に登校していた。

 

 というか、僕がエカっぺが来そうな場所に先回りし、偶然鉢合わせした風を装ってる感じだ。

 

 なんかストーカーみたいで少し気が引けるが、ここ最近のエカっぺの態度や、学校での扱いの悪化、さらには今の世間の風評などを考えると、彼女の隣に少しでも長く一緒にいてあげたい気持ちがあった。

 

 まぁ、僕に出来ることなど、この左腰の木刀を抜くくらいの事だけだが、それでも()()()()()()のだ。周囲や風評を変える力は無いが、直接的な危害から守ることくらいは出来る。……まぁ、エカっぺももう切紙(きりがみ)持ちだから決して弱くは無い。でも手勢は一人でも多い方がいい。

 

 そんな気持ちはおくびにも出さず、僕はいつも通りエカっぺに接した。時期的にちょうど良い話題もあったところだったし。

 

「来週、期末試験だね。エカっぺはどう? 赤点回避できそう?」

 

「……わかんない」

 

 返ってきた答えは、いつものエカっぺらしくない、おとなしいものだった。

 

 今日のエカっぺは、目に見えて元気が無い。

 

 昨日までは無理矢理感はあっても元気を作ってはいたのに、今日はそれすらも無い。

 

 それを見て、僕の心はざわつき、そこから生まれた焦りのままに質問を続けた。このまま会話を続けて隣に縛りつけておかないと、エカっぺがどこかへフラッといなくなってしまいそうな、非現実的な予感がした。

 

「な……なんか今日エカっぺ、元気無いね? もしかして、今朝寝坊でもしちゃった?」

 

「……ううん。別に。いつも通り」

 

「そっか。それじゃあ——」

 

「コウ」

 

 僕は思わず身をこわばらせる。いつもの呼称で呼ばれただけなのに、その一言には強い圧力のようなものがあった。

 

「別に無理して喋ろうとしなくて、いいから」

 

 エカっぺはいつもより低まった声でそう言ったきり、無言となった。

 

 僕も否応無く沈黙せざるを得なかった。彼女の言うとおり、無理して喋ろうとしていたことは事実だったから。それを望まないのならば是非も無い。

 

 エカっぺとの登校らしからぬ、重い沈黙。胴体に詰まった臓腑が全部下半身に沈澱(ちんでん)したように、足取りが重たく感じた。

 

 これまでの中学校生活ですでに見慣れた周囲の風景から、もうすぐ学校に着くなとぼんやり思った時。

 

「……あれ、峰子(みねこ)?」

 

 僕らが行く先に、峰子が立っていた。

 

 真正面からこちらを通せんぼするように立っていた彼女は、僕らが近づいてもなお道を開けず、おはようという挨拶も無く出し抜けに次のように言ってきた。

 

「——()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「えっ? で、でもそしたら、校門に入れないよ?」

 

「校門からでなくても学校には入れるわ。……いいから、黙ってついて来なさい」

 

 有無を言わさぬ峰子の物言いに、僕もエカっぺも思わず追従した。

 

 校門前に向かうのとは思いっきり別の道へ進む峰子の後ろ姿を、困惑しながら見つめる僕。

 

 思わず横を歩くエカっぺに目を向けると……何かを察しているように、その青い目を重々しく伏せ、唇をわずかに震わせていた。

 

 

 

 

 

 峰子の案内で訪れた場所は、学校敷地内を囲うフェンスだった。これを登って校門の逆から中に入ろうという考えらしい。

 

 エカっぺ、峰子、僕の順番で登った。三人とも運動神経は良い方だったため、その点に関しては問題無かったが……女子二人が登る間、僕は後ろを向くことを厳命された。スカートだからだ。

 

 どうしてこんな入り方をしなければならないのか——僕のその疑問に対する答えは、すぐに明らかとなった。

 

 昇降口へ近づくたび、聞こえてくる大きな声。

 

 

 

 ——ロシア人の子供を在籍させるな。

 ——侵略者の血を宿した餓鬼など追い出せ。

 ——帝国の未来を担う子供達を、露寇(ろこう)の毒牙から守れ。

 ——でなければ我々「帝戦連(ていせんれん)」は、ここで叫び続ける。

 

 

 

 この中学に通う「ただ一人」を標的とした、大人達の示威運動(シュプレヒコール)だった。

 

 

 

 

 

 †

 

 

 

 

 

 帝国(ていこく)戦災(せんさい)連盟(れんめい)——通称「帝戦連」。

 

 それが、富武中学校前にて抗議を続けている集団の名前だった。

 

 現在、活発に軍縮反対を訴えている愛国的市民団体のの一つであり、構成員のほとんどを日ソ戦の戦災者やその家族、または殉職した軍人の遺族などが占めている。

 実際に戦火に見舞われた北海道を本部とし、全国各県にその支部がある。

 主な活動内容は、日ソ戦に関する調査と、その結果を纏めた機関紙の発行。戦災者や軍人の証言、当時の戦地や占領地の状況、ソ連兵による戦争犯罪の数々などが記されている。

 構成員ゆえか、数ある愛国団体の中でも特に反露的性質が強い。

 現在、学校前で集まっているのは、その「帝戦連」の東京支部のメンバーであるそうだ。

 

 ……峰子から聞いた情報である。

 

 そんな「帝戦連」がこの学校に集まって、ああして騒ぎ立てている理由は、考えるまでもない——エカっぺの存在だ。

 

 彼らはしきりに「ロシア人の餓鬼を追い出せ」と叫ぶ。

 

 エカテリーナ・ルドルフォヴナ・伊藤(いとう)という、彼女が人として生まれ持った名前はいっさい呼ばずに。まるで虎を虎と呼ぶみたいに「ロシア人」と。

 

 それが僕は腹立たしかった。

 

 彼らには戦災者や、戦争で死んだ人の遺族が多い。であるならば、軍事侵攻をしかけてきた敵国の人種が憎いのは確かに納得できる。

 

 だけど、理解は全くできない。

 

 だって、エカっぺは、何もしていないではないか。

 

 それも、まだ子供ではないか。 

 

 そんな相手を、「ロシア人」だからって寄ってたかった叩いたところで、彼らは何を得られるのだろう?

 

 スッキリする。ただそれだけだろう。それで彼らが反対を叫んでいる軍縮が覆る訳でもない。

 

 本当に理解に苦しむ……

 

 そんな僕の憤りと困惑をよそに、彼らは叫んで要求し続ける。ロシア人の生徒を退学させろ、と。

 

 教師らが校門前へ出て行って、市民団体と何事か言い争う姿が窓から見えた。しかし団体が動く気配は見られなかった。

 

 しばらくすると、警官が複数人訪れて、「帝戦連」を追い出しにかかる。しかし人数差にモノを言わせてしつこくその場に居座り、警察到着からおよそ三十分くらいでようやく退散した。

 

 ようやく静かに授業を受けられるようになり、それからあっという間にお昼休みとなる。

 

 購買へ行かねばと教室を出たところで、遠くの教室から物々しい空気を感じた。心をざらつかせる怒号めいた声が、しきりに聞こえてくる。人だかりもできている。

 

(——三年一組)

 

 僕は走っていた。

 

 あっという間に人だかりにたどり着き、それらを分け入っていき、教室の中へと入った。

 

「——お前がこの学校にいると迷惑なんだよ!!」

 

 同時に、思いっきり吐き出したような怒声が耳朶(じだ)を打った。

 

「そうだよ!! お前のせいであいつらが騒ぎ出したんだろ!! 授業に集中できねーんだよ!!」

 

 さらに別の男子の声。

 

「そうよ! 私これから受験を控えてるのに!」

「大事な時期だってのに、うるせぇんだよ!!」

「ほんといい迷惑!! あんたのせいよ!!」

 

 男女問わず、突き刺すみたいな怒声が次々と飛び出す。

 

 その矢面に立っていたのは、一人の金髪碧眼の女子。

 

(……エカっぺ)

 

 自分の席に座り、無言で悪罵の数々を受けているエカっぺの姿があった。

 

 周囲の生徒全員の視線は、彼女に向けられている。どれもこれもが敵意と隔意に満ちている。

 

「……文句なら騒いでた連中に言えば? 少なくとも、あたしは悪くないし」

 

 エカっぺとて言われっぱなしではなかった。人数差があっても、臆することも過剰に叫ぶこともせず、淡々と正論を述べる。

 

 普通なら、今の発言だけで十分黙らせられるだろう。

 

 しかしながら、今までエカっぺを非難してきた連中は、そんな正論程度で黙るような生易しい動機など持っていなかった。今でもそうだった。

 

「ふざけんな!! 明らかにお前が悪いだろうが!!」

「そうだ!! お前がこの学校に在籍してるのが原因だろ!!」

「お前がロシア人だから、あいつらが来て騒いだんだ!!」

 

 ——ロシア人だから。

 

 いつだって、それが理由だ。

 

 単純で、しかし極めて強力な理由。

 

 日ソ戦後の日本人全員が共有できる、最強の攻撃材料。

 

「そもそもなんでロシア人が日本のガッコにいるんだよ!? ロシア帰れ!!」

「私達と対等になったつもり!? 図々しいのよ!!」

「シベリアにでも行け、露寇野郎が!!」

「消え失せろ!! 露寇!!」

 

 露寇、露寇、露寇——

 

 その誹謗の声は、波打つように教室の内から外へと広がっていく。

 

 無数の「露寇」が折り重なり、大きな一つの大声と化す。

 

 ——それら全てが、たった一人の少女にぶつけられていた。

 

 それでも、エカっぺは何も言わず、相手にせず、受け流し続ける。

 

 慣れたように。悟っているように。

 

 「ロシア人」の自分が、どれだけ理路整然と言い包めようとしたところで、徒労に終わるから。

 

 理屈をはるかに超えたところにある理由で、彼らは怒っているのだから。

 

 だから、何を言っても無駄。

 

 

 

「うるっ、さぁぁぁ————いっ!!」

 

 

 

 そう割り切れるのは、エカっぺ一人だけだ。

 

 ()()()()()僕は、罵声の群体を一刀両断するような鋭い声で叫んだ。

 

 自分でも驚くほどの声量に、あれだけやかましかった周囲の生徒が一斉に押し黙った。

 

 ドスドスとことさらに足音を立てながら、僕はエカっぺを背後に庇うように仁王立ちした。

 

「な、なんだよ秋津(あきつ)、なんのつもりだよ……?」

 

 僕の名前と、それが持つ意味を知っているであろう誰かが、おずおずそう尋ねてきた。誰がそう言ったかなんて興味ない。どうせみんな今は同じような顔をしているんだ。誰が言ったって同じことだ。

 

「それはこっちの台詞だ。()()はいったい、何をしている?」

 

 僕は目の前にいる「彼ら」を見渡し、静かに、しかし重く責めるように問う。

 

 「彼ら」は言う。

 

「何って……決まってんだろ」

 

「決まってるだけじゃ分からない。ハッキリ言え」と僕。

 

「な、何だよお前よ! そのロシア女に味方すんのかよ!! そんな疫病神によ!!」「そうだよ!! ざけんなこの売国奴が!!」「日本人のくせにロシア人を庇いやがって!!」「そいつらが十二年前に何したか知ってんだろ!?」「どんなに見た目が良くたって結局は畜生だろ!!」「どうせあんた、そのロシア女に体で懐柔され————

 

 

 

「黙れ」

 

 

 

 短く、落ち着いた、しかしこの場のどの声よりも重い存在感のある声が、僕の口から出てきた。

 

 同時に、僕の右手が、左腰の木刀の柄に添えられていた。……栗山(くりやま)くんの時とは違い、今度は()()()()

 

 それだけで、「彼ら」は再び沈黙を強いられた。

 

「もうこれ以上、エカっぺをいじめるな。続けるなら——()()()()

 

 天覧比剣優勝者の一人に名を連ね、有名な人斬りと立ち回ったことで知られる僕のその言葉は、効果覿面(こうかてきめん)であった。

 

 黙っていた「彼ら」が、目に見えてたじろぐ。

 

 僕というたった一人に、巨大な「彼ら」が足を退く。

 

 その時点で、この場の勝敗は見えていた。

 

「昼休みなんだから、他にやることがあるだろう。全員、自分のやることに戻るんだ」

 

 そう告げると、「彼ら」は徐々に崩れて、しぶしぶといった感じで個々の日常へ戻っていく。

 

 それでも日本人かよ、最悪、まじでなんなのあいつ……そこかしこから()()()が聞こえてくるが、微風のように聞き流す。こんなのは中学一年の頃から慣れっこだ。

 

光一郎(こういちろう)

 

 僕を呼ぶ声。峰子だった。案ずるような顔をしていた。

 

 僕は「大丈夫」と頷いて告げ、背後のエカっぺに振り向いた。

 

「エカっぺも、大丈——」

 

「——()()()()()()

 

 エカっぺはそう言った。冷たく、拒絶の意思が宿った声で。

 

「エ、エカっぺ……?」

 

 その態度に、僕は思わずたじろいだ。

 

 「助けてくれてありがとう」なんて言葉を期待したわけではない。しかし、いつもの彼女らしからぬ語気に、僕は不意打ちを受けた気分になった。

 

「あんな連中、どうせ群れて騒ぐくらいしか能が無いんだから。相手にしないでやり過ごしてれば、いつか飽きて自然とどっか行くわよ。あんたがあんな風に体を張る必要なんて無かったの。分かる?」

 

「そ、そうかもしれないけど……だからってほっとけないよ」

 

「余計なお世話だって話よ。あの場のあんたの行動は、あんた個人への心証をさらに悪化させるだけで終わった。傍観者でいてくれた方が合理的だったのに」

 

「そんなのできない!」

 

 僕は思わず声を荒げてしまった。

 

 峰子がたしなめるように告げた。

 

「カチューシャ、いくらなんでも今の言い方はあんまりよ。謝れなくても……せめて一言感謝くらいはしたらどう?」

 

「ありがとうございました——これでいい?」

 

「カチューシャっ!」

 

 怒ったように、悲しそうに峰子が呼ぶと、エカっぺは勢いよく席を立った。

 

「——悪いけど、今日は一人でご飯食べるから。ついてこないでね」

 

 そう言って、エカっぺはロッカーの鍵を開け、そこに収められた自分の弁当袋を持ち出して教室を後にした。

 

 彼女の後ろ姿も「ついてくるな」と言外に告げているような感じで、僕も峰子も見送ることしか出来なかった。

 

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