帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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無知、そして既知への道

 

 帰りのホームルームが終わってから、僕は迷わず三年一組の教室へ直行したが、あるのは僕に対する軽蔑と恐れの眼差しを向ける生徒らだけで、エカっぺの姿はすでにどこにも無かった。

 

「逃げられたわね」

 

 後からやってきた峰子(みねこ)が、溜め息混じりに呟く。

 

 僕は「うん……」と沈んだ同意の声を出す。

 

「……エカっぺ、どうしちゃったんだろう。いきなりあんな冷たくなっちゃって」

 

「わからないわ。あの子が教えてくれないんだもの。だけど……おおよその見当はつくわ」

 

 峰子の言いたい事を、僕が継いだ。

 

「やっぱり……僕達を巻き込みたくないから、かな」

 

「ええ。今のあの子の敵は、学校前に座り込んでシュプレヒコールまでするような連中だもの。もしも私達が下手を打って敵にでもなったら、学校だけじゃなくて、私達の家にまで被害が及びかねない。だから私達を巻き込まないように……って感じかしら」

 

 午前中のあの団体……「帝戦連(ていせんれん)」のことを思い出す。

 

 会ったことも無い相手に、それも中学生の女の子に、鬼のような形相で出ていけ消えろと叫び続ける大人達。

 

 人間の闇の部分を強く見せられた気分になり、憤りよりも恐怖心が(まさ)った。

 

 きっと彼らはロシア人だけでなく、それを庇う者すらも敵と認識するだろう。そして、ロシア人に対するモノと全く同じ仕打ちをする可能性が高い。

 

 エカっぺは、それを危惧して、僕らを突き放したのかもしれない。

 

 峰子が苛立ちを吐き出すように言う。

 

「まったく、バカな子。貴女一人じゃ、なおのこと何が出来るのって話よ」

 

「そうだよ、まったくね。ウチのお母さんが、あんな団体なんかに負けるとは思えないよ。小銃持った強盗団に長刀(なぎなた)一本で突っ込んで勝っちゃうような人なんだから」

 

「……あの(ひと)、そんなことしたの?」

 

「うん。高校生の頃ね。今も体にその時の銃創(じゅうそう)が残ってるよ」

 

「すごいわね、貴方のお母様。尊敬するわ」

 

 お母さんの話題のおかげか、ほんの少しの間だけ和やかな雰囲気になる。

 

 しかし、それも一時的で、すぐに二人揃って消沈した。

 

 教室の入口で二人して立ち止まっていたため「おい、どいてくれよ……」と三年一組の男子からおずおず言われ、慌てて道を譲った。逃げるように僕らから離れていくその男子の後ろ姿を見るともなく見ていると、峰子が次のように持ちかけた。

 

「——ねぇ、一緒にカチューシャの家に行ってみない?」

 

 それを聞いて、僕は不意を突かれた気分になった。

 

 彼女の提案が意外だったからではない。別の理由だ。

 

 その理由とは。

 

「……エカっぺの、家?」

 

「ええ。光一郎も知ってるでしょ? 一緒に行って、説得してみましょうよ」

 

「しらない」

 

「は?」

 

 きょとんとする峰子に、僕は積年の恥を明かす気持ちで言った。

 

()()()()()()()。エカっぺの家の場所」

 

「は……はぁぁぁぁ!?」

 

 峰子が素っ頓狂な高い声を上げて驚いた。その声に反応した周囲の生徒らの視線を浴びる。

 

「ちょ、ちょっとまってちょうだい。え、知らない? 本当に? よりにもよって貴方が?」

 

「……うん」

 

「————っ、嘘でしょっ? 私よりもずっとあの子と付き合いが長いはずの貴方が、あの子の家を知らないのっ? 信じられないっ」

 

 驚いたような、それでいて嘆かわしいといった感じに言い募る峰子。

 

 僕は言い訳みたいに言い返した。

 

「ぼ、僕だって何度か教えてもらおうとしたよっ? だけどなんでかエカっぺの気が進まないみたいで…………教えてもらえてないまま、なんです」

 

 それを聞いて、峰子は何やら納得したような顔になる。

 

 そこで僕はハッと気づく。……峰子はさっき「光一郎()知ってるでしょ?」と言った。光一郎「も」と。

 

「峰子は、エカっぺの家、知ってるの?」

 

「……ええ。二人での勉強会で、何度かお邪魔したわ。小柄で可愛らしいお母様と、大柄なロシア人のお父様とその時会った。とても良くして頂いたわ」

 

 それを聞いて、僕は器が小さいと自覚しながらも、かすかな嫉妬を禁じ得なかった。僕よりも先に、エカっぺの家に招かれたことを。

 

 ……僕は、学校における、エカっぺの最大の理解者でいるつもりだった。

 

 しかし、それは僕の思い上がりだったのだ。

 

 エカっぺについて、僕が知らないことは、当たり前のようにあるのだ。

 

 それを今更ながら悔しく思う。

 

 一方で、疑問も浮かぶ。

 

 ……どうして、あの子は僕に、自宅の場所を教えてくれなかったのだろうか?

 

 考察して、真っ先に思い浮かんだのは……二年生の春での会話。

 

 氷山(ひやま)部長と初めて会う直前での会話。

 

『……そうだ! 僕がいつかエカっぺの家に遊びに行った時、出来立てを作ってくれるっていうのはどうかな? それなら誰にも邪魔されないしさ』

 

 エカっぺは、持参してきたお弁当を大量の保冷剤で冷やし、ロッカーに鍵付きで入れている。嫌がらせを防ぐためだ。そんな食べ方がなんだか窮屈に思った僕は、エカっぺの家に直接うかがい、邪魔なく彼女の作りたての手料理を食べてみたいと何気なく言ってみたのだ。

 

 すると、エカっぺと僕の会話は、次のように進んだ。

 

『だ、だめだめっ。だめよ、ニェット。パパとママにからかわれちゃうもの』

 

『からかわれるって、どんなふうに?』

 

『いや、だからその、あんたがあたしのっ、こ………………あぁぁぁもぉ!! とにかくだめ!! この話終了!! ほら、もぉ休み時間少ないんだからっ、早く行くわよ!』

 

 エカっぺは、怒ったような、羞恥のような、よく分からない態度で会話を強引に打ち切ったのだ。

 

 ——からかわれる? エカっぺのご両親に? 誰が? どうして?

 

 ——「あんたがあたしの」というエカっぺの口にした言葉の先に続くのは、一体なんなのだろう?

 

 想像がつきそうで、つかない。

 

 まるで、胸の奥に固く蓋をされているみたいな感じがする。答えが出てきそうで、出てこない。

 

「光一郎」

 

 峰子が話しかけてくれたお陰で、その先の思考を打ち切ることができた。

 

「知らないのなら、これから知ればいいじゃない。……今から私が教えてあげるから。あの子の家」

 

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