帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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孤軍奮闘《上》

 

 伊藤家の前に蟻のように(たか)っていた「帝戦連」の数は、軽く数えても二十人は超えていた。

 

 それに対して、エカテリーナはたった一人で闘っていた。

 

 孤軍奮闘と言えば聞こえは良いが、数の上では圧倒的に不利だった。

 

 それでも、その多勢に対し、健闘できていた。

 

 エカテリーナは喧嘩慣れしていた。今の日本において最大の嫌われ者のロシア人の血を宿すがゆえに、周囲から阻害されたり、嫌がらせや暴力の的にされることが多かった。それらに対して対処していくうちに、荒事に対する勘や立ち回りが自然と身に付いていった。

 

 至剣流剣術の腕は、光一郎には及ばなくとも、師から切紙(きりがみ)を受け取るほどだ。すでにその辺の剣士を大きく上回っている。

 

 おまけに、敵は多勢である分、木刀や武器を振り回す際は仲間に当たらぬよう気を遣わなければならない。反露という感情は同じくしていても、戦闘集団として訓練されたわけではないため、秩序立った動きなど望むべくもない。なので一見すると圧倒的優位であるように見えるが、その攻め方はかなり限定される。

 

 翻って、エカテリーナは一人。母の雪菜は「邪魔だから入ってて」と強引に家の中に放り込んだ。……母によると、父ルドルフは表に顔を出すと「帝戦連」がさらに燃え上がりかねないため、とっくに雪菜が家の奥に(かくま)っている。

 今のエカテリーナが気遣うべきは、自分自身のみ。心置きなく戦える。

 

 己の持つ「個の力」と、現在の状況を合理的に利用して立ち回ることで、エカテリーナは数の暴力にどうにか抵抗できていた。

 

 家の前に伸びるアスファルト敷きの一本道には、すでに八人が苦悶の表情で横たわっていた。

 

「くたばれ、露寇(ろこう)っ!!」

 

 怒号とともに木刀を振りかかってきたのは、三十くらいの男だった。背丈も自分より上。

 

 勢いはあっても、その太刀筋は実に粗雑。エカテリーナは目の前の仮想の球体を内側からなぞるような円い剣さばきで相手の太刀を柔らかく受け流し、右隣へ軌道を逸らす。その防御と同時に男へ向けた剣尖を、踏み込みとともに鳩尾(みぞおち)へ打ち込んだ。——至剣流『綿中針(めんちゅうしん)』。

 

 かぁっ、と飛び出んばかりに目を見開きながら呻くと、その男は膝を屈する。

 

 その男の左から飛び出した二十前半くらいの男。しかし味方を打つまいと気を使ってか、その太刀筋は振りではなく刺突だった。……そして、エカテリーナもそれが読めていた。

 

 木刀の剣尖が胸に急迫するや、エカテリーナは剣を左耳隣で垂直に構えた「陽の構え」へと俊敏に転じた。その構えを取る過程の剣の動きで相手の刺突をさばき、あさっての方向へ流す。

 さらに()()()()()()右足を鋭く引き寄せるのに合わせて、両手も鋭く内側へ絞り込む。それらの動作から勢いを得たエカテリーナの剣が鞭のように切っ尖を疾らせ、相手の胸部にしたたかに食いついた。——至剣流『雁翅(がんし)』。さばいてからの反撃の太刀は進みながら打つのが基本だが、今のように退がりながら打つ使い方も可能だ。

 

 そうして十人目が倒れたことで、ようやく連中の顔色に怒気以外の感情が浮かびだした。驚愕と狼狽。

 

「どうした烏合の衆!? 露寇を倒したいんじゃないわけ!? 口だけ愛国者!」

 

 エカテリーナは木刀で地面を打ち鳴らし、大声で煽った。

 

「あーあー情けない情けない。そんなんじゃ国を守るなんて逆立ちしたって不可能ねぇ? ロシア人のメスガキ一匹にこの体たらく。今度ロシアに攻められたら百パー負けるわコレ。あんたらそのうち何々スキーとか名乗らないといけないわね。今のうちにロシア語の勉強でもしといたら?」

 

 その言い草に、敵の顔色に憤怒の割合が再び強くなった。

 

 挑発することで冷静に考える余裕を失くし、こちらのやり易いように誘導する。そんな作戦だった。

 

 連中を突き動かすのは、恐れと怒りだ。 

 このままだと自分達の日常や居場所を奪われるかもしれないという「恐れ」と、それをしようとしている者達に対する「怒り」。 

 それらは冷静に物事を見つめる余裕を奪い、『米露(べいろ)共謀説(きょうぼうせつ)』などという愚にもつかない陰謀論をも簡単に信じさせる。

 であれば、それらの情動を刺激するような言葉選びで煽ってやればいい。

 そうして冷静さを失わせ続けて「烏合の衆」でい続けさせればいい。

 

 ……というか、そうなってくれないと困る。

 

 額から流れて目に入った汗の痛みを、まばたきで堪える。呼吸の乱れを悟られぬよう、静かに、細く整える。

 

 いかに健闘できていようが、やはり数の力というのは侮れない。

 

 それらを一人で相手にしなければならないエカテリーナは、確実に消耗していた。

 

 ここで冷静になられて、秩序立った動きをされたら勝ち目は無くなる。

 

 今にも血気に逸って向かって来そうな集団に、エカテリーナが内心でしたり顔を浮かべていると、

 

「——言うじゃねぇか、露寇野郎が」

 

 太く、静かな声が投じられた。

 

 その声の主は、集団から抜け出し、一人でこちらへ向かって歩いていた。

 

 とても大柄な男だ。170センチを超えるエカテリーナよりもさらに大きく、体格もなかなかに良い。上に着ているシャツが筋肉の分厚さを描き出している。その手に握られた木刀で打ち込まれたら、たとえ防げたとしても体が吹っ飛んでしまいそうだ。

 

 エカテリーナはことさらに、不敵な笑みを浮かべた。

 

「……へぇ。()()()()()()()()じゃないの」

 

「それはこっちのセリフだ、ロシア女。その中途半端に白人なツラと、目障りな金髪と青目……()()()と全く変わってねぇじゃねぇか」

 

 その大男——剛元(ごうもと)が、エカテリーナの遠間で止まる。

 

 中学一年の九月、自分を叩きのめし、そして光一郎(こういちろう)が倒した男。その頃と違わぬ威容。

 

 今その男がこの「帝戦連」に混じっている現実を認識して、エカテリーナは嫌でも察してしまった。……この男もまた、()()()

 

 その境遇には同情するし、ロシア人嫌いももっともであると思う。しかし、こちらの家族に手を出すというのならば話は別だ。こちらの日常が脅かされたのならば、こちらも断固として戦わなければならない。

 

 岩に穿ったような威圧的眼差しが、胡乱(うろん)げに細められる。

 

「……()()()()がいないみてぇだが?」

 

 あの小僧、というのは、十中八九、光一郎のことだろう。かつて自分を負かした剣士。

 

 心の痛いところを突かれた気分になるが、それをおくびにも出さず、不敵に微笑した。

 

「何よ、安心した?」

 

「やかましい。一緒だったらまとめて叩きのめしてやろうと思っただけだ」

 

「残念だけど、もうあんた程度じゃコウには勝てないわよ。テレビ見てないの?」

 

「天覧比剣のことか? 少年部なんざガキ共の平和な遊びだ。実戦とは違う」

 

「その実戦でも負けたのに?」

 

「……口の減らねぇ女だ」

 

 言うや、剛元はおもむろに構えをとった。右足と剣を引き、胴体の裏側に剣を隠した構え。至剣流「裏剣(りけん)の構え」。その構えはやはりなかなかに練られていた。威容と眼光も相まって、いまにも飛びかからんとしている虎や熊のような気勢を感じさせる。

 

「また、あの時みてぇに叩きのめしてやる」

 

「どうかしら。あたしだって腕を上げたのよ。あの頃みたいにいくと思わないことね」

 

 うそぶきながら、エカテリーナも構える。右こめかみで剣尖を前に伸ばした「稲魂(いなだま)の構え」。至剣流における鉄壁の構えであった。

 

 手を出さない方が良いと直感で思ったのか、剛元の遠く後方で立っている他のメンツは静観していた。正直、怒りに我を忘れて連中も前へ出てきてくれた方が大助かりだったのだが、こうなってしまったら仕方がない。先に剛元を片付ける。

 

 構えたまま、エカテリーナは前へゆっくりと進む。泥濘(でいねい)を歩むような足捌きで、間合いを遅々と剛元へ迫らせる。

 

 剛元もまた「裏剣の構え」を保ったまま、粘りけのある運足でゆっくり後退。

 

 遠間を保ったまま、前進と後退を続け……

 

「ェァアア!!」

 

 剛元が凄まじい気合を伴って、飛びかかるように轟然と斬りかかってきた。後ろから前へ大きくアーチを描くその一太刀は、至剣流の『波濤(はとう)』。

 

 かつてのエカテリーナならば、その熊のような気勢に負けて、剣で防ごうとしていただろう。しかし今は、この剛元の『波濤』が(ブラフ)であると見抜くことができた。足も剣も一切動かさず、そのアーチ状の一太刀が自分の目の前に縦線を描くに任せた。……そう、この『波濤』は、最初から当てる気などなかったのだ。こちらの剣を思い通りに構えさせ、思い通りの隙を生み出すための布石。

 

 剛元が一瞬驚く。しかしすぐに己が剣に次の動きを与えた。剛元から見て左上段にあるエカテリーナの剣へ、己の剣を触れさせようとする。……剣を含む武器の打撃力は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。両剣の距離をゼロにすることで、打撃そのものを成立させられなくするという狙いだった。力同士の押し合いならば、剛元に大きく分がある。

 

 だが、両剣が接する寸前、エカテリーナの剣が()()。俊敏な体捌きと足並みを揃えて剣が移動したのは右下段後方。すなわち「裏剣の構え」。そしてそこから剣が辻風(つじかぜ)を描いた。至剣流『旋風(つむじ)』の型。名は太刀筋を表す。

 

「っ」

 

 木刀と共に左上段にある手元を狙ったその円弧の太刀を、剛元は舌打ち混じりに剣を引いて防いだ。かんっ! という木の快音。——手元に伝わってくる、その太刀の鋭い衝撃。

 

 さらにエカテリーナの姿が、瞬時に剛元の左脇に移動。踊るような足捌きとともにその剣が更なる円転を見せ、一周する形で剛元へ迫った。剛元は爪先をエカテリーナの方へ向け、それにともなって動いた己の剣でそれを防ぐ。……間違いない。至剣流の『颶風(ぐふう)』だ。それも洗練された。

 

 切り結んだまま、間近で睨み合う二人。

 

「てめぇっ……いつの間にこれほど……」

 

「だから最初に言ったじゃないのよ……腕を上げた、ってさ……!」

 

「ロシア人の分際で……!」

 

「それもう聞き飽きたっつー……のっ!!」

 

 エカテリーナが剛元から見て左へズレる。それとともに剣尖の向きも変わり、そこから即座に突きが迫った。

 

 眉間を狙ったソレを、剛元は左後方へ退いて回避。そこから剣尖をエカテリーナへ向け、お返しとばかりに刺突を発する。だが、エカテリーナは右耳隣で剣を垂直に構えた「陰の構え」となりながら、剛元の刺突を後ろへ受け流す。

 

 次に来るであろう『石火(せっか)』の太刀を防ぐ意味を込めて、剛元は大きく後退して遠間を作る。

 

(ロシア人相手に退がるだと……!)

 

 その事実に屈辱を覚えながらも、すぐに気持ちを切り替え、前に構えた剣尖越しに異人混じりの女剣士の姿を見据える。

 

 ——強くなっている。

 

 もはや疑いようがなかった。

 エカテリーナは、かつて自分が戦った時とは違う。

 動きに無駄がない。

 剣さばきにも筋がしっかり通っている。

 

 ……だからこそ、腹が立った。

 

(ロシア人のくせに……至剣流を我が物顔で振り回し腐って……!)

 

 十二年前に、侵略してきたくせに。

 ソ連時代から今に至るまで、至剣流をカルト扱いして国家ぐるみで禁じているくせに。

 そんな連中の片割れが、ここまで至剣流を使いこなしているという事実が許しがたい。

 ロシア人が殺した父。その剣を、ロシア人が何食わぬ顔で達者に振るっている事が極めて腹立たしい。

 

(ぶちのめしてやる……!!)

 

 あの頃は訳の分からない小僧に邪魔されて出来なかったことを、今日ここでやってやる。

 二度と至剣流を振るえないようにしてやる。

 そうしなければ、気がおさまらない。

 

「アアアアアッ!!」

 

 化鳥(けちょう)のごとく裏返った気合を伴い、剛元は飛び出した。分厚い表面積で空気の幕を破りながらエカテリーナに急迫し、左上段から斬りかかった。

 

 エカテリーナは退がりながらソレを円い太刀さばきで防ぐが——『綿中針』の防御だ——、剛元は反撃の刺突がやってくるよりも素早く剣を右上段へ戻してまた一太刀発する。それもまた円く受け流されるが、再び素早く左上段に切り替えて剣を放つ。……左右上段から交互に何度も打ちかかるその剣は、至剣流『衣掛(ころもがけ)』。

 

 剛元の木刀が、もう何度目かの右上段からの袈裟懸けを描く。

 

 それに対してエカテリーナは、剛元から見て右側へ移動しながら、頭上に掲げた木刀によって袈裟斬りを円く受け流していた。剛元の剣が左下へ滑り落ち、エカテリーナの剣尖が剛元へ向く。

 

 後退して剣尖を避けながら、右下段に置かれた木刀の切っ尖でエカテリーナの手を狙う。だが手の位置を下げられ、木刀の刀身同士がぶつかる。快音。

 

 剛元は止まらない。反時計回りに身を躍らせ、一回転と同時にエカテリーナの左隣を取って円弧の一太刀。放ったその『颶風』は、しかし両手で木刀の両端を持った中取りの構えによって受け止められた。今度のエカテリーナの剣尖は剛元に向いていない。

 

 だが、()()()()()()()()

 

「ぐ——」

 

 次の瞬間、剛元はくぐもった呻きを漏らす。エカテリーナが腰低めに剛元の懐へ踏み込むと同時に、その向いていた右肘を左肋骨に打ち込んだからだ。肘は男女の区別無く硬い部位。それが人間一人分の重みで衝突したのだから、悶絶しそうなほど鋭い衝撃にさいなまれた。

 

 さらに、剛元が怯んで後方へたたらを踏む間に、エカテリーナは「陽の構え」となっていた。

 

「トゥッ!!」

 

「がぁ——!?」

 

 撃鉄を思わせる気合とともに切っ尖が鋭く突発し、剛元の分厚い胸板を激しく打ち据えた。エカテリーナのその『石火』に、意識が一瞬だが急激に萎えた。

 

 だが、それを自覚したことで、剛元は反射的に気勢を爆発させた。

 

「このっ、ガキがぁ——っ!!」

 

 無意識のうちに木刀の柄から離れていた左手を拳にし、憤怒のまま突き出した。

 

 肉体労働と剣術によって培われた基礎体力に物を言わせたその一発は、女の平均よりも体格的に恵まれたエカテリーナとて当たれば吹っ飛ぶほどの威力があった。

 

 ——当たれば。

 

 突き放たれた杭のごとき剛腕を、エカテリーナは柔らかく真後ろへ受け流していた。

 

 さらに、剛元から見て時計回りに背中を見せながら懐深くまで入り込み、剛腕の二の腕部分を己の左肩へ乗せ、腰を一気に前へ折り、

 

 

 

 剛元の体が、虚空で弧を描いた。

 

 

 

 投げられた。

 しかし、無理やりな感じがほとんどしなかった。

 剛元が拳として真っ直ぐ放出した「勢い」と、その「勢い」をほとんど殺さぬまま支配する体捌きのみを活かした、純度の高い「技」。

 男相手に非力な女だからこそ、それに対抗せんとした()()()()()を、彼女の技からは感じられた。

 

「——くそっ」

 

 虚空でそう毒づくと同時に、剛元を今まで駆り立てていたモノが、胸中からスッと消えた。

 

 次の瞬間に背中へ訪れた大地の一撃を、甘んじて受け入れる。

 

 一瞬息が詰まるような衝撃とともに、剛元の戦意は完全に雲散霧消(うんさんむしょう)した。

 

「っ……ふぅぅっ」

 

 エカテリーナは大きく息を吸って、吐く。

 

 呼吸の乱れを極力隠したかったが、相手が相手なので、そんな余裕もあまり無かった。

 

 倒れた剛元の先に立つ「帝戦連」の連中を見る。……うわ、と声が出そうになる。まだ十人以上はいる。

 

 しかし、エカテリーナはその気持ちをおくびにも出さない。

 

「どうしたよ? もう品切れなわけ? もっとこういうデカいの呼んでいいのよ?」

 

 ことさらに挑戦的な笑みを作り、挑発する。

 

「というかさ、今んとこ一対一で向かってきたのがこいつだけなんだけど。他の奴らはどうよ? 馬鹿みたいに人数集めてこの有様。しかもこのデカブツ一人よりやりやすい。はっ、なっさけな。マジで烏合(うごう)(しゅう)じゃん。群れて暴れて騒ぐしか能の無い豚の群れだわ」

 

 かかってこい、と煽り続ける。

 

「おら、いらっしゃいよ、豚ちゃん(スビーニャ)。野蛮で凶暴な露寇のあたしが、あんた達をローストして美味しく食べてあげるからさぁ」

 

 向かってきた相手を、自分が全部斬ってみせる。

 

 そうだ。自分は強くなったのだ。

 

 もう誰にも頼らなくていいくらいに。

 

 自分一人で問題を解決できるくらいに。

 

 初めて出来た同性の友達や、好きな男の子と離れてもなお、独力で歩いていけるくらいに。

 

 そう。強く。

 

 

 

 

 

「そうか。なら、そんな野蛮で凶暴な畜生は、すぐに追い払う必要があるな」

 

 

 

 

 

 突如、そんな声が投じられた。

 

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