帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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孤軍奮闘《中》

 成人済みの若い男の声。がなりたてる感じではない、抑制を感じさせる静かな声。

 

 他の人間の放つざわめきもあるのに、静かに発せられたはずのその声は、そんな障壁など無いかのように強く響いた。

 

「し、白鳥(しらとり)さん……!」「あいつです白鳥さん、あの女!」烏合の衆が口々に言いながら人集りを二つに割り、その間を一人の人物が悠然と歩く。……連中の口ぶりから察するに、連中の誰かに呼ばれて今ここへ来たのだろう。

 

 年齢は二十代を確実に抜けていない、線の細い男だった。

 ゆるい弧を綺麗に描いて顎先まで続くシャープな細面。その中に浮かぶ目鼻立ちには歪みが無くすっきりとしていて、目元からも理性のもたらす緩みが強く感じられる。しかしその瞳には、闘気と敵意が丸く凝縮されていた。

 白い長袖ワイシャツを肘まで(まく)っており、そこから伸びた腕は一見細いが、血管と筋がうっすら浮き出ている。紺色のスラックスに包まれた足は、無音でこちらへ歩を進め続けている。

 

「何よ。あんたも後ろの烏合の衆のお仲間?」

 

 エカテリーナが悪ぶった笑みで問うと、それに答えるかのように、途中で転がっていた木刀を蹴り上げ、左手で掴む。……無言だが、雄弁な返答。

 

(こいつ……かなりやる(・・)わね)

 

 歩くという所作だけで、白鳥と呼ばれたその男の実力の高さが判ってしまった。……普段から稽古で凄腕()を見ているから、それが判るくらいに目が肥えていた。そんな目が、今は恨めしかった。

 

 冷や汗を一筋かきながらも、エカテリーナはことさら強気に煽りかかる。

 

「やんの? あたしと。あんたもこいつらと一緒に雑魚寝したいんだ?」

 

「——無理に悪に徹しようとしなくてもいいぞ、露寇(ろこう)

 

 落ち着いた、しかし敵意が小さくささくれ出たような声。

 

 図星を突かれて思わず押し黙るエカテリーナ。

 

 白鳥はエカテリーナの遠間で立ち止まると、予想外の言葉を放った。

 

()()()()

 

「は……何て?」

 

「休ませてやると言った。ここまで戦ったのだから、疲労もしていることだろう。今すぐ叩きのめしても構わないが、あえて貴様を休ませて、万全の状態にした上でやってやる」

 

「……意味分かんないんだけど。なんであたしを利するような真似をするわけ?」

 

「勘違いするな。これは慈悲などではない。——万全の貴様をも叩きのめして、己の剣への自信を失わせてやるためだ。剣はこの大和の(くるる)。剣術は大和民族が生み出した崇高な戦闘文化。その大和を侵した貴様ら露寇には相応しくないことを、その骨身に刻み込んでくれる」

 

 その物言いにカチンと来るのと同時に、少なからずの不安を覚えた。

 

 まるでこちらが万全の状態でも、己の勝利が揺るがないというような物言い。

 

 しかし、この周囲で悶絶して横たわっている連中をやったのはエカテリーナだと、この男も判断できているはずだ。その上での、今の言葉。……己の剣に対する自信が垣間見えた。

 

 情け無用と突っ込んでいきたい衝動に駆られるが、大きく息を吐いてその気持ちを沈下させる。

 

「……後悔しても知らないわよ」

 

「しないという確信があるから言える」

 

 エカテリーナは鼻を鳴らし、立ったまま呼吸を整えて小休止し始めた。どうせなら座り込みたいところだが、そこまでこいつを信用できなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 小休止は一分少々だけで済ませた。休み過ぎると、直前までの戦いを経て冴えていた身体感覚までもが(たゆ)むと思ったからだ。

 

 エカテリーナは「正眼の構え」を取り、中段にある木刀の剣尖越しに白鳥(しらとり)を見据える。

 

 白鳥もまた「正眼の構え」……かと思いきや左足で一歩進むと同時に「陰の構え」となり、さらに右足で一歩進んで「陽の構え」、左足で進んで「裏剣の構え」、右足で進んで「正眼の構え」……一歩のたびに構えがコロコロ変わる。しかもそれらの変化は流水のように滑らかで柔らかく、ぎこちない感じがしなかった。

 

 エカテリーナが「正眼の構え」を保って後退し、白鳥が構えの変更を交えて進む。それがしばらく続き——やがて白鳥が「裏剣の構え」から()()()()が生じたのを見た瞬間、エカテリーナは木刀を上段で並行に構えながら飛び退いた。

 

 『旋風(つむじ)』か、『波濤(はとう)』か、はたまた『浦波(うらなみ)』か——エカテリーナはあらゆる想定をし、そしてそれら全てになるべく包括して対処出来る構えを取っていた。上から来ればこのまま上段で受け、横から来たら剣を少し下げて受ければいい。

 

 ……そう。エカテリーナは確かに、あらゆる想定をしていた。

 

 しかし、ただ一つ、想定をしていなかった点があった。

 

 それは——白鳥の発する剣の()()

 

「かはっ——!」

 

 暴力的に加速して、瞬時にアーチを描いた白鳥の剣。それを上段に構えた剣で受け止めたエカテリーナは、木刀ごと全身をバラバラにされるような凄まじい衝撃を浴びた。

 

 その一太刀に宿る、巨人の(なた)めいた鋭い重みに耐えかねたエカテリーナは、足の力を緩める。途端、押さえ込んでいた衝撃が、170センチ弱もあるエカテリーナの体を軽々と押し流した。

 

 アスファルトを数回転がり、柔術の稽古譲りの受け身を取って体勢を整える。そのまま立ち上がろうとして、先ほどの衝撃の余韻で悲鳴を上げた関節が痛み、止まった。

 

 己の木刀を見て、息を呑む。……受け止めた箇所が、浅く潰れていた。

 

 エカテリーナは、遠くの白鳥を見上げる。剣を深く振り下ろしたその姿勢は『波濤』にそっくりだが、エカテリーナにはそれが『波濤』ではないことを判っていた。

 

「まさか、それ……『迦楼羅(かるら)(けん)』?」

 

 それを聞くや、白鳥は感心したように眉根を持ち上げ、直立に戻って一笑する。

 

「よく分かったじゃないか。そう、今のは『波濤』ではなく『迦楼羅剣』だ」

 

 『迦楼羅剣』——『霹靂神(はたたがみ)』『曼珠沙華(まんじゅしゃげ)』『(みずち)ノ太刀(のたち)』と並ぶ、至剣流の「高級剣技」の一つ。

 

 それら一つ一つをそのまま学べば、ただの数ある剣術型の一つに過ぎない。

 だが至剣流宗家嘉戸(かど)一族が事実上の秘匿としている『四宝剣(しほうけん)』を深く練り上げた上で使うと、()()()()()恐るべき威力を発揮する。……そして、その事を知っている者は、嘉戸宗家や、エカテリーナの属する『望月派至剣流』を含めて非常に限られている。

 

 まさか、この男は嘉戸宗家と(ゆかり)があるのか——そんなエカテリーナの懸念を、次の白鳥の得意げな言葉が否定した。

 

「去年からだな。急にこの『迦楼羅剣』が、このような出鱈目(でたらめ)な威力を発揮しだしたのだ。理由は俺自身にもよく分からんが、その時からこの剣技は俺にとっての十八番となった。おそらく、俺のたゆまぬ研鑽に、この「剣」が応えてくれたのだろう。……あの方と同じようにな」

 

「……『あの方』ってのは誰よ?」

 

「この俺が敬愛し、崇拝してやまぬ人物だ。あの方も血の(にじ)むような練剣の末に、剣の神の声を聴いたのだ。あの方は若くしてこの国の行く末を憂い、神から授かった「剣」を以てこの国を平らげんと欲しておられる。ゆえに、俺もあの方と志を同じくし、ついて行こう。この「剣」を手に取って!」

 

 次第に熱を帯びていく白鳥の口調に、エカテリーナは気後れのようなものを覚える。尊敬すらも超え、神聖視すらしているような、浮世との強い隔たりを感じたからだ。

 

「そして露寇。貴様らはこの帝国の豊かさと安寧を脅かす害虫だ。この「剣」を以て、貴様ら全匹帝国から除いてくれよう」

 

 だが、白鳥はすぐに射殺すような視線を剣尖とともにエカテリーナへ向け、明確な敵意を再び示した。

 

 エカテリーナは、刃の部分が一箇所潰れた木刀を一瞥する。潰れた箇所から手前へ、ほんの小さなヒビがわずかに進んでいるのが見えた。 

 

 ……おそらく、白鳥の『迦楼羅剣』が「高級剣技」としての威力に達したのは、ただの偶然だ。

 

 かつて、鴨井村正(かもいむらまさ)という男がいた。嘉戸宗家のもとで至剣流を学び、『呪剣(じゅけん)』という至剣を開眼させたが、その至剣を『神武閣(しんぶかく)事件(じけん)』というテロに使用したという、至剣流史上最恐最悪の男。

 

 村正が学んだのは、嘉戸宗家の至剣流だ。本来()()()だった至剣流の型に余計な型を混ぜて()()に増やし、至剣の開眼を困難にしたモノ。エカテリーナ達『望月派』は、それを『嘉戸派至剣流』と呼んでいる。

 

 そんな不純物入りの『嘉戸派至剣流』でも、村正のように至剣を体得する者はごく少数いる。しかしそれは、剣に人生を捧げるくらいの姿勢で修行に臨まなければ得られない。……事実、村正は「剣以外は(ゴミ)」と主張するような人格をしていたという。

 

 ——そして「高級剣技」もまた、自分一人では存在にすら気づけないようなモノだ。何故ならば、嘉戸宗家の秘匿状態である『四宝剣』を基盤とする剣技だからだ。

 

 「高級剣技」を無自覚や偶然であれ身につけたということは……つまり、至剣流の深奥にそれなりに進んでいるということだ。

 

 思わずエカテリーナは問うた。

 

「……あんた、目録持ち?」

 

「無論。中伝(ちゅうでん)だ」

 

 中伝目録。至剣は身につけていないが、それでも切紙(きりがみ)免状しか持っていないエカテリーナにとっては格上。

 

 普段ならば迷わず逃げるところだが、それは出来ない。

 

 だって、今の自分には、いろんな意味で逃げ場が無いのだから。

 

 帰るべき家を襲われている以上、座視するわけにはいかない。相手が誰であれ、剣を構えなければならない。

 

 それに……自分はもう、この国で生きていくと決めたのだ。

 

 エカテリーナは大きく息を吸ってから、気合いを入れて立ち上がる。損傷した木刀を取り替えるべく、少し離れた場所に転がっている別の木刀——敵の一人が取り落としたものだ——へ近づこうとした瞬間、白鳥の姿が急迫した。

 

「っ……!」

 

 白鳥の振り放った一太刀を、エカテリーナは今の木刀で受け止めた。

 

 思いっきりの脚力で飛び退くが、白鳥もまた身を素早く進めてくるため、距離が作れない。

 

(この野郎、あたしに木刀を交換させない腹づもりか……!)

 

 エカテリーナが木刀を中段に構えながら再び後退すると、白鳥は猿のごとき軽快な運足で前進し、右下段後方に構えていた木刀を円弧に振り放った。その一太刀はエカテリーナの木刀を「かぁん!」と叩いて横へ弾くと同時に刃の向きを俊敏に翻し、大きく踏み込みながらの二太刀目を右へ振り抜いた。至剣流『浦波(うらなみ)』である。

 

(間抜け! そう来ると思ってたわよ!)

 

 だが、白鳥は()()()()()のだ。『浦波』の二太刀目を発する直前、エカテリーナは白鳥の右隣へと身を入れていた。その時、二太刀目のために踏み込んだ白鳥と()()()()形となり、回避と同時に白鳥の追跡から抜け出すことにも成功した。

 

 急いで木刀を取り替えようと考え、しかしすぐに嫌な予感を覚えて身をサッと翻した。それと同時に、前に構えた木刀に白鳥の円弧の一太刀がぶつかった。整った太刀筋の中に細く圧縮された衝撃を木刀越しに受け、全身がこわばる。

 

「——()()()()()()()()()()()

 

 それを聞いてエカテリーナは確信する。この男は、こちらが『浦波』の二太刀目の瞬間にすれ違おうとするのを読んでいたのだ。「木刀を取り換えたい」という心理を利用され、危うく『浦波』からの変化の太刀に打たれるところであった。……今の一撃を受ける直前に、反時計回りに身を翻して木刀を円弧に発するのが一瞬見えた。おそらく、外した『浦波』の二太刀目をそのまま『旋風』に繋げたのだ。なんという応用力。

 

 一つの目的に固執すると危険だ、臨機応変に動かなくては——続けてやってくる白鳥の連撃に、エカテリーナはそう思いながら応じていく。

 

 一対の木刀と、二人の立ち位置が、とどまることなく変化し続ける。

 

 切り結ぶ快音が、何度も響く。

 

(やっぱこいつ、強い……!!)

 

 素早くも整った身のこなし。そこから発せられる剣が、整然と虚空を滑る。受け止めるたびに、研ぎ澄まされた衝撃が下半身まで響く。

 

 攻め込もうにも、どこへ攻めていいのか分からない。隙が無さすぎる。

 

(——落ち着け)

 

 剣だけでなく、心でも圧倒されかけていたのを自覚し、それを制する。

 

 (ほたる)源悟郎(げんごろう)は言っていた。常に隙の無い人間はいないと。

 

 どれほど凄腕であろうと、剣を交え続けていればいつか必ず隙を大なり小なり見せると。

 

 そして、剣士として未熟であろうとなかろうと、同じヒトである以上、刃が通れば等しく死ぬと。

 

(あたしは頭の良い女なんだ。考えなさい、賢いカチューシャ。どうすれば、こいつに一発ぶち込む隙を生み出せる?)

 

 認めざるを得ない。

 どんなにムカつく差別主義者でも、白鳥は剣士としてこちらより格上だ。

 白鳥だってそれを分かっているはずだ。

 だからこそ、単純な剣の腕で追い込み続ければ、いつかは勝てる。

 こちらがいつか負ける事前提で、攻撃し続けている。

 その未来を疑っていない。

 

 ならば——()()()()()沿()()()()()()()()

 

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