帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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不倶戴天《上》

 

 最近のエカっぺの様子のおかしさからして、何か起こっているんじゃないかとは思っていた。

 

 しかし、峰子(みねこ)に案内されるままエカっぺの家へ近づくにつれて、嫌なざわめきが濃くなっていくのを感じ、僕の考えている以上に酷いことが起こっていると確信せざるを得なかった。

 

 ——軽く目算して二十人を超える大人達が、エカっぺの家の前に伸びる一本道に集まっていた。

 

 その約半数が道路のあちこちで苦悶しながら横になっており、もう半数が木刀やらの武器を持って一方向へ壁のごとく迫っていた。

 

 その人壁の隙間から向こうに見えるのは、木刀を手にした一人の男の後ろ姿。——その左足の輪郭から、金色の頭髪が小さくはみ出しているのを視認した瞬間、僕は峰子を置き去りにして矢のごとく突っ走っていた。

 

 人壁を突き破り、木刀を振りかぶった男の後ろ姿めがけて、左腰から抜いた我が木刀を振り放った。

 

 男はそんな僕の奇襲にすぐさま勘付き、電気的な素早さで振り返りざま剣で受け止めた。切り結んだ瞬間に手に伝わってきた研ぎ澄まされた衝撃で、僕はこの男の剣腕をすぐに確信した。とっさの反応で、これほど鋭い威力。

 

 近くに来たことで、より周囲の状況がはっきり見て取れた。

 

 僕が切り結んでいる男の後方には、二人の女性がいた。小柄な女性と、その後方で仰向けになっている……

 

「エカっぺ!」

 

 そう呼んだ瞬間に、男は僕に打ちかかってきた。それを防いでいく僕。

 

 ……先程のエカっぺを見てまず目を引いたのが、赤く腫れた左頬だ。間違いなく、強く殴られた跡だ。

 

 この男だけがエカっぺ達の前に突出していたところを見るに、やったのはこいつだ。……それを確信した瞬間、僕の中で一気に敵愾心が生じた。

 

「邪魔をするな、小僧!」

 

 太刀を連発させながら、うざったそうに吐き捨てる男。

 

「お前が……邪魔だぁぁっ!!」

 

 僕はそれ以上の怒声を発しながらそれらを受け止めていき、やがて体当たりで男を無理やり押し出す。数歩たたらを踏んでから構えを取り直し、静かに僕を睨む。

 

 二十代半ばか後半ごろの、若い男だ。

 顔の輪郭はシャープで、普通にしていればどことなく賢さを感じるであろう顔つき。だが今はその鋭い敵意の眼光のせいで、随分と野生的な印象を受ける。

 細身だが密度を感じる胴体と四肢。スラックスと革靴を履いた脚は大地と、(まく)られた長袖ワイシャツから伸びる腕は手元の木刀と「繋がり」を強く感じさせる。……優れた剣客にありがちな風格だ。

 

(それと、この声……どこかで聞いたことがあるような……)

 

 この男の声に、既視感ならぬ既()感を覚える僕だが、すぐにそんな場合ではないと己を律する。

 

「——カチューシャ、おばさま! 大丈夫っ!?」

 

 後から入ってきた峰子が焦った様子で僕らを通り過ぎ、エカっぺともう一人の女性へと駆け寄った。

 

 おばさま——峰子のその言葉に反応して、僕はようやくエカっぺと一緒だった小柄な女性へ注意を向ける。えりあしがふんわりとした短めの黒髪。顔立ちは童顔と呼べる愛らしさがあるが、どことなく落ち着きが宿っているためすぐに同年代ではなく大人だと確信できる。

 

(髪質とか、顔の雰囲気とかが、どことなくエカっぺに似てる。……なるほど。この(ひと)が、エカっぺのお母さんか)

 

 峰子はそのお母さんと一緒に、エカっぺを助け起こしていた。そのままエカっぺの家の敷地を囲う柵の付近へ移動していく。

 

「ちっ、余計な真似を——」

 

「おっと」

 

 駆け出そうとした男に、僕が剣尖を突きつけて制止させる。

 

 舌打ちする男。

 

「いきなり出てきてなんだ貴様は」

 

「それは僕の台詞だ。こんなところで何してる?」

 

 そう問うが、こいつらが何をしていたかなんていうのは火を見るよりも明らかだ。

 

 しかし、そんな愚問を、そんな愚行を、こいつら自身の口から言わせてやりたかった。

 

 男は鼻白んだ様子で答えた。

 

「我々は「帝戦連」だ。ここに来たのは、帝都の()()()()の一環」

 

 害虫駆除——人を人とも思わぬその物言いに、僕の眉根が自然とひそまる。

 

「ロシア人は、この国に存在しているだけで安全保障上の脅威だ。バレリーナ事件……貴様も聞いたことくらいはあるだろう? 北海道の駐屯地にいた陸軍将校が、バレリーナをしていたソ連の女エージェントに骨抜きにされて、情報を漏らした事件だ。さらにかつての『バザロフ文書』で、日本にいる多くのソ連協力者の存在が明らかになった。ソ連と、その遺伝子を受け継いでいる新ロシアは、あらゆる人間を工作員に仕立て上げる天才だ。日本人ですら我知らず利用されていたのだ。異国に住まう同胞を操るくらい訳の無いことだろう」

 

 ……()()()()()()()を、以前、聞かされたばかりだった。

 

 男は、家の柵に背中を預けて座るエカっぺに、侮蔑の眼差しを向けた。

 

「見ろ、あの娘を。()()()()()()()()。手足が伸びきれば女として成熟し、その美貌を悪用してこの国の中枢を冒すかも分からん。殺すまではせずとも、その顔面くらいは潰しておいた方がいいだろう」

 

「——知ったふうな口をきくなっ!!」

 

 すぐに我慢ならなくなった僕は、爆ぜるように言い募った。

 

「何も知らないくせに!! あの子がっ、どういう気持ちでこの国で生きる事を選んだのかも知らないくせに!! 勝手な事ばっかり言う!!」

 

 限界を超えた怒りで、剣が震える。

 

 ——あたしは陸士に入って、そこから軍人としてうんと出世して、偉くなってやるんだ。それでもし、いつか日ソ戦みたいに日本が他国から軍事侵攻されたら、あたしが日本人を守ってやるんだ。あたしに優しくしてくれた人達も、あたしに散々嫌がらせしやがった連中も、みんなまとめて守り抜いてやるんだ。

 

 ——それでその後……笑い飛ばしてやるんだ。ざまを見ろ、って。おまえらがいじめてた奴が、おまえらを守ってやったぞ、って。そうやって、あたしを弾き出そうとしたこの社会を、まるごと見返してやるんだ。

 

 散々自分をつまはじきにしてきた社会に対して、エカっぺは腐ってもいいはずなのに、そうはならなかった。

 

 それどころか、彼女らしく、この国と社会に向き合おうとしていた。

 

 彼女はそれを、僕のおかげだと言ってくれた。

 

 僕はそれが、とても嬉しかった。

 

 だからこそ……そんな彼女の尊厳を真顔で傷つける、この連中を許すわけにはいかない。

 

「何が「帝戦連」だ!! 何が害虫駆除だ!! 今っ、お前達のしているこの自分勝手な暴力が、先のソ連軍と一体何が違うっ!? 全員まとめて恥を知れっ!!」

 

 僕の叫びが、この辺り一帯に響き渡った。

 

 訪れる刹那の沈黙。

 

 それは嵐の前の、束の間の静けさだった。

 

「ふざけるなぁ!!」「ソ連と同じだと!?」「言うに事欠いて!!」「ナメた事吐かすと容赦しねぇぞ!!」……「帝戦連」の連中が、案の定、怒号を湧き上がらせる。

 

 十数人の憎悪と怒りが、この一身に突き刺さるのを肌で感じる。全員、やる気は満々だ。

 

 しかし僕は、少しも後悔していない。

 

 むしろ、ここにいる全員を相手にしてやってもいいくらいだった。

 

「——待て」

 

 だが、そこへ静かに「待った」をかける声。

 

 今、僕と剣を構え合っている男だった。

 

 「帝戦連」の連中は「し、白鳥(しらとり)さん……?」と困惑気味に言った。……白鳥。それがこの男の名前か。

 

「闇雲に向かっていっても意味が無い。ここはまず、俺に任せてもらおう」

 

 白鳥はそう告げるや、再び僕へ視線と剣尖を戻した。

 

 その眼差しには……先程よりも殺気が強く宿っていた。

 

「——小僧。今の言葉、取り消すならば今のうちだぞ。我々が、誰と同じだと?」

 

 その殺気の視線に、僕もまっすぐ視線を合わせた。

 

「何度でも言ってやる。お前達は、ソ連軍と同類だ」

 

()()()()

 

 白鳥の姿が、(おぼろ)のように消える。僕は剣ごと左へ向く。

 

 一瞬後にやってきた白鳥の一太刀と、僕の木刀とが打ち鳴らされる。

 

 白鳥は一瞬目を見張るが、すぐにまた機敏に身と剣を動かす。僕から見て左手前へ大きく進み出ながら、切っ尖を右から水平に放つ。……それよりも一拍子早く右後方へ退がっていた僕はそれを外させ、すれ違った白鳥の後ろ姿に剣を振り放った。

 

 しかし俊敏に時計回りに振り向きざまの一太刀で、したたかに己の木刀を左へ弾かれる。一瞬ながらガラ空きとなった僕の右側面へ白鳥は急迫しつつ、瞬時に翻した木刀の刃を左から右へ水平に放つ。それも僕は左後方へ飛び退いて躱す。

 

(『浦波(うらなみ)』を連発してるのか……!)

 

 相手の太刀を横へ弾いてすぐさま刃を翻し、懐へ踏み込んでの二太刀目——競技撃剣においても実用的と人気の高い『浦波』の型を、定形にとらわれず崩し過ぎず、巧みに応用している。……やはりこの人、強い。

 

 白鳥は後退する僕へ追いすがってくる。その過程で剣を右下段後方、すなわち「裏剣の構え」の位置へ動かす。

 

 『旋風』か『波濤』か、また『浦波』か——そう予想した僕を裏切るかのように白鳥が()()()()()。剣にその身を晒す危険を省みず僕の懐深くまで飛び込み、左肩からぶち当たった。

 

「ぅあっ……」

 

 成人男性一人分の重さと衝突し、弾かれた拍子に僕の両足が浮く。見ると、白鳥の木刀が視界の左から迫っていた。……『白虹貫日(はっこうかんじつ)』。「裏剣の構え」のまま相手の懐まで飛び込み、間合いの外へ一気に後退しながら豪然と薙ぎ払う剣。しかし、「裏剣の構え」のまま体当たりして斬るという使い方もできる。

 

 ——視界の中心から、やや左寄りに現れた「金の蜻蛉(トンボ)」。僕がそこへ剣尖を合わせると同時に、その「金の蜻蛉」はパチッと火花のように消え、同時に白鳥の重々しい一太刀を手元付近の刃で受け止めた。剣を握る手元に近いほど、受け止めた拍子に剣が弾かれにくい。

 

 土壇場の『劣化(れっか)蜻蛉剣(せいれいけん)』によって間一髪凌いだ僕は、背中で着地した拍子に、ころりと軽やかに後転して受け身を取る。柔術の稽古の時にやった受け身の練習が役に立った瞬間だった。

 

 立ち上がりながら構え直す。白鳥は遠間にいた。剣尖越しに見える眼差しは変わらず剣呑な敵意を静かに宿しているが、その中に先ほどには無かった警戒の感情が見えた気がした。

 

「……どこかで見たことのある顔だとは思っていたが、貴様……富武(とみたけ)中学校の秋津(あきつ)光一郎(こういちろう)だな?」

 

 なぜ僕の名前を……と一瞬思ったが、すぐに察する。天覧比剣少年部の優勝者として、そして最近の人斬り事件の解決者として、僕の顔と名前はそれなりに有名になりつつあったのだ。富武中の夏服を着ているため、今は余計にバレやすいだろう。

 

 僕は答えない。その沈黙を是と受け取ったのだろう、白鳥が冷たく微笑した。

 

「天覧比剣の少年部で優勝して、図に乗っているのかもしれんが……少年部など、所詮はガキのチャンバラごっこだ。そこで天下を取った程度で増長しない方がいいぞ?」

 

「そのチャンバラごっこ相手に、随分手間取ってるみたいじゃないか」

 

「……口の減らない小僧め」

 

 吐き捨てるや、白鳥はおもむろに構えた。左半身を前へ向け、その裏側に剣を隠した「裏剣の構え」。

 

 僕も自分の「正眼の構え」に気を充実させる。

 

 地を這うような足取りで、ゆっくり近づく白鳥を注視する。

 

(……なんだろう。なんか……嫌な予感がする)

 

 体の前側が震えるような、そんな感覚。

 

 白鳥のあの「裏剣の構え」……そこから感じられる、謎の密度。

 

 まるで、火山が噴火を起こす寸前の、不気味なほどの静けさのような。

 

 

 

 次の瞬間——遠間にあった白鳥の姿が、爆速で僕の間合いを侵した。

 

 

 

 それに伴い、大きく波打つ溶岩を想起させる一太刀が、後方から押し寄せた。

 

「ぐ——!?」

 

 僕は木刀の手元付近の刃部分でそれを受け止めたが、一太刀に込められた強い重みは殺しきれず、後方へ大きく投げ出された。

 

 剣と腕どころか、臓腑にすら波及しそうな衝撃の余韻を感じながら、僕は受け身を取る。そして立ち上がり——()()()()の到来を見た。

 

「っ!!」

 

 またしても、あの溶岩の津波めいた大上段からの斬り下ろしだった。身をひねって左へズレていなければ、間違いなく喰らっていただろう。急迫と一太刀の風圧が僕の前髪を跳ねさせる。

 

 振り下ろした位置にあった白鳥の剣が、白鳥自身の俊敏な体捌きに伴って右隣の僕へ疾る。僕は「陰の構え」となり、右耳隣で垂直に構えた剣でその太刀を受ける。かぁん! という木音が右耳を震わせた。……見てみると、さっきの一太刀目を受けた木刀の箇所が、わずかに潰れていた。

 

 そうして両剣を切り結ばせた僕は、白鳥と間近で睨み合いながら、軋むような声で問うた。

 

「まさか、今のは『迦楼羅(かるら)(けん)』……?」

 

「……あのロシア娘といい貴様といい、察しがいいな。そうだ、俺の『迦楼羅剣』。長年のたゆまぬ練剣の末に変異した、我が奥義が一つよ」

 

 うそぶく白鳥。……そう、さっきの凄まじい技は、至剣流における「高級剣技」の一つである『迦楼羅剣』だ。

 

 しかし、この「高級剣技」という言葉を知っているのは、嘉戸(かど)宗家と僕らだけだ。

 

 加えて、白鳥のいま口にした「変異」「我が奥義」という言葉……白鳥は「高級剣技」と気付かぬまま、『迦楼羅剣』を「高級剣技」たらしめてみせたのだ。鴨井村正(かもいむらまさ)と同じように。

 

 僕も初伝目録を手にしてから、『迦楼羅剣』を含む四つの「高級剣技」の型を学んだ。しかしながら、四つのうちいずれも「高級剣技」たる威力を見せていない。まだ練度が足りないのだ。

 

 それをたった一つでも「高級剣技」にしているという時点で——しかも嘉戸派の至剣流で——この白鳥という男は、純粋な剣腕は僕よりも上ということだ。

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