帝都初恋剣戟譚 作:新免ムニムニ斎
——七月十二日、土曜日。
毎週土日の望月家での稽古は、あらかじめ稽古着を着たまま訪れ、そのまま母屋へ入ることなく稽古場で望月先生を待つというパターンが多い。インターホンを押して名乗った時点で、僕が来たことは望月家には知れているからだ。
しかしその日は、稽古場ではなく、母屋を尋ねていた。
そんな今日の僕に、望月先生も
居間に入り、刀袋と鞄を壁際に置かせていただき、脚の短いテーブルの片側で正座して待つ望月先生と向かい合う形で僕も座した。
一見鋭くも、小さな思慮深さの光が垣間見える望月先生の
……この前、心臓を悪くされて病院に運ばれたばかりなので、負担をかけるのは出来る限り避けたかった。先生の御身のため、それをやや過剰に気遣う螢さんのため。
だけど、僕一人の手に余る今の状況を打破するためには、この国で強い影響力を誇る「英雄」の助力が、どうしても必要だと思った。
何より、この人ならば首を縦に振ってくれるという確信があった。
「先生に、お願いしたいことがございます」
その言葉を皮切りに、僕は話した。
ここ最近に起こった、
その中で、僕が対立することになった相手が、僕の独力では太刀打ちできないほどに巨大であること。
それに対抗すべく、どうしても先生の「声」が必要であると。
どうか、力を貸して欲しいと。
話し終えた後、額に一筋汗が浮かぶほどには体が熱かった。七月とはいえ、今は朝九時だ。まだそこまで気温は高くない。まさしく熱弁を振るったからだろう。
望月先生は、僕の話を胸に染み入らせるようにしばし目を閉じ、そしてゆっくりとまぶたを持ち上げた。悲痛な感情が、その鋭い眼差しの奥に見えた。
「……わしも、昨今の彼らの振る舞いには、少々行き過ぎなところがあるとは思っていた。彼らの境遇を考えれば
「……先生」
「あいわかった。コウ坊、お前さんの願い出、確かに受け取った。……後のことは、この師に任せなさい」
それを聞いた時、僕は泣きそうな気分になった。それは感激か、あるいは安堵か。
「——ありがとうございます」
僕は座ったままテーブルから半歩ほど退がり、両手指を畳について深く一礼した。いつも何気なく嗅いでいる
だが同時に、手で感じる畳の感触から……この畳に手をついて座りながらよく話をしていた面々を連想する。その中には、
胸がきゅっと締め付けられる感じがした。どうにかしたいけど、どうにもならない問題を前に、どうすべきか地団駄を踏んでいるような。
僕は顔を上げると「もう一つだけ、先生にお願い申し上げたく思うのですが、構いませんか」と尋ねる。
「なにかね」
望月先生の眼差しから、僕は一瞬だけ目を逸らしてしまった。……うしろめたい事があるから。
僕は袴の両膝をぎゅっと掴みながら、胸が詰まったような気分のまま言った。
「——今日、僕が先生にお願いしたという事実は、
——そう。今回の問題は、中学生一人二人で解決できるモノではなかった。
だから、大人の力を借りるしかなかった。「英雄」として知られる、偉大な大人の力を。
僕が望月先生に請うたのは「
戦災者やその遺族同士で身を寄せ合い、励まし合い、当時の事実を文章として残して語り継ぎ、またあの悲惨を繰り返させてはならないと声を上げる……そこまではいい。しかし、侵略国に対する憎悪のあまり、そこの民族を悪魔化し、弾圧するようなことはあってはならない。現状を冷静に見つめ直し、本当に刃を向けるべき相手は誰なのか、考え直さなければならない。でなければ、斬らなくて良い相手までも斬ってしまいかねない——
要約するとそのようになる先生の言説を、先生の知り合いであるジャーナリストが聞き入れ、それは記事として世に放たれた。
ただの学者や政治家の声では、新聞の片隅の文字の羅列としか思われなかったことだろう。しかし、実際に日ソ戦を戦い、国を守った「英雄」の言葉は、まさしく雷鳴のごとく社会に響いた。
それ以来、「帝戦連」の連中は、エカっぺの家の前で集会をしたり、学校に対する抗議運動や抗議電話をすることはなくなった。
これはのちに知った事だが、ミーチャとダニールさんの住む乃木坂のマンション付近にも「帝戦連」の会員がタムロしていたらしく、いろいろ苦労したそうだ。しかし望月先生による批判のあと、それが嘘みたいになくなったらしい。
「帝戦連」の行動力の源泉は、先の日ソ戦における悲しみと憎悪だ。そんな彼らを止められるのは、あの戦争を実際に戦い、目にし、そして勝利に導いた望月先生の言葉しかない——そんな僕の考えは正しかったようだ。先生の名声を都合良く利用するみたいで抵抗があったけど、何度も言うが、もう僕みたいな中学生一人の手に負える問題ではなかったため、そうするしか無かったのだ。
無論、これで終わるとは限らない。「帝戦連」の暴走は止められたけど、彼らのロシア人への嫌悪と侮蔑が無くなったわけではないからだ。また何かのキッカケで、暴走を引き起こすかもわからない。彼らの心を、他人である僕らが操ることは出来ない。
でも、今の事件を止めることができた。
それしか出来ないし、しかし
エカっぺをめぐる騒動は、ひとまず幕を下ろしたといえるだろう。
……しかし、今回の事件は、あまりにも大きな傷跡をエカっぺの心に残してしまった。
それを作ったのは、「帝戦連」ではなく、この僕だった。
「……今日も来てないみたいだな」
七月十八日金曜日、午後四時——やや距離を置いてエカっぺの家の前を視察し、「帝戦連」が来ていないことを確認した僕は、そう独りごちた。
本当なら、彼女の家を訪ねて、直接話をうかがいたいところだが、僕の足はそれ以上の進行をためらっていた。
行ったところで、エカっぺにどういう接し方をすればいいのか、分からなかったからだ。
『あたしのほうがっ…………螢さんと会うまえから、ずっとコウのこと好きだったのにっ!!』
あの日、エカっぺが口にした言葉。
僕が好き、という言葉。
それが「人間的に好き」「友達として好き」という意味でないことは、
——エカっぺは、僕を、異性として好いてくれていた。
たしかにおどろいた。
しかし、それほど過度に驚愕したというわけでもなかった。
それはきっと……「思い当たる
エカっぺが、なぜ僕に今まで家の場所を教えず、招くこともしなかったのか——エカっぺが僕を好きなのをご両親もご存知で、それをからかわれたくなかったから。
なぜ、エカっぺが僕から貰ったオニヤンマの絵を破られて、烈火のごとく怒って暴れたのか——好きな人から貰ったモノだから。
ほかにも、思い返すと、ちらほらと「それらしい記憶」が見つかった。
それらが、エカっぺの「好き」という言葉によって、一気に氷解した。
(……もしかすると僕は、心の底では気づいてたのかもしれない。エカっぺの気持ちに)
ロシアの血を引くあの子は、学校では浮いた存在だった。
そんな存在が、たった一人心を開いた相手……それが、僕だった。
僕に対し、彼女は好意的だった。
たった一人に、それも異性に、その好意が注がれているという時点で、僕は
(もしそうだとしたら……僕は最低だ)
少し前に聞いた、エカっぺの言葉。
『あたし、コウに会えて本当によかった。
——コウがあたしをどう思っていたとしても。
「どう」というが何を意味するのか、今なら解る。……恋愛的に好きか、そうでないか。
しかし、その答えが「否」であることを、エカっぺは十分に理解していたはずだ。
——僕が日頃から、螢さんへの想いを、彼女の前で発露していたから。
そう、エカっぺは分かっていた。
僕が、螢さんを好きだと。
だからこそ、自分の想いが決して叶わないことを、理解も覚悟もしていたはずだ。
そして——想いを打ち明けたその瞬間が、自分の恋が本当の意味で終わる時だということも。
エカっぺが僕への想いを口にしたのは、衝動的なものだったのだろう。
僕とはいつか、卒業という形で別れることになる。必然的に一人になる。
そうなると、僕の事を頼るのはどうしても難しくなる。
だから彼女は強くなろうとした。一人で自分の問題を解決できるくらいに、強くなろうと。
僕と離れた後も、一人で歩いていけるようになろうとしていた。
そうすることで、自分の抱える叶わぬ想いを、昇華させようとしていた。
しかし、今回の敵はあまりに大きく、彼女一人では太刀打ち出来なかった。
挙げ句の果てに、もう頼るまいとしていた僕に助けられたのだ。
その時、彼女が味わった無力感たるや、察するに余り有る。
『ずっといっしょにいてくれないくせに!! いつかいなくなっちゃうくせにっ!!』
『あたしなんかより、螢さんの方が、ずっとずっと大事なくせにっ!!』
ずっと一緒にいられないから、一人でも強くなろうとしたのに。
失敗して無力さを思い知らされ、さらに僕が出しゃばったことで二重の無力感を叩きつけられた。
……自分の想いに応えてくれず、そしてもうすぐいなくなってしまう好きな人に、助けられた。
彼女にとってそれは、どれだけ走っても手に入らない宝を、鼻先でこれ見よがしにぶら下げられたような気分だっただろう。
だからこそ——彼女は秘めていた想いを吐き出してしまった。
そんな自分の失言を自覚したエカっぺは、僕を恐れるような目で見た。
今まで向けられたことの無かったそんな目に、僕はショックを覚え、思わず口を開けようとしたら、
『嫌ぁぁぁっ!!』
あらゆる発言をかき消さんほどの悲鳴を上げて耳を塞ぎ、家の中へと逃げてしまった。
……それ以来、エカっぺとは全く話せていない。
学校でも、エカっぺは僕を見た途端、避けるようになってしまった。
僕もまた、そんなエカっぺに対してかける言葉が思いつかず、その寂しそうな背中を見送る他無かった。
——「帝戦連」が学校に来なくなったことで、学校の生徒はエカっぺに相変わらず冷たい視線は向けても、直接文句を言うようなことはなくなった。
しかし、エカっぺは前にも増して、辛そうに見えた。
まるで、迷子になった子供のようだった。
……エカっぺをあんなふうにしてしまったのは、他でもない、この僕だ。
思わず、左腰の木刀を、責めるように強く握ってしまう。
やっぱり……僕には、剣を振るうことしか出来なかった。
彼女への肉体的暴力からは守れても、心までも救うことは出来なかった。
あの子を守るために剣を振るおうとしたのに、あの子を傷つけてしまった。
——そもそも「守ってやろう」という気持ち自体が、おこがましかったのかもしれない。
彼女を本当の意味で救うことができるのは、僕ではないのかもしれない。
僕が望月先生に「僕からの依頼だということは、エカっぺには内密にして欲しい」と頼んだのは、エカっぺに対する僕なりの配慮だった。
「……ごめん、エカっぺ」
思わず口から出た「ごめん」が、一体何に対しての言葉なのか、今は考えたくなかった。
結局その日も、僕は彼女の家に一歩も踏み込めなかった。
†
今週の月曜から水曜にかけて行われた期末試験の答案用紙は、来週に返却される。
その後、すぐに夏休みとなる。
これまでは楽しい長期休暇だった夏休みだが、中学三年生にとってはあって無いようなモノである。
エカっぺとの関係も、複雑なままだ。
極め付けに、近頃の物騒な世情。
————いろんな意味で、これまでとは違う夏休みが、始まろうとしていた。
今年の連投はここまで。
また書き溜めてから、来年に投稿します。
どうか良いお年を。