帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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八月、そして「らしくない」

 

 正直言って、今年の夏休みは、今までで一番楽しくない。

 

 そりゃそうだ。中学三年生にとっての夏休みは、自分の進路のために使う便利な自由時間であるという側面が大きい。

 

 どういう進路を取るとしても、その時間を今までのように自由に使えない。使ったらその分自分が困るから。

 

 特に面倒なのが受験組だ。受験生はこの夏休みの過ごし方で、その後の入試での勝敗が決まると言っていい。だから夏休み中も勉強をしなければならない。……僕も、その一人だった。

 

 家で勉強するのは、ある意味学校よりもしんどい。学校は勉強する場所なので、来れば否が応でも「勉強せねばならない」という気分にさせられるが、家という自分の随意になる空間では、常に誘惑がつきまとい、学校よりも自制心が問われるのだ。

 

 それが嫌で、学校の次に集中できる場所であろう図書館に赴いたりもしたが、行けばいつも自習室は満席なので、行かなくなった。

 

 なにより、受験は期末試験と違って、出題範囲が広大だ。なのでいくらやっても終わりが見えなかった。

 

 義務教育最後の夏休みがコレというのは、正直、気が滅入る。エスカレーター式で帝都大学へ進学することになっている(ほたる)さんが羨ましいと思った。

 

 だが、僕にはそんなことに加え、もう一つ理由があった。

 

「……最近、稽古に来ませんね。エカっぺ」

 

 八月九日土曜日、昼——望月家の縁側で冷たい麦茶を口にして座りながら、僕はその「もう一つの理由」を呟いた。

 

 すでに稽古は午前中に終わり、僕ら二人ともシャワーを浴びた後に稽古着から私服に着替えていた。半袖短パンという格好の僕の隣にいる、白いワンピース姿の螢さんが、僕の呟きに「ん」と小さく首肯した。……その拍子に、露わになった肩口に掛かっていた綺麗な黒髪の一房が、しんなりと滑り落ちる。

 

 あまり飾り気の無いワンピース姿だが、それでも螢さんの姿は絵になっていた。いや、簡素なワンピースだからこそ、それを見に纏う素材の極上さがより際立っていた。

 肩口と腕、そして裾から伸びる脚。それらは吸い込まれそうなほどきめ細やかかつ色白で、剣術達者とはとても思えない。枝毛ひとつ見られない長い黒髪は、白い生地と肌を背景に垂れ下がっている。その髪をベールのようにかぶるのは、少女らしいふっくらした丸みと、女性らしいすっきりした鋭利さが絶妙な配分で成立した端正な横顔。

 

 裾から伸びる輝かしい生足は、縁側から外へ出されて所作なげにぶらぶら揺れている。ぷにぷにとわずかに動くその足指を見て、僕は思わず生唾を飲んだ。あの足指でほっぺたをつねってほしい。

 

 ふと、僕は思う。……こんなふうに螢さんをヨコシマな目で見る僕を、エカっぺは側からどういう気持ちで見ていたのだろうか。

 

 それを考えると、僕自身の中でのみ完結するこの不埒(ふらち)な想像も、まるで大罪のように思えてしまう。

 

 エカっぺの気持ちにも気づかずに、堂々と鼻の下を伸ばして……なんと無神経だったのだろう。

 

「……コウ君?」

 

 そんな僕の自己嫌悪が、表に出ていたのだろう。螢さんが下から覗き込むような角度から僕を見つめていた。その深く澄んだ泉のような黒い瞳の中には、なんともいえない表情の僕がいた。

 

「え、あ……」

 

 突然尋ねられたのと、そして自分の浮かべていた顔に僕は動揺を覚える。こんな顔していたのか、僕は。

 

 僕は俯いて無言になる。それは、何を言っていいか分からないのと、何か言うために話しかけて欲しいという気持ちがないまぜになった対応だった。

 

 しかし、螢さんは僕を見つめるのをやめて、元の座り姿勢に戻る。緩やかな風の流れを感じるとともに、真上の軒からぶら下がった風鈴がちりりんと涼しい音を立てる。

 

「……何も、聞かないんですか?」

 

 僕は、思わずそう問うた。子供が()()()みたいな声だった。

 

 エカっぺが最近来ない、という話題を振った途端に、僕は変な態度を見せたのだ。普通なら、エカっぺ関連で何かあったのだと予想したり、察したり出来るだろう。そしてそれを聞いてくるだろう。

 

()()()()()()()?」

 

 しかし、螢さんはそれをしない。

 

 僕の方から、口にするのを待っている。

 

 ——それは、螢さんなりの気遣いであり、そしてエカっぺが来ない理由の予想がついていることの示唆(しさ)だった。

 

 「帝戦連」の事件以来、エカっぺは一度たりともこの望月家に姿を見せていない。

 

 理由はひとえに、僕がいるからだろう。

 

 自分で言うのもアレだが、僕は剣を熱心に学んでいる。なので望月家に来れば、高確率で僕とも顔を合わせなければならなくなる。今のエカっぺにとって、それはとても辛いことなのだろう。

 

 僕がエカっぺの辛さの根源になってしまっている……それを考えるたびに、胸が痛んだ。

 

 それでいて、僕はそんな事情を、螢さんや望月先生にはいっさい口にしていない。それを話すということは、エカっぺの想いと失恋を暴露することを意味する。それをしない事だけが、僕が今エカっぺに対して出来る唯一の気遣いだった。

 

 驚いたのは、二人からすれば理由不明のエカっぺの長期不在を、望月親子があっさり受け入れていたことだった。

 

 「まだ若くて、()()()()()なのだから、こういう時期もあるだろう」……望月先生の弁だ。

 

 そして、先ほどの螢さんの言葉。

 

 二人は僕なんかよりずっと聡い。だから、きっと()()()()()()

 

 ——次の螢さんの一連の発言が、その予想を確実なものにした。

 

「……わたしは、男の人に、すごくモテる」

 

 彼女らしからぬ自慢に、僕は思わず顔を上げた。

 

「モテはするけど…………()()()()。その言い寄ってきた人達を、わたしはこの剣で一人残らず袖にしてきた。だから……受動的に好かれた経験しかない。自分から誰かを好いて、近づいた経験が無い。それは、恋愛経験が無いことに等しいと、個人的には思う」

 

 だけど、それを言っている螢さんは、自慢げさも卑下も無い。淡々と事実を述べているだけ。

 

「でも、そんなわたしでも、これだけは分かる。——能動的に動いた人が、その結果どうなったとしても、その傷を癒すことが出来るのは、少なくとも……傷つけた側ではないと思う」

 

 ——そんなこと、わかっています。

 

 僕は再び俯き、唇の下で歯噛みしながら、無言でそう訴えた。

 

 そうだ。分かっているんだ。今の僕がエカっぺに出来ることなど、限られているということくらい。

 

 それでも、なんとかしたいと、思ってしまう。

 

 ——あんな辛そうなエカっぺは、見たくないから。

 

 あの金髪のようにいつも元気で、飄々としていて、ぶつくさ言いながらも僕に付き合ってくれる……そんなエカっぺに、どうか戻ってほしいから。

 

 それが僕の自分勝手なエゴだと分かっていても、また、前と同じに戻ってほしいと。

 

 そのために、出来ることをしたいと、何もできないと分かっているのに探してしまう。

 

 存在しない答えを己の中に探すことで、いつの間にか、重い沈黙が場を支配していることを自覚する。……螢さんとの会話なのに。

 

「——そういえば、コウ君は『枢剣教(すうけんきょう)』っていう宗教、知ってる?」

 

 螢さんが、脈絡無く別の話題を出してきた。きっと、僕に配慮してだろう。

 

 だから僕も、そんな螢さんの心配りを無駄にせぬよう、話に乗った。

 

「……なんか、ここ最近、(ちまた)でよく聞きますね」

 

 ん、と小さく頷く螢さんを見て、僕の思考もまた自然と別方向に巡った。

 

 ——枢剣教。

 

 なんでも、ここ最近、新しく生まれた宗教団体らしい。

 

 教祖が不思議な力を持っているという噂と、急激に信者数を増やしているという事しか、僕は知らない。あまり興味が持てなかったからだ。……色々あったせいで、そんな余裕が無かったというのも理由の一つかもしれない。

 

 だけど、この話題逸らしの会話のため、という理由で、今ようやく少しばかり興味が持てた。

 

「結局、どういう宗教なんでしょうか、その枢剣教って」

 

「端的に言うと——剣を信仰する宗教」

 

「剣を、ですか? ナニナニノ(ミコト)とかの神様じゃなくて?」

 

 ん、と首肯してから、螢さんは淡々と続ける。

 

「神話においても、社会や国体においても、「剣」というモノはこの国において重要な立ち位置を守り続けている。枢剣教(彼ら)はこれらの事実を「剣とは、大和の(くるる)である」と考え、そして「剣をもって、荒れ果てた大和を平らげる」という理想を掲げた。……これこそが枢剣教の信仰の根幹。「剣」を信仰することが、この日本を平和に正すことに繋がる。そういう考え方」

 

 僕はそれを聞いて、過去に聞いた他者の発言を連想する。

 

 ——世の中を正すのは、いつの時代も剣だよね。

 

 それを言ったのは、今はもうすっかり疎遠となってしまっている級友、栗山(くりやま)くんの言葉だった。

 

 彼はそれを、「人斬り錦蔵(きんぞう)」の凶行を剣によって食い止めた僕の活躍——実際には僕だけの力ではないが——を讃える言葉として口にした。

 

 だけどそれを最初に聞いた当時、僕は違和感のようなモノを覚えたのだ。

 

 しかし、今耳にした枢剣教の思想と、栗山くんの過去の発言が、驚くほど一致している。

 

 これはいったい、何を意味するのか……それを考えようとする僕をよそに、螢さんの説明は続く。

 

「開祖は、わたし達と歳がそれほど離れていない、若い女性だそう。名前は石動(いするぎ)マヤ。剣術の修行のさなかに経津主(ふつぬし)の声を聴き、「剣で大和を平らげよ」という使命と、そのための「剣」を与えられたという人。……コウ君も知っている通り、経津主とは香取(かとり)大明神(だいみょうじん)とも呼ばれる剣神のこと。モノを()()と静かに断つ剣の鋭さを神格化した神ともいわれていて、わたし達剣士にとっても重要な一柱(いっちゅう)。そんな神から授かったという開祖の「剣」は、不思議な力を持っている」

 

「不思議な……?」

 

「他者の身を()()と静かに斬りつけることで、その人が内に秘めているという神の剣『枢剣(すうけん)』を解放し、それをいつでも使えるようにするという力。開祖はそれを『刀自剣(とじのつるぎ)』と称しているそう。本当かどうかは定かではないけど、少なくともそんな開祖のもとに、信者が次々と集まり、急増しているということは確か」

 

 その話を聞いて、僕は思い浮かんだ言葉をそのまま口から出した。

 

「…………なんか、至剣みたいですね」

 

「それ、信者の人の前では絶対に言わない方が良い。至剣というのは神秘的に感じる性能こそあれど、神秘ではなく、れっきとした剣技という認識だから。偉大なる開祖の権能である『刀自剣』とは、比べるどころか横に並べることすら畏れ多いと思われる。下手をすると袋叩き」

 

「な、なるほど……」

 

 気後れめいた気持ちを抱くと同時に、僕はまたも過去の光景を連想した。

 

『本来の奥義は、あの方より授かった『虎落笛(もがりぶえ)』だが……貴様ら程度には使うまでもないし、神聖な『枢剣(すうけん)』を(うつつ)(けが)れに晒す理由としても弱い。純粋な俺の剣だけで十分だ』

 

 先月の十一日、エカっぺの家の前で戦った「帝戦連」の白鳥(しらとり)とかいう男の発言だった。

 

 あの時は、白鳥の言っていることの意味が理解できなかったが、今ようやく解った。……きっと、白鳥も枢剣教の信者だったのだ。口ぶりから察するに、『虎落笛』というのが、白鳥の持つ『枢剣』の名前なのだろう。

 

「『枢剣教』に関しては、それくらいしか知らない。だから彼らの事を、良くも悪くも言いたいとは思わない。だけど……こんな事を言ったら、信者の人達は怒ると思うけど、枢剣教は、なんだか()()()()がする」

 

「怖い……ですか?」

 

 声も無く頷く螢さん。

 

「そう言えるだけの明確な根拠は無い。だけど、何か…………嫌な予感がする。あの人達をそのままにしておいたら、そのうち、何かとんでもないことをしでかすのではないかと」

 

「枢剣教って、そんな危険な団体なんですか?」

 

「少なくとも、わたしの知る限りでは、過激な思想を掲げる団体ではない。むしろ、愛国的な団体。だけど……どんな思想だって、振るい方を間違えればただの暴力に変わる。だから、過激化しないという保証はどこにも無い。これはどの集団にも介在している危険性」

 

 ……それは、一理ある。

 

 過激な目的で作られたものではない団体が、過激化する——僕はその例を、つい最近見た。

 

 そう。「帝戦連」だ。

 

 元々は日ソ戦戦災者や殉職者、またはその遺族といった戦争被害者による日ソ戦の研究団体だったはずなのに、今回の事件ではそんな初期の性質など見る影もないほどに過激化した。

 

 どのような穏健な理由で作られた団体であれ、それを構成しているのが人間ならば、暴走する可能性は常につきまとう。

 

「…………はぁっ」

 

 その思考に、僕は思わず額を押さえて嘆息した。……さっきから、ちょくちょく「あの事件」を連想してしまう。そこから一時的に気を逸らすために別の事を話しているのに、これでは意味が無い。

 

 螢さんも、僕の反応から()()を察したのだろう。脈絡を無視して、次の話題を出してきた。

 

「それから、コウ君は知ってる? ——最近、この帝都の武芸界を騒がせてる、中国人剣士の話」

 

 本当に脈絡が無く、かつ予想を大きく上回るものだった。

 

 僕は思わず目をしばたたかせ、

 

「中国人、ですか? それはまた珍しい」

 

「ん。本人は『(ちょう)凌霄(りょうしょう)』と名乗っている。使っているのは日本刀を模した木刀だけど、その剣技はあまり日本剣術らしくないと聞いている」

 

「つまり、中国の剣術、ってことですか?」

 

「中国的には「刀術(とうじゅつ)」と呼ぶ。わたし達日本人は「刀」と「剣」を自然に混同させているけど、中国人はそれらを明確に分けて考えている。「(とう)」とは「片刃」を意味し、「剣」は「両刃の直剣」を意味する。……話を戻す。その趙凌霄という人物も、その剣技も直接見た事が無いから断言はできないけれど、その可能性はあると言っていい」

 

 螢さんは一拍子間を開け、説明した。

 

「先月末あたりから、帝都に住む腕利きの剣士のもとにその趙凌霄が訪れては、一対一の勝負を申し込んで、打ち倒しているらしい。今のところ、全ての勝負において無敗を誇っていて、最初は面白がっていた帝都の剣界隈もすぐにその事態を重く見るようになった。……この帝都で、これ以上異人の剣客に遅れを取っていていいのか、と」

 

「なるほど、そんな事が……」

 

 そう他人事のように納得してから、僕はハッと気づく。そして同時に、強い危機感を覚えた。

 

「腕利きの剣士…………ってことは、螢さんに勝負を仕掛けてくるかもしれないって事ですよね?」

 

 その趙凌霄なる人物は、腕利きばかりに勝負を挑んでいるという。

 

 そして、螢さんは確実にその「腕利き」に、しかも頂点に位置する剣士だ。趙凌霄が純粋に強者との剣戟を望んでいるのならば、螢さんへ辿りつかないというのは考えにくい。

 

 趙凌霄の実力がいかほどなのか、情報が足りないのでまだはっきりとは解らない。

 

 ……螢さんには、敵わないかもしれない。

 ……螢さんすら、打ち負かすかもしれない。

 

 情報が足りないから、その両方の可能性が存在している。

 

 それだけで、僕は不安だった。

 

 もし、螢さんの前に、趙凌霄なる剣士が現れ、勝負を挑んできたら?

 

 そして、もし螢さんが、その勝負で——

 

「——()()()()()()()()

 

 螢さんは、そう強く断言した。

 

 僕のその先の想像を、文字通り、言葉で断ち斬るかのように。

 

「相手がどれほどの手練れであろうと、あるいは神であろうと、わたしは負けたりはしない。かかって来る相手は例外無く、一刀両断する。そう誓う。……神殺しの剣と同じ名を持つ、わたしの至剣に賭けて」

 

 ……僕は、その言葉と、そこに含まれる芯の強い語気に驚いていた。

 

 螢さんの剣腕の凄さは、初めて会った時から少しも変わっていない。

 

 しかし、それでいて彼女は、常に勝負というものに淡白だった。

 

 まるで、勝つ事が当たり前であるかのように、超然としている感じがした。

 

 だからこそ——今のように、己の勝利を強く宣言する様は、とても()()()()()ように見えた。

 

 良いか悪いかではない。

 

 ただただ、()()()()()

 

 ——なぜ彼女は、そんな()()()()()事を、今、言ったのか。

 

 その螢さんは、僕をじっと、まっすぐ見ていた。

 

 深い泉のような澄んだ黒の瞳には、いつも以上に僕の姿が強く映っていた。

 

 まばたきして、さらに僕の顔が鮮明になる。

 

「だから——コウ君も、負けないで。少しずつでもいいから、強くなって。前に進んで。あなたがわたしと同じ場所に来るまで…………わたしは絶対に負けないから」

 

 その言葉を耳にした瞬間、脳が痺れるような感覚が訪れた。

 

 考えすらも麻痺する。

 

 その時の僕に出来たのは、ただ「……はい」と答えることだけだった。

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