帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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ひとりぼっちのカチューシャ

 夏の暑気の中でずっと食べずに放置していたせいか、開封したゴリゴリ君アイスキャンディーは溶け始めて柔らかくなっていた。

 

 しゃくりとひと(かじ)りして、きーんとした冷たい後味を頭に響かせてから、ベンチで隣り合わせに座る黒髪の少女にアイスを差し出す。

 

 女の子は、感情のうかがい知れないぼんやりした表情のまま目を瞬かせ、

 

「……Можно(いいの)?」

 

Пожалуйста(どうぞ)

 

 エカテリーナの許可を得るや、溶けかけのアイスキャンディーの半分をはぐっとぎこちなく齧った。

 

 だが、半分を齧り取られたことで、残ったもう半分のアイスが棒から滑落し、地面にぐしゃっとコーラ色の雪山を作った。その雪山は、陽光で熱せられたアスファルトの熱であっという間に水たまりになった。そこへ蟻が何匹か寄ってくる。

 

 丸裸になったアイス棒を見ると、そこには「当たり」という三文字。

 

 そこまでの流れがなんだか可笑しくて、エカテリーナは思わず吹き出した。

 

 「Подождите(ちょっと) минутку(待っててね)」とエカテリーナはベンチを立ち、駄菓子屋に戻った。そこで店のおばあちゃんに当たり棒を見せて、ゴリゴリ君のソーダ味と交換してもらった。

 

 それも開封し、二人で分け合って食べる。女の子もさっきの失敗で学習したのか、エカテリーナに倣う形でアイスキャンディーを上から下へと少しずつ齧っていき、今度は途中でこぼす事なく完食した。

 

 ほんのりとした小さい冷たさを感じながら、一息ついた。

 

「ありがとう。美味しかった」

 

 女の子は、そう言った。……先ほど歌っていたのと同じ透明感のある声と、ロシア語で。

 

 エカテリーナはそれをぼんやり見て聞きながら、「ううん」と小さく笑い、同じくロシア語で問うた。

 

「あたし、エカテリーナっての。エカテリーナ・ルドルフォヴナ・伊藤(いとう)。よろしくね」

 

 それを聞いて、女の子はきょとんとした様子で「……カチューシャ」とうわごとめいた口調でこぼした。

 

 エカテリーナは苦笑し、

 

「そ。()()()()()とおんなじ名前なの。それで、あんたの名前は?」

 

「私……私は……」

 

 女の子は、やや躊躇(ためら)うような態度を見せるが、やがてその透明感のある声で名乗った。

 

「——リュドミラ・グリゴリエヴナ・マシュコーツェヴァ」

 

「うん。よろしく、リュドミラ」

 

 エカテリーナは頷いてから、改めてその女の子——リュドミラの姿を注視した。

 

 背はこちらの方が高いが、それでも女子にしては上背はある方だと解る。身につけているのは清潔感とわずかな幼さを感じさせる白いワンピースで、そこから伸びて露わになった長めの四肢と首の素肌は軒下の日陰の中においても光りそうなくらい瑞々しい。

 汗が数滴輝く首を上へたどっていくと、当たり前だがそこには彼女の顔がある。明らかに目鼻立ちは整っている方だが、どこか薄みがある顔つきで、失礼だが華々しく周囲の目を引くような感じではない。

 

 例えるなら、高い木々の茂る林の奥でひっそりと花を咲かせる、小さな木蓮の樹ような雰囲気を持った少女。

 

「……どうしたの?」

 

 リュドミラの墨色の瞳が、ぱちぱち瞬く。

 

 エカテリーナはジロジロ見ていた事を自覚し、慌てて弁明した。

 

「あ、ううん。ごめん。その……なんか、()()()()()()()()()()()()()、って思っただけよ」

 

 そう。彼女の容貌は、日本人にとてもそっくりだった。今もなおこうしてロシア語を自然に使いこなすのに。

 

 だが、それほど驚くことでもない。ロシアは多民族国家だ。エカテリーナの父ルドルフのような金髪碧眼持ちもいれば、目の前のリュドミラのようにアジア人に酷似した見た目の人種も存在する。

 

 リュドミラは気を悪くした様子も無く、感情の色の薄い表情で淡々と述べる。……その様子が、姉弟子である黒髪の美少女を連想させた。

 

「多分、私がトゥバ人の血を引いてるからだと思う」

 

「……あぁ」

 

 エカテリーナは納得した。

 

 トゥバ人とは、テュルク系民族の一部族を指す。

 かつては「最後の遊牧帝国」といわれたジュンガル帝国の部族の一つだったが、ジュンガル滅亡後に清朝の支配下となり、外モンゴルに組み込まれる。そこからロシア勢力の浸透によってロシア帝国の支配下に入り、さらにロシア革命後はソ連化し……と、紆余曲折を経験してきた民族である。

 そういった歴史を歩んだため、宗教的にも文化的にも、モンゴルの名残りがある。

 ソ連時代はトゥバ自治共和国として彼らの国は存在していたが、ソ連末期に独立を宣言し、現在はトゥバ共和国となっている。公用語はトゥバ語だが、ソ連時代の名残りかロシア語を話せる者も少なくない。

 

 そしてトゥバ人は、モンゴルとの繋がりがあったためか、容姿が日本人を含む東アジア人に似ている。であるならば、彼女のこの容姿にも合点がいく。

 

「ってことは、リュドミラはトゥバ共和国の出身だったりするの?」

 

 その問いに、トゥバ人の少女はかぶりを振った。

 

「私は、モスクワにいた。お父さんがトゥバの血を引いていた」

 

「そうなんだ。それで、日本にはどういう用事で来たの? 旅行? あんたのパパとママは?」

 

 そこまで言って、エカテリーナは己の質問攻めを自覚した。それくらい口が軽やかになるほど舞い上がっていることも。……自分が考えている以上に、今の自分はロシア語で話せる相手の登場が嬉しいらしい。

 

 しかし、リュドミラがぶらぶらさせている足元を見下ろす形で俯いたのを見て、薮蛇をつついてしまったことを自覚し、後悔した。

 

「……日本には、「先生(ウチーチェリ)」の仕事の用事で来た。お父さんとお母さんは……もういない」

 

 両親はもういない——これが意味するところは、一つしか無いだろう。

 

「ご、ごめんリュドミラ……嫌な事聞いちゃったわね……」

 

 リュドミラはふるふるとかぶりを振って「いいの。今の私には「先生(ウチーチェリ)」がいるから」と変わらぬ淡白な口調で答えた。

 

「リュドミラの言う「先生(ウチーチェリ)」って、どんな人なの?」

 

 エカテリーナは話題を変える意味もあってそう問うた。

 

 すると、リュドミラは少し強い語気で、次のように言った。

 

「——私の恩人」

 

「恩人……?」

 

 そう、とリュドミラは首肯。

 

「あの人……「先生(ウチーチェリ)」がいなかったら、私は今頃ストリートチルドレンになっていた。ううん……とっくの昔に路上で朽ち果てて、その屍肉を野良犬が食い散らかしていたかもわからない。親も力もお金も無かった独りぼっちの私を拾って、この命に意味を授けてくれたのが「先生(ウチーチェリ)」なの。

 私だけじゃない。「先生(ウチーチェリ)」に助けられて、無事に手足が伸びきった子供は他にもたくさんいる。私達はそんな「先生(ウチーチェリ)」に、いつか恩返しをする。あの人の願いを、私が叶えてあげるの」

 

 静かながら熱のこもったその語りから、エカテリーナは()()()()()()を拾った。

 

 まず、彼女が「先生(ウチーチェリ)」なる人物から拾われたのは、十中八九、新ロシア初期十年間の混乱のさなかであるということ。

 社会主義国から市場経済の自由主義国への反転は、ロシアを救うどころかさらに苦しめた。共産主義というぬるま湯に浸かっていた大半のロシア人が、急に市場経済や自由主義にうまく対応できるはずはなかったのだ。一夜にして財を失ったロシア人が後を絶たず、窃盗などの犯罪が多発し、街には街娼やストリートチルドレンが急増した。

 身寄りが無かった独りぼっちの少女が、その「先生(ウチーチェリ)」に拾われていなかったらどうなっていたかは、想像に難くないだろう。

 

 次に、「先生(ウチーチェリ)」の社会的立場の強さ。

 新ロシア初期の混迷は前述の通り。そんな社会において、皆は自分で自分を守ることで精一杯だったはずだ。

 例外があるとするなら、市場経済の波に小賢しく乗って富を築いたオリガルヒのような成金や、マフィアなどの犯罪組織の重役くらいだろう。

 「先生(ウチーチェリ)」という人物がどれにあたるのかは分からないが、あの混乱期で知らない子供を拾って育てるくらいの懐具合がある時点で、結構な金持ちであるということが伺い知れる。……ソ連崩壊後すぐ爆発的に広まったロシア正教の聖職者という可能性もあるが。

 

 最後に……リュドミラの「先生(ウチーチェリ)」に対する心酔ぶり。

 その境遇ゆえだろうが、彼女はその人物をえらく慕っている。

 愛情や恩義すら超えた、崇拝に近い気持ちを抱いている。

 

「そう、なんだ」

 

 どう言葉を返していいか分からなかったエカテリーナは、曖昧に笑ってそう相槌を打つ。

 

 何にせよ、その「先生(ウチーチェリ)」という人物が恩人である、ということは分かった。

 

 ……それ以上首を突っ込むには、この少女と自分の関係性は深くない。

 

「あなたは、この国に住んでるの?」

 

 リュドミラが、そのように訊いてきた。裏が無い、素朴な感じの問いかけだった。

 

 エカテリーナは「うん」と頷き、

 

「生まれた時から日本にいるの。ちなみにロシア人なのはパパで、ママは日本人よ」

 

「でも、ロシア語すごく自然」

 

「日本語とロシア語、両方教わってきたから。……将来、日本かロシアか、どっちか片方を選ぶ余地を与えるために」

 

「どういうこと?」

 

「——日ソ戦が、起きちゃったから」

 

 そう。それが全ての元凶だった。

 十二年前のあの戦争は、日露双方に巨大な精神的爪痕を残した。

 軍事侵攻を受けた側である日本は言うに及ばず。

 ロシア人も、自国を崩壊に導いた日本に恨みを抱いている。

 日露の血を一身に宿すエカテリーナは、どちらからも歓迎されない。

 だからこそ、両親は「選ぶ余地」を作ってくれたのだ。

 どちらとも過酷であったとしても、せめて自分でどのような過酷であるかを選べるようにと。

 強いられた過酷より、選んだ過酷の方が、きっと幸せだからと。

 

「どっちを選んだの?」

 

 何気ない口調で投げかけられたリュドミラのその言葉が、胸に刺さるように痛く感じた。

 

「日本よ」

 

 答えると、エカテリーナはベンチの上で体育座りし、己の白い太腿の中に顔をうずめる。

 

「でもね……あたし、選んで早々自信無くなってきちゃってるんだ。想像以上に、難しくて」

 

 我ながら、弱々しい声だった。

 

『この国は、貴様らにとっての地獄だ』

 

 白鳥(しらとり)とかいう男の、そんな言葉を思い出す。

 

 次々とぶつけられる、濃厚な悪罵と憎悪。

 自分だけならばまだしも、親や友達までもが、その余波を被る。

 どれだけ言葉と行いを尽くしても、収まらぬ恨み。埋まらぬ隔意(かくい)

 ……「帝戦連」との一件は、そんな「ままならなさ」という現実を、あらためて自分に思い知らせた。

 自分の選択は、子供特有の甘い夢想でしかなかったのではないかと、考えさせられた。

 

 極めつけに。

 

「——好きな人が、いたの」

 

 気がつくと、エカテリーナはそうこぼしていた。

 

 ロシア語が話せるという点しか共通していない、会ったばかりの女の子に、己の弱さを吐露していた。止まらない。

 

「変わり者で、ちょっとスケベで……だけどとっても強くて優しい男の子。日本人なのにいっつもあたしの事気にかけてくれて、何かあったらすぐに剣を持って駆けつけてくれたの。その男の子がいたから……あたしは曲がらずにやってこれたの」

 

 脳裏に浮かんだのは、お日様みたいな笑顔を浮かべた光一郎(こういちろう)の姿。

 

「本当に好きだったの。あの人になら、あたしの全部をあげちゃっていいってくらい……大好きだったの」

 

 途端に、目元が熱くなった。

 

 声にも、涙が混じった。

 

「でも、あの人は、あたしを選んでくれなかった」

 

 自分が血を流せば、彼は来てくれる。

 

 その腰の剣を抜いて、助けてくれる。

 

 しかし、自分の横に留まってくれることは、決してない。

 

 彼の剣は、自分のためのものではない。

 

 ——自分は、ひとりぼっちのカチューシャだ。

 

「……っ、ひぐっ……」

 

 エカテリーナの意思に反して、涙が止まらなくなる。

 

 止まれといくら自分に言い聞かせても、止まってくれない。

 

 

 

 ——そんな自分の頭が突然引き寄せられ、柔らかく温かい何かに包み込まれる。

 

 

 

「あ……」

 

 同時に漂ってきた小麦みたいな匂いに、気持ちが緩んでくるのを感じる。

 

「私も……好きなひとに見放される気持ちは、分かる」

 

 すぐ頭上から聞こえてきた静かな声で、リュドミラに抱き寄せられたのだと気づく。

 

 白いワンピースの生地越しに感じる、薄くも柔和な胸の感触。その奥で静かに打ち鳴らされる心臓の存在。そこから全身に送られる血が、後頭部に回されている彼女の両腕の素肌を多肉植物のように柔らかく、瑞々しくしていると感じる。

 

 この暑気の中で抱擁されているのに、暑苦しいと思わない。溺れていたいとすら思う。暑さとは隔絶された温もり、とでもいえばいいのだろうか。干したての布団に飛び込んだような、香ばしい温かさ。

 

 その温もりに、今までツンドラの氷のように硬く凍てつかせていた心のどこかの部分が、優しく溶けほぐされていく。

 

 後頭部の髪をさらさらと何度も撫でる感触が、心の融解を早めていく。

 

「——いいよ」

 

 耳元を優しくついばむような、リュドミラのささやき。

 

 限界は来るべくして来た。

 

「————ぅ、ぅぁあっ…………あああああああああああぁぁぁぁぁ……!!」

 

 (ぬく)く柔らかな闇の中に、エカテリーナは悲痛な思いを決壊させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——しばらくして。

 

「服、すごいことになってる」

 

 ワンピースの裾を伸ばして服の面を見下ろし、リュドミラは他人事みたいに呟く。……胸元には、粘度の高い液体が薄く広く固まっていて、セロテープのようにきらめいていた。

 

「ずすっ…………ご、ごめんね……ばっちくて」

 

 鼻をすすりながら、エカテリーナは赤い顔で謝った。泣き腫らしに恥じらいの朱が加わっていた。

 

「その、お詫びにというか、お礼にというか……あたしん()に来ない? そのワンピも、洗ってあげるからさ」

 

 まだ泣きの余韻が残っているため、ひっひく、としゃくり上げを挟みながらそう提案する。

 

 対して、リュドミラはその墨色の瞳でぼんやりと見つめてくるだけ。答えない。

 

「えっと……イヤだったり?」

 

 エカテリーナがぎこちなく笑みを浮かべてそう確認すると、リュドミラは首を横へ振る。長い黒髪が犬の尻尾みたいに揺れる。

 

「……経験が、無いから。同い年の子の家に、行くとか」

 

 静かな口調だが、若干ぎこちなく途切れた彼女の言葉に、笑みを柔らかくした。

 

「行こっ、リュドミラ」

 

 ベンチから立って、手を差し伸べてそう言うと、リュドミラはまたもふるふるとかぶりを振った。今度はなんなのだろうか……

 

()()()()()()って、呼んで欲しい。……私もあなたを、「カチューシャ」って呼びたいから」

 

 エカテリーナはきょとんと目を丸くし、しかしすぐに晴れやかな笑みとなった。

 

「——ウチ行こ、リュドーチカ!」

 

 言い直すと、今度こそリュドミラは手を握ってくれた。

 

 握り合った彼女の掌は、意外と硬かった。

 

 




 途中でミスったりもしましたが、とりあえず今回の連投はここまでです。
 また書き溜めて連投いたします。

 次の連投で夏休み編は終わる予定。
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