帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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嘉戸宗家の気苦労

 時をやや(さかのぼ)り——二〇〇三年七月十九日。東京都新宿区市ヶ谷(いちがや)嘉戸(かど)宗家邸宅。

 

 

 

 

 

 成人男性の上背を少し超える程度の塀に囲まれたその広い敷地の中心には、武家屋敷を思わせる巨大な邸宅が鎮座していた。さらにそこから外側へ根を張るようにして渡り廊下が数条伸び、周囲にいくつもある別館へと通じている。

 

 その別館のうちの一つである茶室。夏や冬であっても、冷暖房完備で、しかもそれが目立たない場所に設置してあるため、春夏秋冬いつでも快適かつ風情を壊さず茶の湯を楽しめる。

 

 程よく冷えたその空間に、しゃきしゃかと茶を練る音だけが控えめに響く。

 

 それが止む。

 

 嘉戸(かど)唯明(ただあき)は、盆の上の茶筅(ちゃせん)休めに茶筅を置くと、翡翠(ひすい)でできた大ぶりの碗の中の茶をひとすすりし、それを向かい合って座する息子——嘉戸寂尊(じゃくそん)へ手渡す。受け取った寂尊は、翡翠よりもさらに深い緑の液体を残らず飲み干した。

 

 茶の湯を交わした父子は、大人と子供ほどの体格差があった。小柄なのは父である唯明の方だが、その小柄な体に宿る深奥なる武力を、息子である寂尊はよく知っていた。

 

 寂尊が弛緩した一息を入れると、唯明はやや見上げて視線を合わせてきた。細い眼差しの奥には、労いの意思の光があった。そのままおもむろに告げてきた。

 

「——長旅、ご苦労であったな」

 

「いえ。旅行とでも思えば楽なものです」

 

 寂尊が静かに応じると、唯明は疲れたような鼻息を出し、

 

「強がらずとも良いぞ。()()()()では、アメリカもさぞ居心地が悪かったことだろう」

 

「……本音を申し上げるならば、少し、悪い変化が見られました」

 

 素直にそう言った寂尊。

 

 ……日本で百万人以上、世界で三十万人ほどの門弟を抱える至剣流剣術。それを宗家として統べる嘉戸一族の人間は、国内外の宗家認可道場へと短期指導をすべく(おもむ)くことが多い。

 

 現家元である唯明の次男の雷蔵(らいぞう)は、一昨日にベルリンへ発ったばかりだ。そして長男の寂尊は、つい昨日、アメリカのバージニア州から帰国したところである。

 

 バージニア州リッチモンドに、アメリカで最も大きな宗家認可海外道場が存在する。寂尊はそこで短期集中稽古をしていたのだが、

 

「門弟の数が、以前より大きく減っておりました」

 

「ふむ。なるほど……()()は何となく察せるが、去る者は追わずが剣の世界だ」

 

「ついでに申し上げると……CIA所属だと名乗っていた門弟も去っております」

 

「……ほう?」

 

 その細い目を興味深げにやや開く唯明。

 

「彼らはかつて、自分達がCIAだと名乗った上で稽古に参加しておりました。その目的は十中八九、『余計な真似はするな。マーシャルアーツ・ジムとしてのみ振る舞え』という、至剣流と嘉戸一族に対する無言の威圧。彼らはおそらく、至剣流という巨大流派を利用した、嘉戸宗家の「情報網」の存在を知っている。だからこその威圧。

 ……そんな彼らがいなくなった。まるで、もう何をしてもいい、と言わんばかりに。あるいは、()()()()()()()、と」

 

 唯明は、見開いた目を再び細めた。普段以上の鋭さに。瞳の奥には針のような眼光。

 

「……なるほど。連中、我が流派をバージニアから叩き出したいわけか。()()()()()()()が欲しいと?」

 

「今はまだ過程の域を出ませんが、おそらくは。——アメリカの反日運動は、リッチモンドでも起こったそうです。『至剣流(シケンスタイル)道場(・ジム)は、日本のスパイ組織の末端である。中央情報局のあるバージニア州に置いておくな』というのが彼らの主張。その根拠は、『ロシアが至剣流道場を国内に一つも作らせていない』という事実から。州議会でも、リッチモンド支部道場の撤去を訴える右派議員がいるとのことです」

 

「だからお前からストッパー役を外して泳がせて、()()()()()()()を見せた瞬間に摘発し、それを根拠に道場撤去を進めようと? だとしたら、随分とみみっちいではないか」

 

「少なくともソ連のKGB(カーゲーベー)よりは上品かと。連中ならば俺の荷物に薬を忍ばせて麻薬の売人にでっち上げるくらいの事は平然としてきたでしょう。……だから俺はあえて気にせず、普段通りに過ごしました。所々に散見できる見張り役が悔しがるくらいに、淡々と。そもそも、我々はただの剣術流派。政治的にやましい所など皆無です」

 

 唯明は大きく息を吐き、目元をやや緩めて寂尊を見た。

 

「そうか……改めて言うが、ご苦労であったな。急激な周囲の変化にも動じずに、冷静に物事を見極め、不要な行動を省く。ブレ無く研ぎ澄まされた一太刀のごとき振る舞い。やはりお前こそ、わしの後継に相応しい」

 

「ありがとうございます」

 

 寂尊がおもむろに一礼。

 

 唯明が手を突き出し、茶碗を寄越せと無言で告げる。寂尊が浅く一礼しながら手渡すと、再び多めに抹茶を入れ、鉄瓶の湯を少なめに注いでから、茶筅で練り上げる。それを半分飲み、残りを寂尊が飲み干す。

 

 二度目の濃茶(こいちゃ)で気を休めてから、唯明は話題を変えた。

 

「——望月閣下が、「帝国戦災連盟(帝戦連)」に対して苦言を呈したことは、知っているかね」

 

 寂尊は「はい」と即答し、少し意外そうな声で、

 

「……(おおやけ)でのみだりな発言を控えておられたあの御仁が、自ら声を上げられるとは」

 

「十中八九、あのロシア混じりの小娘絡みであろうな。あの方もなかなか身内には甘いようだ。その甲斐あってか、「帝戦連」のロシア狩りは沈静化こそしたようだが……もっとも、それで今の帝国を取り巻く問題全てが解決するほど、状況は簡単ではなかったようだがな」

 

 その通りだ。

 源悟郎の苦言は、「帝戦連」を大人しくさせただけである。

 帝都における反米、反軍縮の気風は、今なお盛んに燃え上がったままだ。

 現在、この燃え上がりを助長させている要素は、主に二つ。

 一つは、名倉(なくら)惟正(これまさ)の自刃。

 もう一つは、

 

「『米露共謀説』か……なんとも無理矢理こじつけた感じの否めぬ俗説であるな」

 

「同感です」

 

 「白人種が多数派(マジョリティ)である」という共通点を拡大させて作り上げられたような『米露共謀説』だが、一口に「白人」と言っても種類がある。

 

 特に、ロシア白人が西洋人の仲間であるかというのは、西洋側では賛否ある。なぜならロシアが西洋化したのは、ピョートル大帝がロシアの西洋化を急進させようとした十八世紀からであるためだ。そういった歴史的経緯ゆえに、西洋人は「西洋社会の辺境民」のようにロシア人を扱う傾向がある。

 

 だが、少なくともその問題の外にいる一般の日本人の理解はそこまで進んでいない。顔が白ければまとめて「西洋人」という雑な認識が大半であろう。

 

 何より、現在の世情。

 

「溺れる者は(わら)をも摑む、という。どれほど荒唐無稽な俗説とて、それを受け入れられる精神的土壌さえ整ってしまえば、あっさりと信じられてしまう。人の不完全さというものを思い知らされる世情であるな。我々も心せねば」

 

 はい、と寂尊。

 

「ところで、わしもお前にちょっとばかり、土産話がある」

 

「と、おっしゃいますと?」

 

「——『米露共謀説』の()()について、調べてみた」

 

 寂尊は姿勢を正した。

 

 唯明は話し始めた。

 

「陰謀論や俗説というものは、必ず嚆矢(こうし)となった情報源があるはずだ。だが、どこを調べてもそれが見つからなんだ。なので根っこをいきなり探るのではなく、末端から根っこを目指す形を取るべく、まずは『米露共謀説』を唱えだした複数の団体についてからまず調べ始めた。……すると、面白いことが分かったぞ」

 

「面白いこと、ですか」

 

「うむ。それらの団体が『米露共謀説』を唱え始めた日は、()()()()()()()()()のだ。一団体が最初に唱えたからそれに便乗して、という形ではなく、全く同じ日にな。まるですべての団体が示し合わせたかのごとく」

 

 唯明は寂尊から翡翠の碗を受け取ると、再び茶を練り始めた。その作業をしながら口を動かす。

 

「無論、公に『米露共謀説』を唱える前に、各団体同士が『米露共謀説』を教え合った可能性もある。なのでもう少し深く潜って調べてみた。個々の団体の掲げる主義や思想、構成員やそれらの素性など、いろいろとな」

 

「何か判りましたか」

 

 唯明の茶筅が一瞬止まった。同時に発せられたのは、たった一言。

 

「——枢剣教(すうけんきょう)

 

 思わぬ単語が耳に入り、寂尊はおくびにも出さないながらも驚く。

 

 茶筅が再び抹茶と湯を練り始める。唯明の口も動く。

 

「調べた団体は、みな『枢剣教』の信者を多く抱えていたのだ。……お前も知っていよう。枢剣教を」

 

「はい。去年の末に生じた、新しい宗教団体ですね」

 

「左様。神懸かりを起こして経津(ふつ)(ぬし)の声を聴き、「神の剣」を授かったという娘の興した団体だ。「神の剣」の刃に身を晒すと、その人間の内にある(くら)の鍵が開かれ、そこに堅く閉ざされていた己だけの神剣『枢剣(すうけん)』を得る……そのような開祖の力によってか、近頃その勢力を急激に伸ばしている」

 

「枢剣教についても、掘り下げられましたか?」

 

 唯明はかぶりを振った。

 

「信者の中には、至剣流の門弟も多かった。その者らの師範経由で話を伺ったが……「開祖は素晴らしいお方だ」「あのお方の力は本物だ」「彼女こそ、この国を再び平らげてくださる剣神の化身」。連中の口から出てくるのはいずれも開祖への褒め言葉のみ。全員まとめて、開祖に心酔しきっている様子だ。情報源である門弟がこれでは調査にならん」

 

「ならばせめて、『枢剣』についても、調べられましたか?」

 

「それも無理だった。なんでも「『枢剣』はみだりに(うつつ)(さら)せば、たちまち穢れを帯びてしまうから」だそうだ。だが代わりに、解放された『枢剣』を磨いて穢れを祓うための修行とやらは教わったそうだ。『呪振ノ行(まじふるのぎょう)』というらしい」

 

 唯明は茶を練るのをやめて茶筅を置くと、空いた右手の指で虚空にぴっぴっと軌道を幾度か描く。

 

十拳剣(とつかのつるぎ)を振り回して黄泉(よみ)醜女(しこめ)を追い払うイザナギのように振れ、といったモノらしい。ちなみにこの行には本物の刀を、それも人を斬ったことのない無垢な刀を使う」

 

 んんっ、と咳払いする唯明。

 

「話を戻そう。『米露共謀説』についてだが、やはり枢剣教においても(ささや)かれていたようだ。信者である者の師範が「それを最初に言い出した者は誰か?」と問うと、こう答えたらしい。——吾妻(あづま)さんです、と」

 

「どういった人物なのですか?」

 

「常に鴉天狗(からすてんぐ)の仮面を被った変な男だそうだ。なんでも、開祖の石動(いするぎ)マヤの最初の信者であると同時に、開祖の片腕のような立場にある」

 

「他には」

 

()()()()()。この吾妻という男、妙に謎が多い。その仮面の下の素顔を誰も見たことが無いらしく、おまけに住まいや生活ぶりも一切不明。常に開祖の側に付き従っている、開祖の影のような存在という事しか分からぬ」

 

 唯明は遺憾と言わんばかりに溜め息を差し挟み、

 

「——わしの調査は、今のところはこの吾妻という男の段階で行き詰まっている状態だ。だがそれでも、分かった事がある。この『枢剣教』という団体……妙に()()()()()

 

「開祖の持つという「神の剣」についても気になります。本当に、そのような力を持っているのでしょうか?」

 

「分からぬ。何せ、信者がその「神の剣」とやらで得たらしい『枢剣』を、頑なに見せるのを嫌がっているからな。実物を目にしない限り断定は出来ん。だが……仮に『枢剣』が実在するとしたら」

 

「少々面倒なことが起こりますね。枢剣教自体がどのような組織的性質を持っていたとしても、放置することはできなくなってくる。まして、帝室にゆかりの無い者の神秘性で成り立った組織が大きくなれば、国体護持を重んじる内務省にとって脅威となるでしょう」

 

「いずれにせよ、今の所、我々に出来ることは無い。どうなるか、もうしばらく静観しようではないか」

 

 唯明は翡翠の碗の茶を半分飲み、次に寂尊が残りを飲み干した。

 

 三度目の濃茶で心身を整え、また次の話題へと転ずる。

 

「寂尊。もう一つ、お前に土産話がある」

 

「何か」

 

 短く問うと、唯明は面白がるような、呆れたような、そんな笑みをニタリと浮かべて告げた。

 

「——明日、輝秀(てるひで)がおよそ二年ぶりに戻ってくるらしい」

 




今回は単話投稿です。
連投分をこれから書き溜めます。
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