帝都初恋剣戟譚 作:新免ムニムニ斎
——二〇〇三年、八月十六日。昼過ぎ。
——こともあろうに、自分の同期で内務省に入省した
そのことを初めに知らされたのは、去年の八月。つまり『
逮捕した『
最初は組織を疑心暗鬼に陥らせるための偽計を疑ったが、内務省
木崎は自分や『
自分がいかにあの身持ちの固い女を
その時の煽るような口調に、担当取調官が激昂して殴りかかったという。
——歩は、そんな木崎が拘置所を脱獄したことよりも、澄江が男に騙されて国を裏切るような真似をした事の方が、今なおショックだった。
亡くなる直前までの澄江は、かつての堅物っぷりが嘘のように軟化し、よく笑うようになっていた。もっと言うなら……女性として魅力的になっていた。
しかし、それがあの卑劣漢によってもたらされていたものだと考えると、言いようのない不快感を催した。
そのように引き出された澄江の「女」が、この国を売らせるような真似をしたのだという現実には、もはや失望のような気持ちすら覚える。
そう、これは失望だ。
所詮彼女も、頑固一徹の忠臣などではなく、ただの人間の女にすぎないという、当たり前でありつつもグロテスクな現実を思い知らされたことに対する。
それほどまでに、自分は澄江のことを、無自覚的ながら尊敬、理想化していたのだ。
彼女が死んだと聞かされた時も、悲しさより、彼女がそのように自分達を裏切っていたことへの失望の方が、歩の中では大きかった。——一方で、そんな官僚主義に毒された狭量な考えしかできない己自身に、嫌悪と窮屈さを覚えた。
いっそ辞表でも出して鹿児島に帰りたいと衝動的に思った最初の一ヶ月に比べると、だいぶ内心のわだかまりも薄れていた。
それでも、ときどき思い出してしまう。
——
港区新橋の某公道。そこのとある一本道にある、
「昇降禁止」という立札の置かれた、両歩道の階段。それを登り切って、そこから両歩道を繋いでいたはずの橋が、綺麗に無くなっていた。
歩道橋の階段を支える太い柱の隅には、しおれた花束がたくさん供えられていた。さらに柱の表面には「一殺多生」「尽忠報国」「暴米膺懲」と筆で描き殴られた張り紙。
……
この歩道橋が突如崩落し、ちょうど真下を通っていた車を圧壊したのだ。そこに乗っていた蔵川とその他全員は、救助隊が駆けつけた時にはすでに死んでいた。
当然ながら、警察は現場検証を行った。警保局でも、首相暗殺を狙ったテロ事件の可能性も視野に入れて事に向き合った。
しかし、結果は「事件性ナシ」。
歩道橋の断面には、爆発の痕跡どころか、火薬の残渣すら皆無だったのだ。
別の方法で橋を切断したのではないかと考えたが、その方法は何も思い浮かばなかった。
何より、事故当時にその周辺にいた人物らが、みな「橋の上には誰もいなかった」と証言しているのだ。
ここまで事件性を疑う証拠が皆無だと、警察としても「不幸な事故」として扱う他無かった。
そんな、すでに終わった案件の現場に、歩は休日中に訪れていた。
別に来ようと思ったわけではない。たまたま通りがかってしまっただけだ。
そして、そんなかつて向き合った現場に、
一本道を挟む両歩道の階段。それらを真正面から二つ同時に見ると、途切れ方は左右で「ハ」の字。
そのように途切れれば、真ん中にあった橋は左右どちらにも引っ掛かることなく、綺麗に真下へ落下する。
……そこに、歩はどうしても、人為的な匂いがして仕方がない。
不自然というのもある。
しかしそれ以上に、引っかかることなくまっすぐ落下する崩れ方、という点が気になる。
まるで、狙いをつけて落とそうとしたような、人の意思の介在を感じる。
だけど、警察の調べでは、火薬で爆破した跡は無いと言っていた。
橋を道具で壊している人間も、当時はいなかった。そもそも橋を切るなんて簡単にはできないし、やり遂げる前に通報されているだろう。
この歩道橋の崩落が人の手によるものだとしたら、どのようなモノがあるだろうか?
——至剣。
経験則と、
原因はひとえに、木崎圭介。
去年九月に起こった、豊島拘置所の集団脱獄。あれをやったのは木崎なのだ。
拘置所の監視カメラは、その時の光景を録画していた。
木崎はどこからか手に入れた刀を使い、他の囚人が収容されている独房の扉を、文字通りの意味で
……木崎圭介の拘束に協力していただいた
であれば、あの鉄をも簡単に斬り裂く剣技こそ、木崎の至剣なのだろう。そうとしか考えられない。
であれば——この歩道橋の崩落も決して不運な事故などではなく、木崎の至剣によって引き起こされたモノなのではないか?
(いや……それはまだ、あくまで「可能性」の段階を抜けられていない。そもそも目撃証言によると、歩道橋の近くに怪しい人物は誰もいなかったというじゃないか)
その状況証拠を思い出したことで、事件の考察が再び降り出しに戻ったことを自覚。
暑気と思考による熱のせいで額でたくさん浮き上がった汗を拭い、歩は街路樹の幹に背を預けて一息入れる。青々と茂った梢の作り出す木陰の中は、日向よりもほんの少しだけだが涼しい。そこから再びあの途切れた歩道橋へ目を向ける。
……仮に、これが木崎の至剣の仕業だったとしても、その罪を裁くことは難しいだろう。
『呪剣』の時と同じだ。
現行法は、科学的根拠の無い存在を裁くことはできない。
——しかし一方で、『呪剣』の時よりも
それは、木崎圭介という人間が、すでに国家に仇なすテロリストであるという点だ。
『呪剣』を振るっていた
しかし、木崎は違う。
であるならば、警察機構も手心を加える必要は皆無。なので今回は『呪剣』の時と違い、多くの人員を費やし、捜査の幅を広げることができた。
……それでもなお、全く成果が得られていないのが実情だが。
思わずため息をついてしまった。
本当に、最近の警察はいいところナシだ。
木崎を含め、脱獄事件によって
その中の一人である「人斬り
そのような事態になるまで逮捕に至れなかった点と、警察がそれほど手を焼いていた錦蔵を中学生と大学生の二人組が先んじて捕まえてしまったという点から、世間やマスコミは警察と内務省を無能呼ばわりしていた。
(それにしても因果だね……あの時の男の子が)
その「中学生」は、歩の知っている少年だった。あの
……さらにもう一つ、不穏な出来事がある。
錦蔵は最初、一般人ではなく、帝都にある極道組織ばかりを狙っていた。
当然ながら、警察も錦蔵に襲撃された組事務所に赴いた。……多くの現場を見てきた捜査員すら吐き気を催すほど、凄惨な現場だったという。
警察は刀の所持や携行に対しては寛容だが、銃器の所持は厳しく規制している。だがヤクザがそのような社会の取り決めに律儀に沿う可愛い連中でないことは百も承知だ。なので、銃器の類も見つかると考えていた。
しかし——全く無かったのだ。
拳銃の一丁さえ見当たらなかった。
最初から所持していなかった? 否。壁には何発か弾頭が突き刺さっており、空薬莢も落ちていた。どれも7.62mmのトカレフ弾。ヤクザがよく使っているソ連制トカレフ拳銃の外来コピー品の使用弾だ。……錦蔵の襲撃に対して、ヤクザが銃で応戦したのだろう。
誰かに持ち去られた——そう考えるのが自然であろう。
警察は最初はソレも錦蔵の仕業ではと疑ったが、
「銃なんぞに興味は無い。この世で最も不細工でつまらぬ武器だ」
と、あっさり否定された。錦蔵の犯行の性質上、嘘を言ってはいないと警察側もすぐに断定した。
銃器持ち去りの犯人は、他にいる。
一方で、その持ち去り方はかなり雑だった。隠し場所の後始末はされておらず開け放たれたままであり、弾頭や空薬莢の処理もされていない。どう見てもプロの匂いを感じない。死体漁りの域を出ない雑さだった。
だが、誰が持ち去ったかは、今は関係ない。
ヤクザの銃器が
その銃器が悪用されれば、ただでさえよろしくない最近の体感治安の更なる悪化に繋がる。体制への不満も高まる。警察機構を司る組織に籍を置く身としては、気が気ではなかった。
——
ふと、耳を叩くような声が聞こえてくる。拡声器を通した音声だ。
——暴米何するものぞ。
——鬼畜露寇を撃破せしめた我ら大和民族の「剣」を、再び抜刀すべし。
——驕り高ぶった
——帝国万歳。
音源は、遠くで街宣中の愛国団体だ。
みなその左腰に刀を
「……あぁもうっ」
歩は己の髪をくしゃりと掴む。暑いし、仕事はうまくいかないし、耳に響くし、イライラする。
「本当に……これからどうすればいいんだ……?」
そんな歩の弱音も、シュプレヒコールによってかき消されるのであった。
今回の連投はここまで。
本当はもう少し溜めるつもりでしたが、これからまた忙しくなりそうだったので、比較的キリの良い場所まで連投しました。
これからまた書き溜めます。