帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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二〇〇三年八月二十七日 〜うざい奴、そして謎の剣法〜

 

「…………まじでなにやってんだろ、僕」

 

 舗装された歩道に浮かぶ自分の影を見下ろしながら、僕は一人ため息混じりに呟く。

 

 先ほどまで分厚い雲に隠れていた太陽が再び暑苦しく顔を出し、その威光で地表を照らしていた。そんなもうもうとした炎天下も、車道を絶えず行き交い続ける自動車の音すらも遠くに思えるほど、胸の内に渦巻く自己嫌悪に呑まれていた。

 

 ベルトの左腰に差した木刀の柄頭を、何とは無しに引っ掻く。

 

(また、傷つけてしまった)

 

 もう何分経っただろうか。僕と一言二言交わした時に見せた、エカっぺの追い詰められたような表情が、今なお脳裏に鮮明に残り続けていた。

 

 エカっぺが心配だからといって、玄関付近から家を見つめ続けるなどという偏執狂じみた習慣にいつものごとく従った挙句、バッタリ顔を合わせたら合わせたで取り繕うような会話しかできず、それによってエカっぺを傷つけてしまった。

 

 隅から隅まで愚かを極めた己の行動を、嫌悪せずにいられようか。

 

『能動的に動いた人が、その結果どうなったとしても、その傷を癒すことが出来るのは、少なくとも……傷つけた側ではないと思う』

 

 以前聞いた(ほたる)さんの言葉が蘇る。

 

 恋情を抱き、それに応えてくれるよう相手に乞うて、その結果拒絶されたとしても、拒絶した側には落ち度は無い。だって、その人が勝手に想って、勝手にそれを伝えてきただけなのだから。

 

 拒絶した側は、選ぶ権利を行使しただけだ。

 

 その結果、想いを伝えた相手を傷つけたとしても、落ち度は無い。

 

「……分かってます、そんなことは」

 

 その時に言えなかったことを、僕は思わず呟く。苛立ちで硬くなった声だった。

 

(でも……このまま放っておくのも嫌なんだ)

 

 だって、やっぱり僕が、あの子を傷つけたのだから。

 

 傷つけた以上、あとは勝手にしろと放置するのは御免だ。

 

 何より……エカっぺとはずっと友達で、ずっと助けられてきたのだ。だからなおのこと、そんな雑な対応はしたくなかった。

 

(でも……だとするなら、どうすればいいんだろう)

 

 話すどころか、姿を見せただけでもエカっぺの気持ちを揺さぶってしまうような現状だ。さっきの件で、そんな難しい現状がよりはっきりとした。

 

 そして、それに対する打開策がずっと分からないからこそ、無策。

 

 無策だからこそ、さっきみたいな「悪あがき」をしている状態が、この夏休み中ずっと続いていた。

 

 そして、その「悪あがき」すら悪手であると、今日思い知ってしまった。

 

 ほんとうに、どうすればいいのか——

 

「いてっ」

 

 ふと、歩いている途中に何か硬いモノとぶつかってしまった。その拍子に鼻先で星が散り、足元が後方へ数歩もたつく。

 

 電柱にでもぶつかったのか。だとしたら随分と間抜けだ——そう思いながら前を見て、

 

「ンゲッ」

 

 我ながら心底嫌そうな声を思わず漏らした。

 

「……人の顔見て、その反応、()()()失礼と思いますヨ?」

 

 だって、僕の視線の先には——嘉戸(かど)輝秀(てるひで)がいたのだから。

 

 さっきの衝撃は、こいつにぶつかったものだったのだ。

 

「……あなた、聞いてるですカ?」

 

 相変わらずの中華装と丸型サングラス。肩まで無造作に伸びたうざったい黒髪。ワザとらしいカタコト日本語。胡散臭さ満点だ。

 

()()()()()()

 

 適当かつお粗末極まる中国語でぞんざいに返し、僕はそのニセ中国人の横を通り過ぎる。

 

 しかし気配が後ろからついてくる。がちゃり、という固いモノ同士が擦れ合う微かな音。輝秀が担いでいる刀袋からだ。

 

「ついてくんな」

 

 僕は振り返らぬまま、苦々しい気持ちを語気に込めてに吐き捨てる。

 

 後ろを歩く輝秀は、不自然に甲高い片言で、

 

()()()()ら謝るが、日本人の礼儀聞きましタ」

 

「そのふざけた日本語をやめたら検討する」

 

「——ぶつかったんだから、一言謝るのがスジなんじゃあないかな?」

 

 ようやく(しゃく)に障る片言をやめた輝秀に、僕はおざなりに告げた。

 

「失礼しました——これでいいだろ。それじゃっ」

 

 そして早歩きへ以降する。

 

 しかし輝秀と僕の差が開かない。

 

 僕はイライラしながら、

 

「だから、ついてくんなってば!」

 

「まぁまぁ。君の気持ちも理解できるけど、そうあまり邪険にしないでおくれよ。ちょっと話さないかい? せっかく二年ぶりくらいに会ったわけだしさ」

 

「ああっ、もう! うざいっ!」

 

 うわ。僕、ヒトに「うざい」なんて言ったの初めてかも。つまりそれだけこいつが「うざい」ってことだ。あぁ、うざい。

 

 僕はとにかく真後ろのうざい奴から離れようと足をしゃかしゃか歩かせる。

 

「別に僕はあんたと話す事なんかないからっ。あんまりしつこいと「干渉」と見なして、宗家にチクるぞ」

 

「んー、それはちょっと困るかな。次に俺が君らに対して何かやらかしたら、たぶん父から勘当(かんどう)されちゃいそうだし」

 

「だったらほっといてよ」

 

「だけどさ、君、なんかすごい死にそうな顔してたから」

 

 ——僕の足が、自然と止まった。

 

 それに合わせて、後ろの輝秀も停止。

 

「……あんたには、関係ないだろ」

 

 さっきまでの自己嫌悪の渦が胸中に再び蘇り、気持ちを引きずられながらも、そう返した。

 

「そうかもね。でもさぁ、だったらいつも通りにしていて欲しいんだよね。放置して欲しいんなら、今みたいに「僕すごい困ってるんです、助けてください」ってアピってるような顔はやめた方がいいんじゃないかな?」

 

「なんだとっ——!」

 

 あんまりな物言いに、僕はカッとなり、勢いよく振り返って輝秀を睨む。

 

 輝秀は、口端を釣り上げていた。目論見が叶ったかのように。

 

 僕はそこでハッと我に返る。……どういう形であれ、僕は自ら、この男と対話する姿勢を作ってしまった。

 

「やっと俺とおしゃべりしてくれる気持ちになれたかな。で、いったい何に悩んでるんだい? 進路? 恋愛? 剣術? 年長者らしく、やさしく相談に乗ってやろうじゃないか。特に恋愛」

 

 うまく乗せられたこと、そして当然のように人生相談を受け付ける姿勢を作る輝秀の態度にからかいのような意味合いを見出したことで、僕はかぁっと顔が熱くなった。怒りでだ。

 

 思いっきり言ってやりたい言葉が頭の中に即座にいくつも思い浮かび、そのどれをぶちまけてやろうかと熱い頭で取捨選択しようとした時だった。

 

 

 

「——ようやく見つけたぞ! (ちょう)凌霄(りょうしょぉ)ぉっ!!」

 

 

 

 後方の遠い場所から、しかし遠くからでもよく聞こえるような強い声が、僕の背中を張った。

 

 思わず振り向く。

 

 そこには、一人の男がいた。

 

 見た感じ、歳は三十に入るか否かというほど。 

 彫りが深めで硬そうな顔つきには、今にもその腰の刀を抜いて飛びかかって来そうな、苛烈で決然とした気勢が浮かんでいる。それを表現するかのように、額を白い鉢巻で固く締め付けていた。

 輝秀と同じくらいの背丈が装うのは(はかま)姿。広い両袖を白い(たすき)が締め付けて、ダボつくのを防いでいる。

 

 その姿に、僕は既視感を覚えた。

 

 彼の顔を知っているからではない。彼の()()に対してだ。

 

 そう。あれは『神武閣(しんぶかく)事件(じけん)』の時だ。『呪剣(じゅけん)』によって呪われた螢さんを救うべく、その『呪剣』の使い手である鴨井村正(かもいむらまさ)を斬ろうという「覚悟」を抱き、それを自分に覚え込ませるためにした「覚悟」の装い——

 

 僕は輝秀を見る。その顔には驚きではなく、苦笑が浮かんでいた。……まるで、この事態をあらかじめ想定していて、それが見事に当たってしまったかのような。

 

「貴様、趙凌霄っ!! 俺と()()()()()()()()!! 今度は真剣でだっ!!」

 

 その男から強く発せられたその言から、僕は事情を汲み取れた。

 

 一つは、彼と輝秀……いや、趙凌霄が初対面でないこと。

 「もう一度立ち合え」という言葉を聞けば明白。彼は、趙凌霄(輝秀)が今月に倒した剣術家の一人であるということだ。

 そして今回、再戦を望んでいる。真剣を使って。

 

「……あなた確か、湛刀流(じんとうりゅう)弘枝(ひろえ)幹太郎(かんたろう)さんですネ。あなたと私、もう決着ついたですヨ。やる意味あるですカ?」

 

 輝秀はすぐに「趙凌霄」へと己を切り替え、あの聞いててムカつく似非(えせ)片言で言葉を返す。

 

 すると、鉢巻の下に広がる弘枝氏の額に、岩肌のごとく険しい(しわ)が生じた。

 

「貴様に無くとも、こちらにはあるのだ!! お前に敗れたせいで、ただでさえ少なかった門下生に去られたのだ!! お陰で我が道場は閑古鳥(かんこどり)だ!!」

 

「師匠を捨てる捨てないは弟子の自由ヨ」

 

「ええい黙れ! ()()の言わずにもう一度俺と戦えぃ!! 我が湛刀流は実戦剣法! 真剣でこそその真価を発揮するのだ!! 貴様の膝を屈させてそれを証明し、我が流の汚名を(そそ)いでやる!!」

 

 ……なんだか、物騒な状況になってきた。

 

 その物々しい空気に、周囲の人々もまたざわめいている。それを聞いて僕はようやく現在地を認識した。大きな車道を挟む歩道の片方で、僕ら(正確には輝秀と弘枝氏)は揉めていた。三々五々に立つ人々が、遠巻きから僕らに注目している。

 

(ちょっと、コレ、ヤバいんじゃ……)

 

 そんな周囲の視線と、僕の懸念など何処吹く風で、弘枝氏は好戦的に笑い、

 

「貴様の中華武術とやらが、木剣でしか戦えぬ平時のモノでないというのなら、この挑戦を受けてみるがいい」

 

「——へぇ?」

 

 輝秀が冷たい笑声を漏らした。ここだけ似非片言の感じが失せていたが、それに気づいているのはおそらく僕だけだろう。

 

 弘枝氏も戦意を感じ取ったのか、強張った微笑となり、

 

「やる気になったようだな」

 

「中国、昔から械闘(かいとう)いって、村同士や部族同士、移民との戦争たくさんあっタ。武術はそういう戦争生き抜くために生まれ発展してきましタ。お侍サマに大事に甘やかされてきた剣術と()()()()ヨ」

 

「言ってくれるじゃないか、面白い。……剣を取れ。待ってやる」

 

 それを頷いて聞き入れるや、輝秀は僕に「ごめん」と小さく耳打ちし、それから僕の胸を軽く押した。

 

「わ——」

 

 軽く押されたはずなのに、僕の体はたちまち謎の勢いに引っ張られるまま、たたらを踏みながら輝秀から離れていく。

 

(この逆らえない「勢い」の感じ、前に望月家で食らった「アレ」と同じだ……! 確か、(ジン)っていうやつ……!)

 

 僕の体に作用した勢いは、遠巻きに見る人々の位置まで達したところで消えた。

 

 輝秀を見る。

 所持していた刀袋の中から、一振りの刀を取り出していた。

 形状はまさしく日本刀だが、飾り気が皆無だった。鞘と柄は木材そのままの模様を晒しており、鍔は何の彫りも透かしも施されていない無地。

 武器として使えれば良い。そんな作り手のドライさを感じさせる一振りだった。

 

 中にもう一本入った刀袋を近くの電柱に立て掛けると、刀を鞘ごと左腰のベルトに差して()き——そこからおもむろに抜刀。夏の強い陽光を受けて()()()と冷ややかに輝く、直刃(すぐは)の刀身が露わになった。

 

 弘枝氏も同じように刀を抜く。丁子(ちょうじ)(みだ)れの刀身。

 

「お、おい……!」

 

 僕は思わず声をかけるが、二人はそんな声に構う事なく向かい合い、剣を構えた。

 

 輝秀は、右足を退き、前傾した左半身の後方に右手持ちの剣を置いた構え。

 

 対する弘枝氏は、それとは逆に左足を退いて、腰を深めに落とした構え。両手で握る柄を胸に付け、斜め上にある輝秀の顔へ剣尖を向けていた。

 

 ——嘘でしょ。本当にココでやり合うつもりじゃ。

 

 僕のその懸念は、次の瞬間、あっさり目の前で顕在化した。

 

 弘枝(ひろえ)氏が最初の構えのまま、瞬時に輝秀(てるひで)の間合いへと右足で踏み入った。速い! 

 

 しかしその時すでに、輝秀が振り放った一太刀が弘枝氏の左より急迫していた。間合いに入られる一瞬前に振っていたからだ。

 

 その一太刀は弘枝氏に防がれた。最初の構えの時に胸前で構えていた刀で受けたのだ。弘枝氏はそこからさらに右足で踏み込み、刺突を仕掛けた。

 

 輝秀もまた、すでに次の動きへと急変していた。瞬時に時計回りに旋転して刺突から立ち位置をズラしながら、今度は弘枝氏の右側へ太刀を繰り出した。

 

 その瞬間、弘枝氏は左右の足の前後を即座に()()()()()。足の向きが変われば体の方向も、そして刀を持つ両腕の位置も変化する。結果、己の右から迫っていた輝秀の一太刀へ瞬時に刃を向け、防ぐことができた。

 

「——ィヤァ!!」

 

 さらに次の瞬間、気合が短く爆ぜた。その気合と同じくらいの俊敏さで、輝秀の右脇へ踏み込みながらの横一文字の一太刀を発した。

 

 斬られたと思った。

 

 しかし、輝秀は()()()。伸ばした全身でアーチを描くようにして弘枝氏の剣の上をスレスレで飛び越え、両手から着地して転がって受け身を取った。まるで池の(こい)が水面から跳ねる様を連想させる、アクロバティックな動きだった。

 

 唖然と傍観している僕をよそに、輝秀は立ち上がって構え直す。両者の間に遠間が出来ていた。

 

 弘枝氏が鼻白(はなじろ)んだ様子で、

 

「魚のように逃げおって」

 

()たはずでス、生き残るための武術だト。もうやめてもいい思いませんカ? これ以上は手加減できるか分からないヨ」

 

「笑止。……勝負はこれからだ」

 

 言うと、弘枝氏は構えに気勢を込め、足を進め始めた。

 

 そして——()()姿()()()()()()()()()()()()

 

「え……?」

 

 疲れてるのか。僕は目を擦ってから、もう一度弘枝氏を見た。しかし、目の前の光景は変わっていない。

 

 右へ左へ移動しながら輝秀に近づいていく弘枝氏の姿が、まるでアコーディオンの蛇腹(じゃばら)のように、何重にも重複して見える。

 それらは、残像と呼ぶにはあまりにも色彩がハッキリしていて、まるで弘枝氏が本当に分身しているかのようだった。

 弘枝氏の背後に、常に無数の残像が軌跡のごとくついて回っている。常に最後尾の残像を消し、常に新たな残像を己の背後に生成しながら進む。

 さらに先頭の彼は、四歩進んでから二歩退がるという歩みを刻む。それによって背後に続く無数の残像の中に彼の本体が紛れ込み、いったいどれが本物なのか分からなくなる。

 

 周囲のざわめきがワッと高まる。輝秀もまた、己の目を疑うように数回まばたきしていた。……つまり、僕だけが見ている幻ではないということ。

 

 勝負はこれからだ——直前の、弘枝氏の一言が脳裏に蘇る。

 

 その口ぶりから察するに、信じがたいことだが……これは弘枝氏が意図的に使っている「技」だということになる。

 

 無数の残像の塊に紛れた弘枝氏は、輝秀の間合いへと近づき、やがて入った。

 

「——っ!」

 

 無音だが確かに分かる気合とともに、輝秀は閃くような一太刀を発した。

 

 だが、その一太刀は残像を斬り。

 

 ……数滴の血が、輝秀の顔から虚空へ散るのを見た。

 

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