帝都初恋剣戟譚 作:新免ムニムニ斎
(——浅かったが、一太刀受けてしまったよ)
細くひりつくような感覚を右頬に覚えながら、しかし
ほんのわずかな
(
弘枝は構えを取り、鮮明な残像を軌跡としていくつも残しながら迫る。まるでアコーディオンの蛇腹がこちらへ伸びてきているようだ。
かと思えば、途中で一歩後退し、横へ一歩、そして前へ二歩と、
残像の渦が、少しずつ、しかし着実に再びこちらへ迫ってくる。
(不思議な技だ……まさか至剣? いや、おそらく違う。至剣体得者、つまり免許皆伝者の名前は全て嘉戸宗家の保管している目録に記入されている。俺もその目録に目を通したことがあるが、
相手の出方を警戒するのに並行して、目の前の不思議な技の正体の考察を高速で展開する。しかし答えは出ない。
そうしているうちに、すでに残像の渦は間合いのすぐそこまで達していた。何人もの弘枝が密集し、何対もの眼でこちらを一様に見つめている様は、なんともいえない不気味さがあった。
(まずいな。コレだとどれが本物なのか見分けがつかないぞ。……だったら)
輝秀は大きく飛び退いた。間合いが広がる。
弘枝はそれを追いかけようと勢いよく飛び出した。彼の描く残像群の軌道が、
(今!)
輝秀は再び前へ大きく飛び出した。それに伴って発せられた右後方からの一太刀が、先頭を駆ける
本物と、その他多くの残像が一様にハッと驚き、そして同じ方向へ刀を構えた。
両剣が切り結ぶ。
逃すまいと、輝秀は両剣を触れ合わせたまま急接近する。
間近で睨み合う二人。残像は全て消えていた。
「……その技、面白いヨ」
一瞬、片言を作るのを忘れそうになった。
弘枝は戦意と優位を帯びた笑みを浮かべ、低く告げた。
「『
「至剣、というやつデスか? 日本人、至剣流やる人多いネ」
「至剣などと一緒にしてもらっては困る。これは、俺が本来この身に宿していた「剣」——すなわち
輝秀は、二重の意味で表情の変化を我慢した。
一つは、至剣流宗家の人間として、至剣を
一つは、今の技こそが「枢剣」であるという事実への驚愕。
(……なるほどね。親父と
父の
枢剣教の信者は、『枢剣』をみだりに振るうことを嫌う。いたずらに使えば、『枢剣』はたちまち外界の穢れを帯び、宿主の心身を蝕むと。
その『枢剣』がどういうものであるのかが、今、この場においてはっきりとした。
なるほど——とても
こんなものを扱える人間が、『枢剣教』にはたくさんいるのか。だとしたら——
「降参したいならば、しても構わんぞ。どのみちこの勝負、お前に勝ち目は無い」
もう勝利を確信しているのか、弘枝はそのようにうそぶく。
輝秀はそれを一笑に伏す。
「どうでしょウ? その技、確かにスゴい思いますけど、使い方がぎこちないネ。慣れてない証拠ヨ」
「戯言をっ!」
弘枝は輝秀の剣を外側へと払い除け、次の拍子で踏み込みながらの刺突に移行した。
迷い無く迫る剣尖を、輝秀は体の位置を左へズラして紙一重で回避。刺突が輝秀の右脇腹をわずかな間隔で通過。さらに近づいてくる弘枝に対し、胸部による体当たりを仕掛けた。
「ぬっ……!?」
体当たりに込められた輝秀の
それから弘枝は再び、色彩の鮮明な残像を幾重にも重複させながら動き始めた。『青海波』である。
二歩進んで、一歩退がって、横へ一歩移動し、二歩進む——それを繰り返すことで無数の残像の塊の中に本体を埋没させながら、ゆっくりと近づいてくる。
(そう……彼はあの枢剣、『青海波』とやらを手に入れて間も無い。だからこそ、あの枢剣の孕んでいる
緩慢に、しかし着実に、両者の間合いが近づく。
(確かに、あんなふうに残像の中に紛れられたら、見分けがつけられない。さっきの俺も、間違って残像を狙ってしまい、わずかながら斬られた)
輝秀は、おもむろに剣を前に出していく。
(でも、すぐに解った。——どんなに色彩がハッキリしていて、本物と見分けがつかずとも、残像は結局、残像でしかない)
残像の渦が、もうすぐそこまで来ていた。
(
両者の間合いが触れ合う直前、輝秀は己の立ち位置と、前に構えた剣が向く角度を微かに動かした。
刹那、間合いが重なった。
弘枝の剣が、冷たく輝きながら輝秀の左脇腹へ俊敏に迫り——途中でピタリと止まった。
なぜならその時すでに、輝秀の刃が……弘枝の左首筋に添えられていたからだ。
突然目の前で完結した勝負に、僕は思わず呟いた。
「……なんで」
僕と同じ疑問を、首元に刃を添えられたまま動かない弘枝氏もまた唇からこぼした。
「何故……俺の『青海波』を、読めた」
彼の生殺与奪を己が剣で握る輝秀は、相変わらずの似非片言で、しかし澄んだ語気で答えた。
「
弘枝氏と、そして僕は目を見張った。
「いくら本物のソックリさんいっぱい作れても、お日様の光跳ね返せるの、本物の刀だけヨ。
……文字通りの真剣勝負の最中、突然現れた不可思議な剣技に対し、そんな冷静な分析を、しかもこれほど早く出来るなんて。
改めて、輝秀の剣士としての一級品ぶりを見せつけられ、感嘆と悔しさを禁じ得ない僕。
「……殺せっ!!」
弘枝氏は、喚くように叫んだ。
輝秀は「
「ふざけるな!! 実戦剣法を標榜しての真剣勝負で、枢剣をも用いたというのに、またしても負けた! 恥の上塗りもいいところだっ!! 生き恥を
「そうデス。曝してくだサイ。曝さないと成長できないヨ」
そう告げた輝秀の語気は、抑制されていたが、どこか怒りを孕んでいるようにも聞こえた。
だからだろうか。僕も、そして弘枝氏も、輝秀を見据えていた。
「弘枝幹太郎サン。今回あなたが使った剣、アレ
「黙れっ……! 『青海波』は、
「だけどソレ、人に目覚めさせてもらった剣。違いますカ?」
弘枝氏は「それ、は……」と返答に窮している。
輝秀は、さらに奥へ踏み込むように述べた。
「枢剣、それ
「気休めを言うなっ……!」
「気休めかもしれないデス。でも、生きていれば、あなた自身の剣はいくらでも成長できるデス。私があなたココで殺す、ソレしたらあなたの剣も、お父さんの剣も、両方死にマス。違いますカ?」
「……くっ…………!」
悔しそうに唇を震わせ、目を伏せる弘枝氏。
輝秀は彼の首筋からゆっくりと刃を降ろし、その肩を叩いた。
「——私は昔、ちょっと強くて調子に乗ってましタ。だけど、自分よりずっと歳下の子に負けて、悔しい思いしたヨ。だから自分を鍛えるために修行したデス。だから今の私がありマス」
僕はそれを聞いて、虚を突かれた気分になった。
——ずっと歳下の子。
それは、誰の事を言っているのだろうか。
螢さん?
それとも——
「——お前ら、そこで何をしているっ!?」
突然飛び込んできた怒鳴り声が、僕の思考を強引に打ち切った。
振り向くと、警官が数人、遠くからこちらへまっすぐ駆けてきている。
理由は明白だった。
輝秀は弘枝氏から離れて納刀し、電柱に立て掛けた刀袋を手に取るや、
「おい、逃げるよ!!」
僕を見てそう声をかけ、一目散に走り出した。
「ちょっ——」
声を掛けるな。心中でそう言ったが、時すでに遅し。……周囲の人が、一様に僕へ注目していた。
マズイ。これで僕は輝秀と何らかの関係があると見られてしまった。である以上、今警官に声をかけられるのは非常にマズイ。
「あぁ、もうっ! 最悪だっ!」
僕も輝秀と同じように、その場から逃げ出した。