帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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二〇〇三年八月二十七日 〜信じて待つ《上》〜

 

「……もう、どうしてくれるんだ!? あんたのせいで僕まで警官に追われたじゃないか! 何もしてないのに!」

 

 逃走からおよそ十分後。

 

 僕と輝秀(てるひで)は、薄暗い路地裏に隠れていた。

 

 まだ午後一時か二時くらいなのでお日様はジリジリ照っているが、今いる路地裏は濃い影が差しているため少し涼しかった。

 

 ちなみに、暑気の中で全力疾走したせいで汗だくな僕と違い、輝秀はほとんど汗をかいていない。それがまたムカついた。

 

 輝秀がわざとらしいニヤけ顔を見せて、

 

「えぇー? 今回のことは無関係でも、余罪はあるんじゃないのぉ? そうだねぇ、例えば、最愛の姉弟子の風呂や着替えを覗いたり、縦笛を盗んだりとか」

 

「するわけないだろ!!」

 

「じゃあ、勝手に姉弟子の裸婦画(らふが)を描いたとか」

 

「……そんなことするわけないだろ!?」

 

「何だい、今の間は?」

 

「なんでもない! いちいちうるさいなもぅっ」

 

 裸婦画なんて描いたことあるもんか。……裸婦画は。

 

「悪かったよ。つい君に声をかけてしまったんだよ」

 

 輝秀は刀と木刀の入った刀袋をがちゃりと降ろし、軽く笑った。

 

 僕は左腰の木刀の柄頭を軽く握り、輝秀をジッと睨む。

 

「警察に僕の世話を焼かせて、望月派の名誉を毀損(きそん)しようって腹積もりか?」

 

「まだサヨナラしたくなかったからさ。もう少し話がしたかった」

 

「またそれかっ。なんでそんなに僕なんかと話したいんだよ?」

 

「——君が、僕を倒した剣士だからさ」

 

 そこで、三秒ほどお互い黙ってから、僕が会話を繋げた。決まりが悪い気持ちが乗った声で、

 

「……あんなの、奇跡も奇跡だよ。皆伝どころか、切紙(きりがみ)すらまだ貰ってなかった僕が、至剣を開眼させて勝ったんだから。普通はあり得ない」

 

「でも、夢じゃあない。君は間違いなく、「金の蜻蛉(トンボ)」を視るその至剣で俺を真っ向から打ち破った。奇跡であることは否定しないけど、あれが君の勝ちだったことは、俺の親父や兄貴達も否定しないだろう。納得できるかはともかくね」

 

 僕が何を言えばいいか迷っている間に、輝秀は勝手に次の言葉を口にした。

 

「だから——()()()()()()()()()()()()。俺の至剣『級長戸辺ノ太刀(しなとべのたち)』を真っ向から否定した君の至剣を、今度は俺が否定し返したいと思った。そのための、()()()()を欲した」

 

 輝秀は涼しげに一笑する。

 

小笠原(おがさわら)玄信斎(げんしんさい)という剣豪を知っているかな? 安土桃山時代の遠州(えんしゅう)高天神(たかてんじん)(じょう)城主小笠原(おがさわら)与八郎(よはちろう)の甥、または弟といわれている人物でね。度重なる蝙蝠外交(こうもりがいこう)の末に家康の怒りを買った与八郎が切腹したのち、玄信斎は一族もろとも大陸へ逃亡。そこで矛を学び、その技法を応用した「八寸(はっすん)延金(のべがね)」という無双の剣技を編み出した。

 ——俺はこの玄信斎の話に目をつけた。大陸に伝わる武術を体得すれば、今の俺の剣の限界を越えることが出来るかもしれないと。君の「金の蜻蛉」にすら打ち勝てる、無双の剣を得ることができるんじゃないかと。だから俺は単身中国へ赴き、師を見つけて武術を学んだ」

 

 その優男の笑みを見て、僕は怖気が立った。

 

「幸い、良師はすぐに見つかったよ。中国では、国営機関が武術を積極的に保護しているんだ。中華民族の伝統文化の保護、武術の国民体育としての浸透、武術門派の反体制化防止、いろいろ理由はあるみたいだけどね。……とにかく俺は、国家の指導員に師事し、龍行(りゅうぎょう)(しょう)を学んだ。日本人相手だから出し渋るんじゃないかって最初は少し警戒していたが、師は実力が高いだけでなく徳もある御仁でね、惜しみなく俺に教えてくださったよ」

 

 初めて他人から「お前を倒す」という強い執念を向けられたからか。

 

「俺もそんな師の教えを全部掬い取ろうと、懸命に学んだ。異国の武術だから、日本や実家で学んだ常識は一旦全部捨てて、白紙の心で練功したよ。一日で最低八時間はやってたかなぁ……そんな武術漬けの日々に加えて、「素質がある」と師が(おお)せになる程度には才覚があったこともあり、俺は他の門弟よりも数段飛ばしで上達した。師も俺の努力をお認めになって、門派への正式な入門を許してくれた。——そこでようやく俺は、()()したよ」

 

 その執念が、あの見違えるほどの剣技を実現させたからか。

 

「……俺の中にあったはずの「秋津(あきつ)光一郎(こういちろう)を倒そう」という気持ちが、いつの間にか綺麗に消えていたんだ。そんなもの、人生の一部を切り崩して目指す目的としてはつまらぬモノだと、俺は自然と思っていた。代わりに、俺の胸の内に生じたのは……新たな目的」

 

 僕は再び虚を衝かれた。

 

「新たな目的……?」

 

 声に出して尋ねてから、僕はそんな自分の行いを自覚した。

 

 僕自身が思っている以上に、自分がこの男に対して関心を向けてしまっている事実が、妙に悔しかった。

 

 だけど、やっぱり好奇心は否定できなかった。なので僕は質問を撤回せず、輝秀の返答を待った。

 

「『()()()()()()()()()()()

 

 その答えを聞いて、僕が真っ先に思い浮かべたのは、あの光景。

 

 ——雲の巨人のような姿へと変貌を遂げた、輝秀の至剣『級長戸辺ノ太刀(しなとべのたち)』。

 

 そんな僕の頭の中を覗いたように、輝秀はすぐにそのことへ言及した。

 

「君も以前の勝負の時に見ただろう? 俺の『級長戸辺ノ太刀』の変わりぶりを。俺も最初は驚いたよ。何がどうなって、俺の至剣はあのように変化したのかと。至剣がそんな大きな変化を引き起こしたという例は、至剣流の長い歴史を振り返っても皆無だったし、俺の過去を振り返ってもその要因として疑わしい事象は何一つ見つからなかった。——ここ二年近く中華武術の修行に集中していた、という点以外はね」

 

 僕はハッとした。

 

「まさか、中華武術を学んだから、あんな至剣になったっていうの?」

 

「あくまで仮説だがね。だけど俺には「そう」としか考えられない。……まず秋津君、君は至剣についてどこまで知っている?」

 

 出し抜けな問いかけに、僕は一つずつ答えた。

 

「至剣流の()()()の型を高めた果てに体得できる奥義、人によってその内容が異なる、免許皆伝の証、日本刀かそれに類似した形の剣でしか扱えないモノが多い、使い方が説明できない……」

 

「それだよ!」

 

 輝秀がいきなりこちらを指差して声を弾ませたので、僕は思わず驚く。

 

「な、なにがっ」

 

「至剣を自分で使えるのに、自分ではその具体的な使い方……つまりは振り方、足捌き、呼吸、視線や意識の用い方といった、至剣を使う上での身体の動かし方の類を説明することができないんだ! 通常の剣術は、伝承の中にある体の動かし方や要訣に、自分の体と意識を沿わせて完成へと近づけていくものだけど、至剣は違う! ()()()()使()()()! だけどそれを使うための動作方法を説明することはできない! 人は世界を目で視る時「外界の物体からの反射光を目で受け取り、角膜と水晶体で屈折させて網膜で焦点を作り、その情報を視神経で脳に伝えよう」という具体的プロセスを意識しながら世界を視るか? 否! ()()()()()()()()()()

 分かるかい? 「出来る」と「知っている」は、必ずしもイコールの関係では無いのだ! 肉体の活動では特にそうだ!「使えるけどやり方が分からない」至剣という奥義も、コレに含まれる! まさに「術」という枠組みを超越した、()()()()()()()()()()()()だ!」

 

 矢継ぎ早に飛んでくる輝秀の興奮気味な発言を、ただただシャワーのように浴び続ける僕。

 

「そして、中華武術は肉体の内外を鍛える! 拳法を学んで殺敵の技を身につけつつ、気功によって体の内側を鍛えて身体機能そのものを高める! そうすることで体を壮健に保ち、かつその先にある過酷な技法の体得の土台にする! ——そう、()()()()を鍛えるんだよ! 中華武術は! ()()()()()身体機能をだ! なればこそ俺はこう仮説を立てる! 至剣の強さは一定ではない! 身体機能そのものを鍛えることで、どこまでも成長するのだと!」

 

 輝秀はさらに高ぶった様子で語る。下にズレた丸型サングラスの奥にある切れ長の瞳が、輝かしく開かれていた。

 

「俺は間違いなく嘉戸宗家の人間の中で、最も『至剣』というモノを深く理解した人間になった! だからこそ、ここで止まりたくはないとも思った! 至剣というモノをいつまでも神棚に飾っておくに留めるのはもうヤメだ! 『至剣』の何たるかを追求し続ける! それが俺の畢生(ひっせい)の課題なのだと、俺は大陸での修行を経て悟ったんだよ! だから俺は以降も『至剣』の研究を続けていて、そしてこれからも研究し続けるだろう!」

 

 だが、そこで我に返ったようだ。輝秀は目をぱちぱちさせると、バツが悪そうにサングラスを整えた。

 

「……失礼したね。いろいろ喚き過ぎたようだ」

 

 ことさらに落ち着かせた声でそう謝ってくる。

 

 その様子には、かつての輝秀のような、取り済ました感じが皆無だった。

 

 かつては無かったような、朴訥(ぼくとつ)な感じすらした。

 

 ——癪だけど、もういい加減認めるしか無いだろう。

 

 この男は、僕と敵対していた頃の嘉戸輝秀ではない。

 

 無論、だからといって嘉戸宗家と交わした起請文に(もと)る行いを許容するわけではない。

 

 だけど、この期に及んでなお仇敵として輝秀に接し続けるのは、流石に狭量なのではないか。そのように僕は思い始めていた。

 

 とはいえ、やっぱりムカつくという気持ちはまだ残留しているので、完全に態度を軟化させたいとも思えなかった。

 

「それで……至剣の研究で、他に何か解ったことはあるの?」

 

 なので、柔らかくも厳しくもない普通な態度で、僕は輝秀にそう問うた。

 

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