帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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二〇〇三年八月二十七日 〜信じて待つ《下》〜

(やめろ)

 

 僕は思わずかぶりを振る。

 

 だけど、一度片鱗を見せた記憶は、(せき)を切ったように全体像を見せ出す。

 

 ——エカっぺ。

 

 いつもはその名前を思い浮かべると、連想されるのは彼女の笑った顔、ちょっと怒った顔、照れた顔、めんどくさそうな顔ばかりであった。

 

 だけど、今は……さっき見た苦しそうな表情しか無い。

 

 どんなに楽しい思い出で埋めようとしても、できない。

 

 だって、今の状態は、それらの思い出の延長線上に存在するのだから。

 

「秋津君……大丈夫か?」

 

 耳に入ってきた声で、我に返る。輝秀が僕を見ていた。丸型サングラスで目元は隠されているが、案じているような眼差しであることが何故か解った。

 

「……別に」

 

 かつて険悪だった相手にそんな目を向けられているのが、なんだか嫌になり、僕はそっぽを向いてそう誤魔化す。

 

 すると、輝秀の声が、急に可笑しげに弾んだモノとなった。

 

「もしかして、姉弟子と喧嘩しちゃったのかい?」

 

「違うよ」

 

「じゃあ、姉弟子の着替えを覗いちゃったとか」

 

「するわけないだろっ」

 

「じゃあお風呂? いったいあの子の胸、何カップくらいあった? 内緒で教えてよ」

 

「いい加減にしてよっ! さっきからなんなんだ!?」

 

「なら——あのロシア混じりの子と何かあったかい?」

 

「それはっ……!」

 

 ……言葉に、詰まってしまった。

 

 しまった、と思った。

 いつもだったら「別に」とか「さあね」とか、曖昧にはぐらかすことができていただろう。

 だけど今の僕は、悪ふざけとしか思えない輝秀の質問攻めに苛立って、感情を露わにしていた。だからこそ、いつもより正直な反応を見せてしまった。

 

 そして、振り向いた先にあった輝秀の表情に、笑いが少しも浮かんでいなかったのを見て、誘導尋問であると確信。

 

()()()。親父が言ってたけど、あの子、ちょっと前まで世間から謂れのないバッシングに晒されてたそうだね。望月閣下が活動家連中に苦言を呈したおかげでバッシングは綺麗に止んだけど……その関係で何かこじれてるのかな? 俺が望月家に来た日も、あの子はいなかったみたいだし」

 

「どうなってようと、あんたには関係ないだろ」

 

「その通りだ。だけど興味はある。君が教えてくれないのなら、宗家の情報網を使って調べてみるとしよう。エカテリーナ・ルドルフォヴナ・伊藤の細かい事情や、その家族の事については不明な点も多いだろうが、点のような情報でも、繋げていくだけでそれなりの真実が見えてくるものだ」

 

「やめろっ」

 

 僕は思わず声を荒げた。ただでさえ苦しそうなエカっぺの傷口を広げるような真似をして欲しくは無い。何より、それを因縁ある嘉戸宗家にやられるというのが耐え難かった。

 

「なら、いったい何があったのか、君の口から聞かせてほしいな。そっちの方が、出てくる情報の種類を君が制御できるからマシだろう?」

 

「ひ、卑怯だぞ……」

 

嘉戸宗家(われわれ)が卑怯者だということは、すでに身に沁みてるだろ。ほら、話してごらん? 悪いようにはしないから。なんなら相談に乗ってやるよ。一応、年長者だからね」

 

 癪な気持ちを抱きながら、しかし僕は観念して、輝秀の顔を見まいと下を向きながら答えた。

 

「——エカっぺに、告白されてしまったんだ」

 

 すると「なるほどね」という、あっさりとした納得の声が頭上から降ってきた。

 

 僕は思わず顔を上げた。輝秀は真顔だった。

 

「「なるほど」って…………驚かないのか?」

 

「別に驚くような事でもないだろ。今更って感じさ」

 

「……もしかしてあんた、エカっぺの気持ちに」

 

「むしろ君は気づいてなかったのか?」

 

 自然な会話の流れで痛いトコロを的確に突かれ、僕は思わず項垂(うなだ)れた。

 

 輝秀は小さく溜め息をつき、

 

「あのロシア娘が君にホの字だった、なんて事は、ちょっと仕草やら態度を見ただけですぐ解ったよ。多分、君の姉弟子も気づいてたと思うよ。望月閣下もね」

 

「……全く気づかなかったのは、僕だけってことか」

 

「そ。君は恋する馬鹿者だが、外側から向けられる好意に対しては別の意味で馬鹿者だったようだね」

 

 悔しい気持ちを抱き、思わず拳をぎりっと握りしめた。言い返せなかった。

 

 ……外側から向けられる好意。

 

 これは、エカっぺだけではなかった。峰子(みねこ)に関しても当てはまる。

 峰子の時も、彼女から直接告白されるまで、ずっとその気持ちに気づかなかった。前よりは嫌われていないだろう、程度にしか感じていなかった。

 エカっぺの時も、峰子の時と同じだ。告げられてから初めてその想いに気づけた。だがエカっぺは、そのタイミングが最悪だった。……それもまた、エカっぺがああまで傷ついている理由の一つなのだろう。

 

 そして、その彼女達二人の想いには、どちらも応えられない。

 

 何故なら……僕は、螢さんが好きだから。この気持ちを譲ることはできないから。

 

 しかし、その選択は、エカっぺを否が応でも苦しめてしまっている。

 

 僕が、螢さんを追い掛ければ追いかけるほど、それに比例してエカっぺは苦しむ。

 

 だからこそ、僕は螢さんを追いかけることに、後ろめたさのようなものを感じてしまっていた。

 

「なるほどね。君の悩みはだいたい読めたよ。——あのロシア娘は君が好きだが、君は姉弟子が好きで、それをずっと公言し続けてきた。だから彼女の気持ちには応えられない。だけど君はそれによって彼女を苦しめていることが嫌で、なおかつ姉弟子の尻を追いかけ回す行為そのものに引け目を感じてしまっている……こんなところか?」

 

 僕の考えていた事がそのまま輝秀の口から出てきたことに、僕は驚く。

 

 そんな僕を見て、輝秀が心底呆れたようにでかいため息をついた。

 

(わか)りやす過ぎなんだよね。君の考えてる事って」

 

 それから、こちらをまっすぐ見た。厳しくも真摯な眼差しを、真っ黒なサングラス越しでも感じた。僕はおもわずたじろぐ。

 

「——あのね、それはもう君の問題じゃないだろ。あのロシア娘の問題だ。君が望月螢に懸想(けそう)している以上、あの娘の想いに頷けないのも、それによって傷つけてしまうのも当たり前だ。重婚とか出来ればもう少し違うのかもしれないけど、結局、女って生き物は自分にとっての「唯一無二」を欲しがるものだ。……であれば、分かるだろう? 君があのロシア娘にしてあげられる事は、もうすでにやり尽くしているんだよ。それ以上どうにかしてやろうなんていう考え方は、優しさを通り越して傲慢ですらある」

 

「なんだとっ!?」

 

 知った風に滔々(とうとう)と語る輝秀に、僕は思わず反抗心を露わにした。

 

 輝秀の表情は変わらない。ただただ僕を静かにじっと見つめ、諭すように告げるだけだ。

 

「じゃあ、突入するか? 傷心中のあの娘の家に強引に突撃して、こう言うか? 『君の気持ちには応えられないけど、これからもずっと友達でいようね』って、あの娘に言いたいのか?」

 

「それはっ…………それは……」

 

 それ以上何も言えず、僕は押し黙った。いくら鈍い僕でも、それがいかに残酷な行いであるかが分かったからだ。 

 

 ——ああ、分かってる。全部。

 エカっぺに対して僕ができることは、エカっぺを振ること以外に無いのだと。 

 そこから先、傷ついたエカっぺの心を癒してやれるのは、少なくとも僕じゃないのだと。

 

 でも、だからって、苦しんでいるエカっぺを放置したいとも思えない。

 

「……だったら、どうすればいいっていうんだよ」

 

 僕はぽつりと弱音を吐いた。よりにもよって、輝秀を相手に。

 

「待つしかないね」

 

 輝秀はそう断言した。

 

「こればっかりは時間の経過に解決を委ねるしか無い。あの娘自身が心の整理をつけて、立ち直る時間に。……だが逆に言うと、大なり小なり時間をかければ解決できる問題でもある。最初は潰れてしまいそうなくらい悲しくて苦しくても、やがて立ち上がって歩き出せる時が必ず来る。色恋ならなおのことだ」

 

 思わず輝秀を見た。視線がぶつかる。

 

「だから、()()。秋津光一郎。あの娘を信じて。それがあの娘のために出来る、唯一かつ最大限の事だ」

 

 からかいの色など皆無な、誠実な姿勢。

 

 ……ぐうの音も、出なかった。

 

 時間に解決を委ねる。

 エカっぺの傷を癒そう癒そうとばかり考えていた僕では、思いつきもしなかった。

 エカっぺをあんなにした原因の半分は、僕にある。だからこそ、なんとかしてあげたいという気持ちが強かった。

 でも、残念ながら……僕には、無理なのだ。

 今回のことは、エカっぺが自分で乗り越えるしかないのだ。

 それを時間をかけて行うしかないのだ。

 しかし、時間をかければ乗り越えられるのだ。

 今の僕がエカっぺのために出来る唯一のことは、彼女を信じて待つことだけ。

 

 ——正論も正論。文句のつけようも無かった。

 

 けれどそのド正論が、しつこいようだけど、この男の口から出てきたというのが、なんか、やりきれなかった。なので、ちょっと拗ねたような返し方をしてしまう。

 

「……やけに達観した事を言うよね」

 

「まぁね。俺は君よりも一回りくらい大人だし、恋愛経験豊富だから。快楽も、辛酸(しんさん)も、両方ね」

 

「……あんた、イイトコの家の生まれだろ。だったら女性関係に不自由しないんじゃないのか」

 

「辛酸も、って言ったはずだぞ。……残念ながら、俺たち男が考えてるほど、女って生き物は単純じゃないみたいだ」

 

 そう言って、輝秀は空を見上げた。

 

 薄暗く影の溜まった路地裏の道と同じ形に切り取られた、雲混じりの青い昼空。その青の中に、何か痛々しくも懐かしいモノを見るように細められる眼差しを、僕はその横顔に垣間見た。

 

 ……この男にも、いろいろあったのかもしれない。

 

 確かに輝秀は、女にだらしないと評判だ。

 

 だけど、そうなったのにも何か、理由やきっかけみたいなものがあるのかもしれない。

 

 人は、最初から今の人格であったわけではない。そこに至るまでの「過程」が必ずあるはずだ。……螢さんに「自分に勝った相手としか婚約せず」と公言させた「心の傷」があるのと同じように。

 

 輝秀は嫌な奴だが、それでもやっぱり僕よりずっと歳上で、その分いろいろ経験してきているのだろう。

 

「……そういうものなのかな」

 

 そう譫言(うわごと)みたいに自然とこぼしながら、僕も同じように空を見上げた。すっきりしたように青い空の端っこから、重そうな灰色の雲が押し寄せていた。

 

「そういうものさ。まぁそれもまた青春ってやつだ」

 

「なんだよそれ」

 

「今は悩んでいることでも、後々になればそれもいい思い出になるよ。そしてそれをもたらすのもまた、時間だ」

 

「ふぅん……」

 

 僕らの言葉が、等しく空の中に溶けて消えていく。

 

「——ありがとう」

 

 我が口から不意にこぼれた、その小さな呟きさえも。

 

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