帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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失言、そして不機嫌

 いかに長期休暇から学校が始まろうとも、僕の「この習慣」は変わる事なくいつも通りである。そのことに僕は気が楽になれた。進路、受験、友達との気まずさ、という目まぐるしい変化が多いこの年であるが、変わらないモノが一つでもあると人は安心するものなのだろう。

 

 そういうわけで九月六日、土曜日。僕は稽古着と木刀、着替えなどの詰まった鞄といういつもの装いとともに、望月家の門前まで来ていた。

 

 入門したての頃はインターホンで到着を伝えた上で中に入っていたが、今では当たり前のようにインターホンを鳴らさず門の中に入っている。「そちらの方がお前さんも楽だろう」と望月先生に言われたからだ。なんだか家族の一員になったみたいで、僕は嬉しく思った。

 

(いつか望月先生を「お義父さん」って呼べたらなぁ……)

 

 毎週目にすることのできる(ほたる)さんの御尊容だが、できれば毎日見たい。毎日割烹着姿の螢さんが見たい。お夕飯の用意を手伝いながらあの綺麗な髪を逐一触りたい。髪をかき分けた先にある、磨かれた貝みたいにツヤツヤしたうなじとか観察したい。そこをスッとなぞって螢さんを怒らせたい。螢さんは怒っていてもきっと可愛い。

 

(落ち着け)

 

 ある一点に血流が集中してきているのを自覚した僕は、不埒な思考を軌道修正した。……そういえば久しぶりにしたな、こういう妄想。ていうか、胸とかお尻とかじゃなくて、髪とかうなじって着眼点に、我ながら(くら)いモノを感じる。何だ、貝みたいなうなじって。谷崎(たにざき)潤一郎(じゅんいちろう)か。

 

 僕は門を開けて、望月家の敷地内へ入る。

 

 踏み入って早々、奥にある母屋から螢さんが歩いてきているのを発見。

 

「螢さ……」

 

 ん、という声が、我知らずしぼんでいった。

 

 ざっ、ざっ、ざっ……と、草履を履いた螢さんの足音が()()()()()()()()()()()

 

 いつもの螢さんは、まず足音を立てない。まるで実体の無い霊みたいに無音で近づいてくる。僕も時々、いつのまにか後ろに立たれていてびっくりする事がある。

 

 そんな螢さんが足音を立てているという事実が、僕にとってはただならぬ事のように感じたのだ。

 

 さらに、近づくたびに明らかになってくる螢さんの表情。人形のように端正でありつつもどこか柔らかみがある美貌が、今ではどこか凍ったみたいに強張りが感じられた。なんというか、これは……

 

(——()()()()()?)

 

 そんな螢さんは僕を見かけると、

 

「コウ君、稽古の時間」

 

 端的に、どこか感情の張り詰めた声でそう告げながら、足音を立てて稽古場へと入っていった。

 

 僕はそれに対し、唖然と立ち尽くしていた。心の中で、今の彼女の状態を認識し、受け入れるることへの拒絶が働いていた。

 

 すると、

 

「——早く来て」

 

 稽古場の表戸からひょこりと顔を出した螢さんがそう鞭打つように言い、また引っ込んだ。

 

 僕は否応無く、稽古場へと両足を動かした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわ! ちょっ、うわわっ!?」

 

 次々と放たれる木刀を、僕は懸命に受ける。

 

 螢さんの刺突を、僕は全身を捻って躱しつつ、彼女の左隣を取る。その流れのまま、木刀で右から左へ弧を描いた。『颶風(ぐふう)』である。

 

 土壇場ながら、俊敏かつ滑らかな剣と体の捌きだった。しかし相手は螢さんだ。刺突を外した姿勢が閃くように急変し、その剣もまた閃くようにこちらへ疾駆。僕の放った『颶風』と衝突した。ガギュィン!! という金属的な撃音とともに、まるで鉄砲水のような勢いを剣越しに浴び、僕の体が吹っ飛んだ。螢さんの『白虹貫日(はっこうかんじつ)』である。

 

 稽古場の床を転がるが、すぐに滑らかに立ち上がる。帝国制定柔術で受け身を学んでおいて正解だった。しかしそんな修行の成果の実感をも押しつぶすように、螢さんが迫っていた。虎のような分厚い気勢。これから来るのはおそらく『龍虎剣(りゅうこけん)』。

 

 僕は後退しながら剣を振るい、近づかせまいとする。しかし龍のごとく柔らかく流動的な剣捌きで僕の木刀を受け流し、同時に虎の気勢を保ったまま一気に押し迫り——僕の両足の間に己の足を踏み入れた。間合いを完全に侵され、いつでも仕留められる位置関係。

 

「……ま、負けました」

 

 いつもの螢さんらしからぬ攻撃的な剣にたじろぎつつ、僕は己の敗北を認める宣言をした。

 

 すると、螢さんは僕から数歩距離を取り、再び剣を構えた。剣を中段に置いた「正眼の構え」だ。彼女はやや早口で、

 

「何してるの。早く構えて」

 

「えっ」

 

「来ないならこっちからいく」

 

 言うや、螢さんは再び俊敏に距離を詰めた。

 

 やってきた剣をほぼギリギリで受け止めても、そこから再び新たな一太刀がやってくる。それを受けてもまた同じ。まるで詰将棋をされてるみたいだ。

 

「痛っ!」

 

 やがて、木刀の剣尖を右胸に受け、思わず後方へ数歩退がる。

 

 しかし、螢さんはこちらへ剣尖を向けたまま残心している。剣尖の向こうにある綺麗な黒い瞳。その周囲の筋肉は悩ましく硬直していた。

 

「本物の刀だったら肋骨の隙間から肺に刺さって死んでる。しっかりして」

 

「ちょ、ちょっと螢さん!? さっきからどうしたんですか!?」

 

「勝負をしているだけ。これまで何度もしてきたこと」

 

「そ、そうですけどっ、なんか螢さん様子が変ですよ! どうしたんですか!?」

 

「なんでもない」

 

「なんでもないならこんな強引な事——うわぁ!?」

 

 やってきた木刀を、間一髪で回避!

 

 ……それからも僕は、螢さんの剣を受け続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うー、まだ痛い……」

 

 シャワーを終えてお風呂場から私服姿で出た僕は、なおも体の数か所に痛々しく残る余韻を感じていた。

 

 ……今日の螢さんとの稽古は、いつもの彼女らしからぬ苛烈さ、雑さだった。

 

 まず僕との立ち合いによって何度も負け、僕の体力が限界になると休ませてもらい、それからまた勝負。この繰り返しだった。

 

 その最中、僕は決死の防御もむなしく、何度か体を打ちすえられた。しかし痛みで顔を歪めた僕を見ても螢さんは優しくなるどころか「わたしに勝ちたいんでしょう? そんな体たらくでどうするの」と容赦なく告げ、再び剣を繰り出してきた。

 

 昼になってようやく終わり、床に崩れ落ちるように座り込んだ汗まみれの僕を放置し、ほとんど汗をかいていない螢さんは稽古場を後にした。疲労困憊(ひろうこんぱい)でしばらく立ち上がれなかった。

 

(どうしたんだろう、今日の螢さん……)

 

 彼女は「なんでもない」の一点張りだが、機嫌がよろしくないのは明らかだ。それが今日の剣にも現れていた。螢さんの剣は確かに激しい時もあるが、常にではない。あんなに苛烈続きなのは初めてだ。

 

 一方で、手前味噌になるが、そんな螢さんの剣をずっと相手し続けて、メッタ打ちにされていない僕自身の剣の腕にも驚いた。もっとあちこち打たれまくると覚悟していたが、受けたのは数えるほどの回数のみ。……僕の剣の腕が上がったからか、あるいは僕ですら受け続けられるほどに螢さんの剣が荒れていたからなのか。

 

 いずれにせよ、あの冷静な螢さんをあそこまで不機嫌に変えてしまった原因が気になる。そもそも、あんなふうに目に見えた不機嫌が続くことは、たった二年の付き合いである僕にとっては初めて目にするモノかもしれない。

 

 不意に、僕以外の足音を感じ、そちらへ振り向く。

 

「……ん?」

 

 見知らぬ一人の男性を見かけた。白髪が混じって灰色に見える癖っ毛の髪が特徴の、初老くらいの歳の人だった。夏らしい半袖ワイシャツにスラックスという装いと、使い込んでくすんだ革の鞄。

 

 彼は僕の何気なく出した声に気づいたのか、こちらを振り向くと、かすかにシワの浮かんだ顔にえくぼを浮かべてコクリと一礼し、そのまま曲がり角の向こうへと去っていった。玄関の方向だ。

 

 さらに、隣にヌッと現れた大きな存在感に振り向く。こちらは知っている顔。望月先生だった。

 

「先生、あの人は……?」

 

 開口一番に僕がそう問うと、先生はやや気まずげに白いカイゼル髭を触りながら、

 

「わしと一番付き合いの長い記者だ」

 

「記者……?」

 

「ん。ついでに言うと、かつて「帝戦連」が暴れていた頃にわしの発言を新聞に載せてくれたのも彼だ」

 

 僕はハッとした。それと同時に、その記者の人が戸口を閉じる音が聞こえた。

 

「……お礼を言いに行ったほうがいいでしょうか?」

 

「今度言えば良い。……いずれ、またここへ来るだろうからな」

 

「どういう意味ですか?」

 

 望月先生は白いカイゼル髭を摘む指を何度も末端まで滑らせながら、やや固く瞑目していた。しばらく黙ってから、やがて気まずそうに口を開いた。

 

「——回顧録(かいころく)を、残そうと思ってな」

 

 意外なその答えに、僕は思わず息を吸い込んでから、それを言葉として吐いた。「回顧録、ですか」

 

「ん。あの記者に、その手伝いを依頼しているのだよ。わしが一番信頼している記者だからな。今日はそのための取材を受けていたところだ」

 

 回顧録とは、過去の歴史の出来事に関わる自身の回想を文章として書き残したものだ。多くは、政治家や軍人、大臣などの社会的重要人物の書いたモノを指す。

 

 そして望月先生は、かつての日ソ戦争を勝利に導いた英雄である。

 

「そうだったんですか。しかしまた、どうしていきなり回顧録など?」

 

 僕の素朴な疑問に、先生はますます気まずそうな顔をし、ちらりとある方向を一瞥した。……螢さんがいる、厨房の方だ。

 

 それを見て、僕は何か()()()。まだ二年程度だが、望月家の生活を直に見てきた僕である。その些細な変化はすぐに理解できた。その原因も。

 

「あの、望月先生……なんか今日の螢さん、すごく機嫌が悪いんですが……」

 

「あぁ、うぅん…………すまんコウ坊。それはわしのせいだ」

 

 僕は内心「ああやっぱり」と感じていた。

 

「まぁ、なんだ……口は災いの元、というかな……」

 

「喧嘩でもなさったんですか」

 

 先生はふるふるかぶりを振ってから、

 

「その、回顧録について螢に説明した時、ぽろっと言ってしまったのだよ。『わしももうじき御陀仏かもわからんからな、史料を残しておかねば』と……」

 

「…………えぇ……」

 

 流石に擁護できなかった。

 

 望月先生が亡くなる、という言葉は、今の螢さんにとってかなり敏感なものだ。それが先生ご本人の口から出てきたのだから、螢さんとしては聞き捨てならないだろう。

 

「それから目に見えて足音を怒らせて、出ていってしまった。それからずっとあの調子なんだ」

 

「……先生。その、差し出がましいことを申しますが……一言くらい、謝ったほうが」

 

 同意見なのか、望月先生は「ぅうん」と唸って首を小さく縦に振った。

 

 二人で居間に戻り、卓を挟んで向かい合う形で正座。螢さんの昼食の完成を待つ。

 

 沈黙が続いた。ちっ、かっ、ちっ、かっ、という時計の音に、なんだか胸を逐一刺されている気分になったので、会話を作るべく僕から先に切り出した。

 

「あの、回顧録というのは、どのような内容で出す予定なんですか?」

 

「……そうだな。まず、わしが本文を執筆し、本文ののちにロングインタビューの内容を載せるという予定だ。その後も色々書き加えがあるかも分からんがな」

 

「お身体は大丈夫でしょうか?」

 

「まぁ平気だ。机に座って文字を書くだけだからな」

 

「いえ、そうではなく……戦争のことを、思い出してもいいんですか?」

 

 望月先生は心臓が弱い。特に発作が起きやすいのは、かつての戦争のことを深く思い出した時だ。

 

 そして先生の回顧録であれば、あの戦争のことに言及することは避けて通れないだろう。

 

 それが負担にならないのか、という意味で僕は問うたのだ。

 

 対し、先生は首を小さく横に振ってから、

 

「心配はいらんよ。あの記者とは長い付き合いで、気心も知り合っている。その点に関しては負担にはならん。それに……これは老後の暇つぶしではなく、使命であると思っているゆえ」

 

「使命……?」

 

「わしは……英雄と()()()()()()()。永きにわたる日本の歴史における大舞台に、直接立ち会ってしまったのだ。そんな歴史上の人物としての責任、そしてその勝者の歴史を作り上げるために散っていった戦友のため、わしは己を書き遺さなければならない」

 

 ……今、目の前には、僕の知ってる「望月先生」はいなかった。

 

「読めばその流派の系譜が分かる剣術の免状と同じだ。人間の声と発言は生きているその時にしか力を持たないが、文字は未来永劫残り続け、そして未来の人々の力となる」

 

 国を護った英雄であり、日本史のターニングポイントに当事者として立ち会った偉人である「望月源悟郎」が、そこにはいた。

 

「今は英雄として祭り上げられているわしだが、時代とともにその熱狂も冷め、やがて単なる歴史の一ページとなる。宝田(たからだ)現首相が所信表明演説で言っていた通り、それは人の世では避けられない現実だ。だからこそ文章を書き遺し、それを「単なる一ページ」で終わらせないようにしなければならない。どのような形であれ、それが未来の役に立つよう、知の土台を遺さなければならない。それが、天壌(てんじょう)無窮(むきゅう)の皇運のため、そして未来を生きる者達のために、この老耄(ろうもう)にできる最後の護国である」

 

 ——同じだ。

 

 僕のご先祖様と。

 

 書と文の力としぶとさを信じて「秋津書肆(あきつしょし)」を立ち上げた、秋津光慧(あきつみつとし)と。

 

 剣以外の力で護国を成そうとした、一人の侍と。

 

「……そうですか」

 

 思わず、口元が綻んだ。

 

 この人が剣の師匠で、本当によかった——僕はあらためてそう思った。

 

 まぁ、それはそれとして。

 

「でも螢さんには、あとで一言くらい謝った方がいいかなぁと」

 

「う……そうだな」

 

 先生が再び気まずそうな声を出すと、

 

「——お昼ご飯」

 

 いきなり居間に螢さんが現れ、僕と先生は師弟揃ってビクッとした。

 

素麺(そうめん)チャンプル」

 

 螢さんは端的にそう告げ、ほかほかな大皿をテーブルに置く。苦瓜(にがうり)やシーチキンの混じった素麺の炒め物が、こんもりと山を成していた。シーチキンのいい匂いが鼻腔をくすぐる。

 

 それから、その場に音も無く正座する。

 

 螢さんはいつもの無表情のまま、何も言わない。置物みたいに座り続ける。

 

 ……まるで、何かを待っているような。

 

 その「何か」を察したのは、僕だけではなかったようだ。

 

「……その、螢よ。先ほどは済まなんだ。失言であった」

 

 望月先生が、まるで子供のようなたどたどしさでそう謝った。

 

 すると、螢さんはまるで事前に用意していたようにすぐ返事をした。

 

「——わたしも、ごめんなさい。少し、過敏になり過ぎていた」

 

 その後、僕の方へ向き、頭を下げた。枝毛ひとつ無い長い黒髪が、柔和にこぼれて垂れ下がる。髪の小さなつむじが見えた。

 

「コウ君も、ごめんなさい。……八つ当たりみたいなことをして」

 

「い、いいんです、大丈夫ですよ! 誰だってそういう時はありますから! それに螢さんに叩きのめされるのは、逆にご褒美というか……」

 

「それはそれでちょっとどうかと思う」

 

 そんな螢さんの言葉に、望月先生が笑声をこぼす。僕もつられて笑う。

 

 望月家が、和やかな雰囲気に包まれる。

 

 それを心地よく味わいながら、一瞬思った。

 

 この中にエカっぺが混じっていたら、どんな感じになってたんだろう——と。

 

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