帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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電話、そして呼び出し

 ため息を連続させながらの下校時間を経て、僕はのろのろと家へと帰ってきた。

 

 帰宅早々、僕は冷蔵庫に作り置きしておいた麦茶をコップ二杯飲んで体を潤してから、自室へ戻り、左腰の木刀を引き抜いて畳で大の字になった。途端、体が床に吸い込まれるように体が重くなる。

 

 そして、もう何度目かのため息。

 

「……なんだかなぁ」

 

 弱々しい呟きが、自室の四角い空気を揺らす。

 

 ——また、エカっぺに逃げられてしまった。

 

 今度は何も言い残すことなく、ただ背中を見せて走り去った。その走る速さから、彼女の拒絶の意思が見えるようで辛かった。

 

 だからこそ僕も無理に追いかけることなく見送った。

 

「前途多難だなぁ……」

 

 卒業まで関係が修復可能であるかどうか、怪しくなってきた。

 

 でも、仕方が無い。これは僕一人の希望だけではどうにもならないことだ。

 

「……信じて待つ、って決めたからな」

 

 僕は改めて、口にした。僕が今のエカっぺにしてあげられる、唯一の助力。

 

 分かってはいるんだけど。

 

 またもため息が漏れた。

 

 ——卒業までに、どうにかなればいいな。

 

 そのとき、ジリリリリ……という音が部屋の外から聞こえてきた。電話の音だった。

 

 音はすぐに止む。おそらく店番中のお母さんが電話を取ったからだろう。我が家の電話は店のカウンターの近くにある。

 

 吸い込まれるような体の重みが、睡眠欲を誘発し始めた時だった。

 

「——光一郎(こういちろう)、エカっぺちゃんから電話よー!」

 

 眠気が一気に覚め、勢いよく上半身を起こした。

 

 さっきまでの重さはどこへやら、僕は軽やかな足取りで自室を出て、お母さんから受話器を受け取った。耳にあてがう。

 

「もしもし、エカっぺっ?」

 

 我ながら、期待に弾んだ声だった。僕からではなく、彼女の方から連絡をくれたことが嬉しかったのだ。

 

 呼びかけから三秒ほど間を置いてから、耳元へ答えが返ってきた。

 

『……コウ。あの、いま、だいじょうぶ?』

 

 砂利が覆ったような電子音声だが、それでもエカっぺの声が控えめなものだと分かった。

 

「う、うんっ。平気。今ヒマだから」

 

 それで、どうしたの——と言いそうになってやめた。返事を催促するような言葉を投げかけたら、押し黙って何も言えなくなってしまいそうだったからだ。まともに話せなかった今までの状況を考えるに、まずは会話を楽しんで気持ちをある程度ほぐしてからの方が良い。

 

「さっきお母さんが電話に出たでしょ。お母さん、僕に「エカっぺちゃんから電話よー」って言ったんだ。エカっぺちゃんってなんだよーって思わない?」

 

『ほんとね。エカっぺ、でいいのに。コウのママなんだし』

 

 受話器の向こうから、すするようなわずかな笑声が聞こえてくる。エカっぺが笑っている。その事実だけで関係がかなり修復できたような気がした。そう思いたくなった。

 

『あのね、コウ。これから……時間、ある?』

 

 エカっぺは、笑みの響きが残った声でそう訊いてきた。

 

「え? えっと……大丈夫だけど」

 

 思わぬ問いかけに思わずきょとんとしながらそう肯定すると、エカっぺはさらに言った。

 

『じゃあ、さ…………今から、あたしと会えない?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エカっぺの方から呼ばれたのならば是非も無い。僕はお母さんに一言言ってから、制服のまま家を出た。……その際、木刀を左腰に差し直していたのは、もはや習慣と呼ぶ他無い。

 

 待ち合わせ場所は、神田(かんだ)平川神社(ひらかわじんじゃ)だった。エカっぺの家からはちょっと離れているが、僕の家からは近い場所だった。すでに夕方に差し掛かろうとしていたので、日差しは控えめになっていた。

 

 鳥居に一礼してくぐった先の境内に、一人のセーラー服姿の女の子が佇んでいた。その頂点できらめく金髪が、遠くからでも誰か判らせた。

 

「エカっぺ!」

 

 僕は思わず声高にそう呼びかけ、歩く足を早めていた。

 

 近づくたびにはっきり視認できるエカっぺの姿。明るいブルーの瞳は、僕と眼がかち合うと一瞬視線を逸らし、そしてまた僕へ戻した。目元が緊張している。まるで何か覚悟を決めたように。

 

 僕と話すことが、それほどまでに覚悟の必要なことなのかと思うと、少し残念だった。やはりどうあっても、前みたいな関係に戻ることはできないのだろうか——

 

(あれ……?)

 

 そこで僕は疑問を見つけた。エカっぺの左手に握って降ろされているモノ——鞘入りの刀の存在を。

 

 なんで、刀なんて持ってきているんだろう。これから彼女と話すであろうコトに必要なんだろうか。

 

 その答えを思いつく前に、エカっぺと声が届く位置までたどり着く。足を止める。

 

「……エカっぺ」

 

「よ。こんちわ、コウ」

 

 少し硬い態度で呼びかけた僕に対し、エカっぺは驚くほど気軽な態度で呼び返してくれた。……いや、きっと努めてそういう態度をとっているだけだ。今日の放課後に僕から逃げ出すような態度が、いきなりここまで急変する意味が分からない。

 

 それでも、ここへ呼んでくれたのは、エカっぺからなのだ。それを嬉しく思った。

 

 緊張感が多少和らぎ、自然な笑みが浮かぶのを実感した。

 

「それで、どうしたの? いきなり呼び出したりなんかして」

 

「えっとね……」

 

 エカっぺはおもむろに、左手に握った刀を掲げて僕に見せる。

 

「——新しい刀がウチに来たから、コウに見せたいなって思って」

 

 思わぬその用件に、僕は思わず目をしばたたかせた。

 

「そのっ、最初はウチに呼ぼうかなって思ったんだけど、ウチいまお客さん来てるから呼べなくてっ、だからそのっ、外で見せようかなって思って。パパに黙って借りてきたのっ。だから……」

 

 エカっぺは愛想笑いみたいな表情を作りながら、必死に弁明するみたいに言い募る。

 

 だが、すぐに言葉が先細り、やがて無言になる。それから観念したような口調に改まった。

 

「……ごめん。なんか()()()()()()()()()()、持ってきた」

 

 話題の種を用意しなければ、呼び出すのが(はばか)られたから。きっと会っても無言になってしまうから。そういう理由だろう。

 

「ううん。……ありがとう、エカっぺ。呼び出してくれて」

 

 そんな彼女の工夫と努力が、僕はなんか微笑ましく、嬉しかった。

 

 どういう形であれ、エカっぺは()()()()から、前に進もうとしているように見えたから。

 

 うずくまって苦しんでいるだけでなく、そこから立ち上がって抜け出そうと頑張っているみたいだから。

 

 ……時間は、少しずつだが、確実にエカっぺを良い方向へ立ち直らせようとしている。(しゃく)だけど、輝秀(てるひで)の言っていたことは間違いではなかった。

 

 するとエカっぺは、笑った。

 

「ありがと、コウ。——大好き」

 

 どきりとするような、ゾッとさせられるような、甘くもどこか湿り気のような暗さのある微笑で。

 

 エカっぺはそんな僕の内心に構わず歩み寄ってきて、くるりと身を翻しながら僕の隣へと移動する。僕の右肩とエカっぺの左腕がくっつき、そのほのかな体温が分かるほどの近距離。

 

「それでね、今日見て欲しいのはこの刀なんだけど……」

 

 戸惑う僕を置き去りにしながら、エカっぺは左手に提げていた刀を持ち上げ、その柄を右手で持って手前へ引く。刀身が音も無く滑らかに鞘から滑り出た。

 

「へぇぇ……良い刀だねぇ」

 

 オレンジ色に移ろいつつある陽光に舐められるように、刀身がぬらりと映える。宝石めいた輝きを魅せる鎬と、見ていて涼しさを覚えそうな地鉄(じがね)直刃(すぐは)

 

 僕は思わず声を漏らす。僕は数ある刃紋の中で直刃が一番好きだ。刀自身が己を美術品などではなく「武器である」と頑固に主張をしているような有様に心を惹かれる。実際、武用刀として最適なのは直刃だ。

 

 最近では僕も刀を見る目が肥えてきたようで、地鉄を見ただけで大まかながら作刀時期が判るようになってきた。多分これは……最近作られた刀だ。ただ、その「最近」というのがどの年号なのかは分からない。明治か、あるいは今より一つ前の年号か。範囲が広すぎる。

 

 その時、我知らず左手を添えていた腰の木刀の柄の感触を他人事のように感じながら、僕はその刀身に見入り続け、

 

 

 

 

 

 刀身の目の前を、「金の蜻蛉(トンボ)」が左へ横切った。

 

 

 

 

 

 条件反射というものだった。

 

 ()()がどうしてなのか考える前に、僕の体は最短かつ迅速に動いていた。

 

 柄に添えられていた左手で木刀を瞬時に左腰から抜く。逆手にした剣尖で、左へ駆ける金の軌跡の先端を追いかける。それによって体がバランスを崩して左に傾こうとも。

 

 僕は横倒しになる。

 

 そして次の瞬間、僕はようやく「その意味」を知る。

 

 

 

 ——僕の体が直前まであった辺りを、エカっぺの刀身が素通りしていた。

 

 

 

 「金の蜻蛉」は止まらない。上昇し、僕に立ち上がりを強いる。

 

 その飛翔する位置を剣尖で追いかける形で立ち上がり、今度は右へと直角移動。それも剣尖で追いかけ——エカっぺの返す刀を横から打ち弾いた。

 

「エカっぺ、いったい何を——!?」

 

 さっきの二太刀は、いずれも「金の蜻蛉」が動かなければ確実に僕に届くモノだった。

 

 それを発したのは、エカっぺ。

 

 僕の頭は、その信じ難い事象の受け入れを拒んでいた。

 

「——あはは。ごめんね、コウ。事故っちゃった。今のはワザとじゃないのよ」

 

 エカっぺは乾いた笑声を交えて告げる。台詞も作ったみたいに空々しい。笑顔でもその青い眼は爛々とこちらを見つめている。まるで飢えた猛獣みたいにギラついていた。

 

 僕は今なお内心の混迷を抱えつつも、それをひとまず脇に置き、木刀を構える。

 

「だからほら。こっちきて? 一緒にこの刀鑑賞しよ?」

 

「ごめんエカっぺ。それは無理だ」

 

「どうして? 事故だって言ってんじゃん」

 

「だって——「金の蜻蛉」は、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 この「金の蜻蛉」……『蜻蛉剣(せいれいけん)』は、非常に謎が多い至剣だ。

 

 まだ至剣流を極めていない段階から使えたり、しかし自分の意思では自由に使えなかったり、だけど時々現れて使えるようになったり。

 けれど、この「金の蜻蛉」は、きまって僕が危機的状況に陥った時に現れ、僕の剣を助けてくれる。

 

 つまり——今の状況は、僕にとって極めて危険ということだ。

 

 生命か、あるいはそれ以上に大切なモノを失うか否かの瀬戸際であるということだ。

 だからこそ僕は、今のエカっぺから剣を下ろすことはできない。

 たとえ彼女が何を考えていたとしても、だ。

 

「…………なによ、それ……なによ……!」

 

 エカっぺは信じがたいといった様子で目を見開き、唇と手元を震わせる。

 

 その震えは怯えではなく、爆発の前兆だった。

 

「……意味わかんないっ!!」

 

 食らいつかんばかりの気勢とともに、エカっぺが迫る。その足捌きに真剣が付随する。

 

 彼女の右後方から放たれた鋭い一太刀を、僕は「金の蜻蛉」の命じるまま大きく後退して回避。

 

 さらに「金の蜻蛉」はエカっぺの右側へ飛び込む。それから半秒とたたぬ間に、エカっぺの切っ尖が蛇のように直進した。僕は「金の蜻蛉」に従ったことで難を逃れる。

 

 エカっぺを横切って後方へ出た途端、「金の蜻蛉」と僕の剣尖は虚空に高く弧を描いて勢いよく降下。エカっぺが振り向きざまに薙いできた白刃の腹を真上から打ち下ろし、その太刀筋を歪めて無力化する。僕は退がる。

 

「エカっぺ——」

 

 僕がもう一度呼びかけようとするも、エカっぺはすぐに急迫し、次の太刀を出してくる。

 

 その青い瞳には、僕の姿が不気味なほど鮮明に映っていた。

 

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