帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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二年間蓄積されてきた濁り

 エカテリーナは、迷いの無い足取りで、ある方向へと向かっていた。

 

 目的地は——望月家。

 

 電車で行った方が早いし労力も省けただろうが、制服スカートのポケットに入っているのは自販機で缶が買える程度の小銭だけだった。家まで取りに行くのも面倒だったし、なにより……今は歩いていたかった。体を動かしていないと、胸中に渦巻き続ける黒々とした感情が暴走しそうで怖かった。

 

 すでに鞘に納めてある刀を片手に、千代田区を大きく歩き続ける。心なしか、なんだか寒い。今日はこんなに寒かっただろうか?

 

 やはり徒歩だからか、そこそこ時間がかかった。到着した時には、午後の太陽はオレンジ色となっていた。

 

 ……望月家の門が、目の前にはそびえていた。

 

 見慣れているはずの、古めかしい木の門。しかし今のエカテリーナには、伏魔殿の巨門のように見えた。

 

 その内側から、しゃっ、しゃっ、と掃き掃除をする音がかすかに聞こえた。……この家で、玄関前を掃き清めるであろう人物は一人しか思いつかない。

 

 エカテリーナはインターホンも押さずに、門を開けた。

 

 やはり、門の向こうにいるのは、(ほたる)だった。葦野女学院(ヨシ女)の夏制服姿のまま、両手に竹箒を握っていた。

 

「……エカテリーナさん?」

 

 静謐(せいひつ)な光を宿した黒い瞳をぱちぱち瞬かせ、螢はこちらの名前を呼ぶ。平日に、しかもこんな時間に、おまけに一ヶ月以上ぶりに顔を見せたこちらの存在に驚いた様子か。

 

 ……久しく見た彼女の姿は、やはり美しかった。

 

 自分のようにガタイが大きくない小柄な背丈。そこに乗る小さな頭。

 たおやかに佇む姿は、まるで足が根を張ったように地面と一体化しているようだ。

 (からす)濡羽色(ぬればいろ)という表現が相応しい黒髪が、一糸の乱れも無く下方に長く流れ、途中でぶつかったモノに応じて柔和に流れを変えている。

 静けさと甘さが高度に調和した美貌は、夕焼けの陰影にあっても仄明(ほのあか)るく光っているようだった。

 

 女の自分ですら目を奪われそうになる、日本人女性としての「美」の極致のごとき容貌に、しかしエカテリーナは忌まわしい気持ちを向ける。

 

 ——自分も、この髪と目の色だったら、もっとコウと。

 

 父に対する侮辱にも繋がりかねないその感情のまま、エカテリーナは告げた。遠くではないけど、徒歩だとそれなりに距離があるこの家までわざわざ足を運んだ、その理由を。

 

 

 

「——望月螢。あたしと真剣で勝負しなさい」

 

 

 

 言ってから、刀の鞘を持つ左手がひとりでに震えた。しかしそれを強引に握りつぶした。

 

 螢も、いきなりこんな事を言われたら是非の以前に「何故?」と問いたくなるだろうと思った。

 

 しかし、螢が無言だったのは三秒程度だった。

 

「いいよ」

 

 螢は、驚くほどあっさりと頷いた。

 

 彼女の瞳が、じっとこちらを覗っている。黒なのに明るさのあるその瞳は、まるで見透かしたようにこちらを捉えていた。それに対して思わず目をそらす。

 

「こっち」

 

 螢についていくまま、エカテリーナは望月家の敷地内の稽古場へと入った。

 

 戸口を閉め、履物を脱いで、煤けた床へと足を踏み入れる。

 

 見慣れた稽古場に、ぺたりぺたり、と響く()()()の足音。自分のものだ。

 

 その時点からすでに力の差を見せつけられた気分になっていると、螢は背中を見せたまま、さらに告げた。

 

「あなたは真剣の勝負と言ったけど、わたしは刀を使わない」

 

 なっ、と驚きで足を止める。

 

 そんな自分に構わず、螢は稽古場の壁にある刀掛(とうか)へと無音で近づく。打刀(うちがたな)、小太刀、木刀、小太刀木刀、と上から下に並ぶ剣の中から……螢は木刀を選び取った。

 

「わたしは()()()()()。あなたはその刀で好きなように来て」

 

 螢はエカテリーナと遠く向かい合う位置へ戻ってくると、そう告げた。残酷なほどいつも通りの、静かな語気で。

 

 あまりの主張に、一瞬、頭が真っ白になる。

 

 だが、さらに次の瞬間には、

 

「————馬鹿にすんなっ!!」

 

 刀から鞘を抜き捨て、白熱した激情の赴くまま螢へ突っ込んでいた。

 

 あっという間に螢を間合いの先端で触れるや、両手に握った刀に後方から鋭く弧を描かせた。——その刀身には、エカテリーナにしか視えない薄墨色が宿っていた。

 

 怒りに身を任せたにしては、見事な速さと鋭さがあった。当たる。そんなタイミングと間合いと速さだった。

 

 しかし、()()()()()()()()()

 

「っ——!?」

 

 無音の驚愕は、エカテリーナのものだった。放った薄墨色の刃は、螢の体に触れる寸前でその姿を()()()()()のだ。掠りもしていない。

 

(まさか、誘い込まれたっ……? 自分の望んだタイミング通りに斬らせるように少し前に出て誘いを入れて、あたしが無意識にそれに乗って剣を振ろうとした瞬間、そこから小さく退がってこっちの間合いから外れた……? 刀を使ったギリギリのやり取りで、そんな捨て身技が出来る胆力があるなんて——)

 

 高速で思考するが、それが終わるよりも早く、木刀の刃が喉元に寸止めされていた。螢はこちらの刀が振り抜かれるやすぐさま間合いの奥へ入り、横を取ってそのようにしたのだ。

 

「これが真剣であったなら、あなたの首は転がり落ちていた」

 

 勝ち誇ったような響きを一切含めず淡々と事実だけを告げた螢に、エカテリーナはかえって頭に血を登らせた。

 

「んの——!」

 

 鋭く振り返りつつ、薄墨色の刃を振るった。——しかし螢はそこにおらず、空振る。

 

 ()()、と、脇腹に固いモノが添えられる感触。

 

「——今ので、あなたの胴を割っていた」

 

 背後から聞こえた、銀鈴めいた螢の指摘。……こちらが振り返る動きに合わせて、彼女もまた回って素早く背後に移動したのだ。至剣流『颶風(ぐふう)』の用法である。速い。

 

「うるさいっ!!」

 

 濁った叫びを発するとともに、刃を車輪のごとく後転させ、輪の太刀筋を描いて背後を斬りかかる。至剣流『法輪剣(ほうりんけん)』。

 

 だが、当然のごとく手応えは皆無。

 

「つっ……!?」

 

 それどころか、縦に移動する刀へ横から衝撃を当てられ、輪の太刀筋を強制的に止められる。刀は横へ弾かれ、手元にはその時の衝撃の余韻がビリリと伝わる。

 

 木刀で弾いたのだ、と気がついた時には、その先端で背中の真ん中あたりを軽くグリッと押されていた。

 

「今ので心臓を串刺しにした」

 

「っ、ぅぁぁあああああ!!」

 

 エカテリーナは狂乱の有り様を見せ、ひたすらに剣を振るった。

 

 取り乱していても、稽古で体に染み込ませた剣技の動きのおかげか、太刀筋はそれなりに整っていた。

 

 袈裟斬り、逆袈裟、薙ぎ、刺突、引き斬り、いろいろやった。

 

 薄墨色の軌跡が、虚空に何度も描かれた。

 

 しかし——その一太刀たりとも、螢には届かなかった。

 

 一太刀発するたびに、あっさりと対処され、そして次の拍子には木刀をこちらの体のどこかに触れさせている。彼女が持っているのが真剣であったら、自分はいったい何回死んでいるのか、数えるのも嫌になる。

 

 ——『血玉章』は、浅く斬るだけでもその力を発揮する。それはつまり「()()()()()()()()()()()」という強力な不利条件(ハンデ)を相手に背負わせることになる。しかも螢の武器は木刀。螢に課せられる誓約はさらに厳しいモノのはずだった。

 

 そこまで背負わせているというのに……『血玉章』の刃は、少しも螢には触れられない。

 

(ちくしょう、ちくしょうっ……!!)

 

 目には涙が浮かんできた。息が苦しい。寒い。世界が小刻みに揺れて見える。

 

 ——螢に『血玉章』を使おうとしている理由。

 

 それは、螢の想いを、こちらに無理やり傾かせるためだ。

 そうすることで、光一郎の「初恋」を破壊するためだ。

 光一郎の「初恋」も、剣を振る理由も終わらせるためだ。

 そして、傷心した彼の心の隙間を、自分が埋めるためだ。

 

 彼に直接刃を下すのが外道であるのなら、彼が想いを向ける対象に振るえばいい。

 

 だって、自分は、この女のことが——

 

「くそっ、くそぉぉぉぉっ!!」

 

 血を吐くような叫声を発しながら、ひたすらに斬りかかり続ける。

 

 しかし、その必死さを容易く切り捨てるように、反撃と触れ止めを喰らう。まるで型稽古の打太刀をやらされているみたいに。

 

 光一郎の時よりも、一方的なやり取り。

 

 当たり前である。螢は光一郎よりも強いのだから。

 

 冷静に考えれば、分かることだった。

 

 ……そこまで考えが及ばないほど、エカテリーナは余裕が無かった。

 

 そんな心境を見透かしたように、もう何度目かの寸止めをしてみせた螢は告げる。

 

「もう、やめにすべき。あなたが何をそんなに焦っているのかは分からないけれど、このような剣ではわたしには届かない。このような戦いにも意味が無い」

 

 螢は汗一つかいていない。どこまでもいつも通り。

 

 この稽古場に響いているのは、(あえ)ぐような自分の息遣いだけ。それがやけに大きく聞こえる。

 

 胸から弾け出しそうな息苦しさと、震える両手。わななく刀身。その刀身を震わせているのは、麗しき剣聖への畏怖か、自分の「初恋」をかすめ取った恋敵への憎悪か。

 

 そのどちらかも分からない、うまく定義の出来ない白熱した激情の塊が、次の瞬間——爆発した。

 

 

 

「————うるせぇんだよ!! このクソ女ぁっ!!」

 

 

 

 乱暴に振るわれた薄墨色の刃から、螢は後退して逃れる。

 

「いつもいつもお高くとまりやがって!! 何不自由無くたくさん持ってるお嬢が、高みから見下ろすようにしやがって!! 何様だっ!!」

 

 エカテリーナは狂乱の赴くまま、次々と薄墨色の太刀筋を放つ。

 

 乱雑に、しかし網の目のように密に。

 

 だが、それら全てを、螢は顔色ひとつ変えずに当たり前のように避ける。

 

 その対比が、さらに激情を増幅させた。

 

「——()()()()()()()()()!! ずっとずっと嫌いだったっ!!」

 

 気がつくと、そのような言葉をぶつけていた。

 

 ……ずっと揺らがなかった螢の瞳の周りに、わずかだが強張りが生まれたように見えた。

 

「ポッと出の分際で、あいつの心をあっさり奪い去ったあんたが気に入らなかった!!」

 

 強烈な怨嗟が、薄墨色の凶刃とともに螢へ向かう。

 

「あいつからの想いと献身を、一身に受けるあんたがいとわしかった!!」

 

 避けられても、止まらず矢継ぎ早に刃と呪詛は放たれる。

 

「それなのに、あんたは涼しい顔でそれを受け流し続けてた!! やってもらって当たり前みたいに!! そんなあんたを見るたび、あたしは憎くてたまらなかった!! 刺してやりたくなった!!」

 

 ずっと積り積もらせてきた感情の濁りを、このひと時で一気に吐き出すように。

 

「ねぇどうして!? ()()()()()()()()()()()!?」

 

 怨嗟に、泣くような響きが混じる。

 

「あんたなんかより、あたしの方がずっとコウの事愛してるのに!! コウがして欲しいことなら、あたしは何だってしてあげるのにっ!! 心も体も、全部全部、コウにあげるのに!!」

 

 揺れる視界が強い潤いを持ち、その潤いがちぎれて外へ雫として発露され続ける。

 

「こんなに愛してるのに……なんであたしじゃ駄目なのよぉぉ!!」

 

 やがて、悲鳴のような叫びとなる。

 

「あんたはどうせ男なんか簡単に見つかるんだろ!? みんなあんたにすぐ惚れて、すぐ粉かけに来るんだろ!? その気になれば、選びたい放題なんだろ!? 恵まれてるのよあんたはっ!!」

 

 薄墨色の刃は、いつのまにか見当違いな方向にばかり振るわれていた。螢はその場で立ち止まったまま、それを見ていた。

 

「あたしにはっ……あたしにはコウしかいなかったのに!! そのたった一人も奪うのかよっ!? ふざけんなよお前!! ふざけんなぁっ!!」

 

 足先から手先と頭頂部まで繋がった「何か」が、膨張して今にも弾けそうな、奇妙な感覚。

 

 

 

「いっぱい持ってるくせにっ…………持ってないあたしから奪うなぁぁぁ————!!」

 

 

 

 そこで、何かが切れる感じがした。

 

「————ぁ」

 

 振りかぶった拍子に、刀が手元から滑って抜けた。

 

 薄墨色を失った刀は、勢いのまま矢のごとく飛び、稽古場の壁に突き刺さった。

 

「あ…………ぁ……」

 

 手が、激しく震えていた。今までにない、常軌を逸した震え方だった。 

 

 息が苦しい。呼吸が浅い。吸っても吸っても酸素が足りない。

 

 すごく寒い。夏なのに、まるで真冬の外気の中にいるみたいだ。

 

 力が、抜けていく。

 

 意識が、薄れていく——

 

 

 

「エカテリーナさん!」

 

 

 

 珍しく切羽詰まったような螢の声を最後に、エカテリーナの意識は闇の中に溶けていった。

 

 ——最後に、聞くのが、あんたの声、なんて……ほん、と…………最……悪…………

 

 




 今回の連投はここまで。
 また書き溜めてから連投いたします。
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