【漫画化】帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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銘茶と警鐘

 少々、日付をさかのぼり——九月三日。

 

 帝都東京新宿区市ヶ谷(いちがや)、嘉戸(かど)宗家邸宅。敷地内に点在している建物の中で、一際大きな屋敷が中心となり、そこから根を張るように屋根付きの渡り廊下が伸び、他の建物と繋がっていた。

 

 その中心の屋敷の中にある、フローリング張りの大きなダイニングルーム。テーブルクロスの敷かれた長いテーブル、その両端に沿って配置された椅子、真上にぶら下がる大きなシャンデリア灯という見るからに洋風の内装だが、部屋の端に飾られた武士甲冑や日本刀が「和」を添えていた。

 

 今、その大きな部屋にいるのは、たった二人だけ。

 

 長テーブルに乗った中国式の茶器一式。二人はそれらを挟んで対面する形で座っていた。

 

 そのうちの一人である嘉戸唯明(ただあき)は、親指と人差し指でつまめる程度の小さな茶杯(ちゃはい)を口元で傾け、一言。

 

「……悪くない」

 

 そんな父の反応に、向かい合っていた嘉戸輝秀(てるひで)はニッと微笑する。

 

「君山銀針(くんざんぎんしん)っていう黄茶(ホァンチャ)の代表的品種だ。生産量が少なく人気な分パチモンも多いが、こいつは信頼できる筋から買った本物だ。まぁその分、値も張ったがね」

 

 唯明は小さな茶杯を静かに置き、やや弛緩(しかん)した声で言った。至剣流宗家家元としてではない、家族としての声。

 

「なるほどな……お前が大陸で身につけたものは、武術だけではなかったわけだ。女と道楽しか知らなかったお前が、随分と良い趣味を持ったものだな」

 

「おっと。女は今でも大好きだぜ? ただ、前みたいな激しい女遊びは腎気(じんき)に障(さわ)るんでな」

 

 唯明が微かに笑声をこぼす。ほんの一種の笑いだが、普段笑うことの無い父の場合はこれだけでも大ウケといえる反応だ。

 

 雷蔵(らいぞう)兄(に)ぃが外に行っててよかったなぁ、と輝秀はふと思う。こんな話をあの次男の前でしたら、取っ組み合いにならないまでも嫌味の一言二言三言は言われそうだ。事(・)情(・)が(・)事(・)情(・)なので、余計に。

 

「こちらも暇ではない。今くらいしかゆっくり話す機会が無いし、お前の武者修行の旅の内容にも興味がある。何せ中国の武術だ。知らぬ点も多い」

 

 唯明のその言葉から、修行の旅に話の流れが移った。

 

 大陸に来てからの老師探し、老師を仰いで一番最初にやらされたたった一つの基本功法(きほんこうほう)、そのたった一つがほぼ全ての技法と繋がっていると体感したときの感動、当然ながら生じた現地の武術家との軋轢(あつれき)、老師の正式な弟子となれたこと——二年間蓄えてきた土産話で、二人だけの茶の席は盛り上がった。

 

 やがて話題は、別の方向へと移った。

 

「……ところで輝秀よ、最近、この帝都で妙な噂がたっているのだがな」

 

 緩んだ呼気ののちにそう静かに投じられた父の発言に、輝秀は「へぇ、どのような?」と問う。

 

「——趙(ちょう)凌霄(りょうしょう)、と名乗る中国人の剣客だ」

 

 唯明の答えに対し、輝秀はお(・)く(・)び(・)に(・)も(・)出(・)さ(・)な(・)か(・)っ(・)た(・)。

 

「先月中、そやつは帝都にいる多くの剣術達者と試合をして、そのほぼ全てを打ち負かしたという。使っているのは日本式の木刀であったが、その動きは明らかに日本剣術ではなかったとのこと。おそらく、大陸に伝わる倭刀(わとう)術(じゅつ)と考えるのが自然なところか。大陸の剣術……もとい刀(・)術(・)は、日本剣術を起源とする倭刀術を除けば、片手で刀を操るものばかりだからな」

 

 そして、その細い瞳の隙間から、針のような眼光を覗かせた。

 

「面白い事にな。この趙凌霄の噂が立ち始めたのは、先月からだ。そして、お前が中国から帰ったのもまた先月。そしてお前が大陸で学んだ武術『龍行(りゅうぎょう)掌(しょう)』は、その中に倭刀術を含んでいるという話だ。——これらは果たして、偶然かな?」

 

 昔の輝秀であったら、この父の眼光を受けた途端に、たじろぎの一つも見せていただろう。

 

 しかし、今はその眼光を痛々しく感じつつ、それを表面には出さない程度の胆力はあった。輝秀は深みのある一笑をし、静かに言葉を返した。

 

「親父殿にも知らないことがまだあるようで。倭刀……いや苗刀(びょうとう)を使う門派というのは龍行掌に限らない。この苗刀術は近代に生まれて、今は天津に拠点を置く国営武術団体を通じて多くの団体加盟門派に取り入れられた。龍行掌はその中の一派に過ぎないよ。そんな歴史的経緯を無視して、龍行掌イコール苗刀、などと考えるのはいささか早計かつ乱暴だと俺は思う。あんたらしくもない」

 

 その言葉ののち、しばし沈黙が訪れる。しかしそこには、見えない気勢のせめぎ合いがあった。追求を求めて激流のごとく圧してくる唯明の気と、それを川中の石のごとく受け流すべく自己を堅く保つ輝秀の気。

 

 しかし、やがて唯明が気勢を緩めた。

 

「……まぁ、中華武術に関しては、お前の方が詳しい。そんなお前の言う事ならば、きっとそうなのであろう。——そ(・)う(・)い(・)う(・)こ(・)と(・)に(・)し(・)て(・)お(・)こ(・)う(・)」

 

 その父の言葉に、輝秀は涼しく一笑する以外に何も答えない。これ以上答えたら、どうあっても更なる追求の材料にされてしまいかねないと思ったからだ。

 

 もう一杯飲んだ後、唯明は乾いた茶杯をそっと置き、改まった語気で言った。

 

「さて、茶も薄まってきたことだ。……父親に土産話を披露するためだけに、高い茶を用意したわけではなかろう? そろそろ本題に入らんかね」

 

 輝秀は、体の内側が引き締まる感じがした。

 

 ……そう。ここからが本題だ。

 

 久しく父と会話をしたかったのもそうだが、今回呼びつけたのには真面目な理由がある。

 

 鉄瓶の湯を蓋碗(がいわん)の茶葉へ注ぎ、蓋を閉じてから、輝秀は切り出した。

 

「枢剣教(すうけんきょう)——この団体についてはご存知だよな?」

 

 唯明は細い目をわずかに開いた。

 

 その顔を見て、輝秀も確信する。至剣流宗家家元たるこの父親も、件(くだん)の宗教団体には怪しい匂いを感じていたのだろう、と。

 

「日本で起きてる大まかな事は中国(あっち)でもニュースで見て知ってたが、枢剣教って団体の存在までは帰国して初めて知ったよ。……剣神(フツヌシ)の声を聞いた開祖をカリスマとして急速に勢力を拡大している、神道系の新興宗教。開祖はまだ十代の女子だが、不思議な力を持ち、その力によって会う者会う者を信者に変えている。金持ちから庶民に至るまで、信者の層は幅広い。……質問なんだけどさ、帝室にまで信者がいるってことはないよね?」

 

「今のところは確認されていない」

 

「まぁ、そりゃそうか。もしそうだとしたらとっくの昔にオマワリが潰してるだろうし」

 

「だが、すでに枢剣教は内務省のマーク下にあるようだ。皇祖神より上の神を崇めているわけでもないし、団体の性質は愛国的。しかし急速に膨張していく宗教団体に気味悪さを感じているのかもしれん。……それで、その枢剣教がどうした?」

 

 唯明に先を促された輝秀は、声の響きを厳しく誠実なものにした。

 

「開祖が信者連中に配ってる『枢剣(すうけん)』。あれはヤ(・)バ(・)い(・)代(・)物(・)かもしれん」

 

「ヤバい、だと?」唯明がやや声を高めて言う。

 

 輝秀は続けて告げた。

 

「俺は先日、『枢剣』を使う奴と戦った」

 

 唯明の目が、今までより大きく開かれた。

 

「なるほど、噂通りの不思議な剣法だったよ。とても不思議で……とても至(・)剣(・)臭(・)い(・)」

 

「……なんだと?」

 

 静かに威圧するように続きを促す父。

 

 輝秀は問うた。

 

「ここから先は、あくまで俺の仮説になるんだが……聞く気はあるかい? 親父は無駄話が嫌いだろう?」

 

「……ここまで茶の席に長居(ながい)しておいて、今更無駄話も何もあるまい。話すがいい」

 

 輝秀は蓋碗の茶を茶海(ちゃかい)へ移し、そこから互いの茶杯へ均等に注いだ。

 

 茶杯を口元で傾け、薄くなった茶の味と香りを感じ取ってから、輝秀は語り始めた。

 

「……親父はさ、枢剣教が枢剣を使いたがらないことは知ってるよな?」

 

「うむ。「枢剣が外界の穢れを帯びてしまうから」などと言っていたな」

 

「らしいな。だが、それが都合の悪い事を隠すための「方便」だとしたら?」

 

 何っ? とはっきりした反応を見せる唯明に、今日は珍しい親父の顔がよく見れるなぁと思いつつ、輝秀は気持ちを切り替えて続けた。

 

「枢剣の正体が具体的に何なのか、まだ定義はできない。だが、もしかすると枢剣は——使い過ぎれば死ぬかもしれない」

 




幕間的な話なので単話投稿。
これからまた書き溜めします。
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