【漫画化】帝都初恋剣戟譚 作:新免ムニムニ斎
九月十八日。
「——皆様。懸念すべき事態が新たに起こりました」
横に広く、奥行きがとても長い畳部屋——「祭壇の間」の最奥に立つ純白の少女が、部屋中に座する多くの者達に声を届ける。
「ご存知の方も多いと思います。……そう、現
引き眉の女性を模した白仮面から発せられる声は、いつも通り落ち着いたものだったが、そこはかとなく危機を煽るように表面がざらついていた。
部屋に座る一人一人が、彼女——
「天井知らずに膨れ上がる研究開発費用を、米国との共同開発によって軽減させる……普通に聞けば理に適っている言い分であるかもしれませんが、これは己の「剣」を己で錆びさせる愚挙に他なりません。この中には軍人もいらっしゃると聞きます。ならば自明でしょう。……この国は島国です。敵は海を跨いで襲ってくる。ゆえに戦うためには海を跨ぐ技術の強化が他国よりもさらに重要。航空戦力もその一つに他なりません。そのための力を培うために、同盟国とはいえ外つ国に頼るなど、ましていつ裏切るかも分からない国に委ねるなど、言語道断。愚行を通り越して売国とも呼べる行為です」
若いながらに教団を統べる純白の開祖の発する言葉に、信者一人一人が静かな義憤を募らせながら拝聴していた。ここが活動家の集まりであったならば、そうだそうだ! という声が即座にいくつも上がっていることだろう。
(……
そんな石動マヤの隣に立つ男——トーシャは、鴉天狗の仮面の奥から信者達を観察していた。
この枢剣教において「
(あいつらは先週入ってきたやつだったな。ってことは、まだ枢剣教の空気に慣れきってないのか。あるいは……内務省あたりからの回し者か)
トーシャは分析し、要警戒人物を記憶していく。
枢剣教は最近、周囲で特高などが嗅ぎ回るようになり始めたばかりだ。潜入捜査は連中の常套手段の一つである。すでにこの中にも、体制側の回し者が混じってしまっている可能性がある。
だが、そうだとしても一向に構わない。全ては
そう考えている最中でも、石動開祖の演説は続く。
「戦闘機の共同開発など、氷山の一角に過ぎません。もしも件の「日米高度戦略連携協定」が本格的に始まれば、日本の骨抜き化はさらにひどくなることでしょう。あらゆる軍事技術を無理やりに共同開発とし、軍事的な対米依存度を高めれば、この帝国は自衛すらままならぬ脆弱な国になり下がってしまいます。生殺与奪権は米国の手の中。それをいきなり気まぐれに手放されたならばどうなることでしょう? ……この国は、日ソ戦を遥かに超えるほどの、目を覆いたくなるほどの地獄を見ることになりましょう。どうでしょうか? 皆様は、そのような絶望の未来を、己の子孫と、帝室に強いたいと思いますか?」
「思うものか!」「そうだ!」「米帝め!」「許してはならん!」口々から怒声が発散された。
部屋は異様な熱気が満ちていた。それは残暑のせいだけではない。
(……血気にはやった愛国者ほど御しやすいロバはいねぇな)
トーシャは仮面の下で冷笑する。
——枢剣教とは、拡声器に等しい存在だ。
団体の愛国的性質を強く標榜し、愛国者達を引き寄せ抱え込み、彼らの信じそうな噂話を植え付け、そこからさらに拡散させる。そのための装置だ。
十二年前の日ソ戦はいまだに日本人の記憶に新しく、そこに起因する強烈なナショナリズムを持った人間は今なお多数派だ。
戦争は
そして仇敵を持つことは、自集団への帰属意識を強烈に蘇らせる。ナチによる侵攻から始まった大祖国戦争において、反共的だった当時のロシアン・マフィアの人間までもが率先して銃を取ってナチと戦ったように。
そういった「愛国者」を取り込んでいき、少しずつ大きくしていく予定だったが、昨今の日米間における外交上の諸問題は日本人のナショナリズムをさらに燃え上がらせた。これが追い風となり、枢剣教は爆発的にその信者数を増やしていくことになった。
取り込んだ「愛国者」達に、彼らの義憤を駆り立てるための
そうして今の日本に広められた俗説の一つが、「米露共謀説」である。
アメリカだけでは引き出し足りない憎悪を、ロシアという仇敵を付属することで増幅させるためのものだ。
おかげで、一般大衆単位における対米意識は確実に悪化した。大衆は難しい事実よりも簡単な俗説を信じるものである。一党独裁国家も立憲君主国もそれは変わらない。
自分と同じく
——「Xデイ」への準備は、着実に整いつつある。
(あとは「例のモノ」が届けば、次の段階に進めるだろう。そこからが本番だ)
そうしてトーシャが考えている間にも、
教祖らしくなったじゃねぇか——トーシャは内心で、己の
(あのちっぽけなトゥバ人のガキが、よくここまで育ってくれたもんだ。俺が丹精込めて育てた『
『
それは、トーシャが育て上げた、対日工作用の私兵の総称である。
ソ連崩壊後に成立した新ロシアは、西側諸国の自由主義と市場経済を導入した。しかしそのやり方はあまりに拙速すぎたため、行き過ぎた拝金主義と責任無き自由がはびこり、犯罪や貧困、汚職が急増した。その影響は今なお続いている。
浮浪児も増加した。金どころか頼れる親もいない子供達の行く末は、犯罪か児童売春、物乞いくらいしか無かった。
——当時のトーシャは、そんな身寄りの無い浮浪児を積極的に拾い上げた。
無論、誰彼構わずではない。
拾った子供は全て
その子供達を連れ帰り、自分の用意した施設へと収容し、その衣食住の面倒を見た。当時すでに『
——その施設を、トーシャは『ダーチャ』と呼んでいた。
ダーチャとは、本来、ロシア式の家庭菜園を意味する言葉だ。
しかし『ダーチャ』において育てられていたのは、本来の意味の野菜ではなく、トーシャの私兵である『
年端もゆかない子供達に、トーシャはあらゆる知識や技術を叩き込んだ。
日本語をはじめとする外国語、戦闘技術、諜報活動、日本国内に溶け込むための振る舞い方……
『ダーチャ』以外で生きる場所の無かった『
……このリュドミラも、トーシャに拾われ育てられた『
兵士としての戦闘能力は『
肉体的凹凸に乏しいため、ハニートラップ要員にも不向き。
しかし、彼女には他の『
——その「能力」を存分に振るった結果が、この枢剣教である。
このまま軍縮を許せば日本はどうなるか、そうなって喜ぶのは誰か、そうならないために何をしなければならないのか——演説の天才であったアドルフ・ヒトラーを思わせる話術に、信者達は注目と傾聴を禁じ得ない様子。
「……皆様の憂国の思い、私も同感です。しかし皆様、どうかその「剣」は抜かないでください。みだりに刃を抜いて振りかざしたのでは、十二年前の露寇と変わりません。我々の「剣」は、他者に武器で侵されようとしている時以外、抜き放ってはならないのです。「剣」を重んじ、しかしそれが抜かれないことを願う……それが我々『枢剣教』の誇りなのです。「剣」は鞘がなければ外気を浴びてたちまち錆び衰えてしまいます。『枢剣』もまた同じ。己の欲のまま外界の穢れに晒し続ければ、たちまち『枢剣』は穢れに満ち、そしてそれはあなた方自身という鞘をも滅ぼす。そのことをどうか、ゆめ忘れぬようお願い致します」
一方で、煽り過ぎないよう、抑制の言説もところどころに織り交ぜる。
鴉天狗の仮面の下にある口を、ニヤリと微笑させた。
(そうだぜ、ロバども。てめぇらは『枢剣』を振るうべきじゃねぇ。——