【漫画化】帝都初恋剣戟譚 作:新免ムニムニ斎
——エカテリーナの目は、光を取り戻していた。
あの日、
エカテリーナは、包み隠さずに買桂芳に打ち明けた。現在患っている諸症状だけでなく、自分の今抱いている悩みや、症状が現れる直前までの行動など。
「あなた、ロシア人との混血なんですってねぇ。日本ではさぞ生きづらかったことでしょうよぉ。それなのにそこまで体が大きいなんて、きっと負けん気と反骨心に溢れた子なのねぇ。日常的に虐待や虐めの恐怖を味わってきた子供は、腎気の失調で背が伸びにくくなる傾向があるものぉ」
中医学では、患者の体だけでなく精神状態も注視する。感情の強い働きは、その種類によって五臓六腑のいずれかの働きにも強い影響を与えるからだ。怒りが度を超えると肝臓の気が失調してそこと直結する心臓の気にも悪影響を及ぼしたり、極端な悲しみによる号泣が肺に影響を与えて呼吸困難になったりなど。「病は気から」というのは嘘では無いのだ。
『
「まだ何か隠しているでしょぉ? 言わないと治療は打ち切りよぉ?」
ねちっこく追求する買桂芳の声に負け、あらいざらい白状した。
まぁ馬鹿にされるだろうと思いながら話したが、買桂芳はそれを信じた前提で質問を続けてくれた。だからこそだろう。『血玉章』と、それに関わる自分の恥部とも呼べる各々の行動や心情も、何もかも彼女に話すに至った。話したら、不思議と気持ちが少し楽になれた。
そうして弁証論治を終えると、次はいよいよ治療に入った。
気功や
全身丸裸にされ、
彼女の調合したという漢方や
そういった治療を行った結果——今週の月曜日に、エカテリーナの目は見えるようになった。その他の症状も消え去った。
「危なかったわねぇ。あともう少し治療が遅かったら、後遺症が残ってたかもしれないわぁ」
というのは、買桂芳の弁である。目が見えるようになったことで、彼女の容姿も当然分かった。美人だが、どこか近寄りがたい、蛇のような雰囲気の女性だった。着ている女性用の中華服も喪服みたいに黒一色なので、余計に。
「そんな顔してたんだ」
エカテリーナが微笑みながらそう言うと、彼女もまた笑った。やはり蛇っぽい笑みだった。
それから、買桂芳に深く感謝を告げた。最初は警戒心を尖らせていた母の雪菜も、娘の目を治してくれた良医に伏して感謝した。
「治療はまだ終わっていないわぁ。もう今まで通り普通に動き回ってもいいけど、あともう少しの間だけ定期的に薬を飲んでもらうからぁ。油断は禁物よぉ」
買桂芳はそれらの感謝をやんわりと受け流し、エカテリーナに再び目を向けて言った。
「私は仕事を果たしたわぁ。ここから先は
それから、必要な量の薬を置いて、さっさと帰ってしまった。
——自分が、何を為すべきか。
エカテリーナは考えた。考えなければいけないと思ったから。そのために、自分は再びこの目に光を取り戻したのだという宿命を感じていたから。そのチャンスをあの医者はくれたのだと思ったから。
この目がまだ薄闇しか見えなかった時、自分は一体、
いくつも思い浮かぶ。
好きだったはずの人に対し、刃を向けてしまったこと。
もう二度と、自分の好きな人達の顔を見れなくなってしまったこと。
好きな人が気づかせてくれた自分の目標……軍人になるという目標を、果たせなくなったこと。
剣士としても、失格になってしまったこと。
——全て異なる後悔であるように見えて、それらは全て同じ「軸」を持っていた。
それは、
——光一郎に、刃を向けてしまった。
——光一郎の顔を、二度と見れなくなってしまった。
——光一郎がくれた目標を、果たせなくなってしまった。
——光一郎が導いてくれた望月派至剣流の剣士として、失格になってしまった。
それに気づいた途端、まず最初に自分が何をすべきかがハッキリと分かった。
——光一郎との間に起こったコトに、決着をつけること。
失恋と向き合い、それを再確認すること。
刃を向けてしまったことに、誠心誠意謝罪すること。
しかし、それだけではまだ足りないと思った。
口でなら何とでも言える。何より、自分は光一郎に向けて刀を振り回すという実害ある行動を成してしまっている。
そんな人間の言葉に、どうして説得力など宿せようか。
なればこそ、
一度は穢してしまった己の剣を、清めなければならない。
——濁りのない己の剣を、光一郎に見せなければならない。
それが、自分を望月派至剣流に導いてくれた光一郎に対する、せめてもの礼儀だと思った。
失恋との決着も、謝罪も、その後だ。
だからこそ、エカテリーナは勝負を挑んだ。
だがいざ挑んでから、今更ながら思った。無理なのではないか、と。一度自分に斬りかかってきた女の持ちかける「剣の勝負」など、気味が悪いと断られるのではないかと。
しかし、光一郎は頷いてくれた。
であるならば、あとは憂いも後ろめたさも捨て、純粋な己の剣を見せつけるのみ。
——かくして、勝負は始まった。
路地のど真ん中。互いに木刀以外の全てを端に置いて、遠間で向かい合い、各々の構えを見せる。
……流派は同じ至剣流であっても、両者の剣の個性は全く異なっていた。
エカテリーナは、右足を引いて剣を右下段後方に置いた「
対して、光一郎はまっすぐ前を向き、
「——っ」
彼の構えを凝視した瞬間、我知らず空気を呑んだ。
まるで、大地と一体化したような、氷山の一角めいた磐石な構え。握られたその剣が振るわれれば、そこには一体化された大地の力がしっかりと乗って鉄すら断ってしまいそうだ。
……これが、コウの剣。
あらためて、秋津光一郎という剣士の実力の一端を見せられた。
(……ほんとうに、強くなったんだよね)
あたしじゃなくて、
一年生一学期の頃とは見違えるほどの剣は、螢への想いの結晶。
その剣をこうして改めて向けられたことで、自分の想いはもう叶わないのだと思い知らされた。
早速泣きそうになるが、今はその時ではない。
鼻からスッと息を吸い、鋭く細く長く吐き、己の心と気を研ぎ澄ます。体がとっている「裏剣の構え」に芯が宿る。
ぬかるみを進むような足捌きで、遠間をゆっくり狭めていき——
「————ィアァ!!」
鋭い掛け声と気勢とともに瞬発し、剣に反時計回りの円弧を素早く描かせた。突然巻き起こったつむじ風のごとき『
対し、やはり光一郎は受けた。己の前にある球体を内側からなぞるような
だが、そのように両剣が接した瞬間、エカテリーナの剣が変わった。木刀の刃の描く円い太刀筋通りに、エカテリーナの刃も円く滑り——
かぁん! と快音。光一郎が振り向かぬまま左上段後方へ剣を振りかぶり、エカテリーナの二太刀目を受け止めた音である。さらにそこで止まらず、真上に掲げた両手を軸にしたようにスッと体の向きを瞬時に百八十度変えた。その流れで、光一郎は右こめかみ辺りから剣尖を平行に伸ばした「
エカテリーナは迅速に後退。だがその瞬間、光一郎の剣が稲魂と化した。
「ぐ……!」
至剣流『
足を大きく後退させ、それによって強引に剣を手前に引っ込めるエカテリーナ。その拍子に、光一郎の突きを摩擦で横へ逸らしてやり過ごす。
(やっぱり、強い……!)
早くも、光一郎の流れに乗せられている。
(でも……楽しい! ここ最近で、一番……幸せかもしれない……!)
しかし、エカテリーナの心は、満たされていた。
その手元の剣もまた、それを体現したように、活き活きと虚空を駆けていた。