【漫画化】帝都初恋剣戟譚 作:新免ムニムニ斎
(良い剣だ……!)
思えば、こうやって真面目に彼女と勝負をするのは初めてかもしれない——エカテリーナとの剣戟を続ける中、光一郎は常にそう思っていた。
以前いきなり襲い掛かられた時とは全く違う、今の彼女の剣。
大きく素早い太刀筋の中に、見えにくい繊細さが宿っている。彼女らしさが出ている剣。
やっと、自分の知っている「エカっぺ」が戻ってきたような気がして、嬉しかった。
彼女の剣が虚空を綺麗に滑るたび起こる太刀風が、木刀で打ち合うたび手に伝わる細く鋭い感触が、心地良かった。まるで抱擁を交わしているようだった。
この剣戟がずっと続けばいいとすら思えた。
そのために、剣を振るう腕を緩めたいとも考えた。
しかし、それはできない。
こちらも純粋な自分の剣を見せなければ、礼に失する。
——なので、光一郎もまた、ありのままの自分の剣を振るった。
互いの木刀が斬り結び、快音が鳴る。すかさず光一郎は円転しながら彼女の左へ入りつつ、反撃に出た。剣が体捌きに合わせて素早く弧を描くソレは『
対し、エカテリーナは全身を左へ
身を捻って刺突を避け、そのまま回って光一郎の左へ移動しながらの反撃の太刀を送るエカテリーナ。もう何度目かの『颶風』。
光一郎は即座に剣を構えて防御姿勢を見せるが、木刀同士が合する寸前、エカテリーナは一歩身を引き、それによって木刀の位置も退がる。エカテリーナの剣は光一郎の防御を
光一郎は、木刀を左手持ちにして両手を左右に開いた。それによってエカテリーナの剣は目標を失い空を斬る。しかし、エカテリーナは剣を外したその流れで「
至剣流という剣術の構成からして、次に来るのは稲妻のごとき速さで広く振る『
だからこそ、光一郎は前へ進み出て、背丈の差を利用して構えの真下へ潜った。
エカテリーナは間合いを取るべく大きく後退。
その後退に生じたわずかな時間で、光一郎は木刀を両手持ちに切り替え、構えて備えた。
閃く。
「っ……」
まさに電光石火の速さで飛来してきたエカテリーナの『電光』の一撃を、木刀で受ける。重く鋭い衝撃を、剣から手へ、手から骨へ、骨から地面へ逃す。
合した状態から動かない互いの剣。
久しく近くから、互いの瞳を見つめ合わせる。
エカテリーナの明るい青の瞳が、こちらの姿を捉えている。
その瞳は今まで見てきた中で、一番輝いて見えた。
こちらの姿を見ることそのものに、喜びを感じているようだった。それが当たり前ではないことを、身をもって知ったからかもしれない。
彼女の偽らざる想いを向けられ、罪悪感に心の表面をざらりと撫でられた感じがした。
——エカっぺ、僕は。
「見せて、コウ」
「えっ……?」
「コウの剣、見たいな。あたしや、螢さんや、峰子や、いろんな人を救ってきたその剣が」
エカテリーナは、今にも泣き顔に変わりそうな危うい笑みを浮かべて、ささやいた。
「
——その「お願い」に、光一郎はあらゆる意味を見いだした。
光一郎の剣が動く。斬り結んでいるエカテリーナの剣を蛇のごとくにゅるりと掻い潜り、切っ尖三寸を間合い奥まで入り込む。至剣流『
エカテリーナは後退して逃れる。その拍子に木刀を振って牽制するが、光一郎の蛇の太刀筋はソレを
「トゥッ!!」
もう何度目かになる蛇行の太刀を、エカテリーナは右耳隣で剣を垂直にする「陰の構え」になりながら捌く。そこから間髪入れずに踏み込んで『
「トゥッ!!」
エカテリーナは止まらない。前へ進みながら剣を引き戻して「陰の構え」に戻し、そこから再び『石火』。それも防がれる。だけど止まらない。もう一度『石火』。また『石火』。
——ずんずんと進みながら『石火』を連発するその技の名は『
猛攻から脱するべく、『石火』を柔らかく受け流しながら真左を取る光一郎。そこからやってきた剣尖を、エカテリーナは己の剣で円く受け流し、同時に向けた剣尖で突き返す。
光一郎もそれを円い剣捌きで逸らし、突きを返す。
エカテリーナは再び円く捌きながら剣尖を向け、しかし刺突はせずに後退。……『綿中針』の応酬。まだ光一郎が剣を取って間もない頃「エカっぺがいない一人の時は満足に稽古できない」と不満を言っていた型だ。
二人の剣戟は、さらに続く。
(——本当に、コウとの思い出ばっかり)
お互いあらゆる方法で攻撃や反撃を見せつけるが、それらは全て、至剣流のたった
光一郎と共有した
剣を振るうたび、彼との日々の思い出が蘇るようだった。
(でも……ずっとそのままでは、いられないんだよね)
しかし同時に、物事の変化も感じずにはいられなかった。
最初は下手くそだった光一郎の『綿中針』も、今ではお手本のように研ぎ澄まされていた。
至剣流の型を必死に
かつて自分が「守る」と言うほど弱かった光一郎は、もういない。
——自分が変わっていくように、彼もまた変わっていく。
いつまでも、ずっと同じでは、いられない。
ずっと一緒には、いられない。
最初は、それがすごく嫌だった。
どんなに「いつか一人になったとしても」と気丈に振る舞っても、それは「嫌だ」という感情を無理やり押し殺してのものだった。
きっと、今も「嫌だ」という気持ちがある。当たり前だ。それくらい彼のことが好きなのだから。
でも……結局、彼と自分は、違う存在だ。
たとえ、彼の隣に立つに至った女性であったとしても、それは違う個人同士だ。
剣の同門であっても、学ぶうちに剣の扱い方が異なっていくのと同じ。
自分は自分、その人はその人でしかない。
それぞれのやり方で成長し、おとなになっていく。
だけど、それは周りの人達と接し、影響を受け、自己を作り上げていくものだ。
光一郎がいたから……今の自分がいる。
同じように……自分と過ごした時間があるから、今の光一郎がいる。
たとえ、結ばれなかったとしても。
光一郎と過ごした日々は、きっと無駄なんかじゃなかったのだ。
——心地よく懐かしい剣戟は、やがて、終わりを迎えた。
「
かと思えば、大きく波打つ溶岩を思わせる凄まじい半円状の太刀筋が、光一郎の木刀によって爆速で描かれた。
構えられたエカテリーナの木刀に、その一太刀が食らいつく。防いでも木刀ごと全身を圧壊されそうなほどの重々しさを感じた次の瞬間には、体が吹っ飛ばされていた。
アスファルトの地面の上で転がって受け身を取る。流れるようにしゃがみ姿勢となり、すぐに立ち上がろうと試みるが——それよりも早く、自分のではない木刀の剣尖が、眉間のすぐ前で止まっていた。
剣尖の延長線上には、その木刀を握る両手と、さらにその先にある光一郎の顔だった。
——それはまさしく『
正直、あそこは「裏剣の構え」を取らなくてもよかった。攻める方法はいくらでもあったはずだった。だが気がつくと、光一郎の体がその構えを取っていた。
そこから、まるで何かに導かれるように『迦楼羅剣』の動きをしていた。
飛び出した剣技は、今までのような単なる大振りの一太刀ではなかった。螢がやってみせたような「高級剣技」としての姿。
——今ここに、光一郎は高級剣技の一つを、新たにモノにした。
しかし、光一郎の胸には、驚きも感動も達成感も無かった。
ただただ、己の剣の先にいる、金髪碧眼の少女のみを見つめていた。
「……コウ」
エカテリーナは、名前を呼んだ。
何かを請うような瞳で、こちらを見つめながら。
それを見て、光一郎は直感した。
「エカっぺ」
「ごめんね」
意を決して、ずっと言わなければいけなかった言葉を、告げた。
「僕、エカっぺが僕のこと好きだったって、ずっと気づかなかった。馬鹿で、察しが悪すぎてごめん」
その寂しげな青い瞳に、視線をまっすぐ向けた。
「家の場所も、ずっと知らなくてごめん。無理にでも訊かなくてごめん」
青い瞳に潤いが宿っていく様を見ても、目を逸らさなかった。逸らしてはいけないと思った。
「エカっぺの気持ちに気づくまえに、螢さんを好きになってごめん」
それをせず、言うべきことを言うことが、自分の使命だと思ったから。
「螢さんのこと、諦められなくて、ごめん」
碧眼の潤いが雫となってこぼれ落ちる。
「エカっぺの気持ちとずっと上手く向き合えなくて、ごめん」
一滴、また一滴と。
「これから先、エカっぺと離ればなれにならなきゃいけなくなって、ごめん」
その一つ一つに、光一郎の姿が浮かんでいた。
「——君のこと、選んであげられなくて、本当にごめんね」
……ここまでだ。
彼女の自分への想いに対して、告げるべき言葉は、ここまでだ。
君の気持ちには答えられない。ごめんなさい。さようなら。
そこで終わるはずだった。
終わらせて良いはずだった。
でも……言うべき言葉だけではなく、
座り込んでいる彼女と同じ目線になるようしゃがみ込み、言った。
「それから——ありがとう」
青眼が、大きく見開かれる。
「こんな馬鹿な男を、好きになってくれてありがとう」
その青い瞳の中の自分も、泣いていた。
「叶わないって分かってても、一緒にいてくれて、助けてくれてありがとう」
お互いの泣き顔が、お互いの瞳に映っていた。
「エカっぺがいなかったら、僕はきっとここまで来れなかった」
彼女の姿が、潤んで見えにくくなる。
「君の気持ちには応えてあげられない。だけど……それでも……」
しかし、自分はきっと今、泣いてても、笑っていると思う。
「僕のことを、好きになって良かったって、ずっと思わせてみせるから」
エカテリーナは、涙の混じった声で訴えた。
「何言ってるのよっ…………あたし、前に言ったじゃんっ。コウに会えて良かった、ってさ」
涙を手で拭う。だけど、止まらない。
「コウがいなかったら……あたし、きっと
胸が詰まるような罪悪感が、蘇る。
「そうよ……あたし、
「……エカっぺ」
「ごめんね。コウ……本当にごめん。あたし、大馬鹿女よね」
「でもね……こんな馬鹿な女に、今でもこうやってちゃんと向き合ってくれた。あたしの事を、きちんと振ってくれた。そのことが……あたし、すごく嬉しいの」
そして、笑った。
ちゃんと笑えたかは分からない。
ひどい笑顔かもしれない。
それでも、笑った顔を、彼に見せたいから。
「あたしね————あなたを好きになって、本当によかった。一生、そう思い続けるから」
手を、そっと伸ばす。
すぐ近くにある彼の頬に、触れる。彼の涙で指先が濡れた。
彼の顔を両手で包み込み、自分の顔をそっと近づけ——その額に、キスをした。
彼への想いを自覚した日と同じキス。
「ありがとう。そして……さようなら。あたしの優しいお