【漫画化】帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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流派(きずな)

 

 ——その後、光一郎(こういちろう)とエカテリーナは、一緒に望月家に到着した。

 

 門の前で出迎えた(ほたる)は、表面上はいつも通り無表情だったが、光一郎にはその表情筋に宿るいつもらしからぬ硬直ぶりが見てとれた。

 

 エカテリーナもまた、自分が兇刃を向けてしまった姉弟子を前に、気まずそうに目を逸らそうとする。しかし、すぐに気を持ち直して、螢の澄んだ黒い瞳をまっすぐ見つめ返した。そして告げた。

 

 こちらへの処遇を言い渡される前に、先の非礼を詫びとうございます——

 

 それから、たった四人の望月派至剣流の門人が、小さな稽古場に会する。

 

 源悟郎(げんごろう)、螢、光一郎。

 

 横並びに座する師と兄弟弟子に対し、エカテリーナは静かに平伏し、己の犯した(とが)を詫びた。

 

「——重ね重ねの非礼、怠慢、そして狼藉。申し開きの余地がございません」

 

 まさに土下座の手本のような彼女の姿に、光一郎は予想できてはいたもののたじろぎを禁じ得ない。残った師と姉弟子は、表情を変えぬまま述べるに任せていた。

 

私事(わたくしごと)で剣の練磨を長らく(おこた)り、稽古にも現れないで久しく、その上……敬愛すべき師兄弟に、刃を放つという禽獣(きんじゅう)がごとき所業……」

 

 最後の辺りを話す口調が、特に苦しげだった。

 

醜態(しゅうたい)に醜態を重ね、この由緒ある望月派至剣流の看板に泥を塗ったことを……ここに伏してお詫びいたします。寛大な処遇を、などとは申しません。たとえ破門であっても、私は甘んじて呑み干します。どうか、この愚かな門人に相応しい沙汰(さた)を申し渡してください」

 

 すでに深々と頭を下げているのに、それよりもさらに下げようとしているかのように、エカテリーナの平伏姿勢は盤石だった。蹴られたとしてもその場から動かないだろう。

 

 無言の時が、稽古場に訪れた。

 

 まるで石の中に全身を埋められたような重苦しい沈黙。光一郎は額に一筋の汗が流れるのを実感する。

 

「——エカテリーナ・ルドルフォヴナ・伊藤(いとう)

 

 やがて源悟郎が、その沈黙を破った。厳かに名を呼ぶ。

 

其方(そなた)を、今日限りで破門とする」

 

 息を呑む声。光一郎だった。

 

 エカテリーナは、声も音も出さなかった。己に対する沙汰を、無言で受け止めていた。

 

「……このまま何も言わず、ただ詫びるだけで終わらせようというのであればな」

 

 だが、そんなエカテリーナも、次の源悟郎の発言には顔を上げざるを得なかった。

 

 惚けた表情で師の顔を見上げる。

 

 いつも通りのいかめしく武張った顔つき。だがその鋭い瞳の奥には、淑女めいた柔らかな光が宿っていた。

 

「わしとお前さんの付き合いは二年ほどだ。こんな老いぼれにとっては矢が過ぎるがごとき時間だが、それでも、お前さんの事はそれなりに理解している。ぞんざいに見えて思慮深く、聡明な娘だと知っている。よほどの理由が無ければ、刃物を兄弟弟子に向けたりなどしないことも、当然ながら分かっている」

 

「……先生」

 

「だからどうか——破門にさせ(・・・・・)ないでくれ(・・・・・)

 

 エカテリーナは耳を疑った。

 

(つまり……理由(わけ)を話せば破門にはしない、ってこと……?)

 

 あのような真似をした、こんな不肖(ふしょう)の弟子を、なお信じてくれるというのか。

 

 心の中で、筆舌では表現したくてもできない感情が膨らんでいく。

 

 嬉しさでもない、怒りでもない、悲しみでもない、ただただ大きい謎の感情。

 

「……ちょっと、いい?」

 

 そこで、螢が挙手しながらゆっくり立ち上がった。

 

 座して唖然としているエカテリーナの前まで音も無く歩み寄る。

 

 ぱちっ——という乾いた音が、稽古場に響いた。

 

「……え」

 

 左頬を襲った平たい衝撃で、エカテリーナは意思とは関係なく右を向いていた。

 

 虚空には、振り抜かれた小さな右手が止まっていた。螢の手だ。

 

「姉弟子のわたしに対して剣を向けた事に関しては、これで許す」

 

 左頬に残った痛みの余韻を感じながら耳にしたその発言に、エカテリーナは我知らず向き直っていた。

 

「でも……エカテリーナさん、わたしは今回の件で、それなりに傷ついてる」

 

 普段通りにしか見えない彼女の言葉に、エカテリーナは内心驚けばいいのか首をかしげればいいのか分からずにいた。

 

「嫌い、って言われたから」

 

 姉弟子のその発言に、あっ、と目を見開く。

 

『——あんたが嫌いだった!! ずっとずっと嫌いだったっ!!』

 

 ……言った。確かに。

 

 嫉妬。憎悪。悲嘆。半狂乱で『()玉章(たまずさ)』を振り回しながら、螢に対するドス黒い感情を激しく吐き散らかした。

 

 正常な心理状態ではなかったとはいえ、あの咄嗟(とっさ)の場面でスラスラと出てきた呪詛(じゅそ)の数々は……きっと、紛れもなく本心だった。

 

 多分、今でも自分は、この姉弟子のことが嫌いだ。

 

 理由は明白。自分は光一郎が好きで、彼女は光一郎の想い人だからだ。

 

「薄々分かってはいた。でも、あそこまで強く言われてしまうと、わたしでも悲しいと思ってしまうし、傷つきもする」

 

「……ごめん、なさい」

 

「謝る必要は無い。あなたの謝罪はすでに済んでいる。それに……嫌われていたのは、わたしにも落ち度があると思っている」

 

 落ち度? 何の落ち度があるというのか。自分が勝手に光一郎を好きになり、その恋敵として勝手に嫌っていただけなのに。

 

「今にして思えば……わたしは稽古の時以外、あなたと一緒の時間を作ったことがあまり無かった。あったとしても、それは必ずコウ君か誰かが一緒だった。あなたと二人きりで、面と向かって話した事がほとんど無かった」

 

 そうかもしれない。

 

 エカテリーナにとって望月螢とは、望月派に入門すると同時に付属してきた関係に過ぎなかった。

 好意を抱いた光一郎や、剣の師と仰いだ源悟郎と違い、望んで作った関係性ではなかった。

 恋敵であったこととは別に、姉弟子のことをただの「望月派の付属品」のようにしか考えておらず、交流に前向きではなかった気がする。

 

 螢もまた、自分からグイグイ来るような性格ではなかった。

 

 それらのせいで、同じ剣を学んでおきながら、二人の関係はどこか希薄だった。

 

「だから、これからわたし、あなたともっとお話をしないといけないと思った。あなたのことをもっと知って、わたしのことももっと知ってもらわないといけないって」

 

 螢の指先が、エカテリーナの左頬にそっと触れる。先ほど打った頬に、ひんやりとした滑らかな感触。

 

「だからわたし……これからはあなたのことを「エカっぺ」って呼ぶから」

 

 予想の斜め上なその発言に、エカテリーナはきょとんとした。

 

形から入る(・・・・・)。剣と同じ。まず呼び方を変えて、そこから関係を進めていく。……だめ?」

 

 以前の自分だったら、まず許可しなかっただろう。

 

 「エカっぺ」は、光一郎にしか呼ぶ事を許さなかった。それが彼との絆であると勝手に決めていたから。

 

 ……だけどそれは、その呼び方を考えた光一郎の意思にそぐわないものだ。

 

 「エカっぺ」とは、証だ。自分がこの国をふわふわと彷徨(さまよ)う異物などではなく、ちゃんと地に足をついて生きていることを示す、証。

 

 光一郎はそのために、ロシア的な愛称である「カチューシャ」とは呼ばず、日本的な「エカっぺ」という愛称を考えてくれたのだ。

 

 であるならば、光一郎以外の人にそう呼ばせることに、いったい何の不都合があろうか。

 

 まして、姉弟子である彼女に。

 

 エカテリーナは、涙を堪えたような微笑を浮かべた。

 

「構いません。——姉様(あねさま)

 

 自分もまたそう新たに呼ぶことで、彼女のことを、単なる立場以上の意味で「姉弟子」と認められた気がした。

 

 なおもこちらの左頬に触れる螢の指が、そっとひと撫でしてくる。螢はいつも通りの静かな、しかしどこか請うような語気で、問うてきた。

 

「——話して、くれる?」

 

 エカテリーナは静かに平伏した。

 

 ——なんて、良いひと達に出会えたのだろうか。

 

 ずっと周りから後ろ指を差されながら育った自分が。両親しか気を許せなかった自分が。

 

 こんな、宝石みたいな出会いと、その「絆」を、本当に享受していいのだろうか。

 

 ……確かに、光一郎との恋は叶わない。ずっと一緒にはいられない。

 

 だけど、それでも、流派という「絆」は残る。

 

 残してくれると、今、言われたのだ。

 

 その「絆」を、一度は兇刃で引き裂こうとした、こんな自分に。

 

 涙が出そうになる。泣きたい。幼子みたいに大泣きしたくなる。

 

 だけど堪えた。それは今すべきことではない。

 

 その前に、兇刃を振るった愚か者としての責任を、果たさなければならない。

 

 泣きたい気持ちを丹田まで思いっきり呑み込み、エカテリーナは顔を上げる。

 

 偽り無き澄んだ意思が、表情に現れていた。

 

「分かりました——では、ご厚意に甘えて、お話しさせていただきます。今年の八月から、今日に至るまでに、この身に起こった出来事の全てを」

 




今回の連投はここまで。
また書き溜めてから連投いたします。


次回はようやく枢剣の正体が明かされる予定。
最終章の展開が大きく動き始めます。
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