【漫画化】帝都初恋剣戟譚 作:新免ムニムニ斎
——二〇〇三年十月四日、土曜日。
『次のニュースです。特効薬やワクチンの研究のため東京へ持ち込まれたトビヤウィルスの保管場所について、当初は武蔵野市の感染症研究所を予定していましたが、地元住民による抗議運動を受け、新宿区の国立生化学研究所に変更となった事が明らかとなりました』
通りがかった家電屋の展示テレビが流す報道を聞き流しながら、エカテリーナ・ルドルフォヴナ・
「今のテレビ、大きかったね。エカっぺ」
隣を歩く
道ゆく人々は老若男女問わずこちらへ
その視線の先は自分ではなく螢だ。
陽光を強く跳ね返す綺麗な長い黒髪に、可憐さと静けさが高度に同居した美貌。
白い長袖とその上に重ね着された赤チェックのキャミワンピース、その長い裾から伸び出た黒のレザーブーツという今の装いが、純和風的美しさを有する容貌に薔薇のような侵しがたい愛らしさを添えていた。同性のエカテリーナでも、そんな美女の隣で歩いているという今の状況がイケナイ事のように思えてくる。
「エカっぺ?」
絶世の美女であると同時に若き女剣豪でもある彼女が、そんな視線に気がつかないはずはなく、こちらへ見つめ返してそう問うてきた。
べつにっ、と何でも無いような素振りでそっぽを向く。その拍子に、ショーウィンドウに映る自分と目が合った。
秋物の七分袖セーターに、脚にぴっちり合うサイズの紺のジーンズ。別に気を抜いたつもりは無いが、もう少し隣の麗しき姉弟子に負けない格好、それこそこの生まれつきの金髪と碧眼に似合うような装いをしてくればよかったかもしれない。これでは完全に別世界の住人だ。ショーウィンドウの中の自分が渋い顔をする。
「エカっぺも可愛いから、気にしなくていいと思う」
そんな胸中を見透かしたような螢の発言に、エカテリーナは恥ずかしさを覚えて顔が熱くなる。
長短問わず多くのビルディングが連なる通りの中心を、車両通行帯が左右ともに三本ある大きな道路が南北に貫いている。北上していけば
ここは千代田区外神田——すなわち秋葉原。そこにある電気街だ。
天気は晴天。しかし涼しいを少し下回る程度には冷たさがあった。空気には秋の気配が宿りつつある。
(富武中の夏服も見納め……いや、
学校でも、十月の衣替えに入ったため、もう長袖セーラー服だ。そして夏用セーラー服は、在学中には二度と着る事は無い。
……「終わり」が近づいていることを、改めて実感させられた。そう考えるとわずかな
「エカっぺ、寒い?」
螢がそう静かに訊いてくる。今みたいな些細な変化にも気づけるところを見るに、こいつは仮に男になったとしても変わらずモテ続けるんだろうなと思った。
「平気よっ」
ぷいっと顔を背けつつ、気を取り直す。同時に、まだこの姉弟子に対して弱みを見せることを嫌がっている自分が残っていることをエカテリーナは改めて自覚した。……今は、そんな頑なさを解きほぐすための時間だというのに。
家電屋などがひしめく表通りとは違い、裏通りにはさまざまな
無骨なジャンク屋が軒を連ねる中、一箇所だけ場違いに華やかな外装の店があった。
ゴシック調のフェンスをモチーフにした模様の看板の中央には「英風女中喫茶」という上品な書体。
看板の下では、白黒を基調とした女中服を身につけた若い女性が佇んでいた。目が合うと微笑みとともに一礼されたので、思わずエカテリーナも一礼。
店の入り口で並んでいる列の最後尾に、二人も立つ。
幸い、列が短めだったことと、同じ時間に退店時間となった客の数が多かったことで、並んで十分も経たずに店の中へ入れた。
「おかえりなさいませ、お嬢様がた」女中服の女性に、落ち着いた微笑と洗練された一礼で迎え入れられる。エカテリーナはまるで自分が良家の令嬢になったような錯覚に一瞬陥るが、螢はいつも通りの顔である。やっぱり本物のお嬢は違うのかな、とふと思った。
女中に二人用のテーブルへと案内され、そこへ着席。それから一分も経たぬうちにそれぞれの眼前に紅茶とビスケット一枚が優しく置かれた。迅速かつ危なげの無い動きと、絶妙なタイミング。
去っていく女中の後ろ姿を見送り、そこから店全体を見渡す。
店内には、自分達と同じように席について、女中服姿の女性から給仕を受ける客人の数々。席は全て埋まっていた。
女中服だけでなく、それを身につける女性の磨き抜かれた所作と物腰の柔らかさ、そして店内に彩る西洋風の調度品の数々……装いと礼、そして場の調整によって「
だが、やはり本質は来るもの拒まずな客商売だ。その世界観を壊しかねない人物も時には入ってくる。
「あっ……こ、困りますっ、ご主人様」
「なぁよぉ、いいだろぉ? 俺とちょっと遊びに行こうぜぇ?」
客の一人である人相の悪い男が、女中の腕を掴んでニヤけながら訴えていた。女中である少女は困惑と恐怖心を顔に浮かべ、今にも「客間女中」という仮面が剥がれそうだった。
立ち上がる気配を螢から感じたが、立つことはなかった。女中を掴む男のもう片方の腕を、いつの間にか近づいていたもう一人の女中が瞬時に後ろ手に捻っていたからだ。「いてててて!?」と声を上げる男。
「——ご主人様、柔術の稽古がしたいなら、わたくしめがお相手してさしあげますわよ? こう見えて、帝国制定柔術は得意ですの」
圧のある笑顔を浮かべるその女中は、知っている顔だった。
「わ、わかった! 大人しくするから離してくれっての!」
男がすぐに根を上げると、喜恵は拘束を解く。
それから注目している店内の客全員へ振り向き、長いスカートの裾を摘んで「お騒がせいたしました。どうか引き続き、お茶を楽しんでくださいませ」と優美に頭を下げた。その楕円形の銀縁眼鏡と、ヘアピンで前髪を上げて晒された清涼感ある顔つきも相まって、女中としての装いや振る舞いが非常に板に付いていた。
周囲はしばし唖然としていたが、やがて気を取り直して各々の喫茶に戻った。
「韮山さん、かっこよかったね、エカっぺ」
「……そうね。あの二刀流馬鹿には勿体無いくらい良い女よ」
こそこそと話しつつ、二人も紅茶に戻る。
手元のティーカップを口に運び、軽く煽る。苦味の中に甘さが隠れた、紅茶特有の味わい。茶請けのビスケットを軽くかじり、二つの後味を混ざるのを味覚と嗅覚が心地よく感じ取る。
「美味しいね、エカっぺ」
「……そうね」
エカテリーナは緩んだ心身のまま気だるげに同意する。
螢は軽く小首をかしげて、次の句を発した。
「エカっぺでも美味しいって思うなら、美味しいのかも」
「どういう意味?」
「エカっぺのお家、ジャムとか蜂蜜とか食べながら紅茶を飲んでいそうだから」
「そうでもないわ。うちのパパってば日本贔屓だから、お茶も日本茶ばっかなのよ」
そこで一度会話をやめ、互いにもう一口紅茶を飲む。今度、本当にジャムでも口に含みながら飲んでみようかと考えた時だった。
「——お嬢様がた、わたくしに何かお力になれる事はございますでしょうか?」
女中服に身を包んだ可愛らしい女性が、二人にそう恭しく尋ねてきた。……よく見たら、さっきナンパされてた女中だった。
螢が小さく挙手して「アフタヌーンティーセットBをお願いします」と告げる。それを受けて「かしこまりました、お嬢様」と笑顔で身を翻す女中。その拍子に、足首に達するほどのスカートがふわりと膨らむ。
彼女が同じく女中服を着た女性たちの中に紛れるのを眺めながら、エカテリーナはぼそっと口にした。
「……なんか、スカートが膨らむところが可愛いですよね。女中服って」
呟いてから、うわなんかコウみたいな事言ってる、と自覚。
「エカっぺも、ここで働いてみるというのは? その金髪と青い眼は、女中服にきっと似合う」
何気ない語気で出された螢の提案を、エカテリーナは一笑に付す。
「冗談。あたしまだバイトのできる歳じゃないし、陸士に受かったらバイトできないし。そうでなかったとしても、あたしが入ったら逆に店は商売あがったりでしょうよ。面接で偽名使うわけにはいかないんだし」
「……それは残念。エカっぺの女中服姿、見てみたかった」
そう言った側から、今度は遠くを指差して、
「見てエカっぺ。韮山さんが働いてる。さっきの男の人に紅茶のおかわり注いであげてる」
「男の方は、あんま嬉しそうに見えないけどね。ビビってる感じ?」
「エカっぺ。こっちと目が合った。でも逸らされた」
「……あぁ、そりゃね。今の韮山さんは女中だもの。公私混同は避けましょうって感じよ」
「エカっぺ、早くケーキ食べたいね。あ、エカっぺ、紅茶はまだある? 無いならわたしがエカっぺの代わりに頼むけど。……エカっぺ?」
「……っだぁー、もうっ!」
上品さなどくそっくらえとばかりに残った紅茶をかっくらい、割れない程度の勢いでカップを置いた。
「どうしたのエカっぺ」
螢の発言に、エカテリーナは目頭を揉みながら、やや
「……さっきから、
——今日の、この時までの流れを振り返る。
以前、
しかし師である
その事には、感謝の言葉も無かった。エカテリーナは伏して感謝した。
とはいえ、やったコトがコトだったため、全くのお咎め無しというわけにはいかなかった。
エカテリーナは、二週間の謹慎処分を源悟郎より申し渡された。
だが謹慎とはいっても、禁止されるのは剣の稽古や道場への来訪だけなので、弟子同士の交流は禁じられていない。
……そういうわけで、今日は「姉妹弟子同士の親睦を深めるため」という名目で、二人で出かけることにしたのだ。
螢とエカテリーナはずっと同門ではあったものの、二人だけの関係性はずっと希薄だった。そして、その関係の希薄さが、前回のあの事件を引き起こす一因になったのではないかと螢は主張した。
だからこそ、他の人を挟まない、純粋な二人きりの時間を設けることで、今までサボっていた交流を深めようと螢は提案。
——今日は、そんな姉妹弟子同士の交流のための一日であった。
「でも、エカっぺって呼びたくて」
螢は淡々と食い下がる。
エカテリーナは浅く嘆息する。
「別に無理にたくさん呼ばなくても、これからたくさん呼べるじゃないの。
——あの事件以来、二人はこれまでとは違う呼称で互いを呼んでいる。
螢がさっきから必ず発言に加えている「エカっぺ」がまさにソレだ。
エカテリーナも、姉弟子であるという点を踏まえて「姉様」と呼ぶようになった。
「エカっぺ」
「なぁに、姉様?」
「呼んでみただけ」
「はいはい」
「エカっぺ」
「しつこいって」
「……今度、ロシア料理の作り方、なにか教えて?」
「脈絡ないわねぇ……まぁ、いいけど」
「ボルシチがいい」
「ボルシチはウクライナ料理よ」
そこで、注文した「アフタヌーンティーセットB」を、女中が持ってきた。
紅茶もおかわりして、二人の口はティータイムに使われ始めた。
……こうやって、少しずつ、お互いを知っていくのだ。
今までサボってきた分を、少しずつ。
†
——螢さんとエカっぺは、今頃女中さんに囲まれながら、優雅なティータイムと洒落込んでいることだろう。想像するに微笑ましい限りである。
その頃、僕、秋津光一郎は何をしているのかというと。
……薄暗い密室で、武器を持った男達に取り囲まれていた。