【漫画化】帝都初恋剣戟譚 作:新免ムニムニ斎
え、と声を漏らす僕。
更なる説明を急かそうとするより早く、輝秀は蓋碗から茶海へ中身を移し、そこから三人の茶杯へお茶を注いでいく。
自分の分の茶杯を静かに一飲みしてから、輝秀はその先を続けた。
「俺達が学ぶ中国の武術は、拳法や剣術といった技とともに、気功も行う。だが、気功に関しては、ある危険が常に付きまとう」
「危険って……?」
「
さらに輝秀が続きを話す。
「気功とは、動作と呼吸と意識によって、体の内側を鍛える修行だ。普段は鍛えないような部位や機能にも働きかけ、それを高め、武術の威力として用いる。しかしその分、デリケートな身体機能にも働きかけたりもする。そして、そのやり方を間違えたり、あるいは結果を早く欲しがるあまり過剰に練ったりすると、身体機能そのものに悪影響が出たりすることがある。……それが内傷ってやつさ。俺も以前、ちょっとだけだがそれらしい症状を体験したことがある。足元の熱が上って下半身が異様に寒くなったり、胸部が膨張したみたいに痛んだり、眼球がぶるぶる震えだしたりとかね。まぁすぐ治ったけど。だけど……中にはもっと酷い症状が長期間続いたり、あるいは急死してしまったりする事例もある」
「中でも代表的な症状の一つは失明よぉ。間違ったやり方や過剰な修行が、神経そのものに影響を与えて、目が見えなくなったりしちゃうのよぉ。気功の比重が大きい武術を修行してる人に多い症状だわぁ」
二人の代わる代わるの答えに、僕はその先で何を言いたいのかが分かってしまった。
「まさか……エカっぺの目が見えなくなったのは、気功の内傷、っていうのと同じモノだと?」
「まぁ信じがたいかもね。あの子は気功とは縁がないだろうから。でも買師姐は、内傷を負った者にするのと同じ治療を施して、あの子を治してみせたんだ。そして……その内傷の原因として
エカっぺは再び望月派へ訪れた時、僕らに全てを話してくれた。
僕と、そして螢さんに、真剣を使って斬りかかった理由を。
斬りかかるために使った剣技と、ソレに宿る力を。
その剣を与えてくれた者の名前と一緒に。
「…………『
「そう。あの子が手に入れたという、謎の剣技。少しでもその剣の刃で相手を傷つければ、相手はたちまちその斬りつけた者に対する好意を上昇させる。あの子はその力で、君をモノにしようとしたんだ」
「……だけど、いまだに信じられないよ。そんな不思議な剣技が、ある日突然エカっぺに宿ったなんて」
「君が言ってもあまり説得力が無いんじゃないかな? 金色のトンボ君」
輝秀がやや煽るような言い方になる。……「お前は全ての至剣流の型を学んでもいないのに、至剣を一時的にだが開眼させたじゃないか」そう言いたげだ。
そこで話に再び加わった買桂芳さんが、あの蛇っぽい笑みを浮かべながら、驚くべき発言をした。
「『血玉章』は、エカテリーナちゃんの妄想じゃないわぁ。本当にあるわよぉ。——だってぇ、
「「——は!?」」
僕と輝秀が揃って声を上げた。
驚愕という言葉すら不適当だった。
「ちょ、ちょっと
同感である。僕も今初めて聞いた。エカっぺはそんなこと言ってなかった。
「だって
「何考えてんですか師姐っ!?」
「斬ってもらったといっても、薄ぅく、ちょびっとだけよぉ。あの子のお父様の部屋から刀を借りてぇ、チクッと。なにせ日本刀でしか使えない技らしくてぇ。するとねぇ……体が異様に熱くなってぇ。単なる患者にしか思ってなかったあの子のことがぁ、斬られる前より少しだけ愛おしくなったのよぉ。さっきまで何とも思ってなかったあの子の白くて瑞々しい柔肌もぉ、ちょっと目に毒だったわぁ。でもまぁ、燃えるような恋とか、我を忘れるほど大好きってほどでもなかったわぁ。治療にも支障無かったしぃ。多分あれぇ、与えた傷の深さに比例した効果を表すんだと思うわぁ。もしくは小さな切り傷を何回も付けて効果を高めるとかぁ」
かぁぁぁっ、という疲れた声を吐き出しながら輝秀は自らの額を覆い「……あまり
そんな輝秀には目もくれず、買桂芳さんは僕に少し優しめな微笑を見せ、
「黙っててごめんねぇ、秋津くん。エカテリーナちゃんには口止めしてたのよぉ。私はこう見えてこの中華街ではそれなりの立場でねぇ、もしそんな剣技で僅かでも心を操られたと周りに知れたらぁ、私の身を狙う外側の人間がエカテリーナちゃんに危害を加えないとも限らないのぉ。だからどうかぁ、この事は内密にねぇ?」
「は、はい……」
未だにいろいろと圧倒されつつも、僕はどうにか頷く。
買桂芳さんはすぐに態度を普段通りに切り替えた。
「ともあれぇ、これで『血玉章』とかいう剣技の実在性は証明されたわぁ。どういう原理であるかは分からないけどぉ、あの剣には確かに普通じゃない力があるみたぁい。そしてぇ……その使用の際に行使する
その言葉を最後に、会話が一度途切れる。
輝秀が再び蓋碗に鉄瓶のお湯を入れてから、口を開いて会話を再開させた。
「俺としては……あの子の『血玉章』とかいう剣技以上に、それを身につけたその日に別れを告げたという「友達」のことが気になるな」
——いま輝秀が言ったのは、エカっぺが夏休み中に仲良くなり、そして夏休み終わり頃に別れたという「友達」のことだ。
リュドミラ・グリゴリエヴナ・マシュコーツェヴァ。
トゥバという民族の血を引くロシア人の少女。
ロシア語も日本語も
けれど、彼女の保護者として一緒に日本に来たという「
別れる当日にその事を告げられたエカっぺは断腸の思いでそれを受け入れ、リュドミラさんと抱きしめ合い……そして気を失った。
目を覚ました時には、リュドミラさんはもういなくなっていた。
同時に、エカっぺは自分の中に訪れた
そう——『血玉章』という変化を。
「まさか、そのリュドミラさんが、エカっぺに『血玉章』を与えたって言いたいの?」
「確たる証拠は無いし、あのロシア娘もそれが原因なのか断言はしていない。けど、そのリュドミラという娘の行動には不可解な点が多いだろう。……
エカっぺの証言によると、気を失う直前の一瞬、抱き合っているリュドミラさんの片手に短刀が握られているのを目にしたそうだ。
目が覚めた後、エカっぺの腕には、ほんの小さな切り傷ができていた。それから、己の中にある『血玉章』を実感した……
僕の口が、ひとりでに、その単語を口にした。
「————
「
まるで僕がそう答えるのを待っていたかのように、輝秀がしたり顔で告げた。
無意識の発言を自覚した僕は、慌てて問うた。
「じゃ、じゃあやっぱり、まさか、その……リュドミラさんが、枢剣教の開祖の正体だって言いたいのっ?」
「まだ断定はできないが、その可能性はあると俺は睨んでいる。枢剣教開祖の
「……だとしたら、どうして、枢剣教なんか」
偽名を使って宗教を作り、さらにエカっぺに「国へ帰る」なんて嘘もついて……
いや、もしかすると、逆に「リュドミラ」という名前の方が、偽名なのかもしれない……
もう、何が何だか分からない。
「分からない。だが、もしもその仮説が事実であるとしたら——『枢剣』は、とても危険な代物だ」
最後を、確信を持った口調で告げる輝秀。
「『枢剣』は、君くらいの歳の子供でも、石動開祖の『刀自剣』に斬られればすぐに手に入る。それこそ、『血玉章』や、夏休み中に俺達が見た『
……輝秀の言っていることは、僕にもいくらか納得できた。
僕は至剣流の全ての型を体得いない段階で、『
ミーチャが江戸時代の伝書から身につけたという『
強力な技は、相応の修行の蓄積や代償を使用者に求めるのだということを、僕も経験則で知っていた。
そして、その摂理を無視して絶技を安易に求めてしまえば——以前のエカっぺみたいな有様になってしまう。
「だがまぁ、確たる証拠は今は無い。だけど少なくとも、こうは言える。肉体的・倫理的見地などからして、『血玉章』は金輪際使わない方が良いということ。それから……枢剣教という団体には気を許してはいけないということだ。あの団体からは、奇妙な匂いがして仕方がない。君も、姉弟子に勝つために『枢剣』をもらおうだなんて思わないことだ」
「お、思うわけ無いだろっ。そんなこと一度も考えた事はないよ」
心外な物言いに、僕がそう頬を膨らませて言い返した時だった。
「——老買! 秋津光一郎來這裡、是眞的!?」
店の扉が勢いよく開かれると同時に、
声の主は、僕が振り向こうとするまでもなく店の奥へ進み、その姿を我が視界に入れてきた。
凝視するまでもなく「美少女」と評価が出来る少女だった。
近寄りがたい感じがいっさいしない身近な親しみやすさと、そこはかとない大人っぽさが同居した風貌である。歩く速度で揺れるボブカット。瞳は元気そうにぱっちりしていつつも、どんぐりのように程よく鋭角的な顔の輪郭。体の線がほどほどに出る七分袖セーターと、奥ゆかしく脚を包む筒みたいなデニム。そして白と赤の混じったスニーカーを履いた足からは、足音がいっさいしない。
「哦、昀児。現在正在坐着」
突然の訪問者に圧倒されるしかない僕とは別に、買桂芳さんは慣れ親しんだような喋り方で応じつつ、こちらへ手を向けた。……え、僕?
女の子の目が僕へ向く。するとその瞳を一瞬驚きで見開き、次の一瞬には貝の真珠層めいた輝きで瞳を満たし、さらにその次の瞬間には僕の両頬をむぎゅっと挟むように触れてきた。
「むぎゅっ?」
「わ! わー! ホンモノだぁ! ホンモノの秋津光一郎くん!」
女の子は眩しいくらいに瞳を輝かせて興奮を示しながらそう口走った。って……
「あれ? 日本語……」
「うん!
「え……僕のこと、知ってるの?」
「去年の
「私ね! 私ね! 帝都武道館であなたを観た時から、あなたのファンだったの! 会えて嬉しいなー!」
「そ、そうなんだ……それはありが——とぉ!?」
かと思えば、いきなり脇の下に手を入れられ、起立させられた。
「私よりも背が小さいんだぁ……でも体は見た目より重たい! 腕も細いけど筋がしっかり入ってて、脇の下から背中を通じて足と繋がってる! これなら地面の力が全部刀に乗るね! 刀術の体! 良い先生に習ったんだねー!」
ぺたぺたと僕の全身をくまなく触れる昀昀さんに、買桂芳さんが「それくらいにしておいてあげなさぁい」と軽くたしなめた。昀昀さんは「あ、ごめんね」と我に返った様子で手を止める。
「い、いや、別にいいですけど……」
僕は未だに彼女の勢いに圧倒されながら言う。
かと思えば、彼女はまた驚くべき事を提案してきた。
「あのね、これから私とお手合わせしないっ?」
「て、手合わせっ?」
「そ! 私と君で、お手合わせ! 試合!」
「……君も、剣をやってるの?」
「私がやってるのは
なんかもうやる前提で話が進んでいる。どんどん流されている気分を禁じ得ないが、僕は「……君の好きなもので」と口にしてしまう。
「ほんとっ!? いいの!? じゃあ……老買、有没有棍?」
「有啊。等候一下」
中国語で受け答えした買桂芳さんがゆっくりと立ち上がった。なんて言ってるのかは全く分からないが、口元が微笑んでいるのを見るに、試合をやるという方向で動いているのは僕でも理解できた。
「あの……」
僕が買桂芳さんに弱々しく問うと、彼女の口端が吊り上がった。蛇みたいな意地悪な微笑。
輝秀へ眼を向ける。
彼は無言で、優しく微笑んだ。
諦めたまえ、とばかりに。