【漫画化】帝都初恋剣戟譚 作:新免ムニムニ斎
店の中にも、その外の通りにも広い場所が無いということで、僕らは外へ歩いた。いや、歩かされた。
最初に僕を襲ってきた連中が示唆していたように、買桂芳さんはこの中華街では有名人のようだ。歩いている途中、彼女に声をかけてくる中国人がやたらと多かった。中国語はさっぱりだけど、好意的であるのは声と表情からでも分かった。
観光客の間を縫って歩き、やがて連れて来られたのは、大きな通りの横に広がる公園だった。
見た目的には日本のどこにでもありそうな普通の公園だが、やはり中華街だ。端っこには中華風の
(結局、やる事になってしまった……)
押しに弱い方ではないと思っていたのに、気がつけばあっという間に勝負の舞台まで引きずり込まれてしまった。左腰のベルトに差してある木刀の柄を撫でてその現実を認識しつつ、僕は向かい側にいる少女へ目を向けた。
「それじゃあ、早くやろ!」
昀昀さんは待ちかねたとばかりに声を上げる。彼女が手に持っているのは僕と同じく木製の武器だ。
僕より高い彼女の背丈——おそらくエカっぺくらいはある——よりも少し長い、手のひらで難なく握りきれるほどの細長い棒である。さっき輝秀から聞いた話では、あれは
その長い棍を、彼女はその場で軽く操ってみせた。
激しくも研ぎ澄まされた舞踊のような体捌きとともに、棍が風を切って激しく研ぎ澄まされた軌道を描く。
棍はまるで彼女の全身を台風のごとく数度巡り、彼女が右足前で深く構えると同時にピタリと静止。棍の先端は、直前までの勢いの余韻でビリリィィィ……と小刻みに震えていた。
嵐のような体術と棍さばきから、大地深くに杭を打ち込んだような強固な構えへの帰結。動と静を高度に分明させた彼女の即興の演武に、僕は我知らず胸騒ぎを覚えた。
「えっと……君はなんて武術をやってるの?」
「
「僕の剣は至剣流……って、前に試合見てたのなら分かるよね」
至剣流は日本で一番馴染み深い剣術だ。たとえ中華街住まいでも、日本に住んでいるのならばどのような剣術であるのかはすぐ分かるだろう。
「……うん! 知ってる! 良い剣だったよ!」
やはりというべきか、昀昀さんはご存知の様子だった。……だが気のせいだろうか。ずっと明るかった彼女の表情に、一瞬だけうしろめたい陰が差したように見えた。
「それじゃあ、早くやろ! 早く!」
だが、すぐに快晴みたいな笑みに戻り、構えに気勢を充実させた。
棍の端あたりを握った左手ごと左足を引き、前に出した右手の掌中から棍の先端が伸びた半身の構え。
棍の先端が僕の目をまっすぐ向いていて一つの点にしか見えなくなり、遠近感が狂う。
(あの先端が、今にも弾丸のごとく飛び出して来そうだ……)
僕は思わず喉を鳴らす。その未来を防がんとばかりに、体がほとんど自然に左腰の木刀を抜き、中段に構える。「正眼の構え」である。
棍の奥にある昀昀さんの笑みが、僕の構えを見てさらに深まるのが見えた。僕のファンであるというのも、きっと嘘や世辞ではないのだろう。であれば、なおのこと格好の悪いところは見せられないなと思い、気が引き締まった。
気がつくと、公園には僕らを中心に人集りが輪のようにできていた。日本語だけでなく、中国語のざわめきも多く聞こえる。
「それじゃあぁ…………
そのざわめきを、買桂芳さんの一声が貫いた。中国語だが、今のが「始め」を意味するモノであることは僕でも解った。
——次の瞬間、かんっ、という音が響く。
僕の想像通り弾丸のごとく迫った昀昀さんの棍の一突きを、僕が木刀で受け流した音である。
そのようにして触れ合ったその時から、攻防は始まった。
昀昀さんの棍が引っ込み、そしてまた突きが迫った。
僕は『
しかし、弱点があるということは、そこにもちゃんと対策が用意されている可能性が高いということだ。——次の瞬間、昀昀さんが旋回しながら大きく後退することで、それを証明してみせた。
「うおっ!?」
旋回に合わせて弧を描いて急迫した彼女の棍を、僕はどうにか剣で受けた。
だがそれも束の間、昀昀さんが再び棍を素早く引きながら近づき、右足で踏み込んで突いてきた。
それも剣で捌いてやり過ごす。だがすぐに棍が急旋回し、一周してくる形で僕の右から迫ってきたので、僕はそれを受け——ようとした瞬間、手前へ棍を引っ込めて僕の構えた剣を避け、素早く突きへと移行。
瞬時に取った「陽の構え」によって、その変化攻撃もギリギリ受け流す。左耳隣で垂直に構えられた剣に、棍が滑りながら直進して通過し——昀昀さんが懐まで迫ってきた!
「っ——」
僕のいた位置を、深い踏み込みを交えた昀昀さんの左掌打が轟然と貫く。一瞬早く旋回しながら離脱した僕はそのまま彼女の左隣まで移動し、振り向きざまに円弧の一太刀を発した。至剣流『
対して、彼女もまた鋭く身を翻す。瞬時に振り向きざま風のごとく発せられた棍の一振りが、僕の一太刀と衝突。かぁん、という耳に痛い音が響いた。
僕ら二人は、全く同じタイミングで大きく後退。武器の届かない間が生じる。
昀昀さんが不敵に微笑を浮かべ、
「……やっぱり、強いね。全国優勝するだけのことはあるよ」
「昀昀さんこそ、動きのキレが普通じゃないよ。さっきの掌底に当たってたら、どうなってたか……」
お世辞ではない。僕は本心からそう思っていた。先ほどの深く踏み込みながらの掌は、僕を一撃でぶっ飛ばせるだけの威力が込められていた。不思議とそれが見てとれた。あれもまた、中国の拳法なのだろう。
武器だけでなく、素手でも強い——僕が今まで会ってきた強い人は、そういう人が多かった。螢さんも、その小柄な体で大の男を簡単に制圧できるほどの
彼女もまた、
間違いなく強い。おそらく、その手の武器を棍から竹刀に変えれば、天覧比剣本戦でも十分すぎるほどに通用する。
……そう考えた途端、僕の中に、ある種の「恐れ」めいた感情が生まれた。
彼女は、天覧比剣で戦う僕を見てファンになった、と言ってくれた。
そう言われて、僕はいきなりさに戸惑いはしたものの、悪い気はしなかった。
だからこそ、これからの試合でその思いを裏切ってしまうのではないか、無様な負け方をして幻滅させてしまうのではないか、そんな「恐れ」が生じてしまった。
そして、そんな内なる恐れを抱こうが抱くまいが、試合は続く。
「そんな光一郎くんに敬意を表して——もっと本気でいくからね!」
(嘘でしょ? あれでまだ本気じゃなかったのっ?)
内心で呟くのと同時に、昀昀さんが豹じみた速さで飛び出した。
その途中で棍を車輪のごとく縦回転させ、二回転ののちに大上段からヒュオン! と振り下ろしてきた。
それが僕ではなく、その握る木刀を狙った一撃であると間合いから察した僕は、木刀を下段にしながら後退。
棍は目の前の空気を裂き、昀昀さんの腰の沈下とともにスパァン! と地を打ち鳴らす。
だが棍はそこで止まることはなく、進みながら急激に上昇してきた。
僕はもう一度後退。両手のあった位置を棍が通過。
かと思えば棍の軌道を水平の反時計回りに急変し、僕の左から迫る。それも防ぐ。
昀昀さんが足腰を時計回りに鋭く捻る。僕の剣と接していた棍が離れ、代わりに振り向きざま彼女が振り放った右足が風を切って迫る。
後退。蹴りが僕の手指をわずかに擦過。
旋回を維持したまま、今度は右から棍の一振りが急接近。剣を構えてソレを受ける僕。
その構えた僕の手目掛けて、昀昀さんの右足が鎌のごとく跳ね上がる。
体ごと剣と手を後ろへ逃す僕。
だが——昀昀さんは一気にこちらの懐へ飛び込み、蹴りを外した右足でそのまま踏み込んできた。右腰での体当たりをモロに浴びた。
「っ——」
まるで岩が勢いよく寄りかかってきたようなその重々しい衝撃に、僕の目の前の世界が白黒に明滅する。
余剰した勢いで転がり、どうにか受け身を取ってしゃがみ姿勢になっても、さっきの衝撃の
なんて重さだ、女の子の体当たりじゃないぞ——やられてしまった、無様に転がってしまった——幻滅させないつもりだったのに、思いっきり格好が悪いところを見せてしまった——脈打つような痛みとともに、それらの考えが頭の中でゴチャゴチャしだす。
僕は恐る恐る、昀昀さんの様子を伺う。
——なおも、深い微笑だった。
幻滅でもない、興醒めでもない、ただ今の試合を純粋に楽しんでいるような、純度の高い表情。
……それを見て、僕は己の中の浅ましさを自覚した。
幻滅させないように? 期待を裏切らないように?
愚かな。彼女はきっと、そんな感情は抱いていない。
純粋に、今を楽しんでいる。
己の武を振るえる時間を存分に享受している。
……比べて、なんとしみったれた我が剣か。
そもそも、今は天覧比剣ではないし、ましてや命のやり取りでもない。
であれば、ただ純粋な己の剣を、彼女に見せればいいだけの事である。
それで負けたのだとしても、それは己に至らぬ点があったというだけだ。
他人の評価など気にせず、自分のために、その敗北という経験を使えばいい。
僕はおもむろに立ち上がり、剣を中段の「正眼の構え」にした。
呼吸を整え、荒ぶった気を鎮静化させ、全身を充実させる。
「——兵法に 勝たんと思ふ心こそ 仕合に
そう呟き、己に言い聞かせる。
剣尖の向こうで棍を構える昀昀さんが、少し足を引いた。
僕は「正眼の構え」を維持したまま、浅瀬を波立たせず歩くような足取りで、じっくりと、近づく。
昀昀さんは構えたまま、僕の進行に合わせて退歩する。
付かず離れずな互いの間合いが、移動しながら保たれ続け、やがて昀昀さんが前へ出た。
鋭く棍が突き込まれるかと思いきや——その軌道が急激に下降したと視認した次の瞬間には、彼女の姿が目の前から
(消えた? いやそんなわけがない。跳ねた土、直前まで無かった地面の小さな穴、消える直前に一瞬視界上に見えた影、風圧、前髪が持ち上がった、背後から流れる空気に変化————後ろ!)
五感の情報を瞬時に精査し、そしてそこから導き出された答えに従うまま、僕は
事なきを得るとともに、今の現象の正体を振り返る。——驚くべきことに、昀昀さんはあの長い棍を使って、棒高跳びの要領で僕を飛び越えて背後へ移動し、そこから突いてきたのだ。この実戦の場でそれを迷い無く行える度胸もそうだが、よく観察しないとそれに気付けないほどの速さと身軽さ。驚嘆に値する。いったいどんな修行をすればあんな動きができるのか。
だが、そんな離れ業を見せられてもなお、僕は感動を覚えても、動揺させられることはなかった。
確かにすごいが、
同じ土俵に上がれない事を不安に思うな。
もともと僕らは、立っている土俵が違うのだ。
彼女は中華武術という土俵にずっと立ってきた。
そして僕は日本剣術という土俵の上でずっと剣を振るってきた。
ならば、自分の土俵の上で培った技術を信じて、それを振るうしかない。そうすればいい。
息を吸い、吐き、全身とそれが握る剣に気を行き渡らせる。
足底から始まって総身を貫く芯が、剣尖にまで達したような感覚。
剣身一体の感覚。
そこから——怒涛の比武が開始された。
昀昀さんの嵐のような足捌き。それとともに踊り狂う棍。
それらは進んだり退いたりを繰り返してから、一気に僕を間合いの内へ食った。
剣で受く僕。しかし力との拮抗は一瞬だけで、すぐに棍は気まぐれな風のごとく軌道を変え、今度は左斜め上から迫る。
『綿中針』。僕は円い太刀筋でそれを右下へ受け流しつつ剣尖を向け、足を大きく進めながら突きかかった。
踊るように旋転しながら退歩し、棍を振り回して追い討ちを阻む昀昀さん。しかし僕はその牽制には怯まず、間合いが重なった状態を維持すべく追いかける。棍を着実に防ぎながら。
昀昀さんが動きを変えた。
後退ではなく、高速で
持ち前の俊敏さで弧を描くようにして瞬時に僕の右後方を取り、棍のひと突きを放った。片手持ちによってリーチを強引に伸ばした突きだが、その先端には研ぎ澄まされた芯のごとき力の集中を感じた。
その時点での武器同士の距離を鑑みて、剣による防御では間に合わないと即座に判断。なので僕は回避を選んだ。点による攻撃なので、少し立ち位置をズラしただけで簡単に避けられた。
そうして棍の突きをやり過ごし、次の行動へ出ようとしたその時——視界いっぱいを昀昀さんの姿が埋め尽くした。あの遠い距離を一瞬で詰めてきたのだ。
(昀昀さんは素手だと僕より強い。そしてこの距離まで詰められた以上、次の瞬間にはあの重たい一撃で吹っ飛ばされる。そこを制圧されたらおしまいだ。でも……)
昀昀さんが
(もう、
すでに僕は、昀昀さんのすぐ左隣で剣を上段に振りかぶっていた。
彼女の動きに宿る「影響の連鎖」を掴み、ひと足先に動いていたからだ。とはいえ、かなりギリギリの回避だったが。
昀昀さんが左足へ鋭く重心を移しながら、伸ばした左腕を僕へ向けて尖らせるように曲げた。肘打ちへ以降する気だ。稲妻のごとき切り替えの速さ。
そして僕もすでに、彼女へと剣を振り下ろしていた。
打撃と剣撃が、互いに触れんとした時。
「————それまで!!」
鋭く響いた声が、それを止めた。
僕の剣と、昀昀さんの肘が、触れる寸前でぴたりと静止。
輝秀が四阿から歩み出てきて、先ほどの静止と同じ声で訴えた。
「二人とも、よく健闘した。腕試しはもうそのへんでいいだろう」
そんな彼をぼんやり見てから、その目をそのまま昀昀さんへ向けた。彼女も僕を見ていたようでピタリと視線が一致。そしてその瞳を見開いて輝かせて、今なお振りかぶったままの僕の両手を掴んで引き寄せた。
「すごい! すごいよ光一郎くん! 歳の近い子にここまで追い込まれたのって久しぶりかも! 思わず本気出しそうになっちゃった! やっぱり私が「お気に入り」に選んだのは正しかったよ!」
「あ、ありがとう……お気に召したようで幸いだよ……」
彼女の手放しな称賛に対して苦笑を浮かべる顔の前髪下で、僕は冷や汗を一筋かいた。……アレでもまだ本気じゃなかったのか。
「特に後半! 構えながら一人で何かぶつぶつ唱えてたでしょっ? あそこから動きが劇的に良くなったのが凄かった! あれって
「い、いや、そんな凄いもんじゃないよ。単なる歌」
彼女のキラキラした問いかけに気圧されつつも、僕は答えていく。
「つまんなぁい。これからがイイ所だったのにぃ」
後から歩み寄ってきた買桂芳さんが、気だるげに文句を言う。
「無茶を仰らないでください
姉弟子の文句に、輝秀が嫌そうな表情でぶつくさ苦言を呈する。
僕がそんなやり取りをぼんやり眺めていると、昀昀さんが買桂芳さんに棍を返し、そして僕に素早く近づいて右手を掴んだ。
「ね、光一郎くん! もうお昼ご飯って食べたっ? よかったらウチで何かご馳走するよっ!」
「う、うちって、昀昀さんの家っ?」
「そ! 私んち、飯店なの! どうっ?」
「僕、お金あんまり持ってないんだけど……」
「いいの! いらない! 試合してくれたお礼ってことで! ねっ?」
「え、あ、ちょっと」
選択権を与えるような言い方をしているが、彼女はもう僕の腕を引っ張って歩き出している。僕はそれにされるがままだった。
「わ、わかった、食べます、ご馳走になりますから」
「ほんと!? よっしゃ、じゃあ行こ行こ!
さらに引っ張る勢いが増して、買い物袋同然に持っていかれる僕。もうどうにでもなーれ、と諦めモードだった。
さっきまで僕らの試合を見物していた人混みが、僕らに対して道を開けていく。
みんな一様に僕たち二人を見ていたが、
(……ん?)
一人、そうでない人がいた。
僕と年齢が近いであろう、見知らぬ少年だ。
異様にギラついた彼の目は、ある方向を凝視していた。
——輝秀と、買桂芳さんのいる位置。