【漫画化】帝都初恋剣戟譚 作:新免ムニムニ斎
「はい、お待たせしましたー! 当店自慢の
椅子に座っている僕の目の前のテーブルに、
おぉ、と僕は思わず声を漏らす。
トレイの上では、各種料理がほわほわと湯気を立てて自己主張していた。
お碗に盛られた白米、それよりも小さい碗に満たされたたまごスープ、そして……トレイの大半を占める大皿。
そこに盛られた料理は、一見すると普通の青椒肉絲のように見えるが、細切りにされた肉やピーマンの中には、小判みたいな形の白いモノが混じっていた。
「い、いただきます」
タダ飯という厚意に今なお恐縮した気持ちを抱きつつ僕はそう言い、箸を手に取って食べ始めた。
最初に箸をつけたのは、青椒肉絲に混じった白い小判みたいなヤツだった。
ほのかに香る調味料の匂い。唇で触れると、もちっとした感触。どうやら餅っぽいやつのようだ。なので全部は口に入れず、半分くらい
「……おいひぃ」
素直な感想が口から溢れた。
食感としては餅というよりうどんに近かった。
しかし一方で餅っぽいしつこさみたいなものも同居していた。
噛んでも途中で一気にプツッと途切れることはなく、最後の薄皮一枚まで柔和にゆっくりと噛み進み、それでいて途切れた後しつこく歯にくっつこうとしない
みふふ、と満足げな笑顔で僕の反応を見ながら、昀昀さんは答えた。
「それは
「へー」
「いっぱい食べてね! あ、お米のおかわり欲しかったら言って!」
「あ、ありがとう……」
お言葉に甘えていっぱい食べながら、僕は店内へキョロキョロ視線をさまよわせた。
周囲には、僕が今着席しているのと同じデザインの椅子とテーブルがいくつもあった。
窓際やカウンター席には見るからに中華圏を思わせる置物が置いてあり、壁には額に納まった山水画が飾られていた。いかにも中華飯店って感じの内装だ。
ちなみに、店内には僕と昀昀さん以外誰もいなかった。これは別に繁盛していないというわけではなく、単純に今日が休みだからだ。
僕は箸を動かす。大皿の青椒肉絲に混じった白粿とやらを、ピーマンと肉の細切りとともに口へ運び、もちもち
美味しい。美味しいのだが……
「……あのー、昀昀さん?」
僕の隣の席に座ってこっちをにっこり見ている昀昀さんが、「なに?」とばかりに小首をかしげる。
「そんなに見られると、食べづらいんだけど……」
「気にしなくていいよ?」
彼女の満面の笑みに込められた有無を言わせぬ圧みたいなものを前に、僕は何も言えばいいか分からなくなってしまう。なので、見られながらでちょっと居心地が悪いのを我慢しつつ食事の続きをする。
幸い、料理が美味しいので、見られながら食べていることなどすぐに忘れてしまい、あっという間に完食してしまった。
手を合わせて「ごちそうさまー」と訴えると、昀昀さんは何も言っていないのに空いた皿の乗ったトレイを持っていってくれた。
「あ、洗うなら手伝うよ」
「いいよ、座って待ってて。私は慣れてるからすぐ終わるし、君はお客さんなんだから」
いや、お客さんっていってもお金払ってないんだけど……そう言う暇も与えず昀昀さんはスタスタとカウンター奥へ行ってしまう。やっぱり行動の早い子だ。
ここからは見えない奥まった場所からじゃーじゃーと水洗いの音がしばらく聞こえ、それが止まると今度はかちゃかちゃと皿を戻す音が微かにこちらへ届く。
しばらくすると、昀昀さんは戻ってきた。その両手には大きめな陶製の急須と、二人分の茶碗が乗っかっている盆。
それをテーブルの上に置くと、急須を手に取って茶碗二つにお茶を注いだ。ほわわと湯気が立ちのぼり、そこに宿った青い香りが鼻を心地良くくすぐってきた。
昀昀さんは再び僕の隣の椅子に座り、茶碗の一つを手に取って「どうぞ」ともう一つを手で示してくれた。
「それじゃあ、いただきます」
なんかここに来てからお茶ばっかり飲んでるなぁ、と思いつつも茶碗を持ち、ゆっくりと口元へ運んだ。
間近で芳醇な湯気を楽しんでから、一口飲んだ。美味しい。さっき買桂芳さんの所で飲んだやつ——確か
自然と二口、三口と飲んでしまい、あっという間に茶杯が乾いた。
どうっ? と期待の眼差しの昀昀さん。
「……おいしいです」
「
「飲む容器に茶葉を入れちゃうの? 飲んでる最中に茶葉が口に入っちゃわない?」
「そしたら食べちゃう!」
あっけらかんと答えた彼女に、僕は思わず笑いをこぼす。
お茶を交えての会話は、驚くほど自然な流れで進んだ。芳醇なお茶の香りが、まだ少しぎこちなかった僕の態度にも潤滑剤めいた滑らかさを与えてくれた。
出てくる出てくる、話題が出てくる。
学校でのこと、そこにいる友達のこと、そして僕がかつて所属していた撃剣部のことも。
昀昀さんが特に関心を見せたのが撃剣部だった。彼女は武術がえらく好きなようで、どんな稽古を積んでいるのかを掘り下げるように尋ねてきた。去年まで富武中の撃剣部がパッとしなかったという経緯もあったので、余計に。
「——なるほど。それじゃあ富武中の撃剣部がいきなり天覧比剣で強くなったのは、光一郎くんが入部したからなんだね!」
「まぁ……誤解を恐れずに言うなら、それも理由の一つでもあるかな。大将戦で僕が一勝取れたから勝ち進めた場面も結構あったし。でも、部長と副部長が強かったのもあるよ。あの二人が一緒じゃなかったら、優勝は絶対無理だったよ」
「千代田区の予選は、
「強いなんてもんじゃないよ。特にあの
「そうであったとしても、勝ちは勝ちだと私は思うなぁ。だって競技撃剣って、斬り合いの競技化でしょ? だから防具に竹刀が触れたら勝ちってルールなんだし。どんなに腕が立つ人でも、土壇場で実力を発揮できなかったら意味無いし、おしまいだもん。死んじゃうだけだよ。光一郎くんに斬られてあの人は死んだの。だから勝ちなの」
そうあっけらかんと答えた昀昀さんに、僕は心をヤスリでひと撫でされたような気分になった。斬り合いの競技化云々に関しては僕も心得ていたが、それでもその意味合いを僕より強く前提に置いた彼女の回答に、生々しいモノを禁じ得なかった。まるで、武芸を人殺しとしてのみやってきた人みたいな……
「……まぁ、とにかくね、僕は去年の天覧比剣の優勝を、自分のおかげだなんて思ってないってことさ。僕の実力だけじゃなくて、
「そっかぁ。あ、そういえば去年の富武と葦野の勝負ね、第二試合がすごく評判良かったみたいだよ! 名勝負だって! 確か、あの試合をやってたのって……」
「峰子だね。相手は
雑談を続けながら、僕はもう何杯目かのお茶を飲みきった。それで急須の中身は空っぽになった。「もっと飲む?」という昀昀さんの問いに、僕は丁重に遠慮した。さっきからお茶ばかり飲んでいるので、そろそろやめにしたいと思った。
「そういえば……この店には、他に誰もいないの?」
僕は店を見回してそう問うた。この店は彼女の家でもあるらしい。なので、今日は休みなので従業員はいなくとも、親御さんくらいはいるのではないかと思っての問いである。
昀昀さんは「いないよ」と即答。
「親御さんは……」
「いないよ」
「どこかに出かけて——」
「
これまでにない斬り捨てるような口調で、その一言をぶつけてきた。
その一言とともに、あれだけ和やかだった店内が、ぎっしり詰まったみたいに静まり返った。あらゆる感情が乗せられたさっきの一言には、そんな魔力みたいなものがあった。
どんな感情? ……それは昀昀さんの顔を見れば分かるだろう。だけど見るのが怖い。この空っぽの茶杯から顔を上げるのが怖い。
そしてそれは、彼女の「いないの」という答えが、
「——私ね、もう親がいないの」
だからだろう。そうして発せられた彼女の答えに、僕は胸を痛めをしたが、驚きはしなかった。
「私の母はね、私を産んですぐに死んじゃったんだって。だから母のことは、写真でしか知らないの。……だけど私、そのことに関しては悲しくはなかった。母のことは写真でしか知らないから、思い出なんか無いし、悲しみようも無かったもの。それに、母がいなくなった分だけ、父が男手一つで私を育ててくれたから」
僕は黙って耳を傾けていた。
「父は、私のことを優しくも厳しくも育ててくれた。弟子や周りの中国人に助けられながら手探りで私を育ててくれたし、一方で武術も厳しく仕込んだ。女も生きていくためには強くならなくてはダメだ、って。私は父と、父が教えてくれる武術が好きだった」
相槌を打つ意味も、反応を示す必要も無いと思っていたから。
そんなことをしなくても、この話の大筋は決まっているから。
「だけど——そんな父も、去年に
そのつもりだったのに、僕は反応を示してしまった。若い娘一人を抱える父親の死に方としては、あまりにも不誠実だと思ったからだろうか。ハッと顔を上げてしまった。
昀昀さんは、静かに微笑んでいた。不気味なほどに。
僕はそれが、どこか怖く感じた。本当は笑いたくなんかないのに、表情筋を無理やり凍らせて笑ったままにしているような、冷たさがあって。
「光一郎くんはさ、至剣、って見た事ある?」
「えっ……あ、うん」
出し抜けな問いに、僕はきょとんとしながらも頷いた。……まぁ、自分が使ったことがある、なんて言ったところで信じてもらえないだろうけど。
すると、昀昀さんは自分の茶碗に視線を落とした。何も入っていないその中に何かを見出すように俯瞰しながら、彼女は乾いた一笑をまじえて言った。
「すごいよねぇ、至剣ってさ。噂には聞いてたけど、想像以上だったよ。——まさか、
「えっ——!?」
耳を疑った。
自殺させた?
どうやって?
いや、至剣で。
それって、まさか——
「——『
……
苦練の末に開眼させた至剣『呪剣』を使い、去年、帝都を混乱の渦に叩き落とした至剣流剣士。
かの『
そして……僕が初めて刃で斬った人物。
その名から一気に連想される去年の記憶。『呪剣』の呪力によって阿鼻叫喚の様相を見せた神武閣、倒れた螢さん、それを救うべく剣を取り、そしてその刃で村正の左手を——
「光一郎くんっ?」
案ずるような昀昀さんの声で、僕はハッと我に返った。
目の前には、心配そうにこちらの顔を覗き込む彼女の表情。
僕が今どういう顔をしているか分からないが、彼女を心配させるような顔だということは確かだ。
手の内に蘇っている、肉と骨を滑らかに分け入る感触。ソレを握りつぶし、だいじょうぶ、と一言告げた。深呼吸して、心を落ち着けた。
「ごめんね……私が変な話しちゃったから」
「関係ないよ。それで……そのあと、昀昀さんはどうしたの?」
続きを促すと、昀昀さんは両手指同士をギュッと絡み合わせ、
「探したよ、『呪剣』を。見つけ出して、父の仇をとってやろうって、他の兄弟弟子達と一緒に。でも、情報が無さすぎて、結局それは叶わなかった。……後で陸軍の
「陸軍……?」
「うん。私達が『呪剣』に関わったのは、陸軍に協力してたからなの。私達の中華武術の技術を科学的に研究しようっていう変わった部署が、川崎市にあってね。そこの室長の酒井中佐が内務官僚から受けた依頼で、私達に『呪剣』を探させたの。……今にして思えば、騙してた
昀昀さんの視線が重く伏せられた。
「……私達、まるで何気なく踏み潰された
最後の方だけ、涙が混じった声だった。
だけど、その出かかった涙を無理やり引っ込めるようにして、次にはあの明るい笑顔を取り戻していた。
「ごめんね、光一郎くん。なんか、変な話しちゃったね。初対面の君相手に、何言ってるんだろう」
その明るくも痛々しい笑顔を見て、僕は胸がキュッとなった。
そして思った。
——この子には、真実を知る権利がある。
「いいんだ、昀昀さん。僕たちは確かに初対面だけど……問題を共有してるから」
「えっ……?」
どういう意味かとばかりに目を見開く昀昀さんをまっすぐ見つめ、僕は静かに告げた。
「僕は——鴨井村正の最期に立ち会った」
まだ口にしてもいない『呪剣』の使い手の名前が、あろうことか僕の口から飛び出したのだ。彼女の驚きようは予想通りのものだった。作り笑顔があっけなく壊れた。その口から、石が擦れるような小さい声が漏れ出る。
「……什么、意思?」
無意識なのだろう。中国語だった。だけど「どういう意味?」と問われたのだと分かった。
自分の左手首に幻の痛みを感じながら、僕は言った。
「鴨井村正を斬ったのは、僕だ」
全てを話した。僕がどういう形で村正と、『呪剣』と関わったのか。
螢さんが『呪剣』の呪いに倒れ、それを治すために僕が剣を取り、村正と戦ったこと。
死闘の末に、彼の左手を斬り落とし、剣士として殺したこと。
その事実を認めるや、村正があっさり己の命を絶ったこと。
——村正が、死に際に言い残したこと。
話せるだけのことは、話したと思う。
全てを聞き終えた昀昀さんは、しばらく僕の顔をぼんやり見つめて口を開け、やがてうなだれる。
「……そっか。あの男は……光一郎くんが……」
納得したような、何かを諦めたような、そんな声だった。
うなだれているせいでボブカットの前髪がカーテンみたいに深く降りて、彼女の目元はよく見えない。しかし僅かに見える唇は、嬉しそうな微笑の弧を描いていた。
「——ありがとう、光一郎くん」
やがて顔を上げて見せてくれた彼女の笑みは、すっきりしたものだった。
目元に溜まった涙が、おぞましいほどに輝いていた。
「光一郎くんが関わってくれたおかげで……私はやっと、
「えっと……」
「うん、ごめんね。分かってるの。光一郎くんは今日まで私の事を知らなかったんだから、私の父の仇を取ろうなんて気持ちは無かったって事くらい。光一郎くんは光一郎くんの理由のために剣を取ったんだもんね。でも、あなたの剣であの男を斬ってくれたっていう事実を教えられたから、私の気持ちも少し救われたんだって事を、知って欲しいの。——だから、勝手に感謝するね。ありがとう、あの男を斬ってくれて」
邪気の無い、晴れやかな笑み。
それなのに僕は少し怖かった。
鴨井村正を殺してくれてありがとう——僕が今言われたのは、まさしくソレだ。
厳密に言うなら、村正は自刃して死んだのだ。僕はそのキッカケを作ったに過ぎない。
でも、
そして、そのコトに……人の命を奪ったことに関して感謝されるというのが、僕はどうにも気味が悪かった。
殺人を感謝されたことで、まるで別の
その一方で、こうも思う。
——今の彼女は、
もしも去年、僕が村正を斬っていなかったら? 人斬りを忌避していたら? そもそも負けて死んでいたら?
——螢さんは、『呪剣』の呪いで死んでいただろう。
そうだとしたら、村正はどうなっていた?
そのままどこかへ逃げるか、もしくは警察に捕まっていただろう。
前者なら最悪だが、後者でも僕の気は晴れないだろう。
ロシア系の犯罪組織に加担していたとしても、神武閣をめちゃくちゃにした力である『呪剣』は至剣だ。至剣は現代科学では未解明な部分も多く、証拠能力としてあまりに薄弱。科学的に証明できない事を司法は裁けない。なのでどんなに重い判決でも死刑に至るとは考えにくい。
そして螢さんを失い絶望に苛まれた僕は、村正に対する死刑以外のあらゆる判決を「生ぬるい」と
そうして、昀昀さんのように、大切な人の死に嘆き、仇を取れないことにも嘆き、相応の裁きが下されないことにも嘆きながら、日々を生きていただろう。
……一歩間違えれば、僕は彼女のようになっていた。
僕らは違う。
だけど僕らの間にある違いは紙一重だ。
「うん……どういたしまして」
だからこそ、人の死を喜ぶ彼女に対して難色を示したりはせず、笑みを作ってそう頷いた。
何だか自分が嘘つきみたいで気が引けるが、己の意見を無闇にぶつけることはせず、その場をやり過ごすことも、きっとこれから先必要になるのだろう。感情を持つことと、感情を振りかざすことは異なる。
僕の了承の発言から、場が静まり返る。
何を話していいか分からず、沈黙が続く。
沈黙に慣れ、その他の音がやけに大きく聞こえるようになってくる。壁掛け時計の秒針の音、カウンター奥の蛇口から水が滴る音、店の外の異様なざわめき……
「なんだろうね……?」
店の外の様子がおかしいというのは、昀昀さんも同感だったようだ。彼女は席を立ち、店の出入り口へと歩み出す。することが無かった僕もそれについて行く。
二人で店から出る。秋の冷たさと陽気、そして人々の張り詰めた慌ただしさが一気に五感に押し寄せる。それらを感じつつも、道ゆく人の一人へ問いかける昀昀さんに伴う。
中国語で何度か会話をするや、昀昀さんの表情が激変した。驚愕と焦り。
「どうしたの?」
僕もただならぬ雰囲気を察し、問いかける声が張り詰めていた。
こちらへ振り向いた昀昀さんが、表情を変えぬまま、やはり驚くべき事を告げた。
「短刀を持った子供が、何人か刺して逃げてるって」