帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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避難、そして天狗対策《下》

「あ、おかえりなさい(ほたる)さん」

 

 そう応対してからふと思った。これ、一緒に暮らしてるみたいな挨拶だなと。そうだったらいいのにな。

 

 螢さんは僕を見て瞬きをした。

 

「やっぱり、コウ君来てたんだ。お義父さんと将棋してたの?」

 

「はい。暇だったので」

 

「暇? ……そういえばコウ君、学校は?」

 

「その理由はこれからお話しします。僕達は螢さんの帰りを待ってたんです」

 

 言葉を交わす僕と螢さん。

 

「………………「コウ君」、ねぇ」

 

 同じく居間にいたエカっぺが、僕らの会話に冷ややかにそう投じる。……なんだろう、ちょっと機嫌が悪そう。

 

 それによって螢さんもエカっぺに目を向け、「どちらさま?」と問うた。

 

 しかしエカっぺはなぜかぶすっとした顔で僕を睨むだけで、螢さんに自己紹介をする気配がない。なので僕が代わりに紹介することとした。

 

「えっと……この子はエカテリーナさん。僕の学校の友達です」

 

 そこからは彼女自身で「よろしくお願いします」と言って欲しいところであったが、残念ながらエカっぺは全く言葉を発しなかった。まだ僕のことをぶっすり睨んでいる。

 

「あの……エカっぺ? どうしたの?」

 

「別にっ」

 

 今度はぷいっとソッポを向いてしまった。

 

 な、何があったっていうんだ。さっきのほっぺた(つね)りといい、僕なんかしたかな。もしかしてお姫様抱っこの事根に持ってるとか……?

 

 どうしていいか考えていると、螢さんが僕に小さく訊いてきた。

 

「……もしかして、名前から察するに、ロシアの人?」

 

「ああ、はい。お父さんがロシア人だそうです」

 

 そこまで言って、僕は()()()()()に気づいた。

 

 僕は勢いよく立ち上がり、

 

「螢さん、ちょっと」

 

 そう言って螢さんを呼んで、廊下を通って居間から少し離れる。

 

 音も無く僕へついて来てくれた螢さんに、僕はつとめて小声で尋ねた。

 

「あのっ、螢さんは、その……平気なんですか?」

 

「平気?」

 

「はい。その、エカっぺ……エカテリーナは、()()()()ですよ?」

 

 螢さんは言っている意味が分からなそうにきょとんとしていたが、すぐに僕の言わんとしていることを察したようだ。その黒曜石のような綺麗な瞳をじぃっと僕へ向けた。

 

「コウ君」

 

「は、はいっ?」

 

 僕の名を呼ぶその声は、抑揚に乏しい。しかしそこに込められたわずかな非難のニュアンスを、僕は聞き逃さなかった。だからこそビシッと(かしこ)まってしまう。

 

「馬鹿にしないでほしい。確かにわたしはソ連軍に村と家族を奪われた。だけど、人種で人を差別したりするほど根性は腐っていない。彼女が何人(なにじん)であろうと、気にすることはない」

 

 有無を言わせぬ言い草に、僕は緊張感を覚えるのと同じくらい、申し訳なさを覚えた。

 

「す、すみませんっ……」

 

 慌てて謝罪すると、螢さんはこくりと頷いた。

 

 その後すぐに居間へ戻った。先ほどと変わらず仏頂面なエカっぺと、我関せず(えん)とばかりにわざとらしく庭先を眺めている望月先生が待っていた。

 

「お待たせ、エカっぺ」

 

「…………ずいぶんと親密になったみたいね?」

 

 いや、そんなことはないと思う。そうだったらどんなに良いか。

 

「あの、何を怒ってらっしゃるのでしょうか……?」

 

「怒ってないし」

 

 頬を膨らませて目をそらすエカっぺ。いや、怒ってるじゃん……

 

 そこで、螢さんがおもむろに前へ進み出て、エカっぺの前へちょこんと正座した。

 

「はじめまして。わたしは望月螢。あなたは?」

 

「へ? ええっと……エカテリーナ・ルドルフォヴナ・伊藤ですけど」

 

「ん。よろしくね。エカテリーナさん」

 

 困惑気味に「よ、よろしくお願いします」と返したエカっぺの顔を、螢さんはじぃっと見つめる。何かを見定めようとするように。

 

「……な、なんなの…………?」

 

 居心地悪そうに身をよじるエカっぺをさらにしばらく観察すると、僕の方を向き、確信めいた迷いの無い口調で言った。

 

「コウ君。エカテリーナさんは、本当に怒ってないと思う」

 

「え……そ、そうなんですか?」

 

「うん。だってエカテリーナさんはどう見てもコウ君のことが好——」

 

「わ————!?」

 

 突然奇声を上げたエカっぺが、後ろから螢さんの口を塞ぐ。

 

「い、いいいいきなり何言おうとしてんのよあんたはぁっ!?」

 

「ふぁむむふぃふぉおあふほぉ」

 

「だから言おうとすんなっつーの! あんた絶対色んな男からストレートに告られるのに慣れ過ぎて、一般的な羞恥心が分かってないんでしょ!? 言わなくていーから!」

 

 茹で蛸みたいに顔を真っ赤にして、螢さんに何かを言わせまいと必死にそう告げるエカっぺ。

 

 流石に何が起こってるのか気になった僕はエカっぺに問うた。

 

「あの、何があったの?」

 

「なんでもねーから!!」

 

「あ、はい、すいません」

 

 ものすごい剣幕で睨まれ、僕はこれ以上の追求をやめた。好奇心は猫をも殺すと言うからね。

 

「……あ、茶柱」

 

 一方、望月先生は自分の湯呑みを見つめて、そう何事も無いかのように呟いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 螢さんもようやく帰ってきたことだし、本題に入ることにした。

 

 今日、僕とエカっぺの身に起こった騒動、その騒動の主犯格が嘉戸輝秀である可能性を示す証拠……それらをかいつまんで螢さんに説明した。

 

「……確かに、それはかなり怪しい」

 

 螢さんの感想も、やはり僕と望月先生と同じものだった。

 

 これで『望月派』全員の共通認識が確立されたというわけだ。

 

「わたしは、嘉戸輝秀氏と戦ったことがある。その時に『至剣』も使われた。——『龍煙剣(りゅうえんけん)』。それが彼の『至剣』の名前。恐ろしく柔軟で巧妙で、なおかつ迅速な()()()の操作によって、相手のいかなる攻撃や防御も煙のごとくすり抜け、斬る。おまけにその軌道も読めない。「構え」を重要視する日本剣術にとっては天敵とも呼べる技。実際、わたしも頬をかすめられた」

 

 螢さんに攻撃を当てるほどの腕前……それだけのことがどれだけすごいのかを分かっていた僕は、思わず唾を飲んだ。

 

「で、でも、勝てたんですよね?」

 

「ん。勝った。だけど決して弱くは無い人だった。少なくとも今のコウ君の百倍は強い」

 

 僕は暗い穴の底に急降下するように凹んだ。

 

「ちょっと、聞き捨てならないんだけど。コウは確かにあなたには勝てないだろうけど、そんなに弱くないもん。まだ本格的に剣を習ってない段階で、切紙(きりがみ)持ってる至剣流剣士を正々堂々戦ってやっつけたんだから。あたし見たから!」

 

 エカっぺの不満げな反論に、螢さんは「……本当?」と僕へ向いて問うた。

 

「あ、はい。言ってませんでしたっけ……」

 

 そういえば望月先生にしか言ってなかったっけ、と思いながらそう答える。

 

「初耳。それはなかなかすごい事。確かに百倍は失礼だったかも。……五十倍くらい?」

 

 半減してもなお慰めになってないんですが……

 

「話を戻す。——話を聞いた限りでは、コウ君の言っていた天狗面の男の剣技は嘉戸輝秀氏の『龍煙剣』でほぼ間違いない。『望月派』という、至剣流宗家とその関係者しか知り得ない単語をこぼしていた点からも、天狗面の男の正体が輝秀氏であると断定し得る」

 

「それじゃあ……」

 

「けれど駄目。お義父さんが言っていた通り、やはり客観的な情報が足りない。わたし達の言葉だけでは、天狗面の男の正体どころか、使っていた技が『龍煙剣』であると証明することすらできない。しらを切られたらそこでおしまい」

 

 やはりというべきか、望月先生と全く同じ答えが返ってきて、僕は思わず唇の下で歯噛みする。

 

 望月先生は難しい顔をした。

 

「……面倒だな。確かに客観的な証拠が示せない以上、嘉戸宗家を糾弾することもできない。さりとてこのまま放置すれば、またコウ坊が狙われる可能性がある。今度は友人ではなく、家族に手を出されるやもしれん」

 

「そんな……なんとかなりませんかっ?」

 

 不安を覚えた僕の問いに、望月先生は「ううむ……」と重々しく唸った。

 

 その唸りの後、しばらく沈黙が続いた。すでに日の出が短くなっているようで、縁側から見える秋の夕空は螢さんが来た頃と比べて明らかにその暗さを深めつつあった。

 

 重苦しい沈黙を破ったのは、インターホンの音だった。

 

 反応したのは螢さん。立ち上がり、居間の壁に取り付けてある親機のスイッチを押し、マイクに呼びかけた。

 

「どちらさまでしょうか」

 

 親機は五秒ほどの間を置いてから応答した。

 

『……そこに、秋津光一郎はいるかい? 俺だ。香坂伊織(こうさかいおり)だ』

 

 僕は思わず立ち上がった。

 

 いいですか、と軽く問うと螢さんは頷いた。親機に近づいて呼びかけた。

 

「香坂さんっ? どうしてここが?」

 

『お前が、『望月派』に出入りしてるって情報も……少し前に掴んでた。『望月派』の拠点はここ……望月源悟郎の家しかねぇからな』

 

「あの後……大丈夫でしたか?」

 

『大丈夫じゃねぇなぁ。またこっぴどくやられたよ。あのクソ天狗に。でもまぁ、()()()()()()()()()()()()

 

 インターホンの前にいるであろう香坂さんは、一笑ののち、次のように持ちかけてきた。

 

『聞いてくれ、『望月派』。——俺と一緒に、『嘉戸派』に一泡吹かせてやる気はねぇか?』

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