帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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嘉戸と望月《下》

「…………遺憾ながら、これは動かぬ証拠と言わざるを得ませんな」

 

 唯明(ただあき)氏が静かに、重く言った。

 

「確かにこれは、我が愚息の輝秀(てるひで)が習得している『龍煙剣(りゅうえんけん)』で相違ない。そして望月閣下のご令嬢も輝秀と剣を交えたことがあるゆえ『龍煙剣』と認識している。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 言葉のイントネーションに消沈の響きを感じたのは、一瞬だけだった。

 

 すぐに、百万以上もの門人を抱える大流派の家元然とした、重みのある声に戻った。

 

「して、望月閣下——これを我らに突きつけ、どうするおつもりか? これをネタに脅迫でもするつもりですかな? まさか、この機会に『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と仰ったりはしますまい? 事実上二つ存在する至剣流宗家を、本当に二つにしようという要求をするつもりではありますまい? そんなことが可能だと思いますか?」

 

 ——この醜聞を、『望月派』の独立の足掛かりにするつもりではあるまいな。

 

 そう尋ねているのと同時に、それだけは絶対に許さぬと重厚な声色が告げている。

 

 僕でも分かった。これは前もって、『望月派』が得られるであろう「最高の旨み」を潰しにかかっているのだと。

 

 大正時代を機に歪んでしまった嘉戸家に変わって、望月家が「正しき宗家」になり変わる——そんな可能性をまず潰しにきているのだ。嘉戸家が現在持っている「実社会への実力」を暗にちらつかせて。

 

 だけど。

 

 僕の知っている望月先生は、そんなものに拘泥(こうでい)するようなせせこましい人間ではない。

 

 この人は、本物の侍だ。

 

「否」

 

 望月先生は迷わずそう断じた。

 

「宗家か否か……そんな肩書きごときに何の興味もありませぬよ。我々が望むのは、偉大なる嘉戸至剣斎(しけんさい)の築き上げた正しき伝承の存続のみ。たとえ少数であっても、正しき伝承を残せるならばそれ以上は望まず、「影」に徹し続けるのみ。それが我々『望月派至剣流』の総意」

 

 それから、『嘉戸派』の四人を見据え、芯の通った声で告げた。

 

「『望月派』が貴殿らに望むことはただ一つ——『望月派』に対する金輪際の不干渉。ただそれのみ」

 

 確かに、これは要求としては一番妥当なものだろう。

 

 『望月派』の安全が確保されるという第一目標が達成されるだけでなく、その後の活動の自由まである。

 

「もしもこれを叶えてくださるのならば、今回の一件、他言無用を約束しますぞ」

 

 望月先生は締めくくるようにそう告げる。

 

 勝った。

 

 これで僕らの勝ちだ。

 

 そう思った。

 

 しかし。

 

「…………『望月派』の御三方。一つ、「提案」がある」

 

 しばらく黙りこくった後、唯明氏はそう告げてきた。

 

 ひどく落ち着いていて、それが逆に不穏を誘うような、そんな声色だった。

 

 (ほたる)さんが問うた。

 

「提案、とは?」

 

「ああ。『望月派』の御三方と、我が息子三人で——()()()()をしようという提案だ」

 

 …………なんだって?

 

 いきなり脈絡無く出てきた「三本勝負」という発言に呆気にとられる僕らをよそに、唯明氏はすらすらと説明をしだした。

 

「先鋒、次鋒、大将……双方これらを決め、立会人(たちあいにん)起請文(きしょうもん)を用意した上で剣の勝負をする。勝った側は、負けた側に一つ「要求」をし、それを強制させる。分かりやすいだろう?」

 

 一体何を言っているんだ。

 

「貴方がたが我々に望むことは、先ほど望月閣下の仰った「望月派への金輪際の不干渉」でしたな。もしも貴方がたが我々に勝利すれば、これを約束しましょう」

 

 置いてけぼりをくらう僕らに構わず唯明氏はさらに口を動かした。

 

 

 

「そして、我々が勝った場合における「要求」はこうだ。——『()()()()()()()()()()

 

 

 

 ——な!?

 

 その驚くべき、厚顔無恥ともいえる発言に、僕はこれ以上ないくらいの驚愕を覚えた。

 

 流石の望月先生と螢さんにも、予想外の切り返しだったのだろう。目元にほんの少しだけだが開きがあった。

 

 だが、すぐに冷静さを取り戻した望月先生が、抑制されたような静かさを持った声で言った。

 

「……冗談、にしては質が悪いですぞ、唯明殿。少なくとも、今言うような言葉ではない」

 

「今言う言葉ですよ。なぜなら、冗談では無いのだから」

 

 唯明氏は続ける。

 

「確かに輝秀の行いはとても褒められたものではない。だが……そんな愚かな(せがれ)でも、たった一つ、私と共有している価値観を持っているのですよ」

 

「価値観、とは?」

 

「——『()()()()()()()()()()()()()()()、という価値観ですよ。確かに、今や百万を超える門弟を抱える大流派となった至剣流の宗家たる我々に比べ、『望月派』はあまりにも零細(れいさい)。広大な砂漠の中に光る一粒の砂金のごとし。捨て置いたとしても遅かれ早かれ消えゆく……そう(たか)(くく)っていた」

 

 唯明氏の細い瞳が、鋭く光った。

 

「だが——望月閣下、貴方はなってしまったのだ。露寇(ろこう)どもを撃滅し、この帝国を救った偉大なる英雄に。そんな貴方の影響力は、我々嘉戸宗家に匹敵するか、あるいは上回る。そしてそれは我々『嘉戸派』が宗家でい続けるための障害になりかねぬ」

 

 望月先生が深くため息をついた。

 

「……わしは英雄などではない。部下に下知を送って殺したり殺されたりさせただけの、ただの元軍人だ」

 

「だが、周りはそうは思ってはくれませぬぞ。貴方ご自身がどう思おうと、貴方はまぎれもなく英雄。軍部はもとより、帝室の方々からの信頼も厚く、死後に人神(ひとがみ)にしようという者達さえいる。そんな英雄の発する言葉は、大衆を無条件に信用させるだろう。もしも貴方が、その口と声で、我ら『嘉戸派』を偽物の宗家であると大衆に大きく発言すればどうなるか?」

 

「……申し上げたはず。わしら『望月派』は、貴方がたの「影」に徹すると」

 

「言った。だが口約(こうやく)を信じきることは出来ぬ」

 

 そこで、下座に戻っていた香坂(こうさか)さんのせせら笑いが割って入った。

 

「盗人猛々しいとはこのことだな、お偉い宗家のタヌキジジイ。テメェ何様よ? 加害者側だろ? 『望月派』に詫び入れるしかない一方通行の関係だろ? それが偉そうになんだ、三本勝負って。至剣流の家元サマってのは被害者と加害者をひっくり返せるくらい偉かったんか? …………おい、帰んぞ。こんなクソみてぇな勝負受ける事ぁねぇ。あんたらには戦うメリットが何一つ無ぇんだからよ」

 

 そう言って僕らに退場を促す香坂さん。

 

 唯明氏の細い眼差しの中に光る瞳が、スッと刃物を走らせるように香坂さんへ向く。

 

「……小僧、この映像のことといい、なかなか賢しいではないか。少なくとも、輝秀よりは頭が回る。だが、まだまだ考えが浅い」

 

「あ?」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()。そう言ったのだ」

 

 切って捨てるようにそう断ずると、唯明氏は告げた。

 

「父親である私だからこそ言える。——輝秀はうつけ者だ。私は今回の一件についてしっかりと叱責しておくが、こやつはおそらく反省しないだろう。また同じことを繰り返す可能性が高い。だからこそ……秋津(あきつ)光一郎(こういちろう)君、だったか」

 

 不意に名を呼ばれ、僕は思わず身構える。

 

「君は、()()()()()()()()()()()()()()()()。輝秀が、また君やその周囲の人間に危害を加えないよう、くれぐれも注意するようにと促しておくことだ」

 

 ……いったい、何を言っているんだ?

 

 唯明氏の発言の意図を図りかねていると、螢さんが口を挟んできた。

 

「……唯明氏、まさかあなたは——()()()()()()()()()()()

 

 抑揚に乏しい可憐な声色が、ほんのかすかにだが非難と警戒の響きを持っていた。

 

 ——脅迫? どういうことだ?

 

 螢さんが続けた。

 

「もしも、わたし達『望月派』が、そちらの申し込んだ勝負を受けなかった場合……秋津光一郎をこれからも襲い続けると、そう言っているのですか?」

 

 なんだって——!

 

 驚愕した僕にも、冷静に問うてくる螢さんにも心を少しも動かすそぶりを見せぬまま、唯明氏が答えた。

 

「どう考えようが、君の自由だ。私は脅迫したつもりは無い。ただ「そうなる可能性」を教えておいただけだ。そして、その「可能性」はあまりにも高い。用心をゆめ怠らぬような」

 

 なんて卑劣な。

 

 よりにもよってこの人は、自分の息子の愚かさを、僕らが三本勝負という土俵に上がらざるを得ない材料にしようとしているのだ。

 

 もしも勝負に勝たなければ、お前だけではなく、お前の周りの人間も危ないぞ——そんな脅し方を、遠回しに行なっているのだ。

 

 怒りを発散させるために握りしめていた僕の拳は、すでにやり場を失ったように激しく震えていた。

 

「——いい加減にしろ!! この卑怯者っ!!」

 

 気がつくと、僕は勢いよく立ち上がって、怒鳴っていた。

 

「エカっぺがいったいあんた達に何をした!? お前達みたいに、自己中心的な理由で人を傷つけたか!? 何が嘉戸宗家だっ…………お前らは卑怯者の恥知らずだ!! 十年前に侵略してきたソ連軍と何が違うんだ!? 自分勝手に人を傷つけて、自分勝手に開き直るっ!! 同じ穴の(むじな)じゃないかよっ!?」

 

 理屈も何もなかった。ただ、己の中に溜まっていた怒気を吐き出した。

 

 そうせずにはいられなかった。

 

「————お前、今なんて言ったの?」

 

 刹那、僕に冷たい殺気が突き刺さった。声の主は嘉戸輝秀。

 

 そして次の瞬間——どんっ!! という畳を強く打ち付ける音とともに、僕の目の前に二つの人影が()()()

 

 僕のすぐ足元でうつ伏せに倒れている輝秀と、その右腕を取って捻り上げて床に拘束している螢さん。

 

「わっ……!?」

 

 僕は思わず後ろへたたらを踏む。

 

 ——輝秀が僕に襲い掛かろうとしたのを、螢さんが守ってくれたのだ。

 

 しかし、全く動きが見えなかった。反応できなかった。瞬く間とはまさにこういう速さをいうのだろう。もしも螢さんが助けてくれなかったら、僕はどうなっていただろうか。

 

「くそっ、離せよっ……引っ込め、クソ女ぁっ!」

 

「引っ込むのはそっち」

 

「ぐぅぁっ!?」

 

 暴れる輝秀の関節を、螢さんはさらに締め上げた。

 

「……輝秀、控えろと言ったぞ」

 

 そう静かに咎めてきたのは、長兄の嘉戸寂尊(じゃくそん)だ。

 

 兄の言葉を聞くや、輝秀は暴れるのをやめた。

 

 問題無いと判断したのであろう螢さんが解放するや、輝秀は渋々といった感じで元の席へとどっかり座った。

 

「……愚弟の行いを重ねて謝罪する」

 

 そんな寂尊氏の言葉に、僕は微塵も気分をなだめることは出来なかった。

 

「悪いと思っているのなら……今回の件でそちらの非を全面的に認めて、二度と僕達に手を出さないでください」

 

 怒りの力というのはすごい。普段なら軽々しく話しかけられなそうな凄い人に対しても、すらすらと非難の言葉を言えるのだから。

 

 しかし、やはり寂尊氏も『嘉戸派』である。

 

「それは出来ない」

 

「なんで!」

 

「宗家のためだ。四百年続くこの由緒ある一族の、地位や伝統、そして面目を守るため」

 

「……その「伝統」というものを破壊したのは、他ならない嘉戸宗家(貴方達)でしょう? ()()()()()()()()

 

「返す言葉も無い。だが、もう(さい)は大正時代に投げられた。である以上、我々は進み続ける他無い。たとえ卑劣という誹りを受けようと構わない。我々は、嘉戸宗家の威厳を守るために動く」

 

 ああ、だめだ。

 

 分かってしまった。

 

 正論をぶつけたり、卑劣を突きつけるのでは、彼らは絶対に動かない。

 

 それらを超えた、絶対的なエゴ。

 

 彼らをスタンスを支えているのは、それだからだ。

 

 僕の言葉では、絶対に彼らは考えを変えない。

 

 なんて、無力なのだろうか、僕は。

 

 僕じゃ、何もできない——

 

(————いや、本当にそうか?)

 

 考えろ。そもそも、この事件の発端はなんだ?

 

 嘉戸輝秀が、エカっぺをさらい、僕を半殺しにしようとしたこと。

 

 いや、違う。

 

 もっと、もっと()()()()()()()()はなんだ?

 

 

 

 ——僕が、『望月派』にいるから。

 

 

 

 僕が輝秀に狙われた理由は、それだったはずだ。

 

「……だったら」

 

 僕が『望月派』ではない、ただの小僧に戻れば。

 

「僕は——『望月派』を抜けます」

 

 僕の後ろから、驚愕を表す息遣いが聞こえてきた。それは誰のものか、背を向けている僕には分からない。

 

「至剣流は、もうやめます。僕は望月先生との師弟関係を終わらせて、ただの中学生に戻ります。だから、もう『望月派』には絶対に手を出さないででででででででででで!?」

 

 言い切るよりも先に、後ろから右腕の関節を極められてしまう。

 

「ほ、螢さんっ!? な、何をだだだだだだだ!?」

 

 螢さんの無言の極め技に、関節と僕の口が悲鳴を上げる。

 

「————ばか」

 

 ため息をつくようなそんな一言が、螢さんの綺麗な唇から漏れた。

 

 僕は拘束から解放されると、なんでこんなことをするのかという抗議の意思を込めた眼差しで螢さんを見つめる。

 

 螢さんは抑揚の乏しい口調で、しかしどこか苛立ったような早口で言い募った。

 

「コウ君はばか。あらゆる意味でばか。ばかの三重苦」

 

「え、えぇ……?」

 

「まず、コウ君が『望月派』を去ったところで、一時的な解決しかできないこと。コウ君がいなくなった後に新しい弟子が来たとしたら、また同じ事をされかねない。結局、元の木阿弥(もくあみ)

 

 僕はハッとした。確かに、短期的な解決にはなっても、長期的な解決にはならない。

 

「次に、あなたの目標はわたしに勝つことのはず。そのためには良師が不可欠。お義父さんは紛れもなくその「良師」なはず。それなのに、その良師を自ら手放そうとしている」

 

 確かに、至剣流の免許皆伝者は数が非常に少ない。その一人である螢さんに勝つためには、同じ免許皆伝者に師事するのが合理的だ。であるなら、その良縁を自ら手放すのは馬鹿げている。

 

「そして最後に一つ。——どうしてわたしとお義父さんが、「それ」をされて喜ぶと思ったの?」

 

 僕は最後の答えに、呆気にとられた。

 

 望月先生が、ため息をついてから言った。

 

「……螢の言うとおりだ。本当に、お前さんは馬鹿な子だな、コウ坊。お前さんのような子供が、進みたい道を諦めさせられるのを、わしが見たいと思っているのか?」

 

「望月先生……でも」

 

 悪戯を咎められた子供みたいにおとなしくなる僕。

 

 望月先生は続けた。

 

「……だが、礼を言う。これで決心がついたよ。お前さんがこれほどまでに意地を見せたのだ。大人のわしが何もせん訳にはいかんからな。——螢、()()()?」

 

「無論。……わたしも、かなり腹が立っているから」

 

 親子はそう言い合うと、揃って『嘉戸派』へと向き直った。

 

 望月先生は、はっきりと言い放った。

 

 

 

「唯明殿。——お受けしますぞ、その勝負」

 

 

 

 唯明氏の目が、はっきりと見開かれた。そうさせたのは愉悦か驚愕か。

 

 だが、すぐにその感情的な変化は引っ込み、いつもの読めない老夫の顔に戻った。

 

「……先ほども言ったとおり、勝負は三本。双方三人ずつ剣士を出し、()()()()()()()()()()()()()。我々嘉戸宗家が勝てば「『望月派』の即時解体」、貴方がた『望月派』が勝てば「嘉戸宗家の『望月派』への永久不干渉」——これでよろしいですな?」

 

 望月先生は重く頷いた。

 

「構いませぬ。ただし、約束は必ず守ってもらいますぞ」

 

「無論。香取鹿島(かとりかしま)両神、そして(みかど)に誓おう」

 

 承知した、と再び頷く望月先生。

 

 唯明氏は目を光らせ、静かに追い詰めるように言った。

 

「最後にもう一度聞きますぞ。()()()()()()()()()()?」

 

「くどい。いつまでもわだかまりを残し続けるより、今、それを晴らしてしまう方が後腐れが無くて良い。それに……老人の都合で、若者の進む道が阻まれることを、わしは好まぬ。わしはこの生い先短い身を、わしについて来てくれたこの子達を導くために使いたい。それを邪魔するならば、たとえ宗家であろうと——()()

 

「——決まりですな」

 

 唯明氏と、その息子三人が一斉に立ち上がる。

 

 望月先生も、僕達二人に合わせる形で立ち上がる。

 

 ——嘉戸と望月。

 

 歴史の流れに翻弄され、二つに分たれた至剣流宗家。

 

 それが再び一つになるのか。

 二つでい続けるのか。

 

 それを決める戦が、今、始まろうとしていた——

 

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