帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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三本勝負《四》

「っ——はぁっ、はぁっ、はぁっ…………!!」

 

 寂尊(じゃくそん)は膝に両手を突きながら、荒い息を繰り返した。

 

 目を大きく見張り、脂汗の滴をいくつも浮かび上がらせた今の顔は、身内にさえ滅多に見せたことの無いものだった。それほどの苦痛を味わった表情。

 

 しかし、寂尊の心中は、行く手を阻む巨大な山脈を通り抜けられたような、そんな達成感に満ちていた。

 

 ——『泰山府君剣(たいざんふくんけん)』を、耐えることが出来た。

 

 そのために、心身の力を大幅に注ぎ込んだ。ゆえに次鋒戦開始の時——大稽古場の壁に設置された時計の針は、まだ一分すら進んでいなかった——に比べ、かなり消耗していた。

 

 でも、耐えられた。

 

 英雄が放った、最強無比の剣技に。

 

 寂尊にとって、最大の障壁は今、取り除かれた。

 

 柄にもなく、口端が吊り上がる。

 

 へばりかけていた全身に、喜びから来る力がみなぎる。木刀を握る力が強まる。

 

 肉薄。

 

「ぬ」

 

 鋭く放たれた寂尊の一太刀を、源悟郎(げんごろう)は小刻みに木刀を震わせて横へ弾きつつ、そのまま刺突に繋げてきた。ほぼワンアクションで行われる防御と刺突は、『綿中針(めんちゅうしん)』の中に見られる防御と反撃をコンパクトにしたものだった。——その型の名は『鴫震(しぎぶるい)』。

 

 しかし、寂尊の眉間はすでに、源悟郎の刺突の延長線上から横へズレていた。右耳をスレスレで鋭く通過し、空気を切る音が右耳に入る。

 

 かと思えば、刺突であるはずの源悟郎の剣の動きが緩み、断絶を作ることなく寂尊の首へ近づいてきた。これが真剣であれば頸動脈を引き斬りする算段なのだろうが、これは木刀だし、おまけにその峰を後頭部に回り込ませようとしているのが()()()

 

 寂尊は身を頭部ごと前傾させつつ、木刀の両端を持って横一文字に前へ構えた。

 

 途端、源悟郎の木刀が鋭く引き戻され、右耳の隣で剣を垂直にした「陰の構え」になった。まるで『石火(せっか)』を逆再生させたようなその引き戻しから次の瞬間には、『石火』が繰り出される。——『石火』の動きを逆に運用した素早い引き戻しから、すかさず『石火』による反撃へと転ずるその型は『雁翅(がんし)』という。

 

 かぁん!! 電光石火の鋭さで前へ跳ねた源悟郎の切っ尖は、寂尊の横一文字の構えと衝突。快音が響く。

 

「ぬっ……?」

 

 反撃に次ぐ反撃を全て防がれた源悟郎は、わずかに目を見張る。

 

(『雁翅』……アレの最初に行う剣の引き戻しは、敵の攻撃をさばいて次の一太刀へ繋げるためのものだ。しかしそれを、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に用いるとは…………読めていなければ、術中にはまっていただろうな)

 

 文字通り「型破り」な型の用い方に感嘆を抱いていると、()()()()()()()()()()()()()()()()()を勘付き、後方へ飛び退きながら、左耳の隣で剣を垂直に構えた「陽の構え」を取った。

 

 瞬間、源悟郎の木刀が急激に蛇行を描いた。蛇が虚空を這うような柔軟で曲線的な太刀筋が、直前まで寂尊の足があった位置を鋭利に舐め、さらに流れそのままに寂尊の左側頭部に構えられた木刀を一撃した。——『委逶(いい)椿(つばき)』の型だ。

 

 さらに寂尊は右へ跳んだ。次の刹那、寂尊の「陽の構え」と接していた源悟郎の木刀の峰に、彼自身の右脚回し蹴りが重々しく衝突したのだ。人体は突発的な横からの衝突に弱く、食らったら横転しやすい。それを間一髪逃れることができた。

 

 それからも、二人は幾度と剣を交えた。

 

 繰り出し、繰り出される太刀筋の数々。

 

 寂尊は、源悟郎がこれから放つであろう太刀筋や動きを全て完璧に見切った上で、最も適切な動きでもって対処していた。

 

 ——武芸者が用いる「読み」というのは、まだ見えていない情報を見えていない段階から「補正」する認識能力を指す。

 

 人間は絵を見ると、たとえ平面上の存在であっても、その絵の立体的構造を無意識に脳内で「補正」する。

 

 散らばったサイコロ。それらの表になった面を見て、その目の数を見て計算すれば合計数が分かる。しかし、サイコロの目の位置を正確に知っている者であれば、真下になって見えない裏の面の数の合計も自然と理解できる。

 

 このように、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が、人間には備わっている。

 

 優れた武芸者は、戦いにおけるこの能力が、普通の人より優れている。その高められた認識能力こそが「読み」である。

 

 ——そして寂尊は、この「読み」が誰よりも抜きん出ている。

 

 寂尊を殺すには、銃ですら役者不足。撃つ直前からその正確な軌道を読まれ、散歩でもするかのように避けられ、近づかれ、斬られてしまう。銃で武装したリッチモンドの通り魔を味方撃ちで自滅させることができたのも、この「読み」の正確さゆえであった。

 剣同士の勝負であればなおのこと。

 他の二人の弟の優位性は『至剣』にあるが、寂尊に限っては『至剣』ではなく、この「読み」の精密さを高く評価されていた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()——唯明(ただあき)が次期家元候補の筆頭に寂尊を推している理由は、生まれた順番などではなく、そこにあった。

 

 ……だが。

 

 この望月源悟郎という老夫は、軍人としてだけでなく、剣客としても一級品だった。

 

 確かに、「読み」の力はこちらの方が優れている。

 

 しかし、たとえ未来が読めていたとしても、避けにくい——そんな攻撃を次々と繰り出してくるのだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()、とでも言えばいいのか。

 

 今その瞬間だけでなく、次の一手先までも己の意のままにしている。

 

 一見すると大雑把だが、細部まで見ると非常に緻密で計算されつくした攻め手。

 

 そんな技を、息をするかのごとく次々と出してくる。

 

 望月螢とはまた別種の、神がかった剣技。

 

 ——望月源悟郎は今や日本で最も有名な軍人だ。なので、調べようと思えばその情報は捨てるほど手に入る。

 

 望月源悟郎。

 旧名、葉村(はむら)源悟郎。

 熊本県の農村の出身だった。

 家の近くに、たまたま二天一流の伝承者がいた。幼い頃から遊びの延長で剣を学び、それが長じて免許皆伝を得てしまった。十五歳の頃だ。

 陸軍大学校では、主席の成績をおさめて恩賜刀(おんしとう)を授与され卒業。その後、軍人としてさらに頭角を現していく。

 二十三歳の頃、望月家の女性と見合い結婚。婿養子として望月家に入る。

 それから望月派至剣流を学び始め、十年の修行で『至剣』を得て免許皆伝。

 

 ——そう。源悟郎が皆伝している剣術は至剣流だけではない。二天一流の印可(いんか)も受けているのだ。

 

 次の剣術を学んだからといって、以前の剣術の色がまったく消えるわけではない。

 

 以前の剣術を濃厚に学んだならば、その「色」が必ず次の剣術を学んだのちにも現れる。

 

 すなわち、源悟郎の剣には、二天一流の匂いが強く残っている。

 

 二刀をもって、一動作に攻防を一体させるのと同じように。

 

 一太刀をもって、一動作に今と先を包括させる剣技。

 

 さらには『泰山府君剣』——アレは、二天一流で養った「気攻め」の術が極大化したものであると思われる。

 

 やがて。

 

(たぁん)ッ!!」

 

 源悟郎が両断の気合を伴い放った『迦楼羅(かるら)(けん)』が、寂尊の防御ごとその体を打ち飛ばした。

 

(不覚……!)

 

 寂尊は危機感を覚える。体勢を大きく崩され、足が宙に浮いてしまった。足で地を踏んでいることこそが、人が勝つ上での最低条件。それから離れている死に体の今が最も格好の狙い所。

 

 次の瞬間には、源悟郎の決め手の一太刀が——

 

 

 

 訪れなかった。

 

 

 

 何事もなく、寂尊は受け身を取って着地できた。

 

 源悟郎ほどの剣客なれば、先ほどの格好の隙を見逃そうはずがない。

 

 それをしなかったのは何故か?

 

 いや——()()()()()()のは、何故か?

 

 答えは、寂尊の目の前にあった。

 

「っ…………ぐぅぅっ……!!」

 

 源悟郎は、片手で胸を強く押さえて膝を屈していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「望月先生!? どうしたんですかっ!?」

 

 ずっと続けてきた積極攻勢を突如やめたまでは良いが、うずくまって苦しげにしだしたのには流石の僕でも異変を察せた。僕は思わず呼びかけた。

 

 望月先生は僕へ反応せず、ただただ己の内の苦しみに耐え続ける。額に浮かぶ脂汗が、陽光を反射していた。

 

 今すぐ駆け寄りたいが、今は勝負の最中だ。割り込みなどしようものならこちらの反則負けになりかねない。……いや、それ以上に、あの中に近づくことさえ叶うかどうか。

 

 そんな僕の代わりに、寂尊氏が望月先生へと歩み寄り、木刀の切っ尖を突きつけた。

 

「敵を知り己を知れば百戦殆うからず——こうなることは分かっていた。あらかじめ、貴方のことは調べがついている」

 

 寂尊氏は、まるで他人の罪状を読み上げるように、淡々と、しかしはっきりと述べていく。

 

 

 

「望月閣下。貴方は————心臓が弱いのだろう?」

 

 

 

 なんだって。

 

「弱り始めたのは、日ソ戦が終わって一年後、つまり今から九年前だ。年齢のせいか、戦争の頃のストレスのせいか、あるいは両方が原因か。その九年前を境に、貴方は心臓に関わる薬を定期的に処方されている。——救国の英雄として揺るぎない名声を手にした貴方が、それを『望月派』の拡大に利用しようとしなかったのも、それだけの体力が無いことを己自身で分かっていたからだ」

 

 苦渋に満ちた望月先生の顔に、図星を突かれた感情がわずかに浮かぶ。

 

「そう。体力が無い。だからこそ貴方は初手から『泰山府君剣』を使ってきた。早々に勝負を決着させ、長期戦を避けるために。そうするのは正しい選択だ。ゆえにこちらもその狙いに容易に気づけた」

 

 何もかも見透かしたような、寂尊氏の眼差し。

 

「『泰山府君剣』は確かに強力だ。現存している『至剣』の中では最強と言っても過言では無いかもしれない。しかし弱点も存在する。——それは、()()()()()()()使()()()()点だ。貴方が『至剣』を開眼させて皆伝して以来、貴方が『泰山府君剣』を一日のうちに使った回数は、一回を超えたことは一度も無かった。()()()()()()()。ゆえに、俺は初手の『泰山府君剣』に耐え抜くことに全力を注いだ。これを乗り越えれば、あとは貴方が消耗するのを待つだけ……その(こす)い策は、どうやら上手くいったようだな」

 

 望月先生は苦しみつつも、称賛するように笑声をこぼした。

 

「……狡い、とは、謙遜を言う。我が『至剣』に、耐えて、おきながら……!」

 

「お褒めに預かり、光栄だ」

 

 寂尊氏は静かにそう言って一区切り置いてから、今度はその静かな口調にかすかな懇願の響きを混ぜて告げた。

 

「望月閣下——どうか降参を。流派は違えど、俺は一人の武人として、貴方のことを心より尊敬している。尊敬する者を、ましてやこの国を救った勇者の体を打ち据えるという賊徒のごとき所業を、どうか俺にさせないで頂きたい」

 

「……それは、聞けぬ相談だ……!」

 

「————極めて遺憾(いかん)

 

 悔しげに唸るように呟くと、寂尊氏は木刀を振った。

 

 顔面を殴られた望月先生の体が、大きく横へ転がった。

 

 何とかしゃがんだ状態に体勢を整える。苦しみつつも木刀を構えて身の守りを固める。

 

 寂尊氏は望月先生の体に蹴りを叩き込み、防御ごと蹴り飛ばした。

 

 再び転がり、今度はうずくまったまま構えることも出来なくなる先生。

 

 それを、容赦無く木刀で殴りつける寂尊氏。

 

「やめろ……」

 

 立とうともがく先生。それをさらに木刀で打つ寂尊氏。

 

「やめろよ……!」

 

 そんな悲惨な繰り返しを幾度も重ねていく。

 

「もうやめてくれ……!」

 

 望月先生の顔面は、それを繰り返すたびに疵だらけに、そして血まみれになっていく。

 

「やめろ……!!」

 

 それを目にしてもなお、寂尊氏は手を一切休めない。

 

 死ぬまで殴る。

 

 そう言わんばかりに、立とうと足掻く望月先生を執拗に。

 

 何度も。何度も。

 

「もうやめろよぉぉぉぉ————!!」 

 

 僕が思わず叫んだ、その時。

 

 ()()()()()

 

 僕の隣を横切り、ものすごい勢いで望月先生と寂尊氏の間へ飛び出していったのは、螢さん。

 

 もう何度目かになる寂尊氏の木刀の一撃を、望月先生の代わりに防いだ。

 

 かぁん。

 

 木刀同士がぶつかり合う音が、虚しく、静かに響いた。

 

 そして。

 

「——反則負けだ。感謝するぞ望月螢。()()()()()()

 

 寂尊氏は、冷厳にそう告げた。

 

 そんな彼を、螢さんはジッと見つめて……いや、睨んでいた。

 

 

 

 

 

 勝者————嘉戸寂尊。

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