帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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三本勝負《終》

「あ……あ……」

 

 エカテリーナは、目の前で起きている光景を、色白な肌をさらに白くしながら唖然と傍観していた。

 

 煙のような姿に変貌した輝秀(てるひで)。それによってひたすら木刀で痛めつけられ続ける光一郎(こういちろう)

 

 その実力差は推して知るべし。光一郎には反撃する暇はおろか、反撃できる体力すら残っていない。

 

 ただただ、硬い衝撃を叩き込まれ続けるばかり。

 

 光一郎に煙の太刀筋がぶつけられるたびに、稽古場の床に赤い血滴が散らばる。

 

「い、いや……いやぁっ…………!」

 

 エカテリーナの唖然とした表情は、それが繰り返されるうちに悲嘆のソレへと変じていった。

 

 やがて、ずっと立った状態だった光一郎が、体勢を崩した。

 

 片膝をついた状態になっても、輝秀は情け容赦を見せず、木刀を振り抜いた。光一郎の小柄な体が血を撒き散らしながらゴミのように転がった。

 

 それを見て、とうとうエカテリーナの心は限界に達した。

 

「——いやぁぁっ!! もうやめてぇっ!! コウが死んじゃうよぉっ!!」

 

 絹を裂くような悲嘆の叫びを上げながら、光一郎へ向かって飛び出そうとした。

 

 だが、その腕を掴む者がいた。

 

「あんた……!」

 

 (ほたる)だった。

 

 驚いたのは一瞬だけ。すぐに燃えるような反感を覚えた。

 

「ねぇ、なんで邪魔するのよ? なんであんたも止めないのよ? コウがあんなになってるのに、どうして望月大将の時みたいに助けに入らないのよ? あんたなら出来るはずでしょ?」

 

 爆発しそうなのを抑制したような口調で言いながら、手を振り解こうとする。

 

 しかし、螢の掴む力は微塵も緩まない。

 

 エカテリーナはいよいよもって頭に来た。

 

「何とか言いなさいよ!! ねぇ!? コウはあんたの弟弟子でしょ!? それがあんなにされてるのに、何とも思わないわけ!? ——あぐっ!?」

 

 螢の握力がさらに強まり、エカテリーナは痛みで顔を歪める。

 

 なんて力だ。女の握力じゃない。

 

「……あんた」

 

 だからこそ、表情の変化に乏しくとも、その握力に込められた螢の内なる葛藤を察してしまった。

 

「——キャンキャン喚くなよ、イワンの雌犬」

 

 そこで、輝秀の冷ややかな発言が投じられる。

 

 足下には、もはやボロ雑巾同然の光一郎がうつ伏せになっており、なおも立とうと足掻いていた。

 

 そんな光一郎に、輝秀は蹴りを叩き込んで転がした。

 

「助けに入れって? 出来るわけがないだろう。螢ちゃんが助けに入るってことはね、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。望月源悟郎(げんごろう)の時だけじゃなく、この小僧の時でまでそれをやっちゃったら、いよいよもってゴミ認定になっちゃうんだよね。螢ちゃんはそいつをよぉーく分かってる」

 

 エカテリーナがまたも苦痛で小さく唸る。螢が握る手の力を無意識に強めたからだ。

 

「まぁ、また邪魔したいなら別にいいんだよ? 俺もそろそろ飽きてきたしね。いずれにせよ『望月派』が消えるっていう結果は変わらないわけだし」

 

 ——この戦いを止めることができるのは、もはや光一郎のみ。

 

 彼が一言「降参」と言えば、これ以上の苦痛は受けなくて済む。

 

 螢もその選択を一切責めるつもりは無い。そもそも、勝ち目など無いに等しかった戦いだ。それにわざわざ挑んでくれたことに感謝こそすれ、責めるなどお門違いもいいところだ。

 

 だけど。

 

 光一郎はそれをしなかった。

 

「やだぁっ……もうやめてよぉ、コウっ……!」

 

 すがるような声で涙ながらに訴えるエカテリーナに見向きもせず、なおも立ち、木刀を構える光一郎。よろけて、口元から血をボタボタ垂らしながらも、それでも構え続ける。

 

「粘るなぁ。俺、結構マジでやってるんだよね。見た目に反して頑丈だねお前」

 

 呆れたような、感心したような声とともに、輝秀の姿が再び煙と化した。

 

 そして、光一郎の横っ面を、煙の剣が思い切り殴りつけた。

 

 虚空に真っ赤な雫の軌跡を描きながら、光一郎が派手にぶっ倒れた。

 

 

 

 

 

 

「…………っ、く、そっ……」

 

 悪態をつく余裕すら、今の僕には無い。

 

 全身くまなく痛い。あまりに痛みが広がっているため、痛いのが普通になってきていて痛みとすら感じなくなってきている。痛みを着ている感覚。

 

 それでも、まだ意識を保てている。

 

 であれば、立ち上がるには十分な理由だ。

 

 僕は、四肢に力を込め、震えながら立ち上がった。

 

「……っ、とっ」

 

 そろそろ限界に近いのか、よろける。

 

 どうにかバランスを保つが、それでも足腰が震えている。今では『級長戸辺ノ太刀』ではない普通の技ですら避けられるか怪しい。

 

 ——潮時か。

 

「そろそろお開きかな? いやぁ、勇敢だったよ秋津(あきつ)光一郎。いや、蛮勇と言うべきかな?」

 

 僕とは対照的に、輝秀は余裕な態度と無傷なありさまをなおも保っていた。

 

 不可逆な勝敗を、僕ら二人の様子の違いが濃厚に示していた。

 

 この勝負……僕の負けだ。

 

 悔しい。

 

 とても悔しい。

 

 負けることだけじゃない。

 

 『望月派』を守れなかったこと。

 

 螢さんと望月先生が大切にしているモノを、力及ばず守れなかったこと。

 

 そう、僕は負ける。

 

 それは分かっている。こうなることも分かっていた。

 

 だけど。

 

 一つだけ、負ける前に、輝秀(こいつ)に訊きたいことがあった。

 

「……なんで、だ」

 

「あ?」

 

 出し抜けな問いかけに、輝秀が口をぽかんとさせた。

 

 荒い息で、途切れ途切れに、僕は問うた。

 

「『級長戸辺ノ太刀』だったか……これを、螢さんとの、勝負に、使わなかったのは……なんでだ、って、聞いてる」

 

 そう。これを使えば、もしかしたら螢さんに勝てたかもしれないのに。

 

 素朴な疑問だった。

 

 それに対する輝秀の反応は、意外なものだった。

 

「お前、結構嫌なこと訊くよねぇ。——使()()()()()()()()、ってすぐ分かったからだよ」

 

 ずっと余裕を崩さなかった優男のかんばせに、苛立ちの歪みがかすかに生じた。

 

「確かに俺の『級長戸辺ノ太刀』は、寂尊(じゃくそん)兄ぃのずば抜けた「読み」さえも(あざむ)ける究極の目眩しだ。だけど……それでも勝てないと、分かっちゃったのさ。あの女にあっさり『龍煙剣(りゅうえんけん)』を避けられた、その瞬間にね。俺達みたいに熟練しきった剣士の間にはねぇ、あるんだよ、そういう直感みたいなのがさぁ」

 

 くつくつと喉の奥を笑わせる輝秀。その笑声は可笑しげでもあり、悔しげでもあった。

 

「だったら、どうせ勝てないのなら、手の内を隠したまま負けた方が得だろ? 『級長戸辺ノ太刀』はそうそう破られるものじゃあないが、それでも外部へ情報を漏らさないに越した事はない。戦略的だろ?」

 

 ……ああ、そういうことか。

 

 宗家に名を連ねるこの男でさえも、螢さんにとっては、()()()()()()()()()()()()()()でしかないんだ。

 

 彼女欲しさに挑戦をし、そして敗れる。

 

 敗れただけでなく、その類稀な剣腕に己の非才を思い知らされ、打ちのめされ、そして二度と挑戦することがない。彼女を追いかけ続けることは、届くはずのない虹を延々と追い続ける行為に等しいからだ。

 

 そんな、「その他大勢の一人」でしかなかったのだ。輝秀も。

 

「なるほど……()()()()()の『天狗男』か」

 

 僕がそう呟くと、輝秀は不機嫌そうにトーンダウンした声で、

 

「……お前、今のもう一度言ってみろ」

 

「何度でも、言ってやる。……お前は、()()()()()。剣で戦っても勝てない。その屈辱を自分の剣じゃなくて、他人に向けた。自分の、剣が、無力じゃないって……実感したかった、から……だから、『天狗男』として、暴れてたんだろ」

 

「ごめんやっぱ黙れ。死にたくなかったらな」

 

「僕は……()()()()()()()。あんたと違って、な。僕は、自分の剣に、向き合って……あんたは、向き合わなかった……!!」

 

「————うぜぇんだよ、この死に損ないがぁっ!!」

 

 木刀で頬をぶん殴られた。

 

 剣技もへったくれもない力任せな一撃だったが、それでも今の僕には避けられず、無様に転がった。

 

「俺がどうしてお前みたいな虫ケラに『級長戸辺ノ太刀』を使ったのか教えてやろうか!? ()()()()()()()()()()()()()()()()!! ()()()()()()()()()()()()()()!! ()()()()()()()!! そう現実を突きつけてやるためだよ!! そうした上で『望月派』を潰してやるためだよ!! そうすりゃさすがの馬鹿なお前だって未練無く剣を捨てられるだろ!? これは残酷じゃない、俺からお前への最高級の温情なんだよ!! 馬鹿で雑魚で世間知らずで身の程知らずなお前へのなぁ!!」

 

 金切り声のような語気で、ぶつけるように言い募る輝秀。

 

 荒くなった呼吸を落ち着けてから、突然何か思いついたようにニヤリと微笑した。

 

「……そうだ。どうせなら、否応無く剣から足洗えるようにしてやるよ、小僧。お前みたいな物分かりの悪いのには、そういうやり方が一番効果的だ」

 

 不気味な笑い声を漏らしながら、輝秀がゆっくり近づいてくる。

 

「剣客として重要な骨を粉砕し、筋を断つ。()()()()()()()()()()()を殺してやるよ。二度と望月螢のケツを追いかけられないようにして、お前を永劫続くかもしれない苦行から解放してやるよ。……安心しなよ。世の中は広い。女はいくらでもいるさ。お前のその根性があれば、次の恋はモノにできるだろうよ」

 

 僕はその前に体勢を整えようと、残った力を振り絞って立とうとする。

 

「うっ……!」

 

 しかし、途中で痛みで姿勢が崩れて、片膝を付いてしまう。

 

 すでに輝秀は目と鼻の先まで来ていた。

 

 その木刀が、振り上げられた。

 

 今まさに振り下ろされんとしている。

 

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