帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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ざわつきの正体、そして決断

 その後、茫然自失の表情と夢遊病のような足取りで去っていく首藤(すどう)氏を見送ってから、僕らは雑談に入った。

 

「さっきの人は、首藤泰樹(すどうやすき)氏。帝国陸軍中尉で、鹿島神傳(かしましんでん)直心影流(じきしんかげりゅう)の免許皆伝。十八歳の頃に天覧比剣(てんらんひけん)の一般部に参加して、見事優勝してみせた団体の中の一人。通り名は、床に響くほど重々しい発声にちなんで『遠雷の首藤』。……つまり、凄い人」

 

 (ほたる)さんが、いつもの抑揚に乏しい口調でそう説明する。

 

 天覧比剣——その単語に、僕の心全体が、小さくざわつく(・・・・)のを実感した。

 

 その感覚を無視する意味も込めて、僕は螢さんに言葉を返した。

 

「でも、螢さん、ちゃんと勝ちましたよねっ。『浮船(うきぶね)』で、しかもそれに不向きな竹刀で」

 

「……やっぱりコウ君は、良い眼をしてる」

 

「え、そ、そうですかぁ? うへ、えへへぇ」

 

 螢さんに褒められちゃった。嬉しい。そのもみじみたいな手で頭を撫でてくれたらなお嬉しいのだが。うわ何考えてんだ僕きもちわるい。

 

「……コウ、顔がすけべ過ぎ」

 

 そんな邪な感情が顔に出ていたのか、ジトッとした目をしたエカっぺにそうたしなめられる。恥ずかしい。

 

 螢さんは自慢するように薄い胸を張った。かわいい。

 

「竹刀を使った『浮船』は、天覧比剣に出てた頃のわたしのとっておきの一つ。普通誰も竹刀で使わない技だから、これを出されると相手は面白いほど喰らう。しかも『浮船』は相手の太刀を逸らしながら突くという性質を除けば普通の刺突を変わらないから、色んな技と組み合わせられる。だからどのタイミングで『浮船』が出てくるか相手には分からない」

 

「えっ……螢さんも、天覧比剣に出てたんですか!?」

 

「ん。葦野女学院(ヨシ女)の中等部二年生の頃に。少年部に」

 

「それで、結果は……?」

 

 螢さんなら絶対優勝してるだろう——そんな僕の先入観に、螢さんは否と答えた。

 

「準優勝」

 

「え…………ええっ!? 螢さんがぁっ!?」

 

 まさか、螢さんより強い人が、中学生レベルの人でいたなんて……いや待て、もしそうだとしたら、螢さんはもうその人と付き合ってるかお嫁に行ってるってことじゃ……ああでも向こうが告白とか求婚してなかったんなら負けても交際も嫁入りも無しか——

 

「——螢個人の戦績は、予選一回戦から天覧比剣準決勝まで、負け無しだったのだぞ。しかし天覧比剣は「団体戦」だからな。一人が勝っても、他のメンバー二人が負ければ勝てんのだ」

 

 ぐるぐる回っていた僕の思考を、苦笑の響きを持ったその言葉が納得させてくれた。

 

 声の主は、カイゼル髭をたくわえた、作務衣(さむえ)姿の大柄な老夫——我らが剣師、望月源悟郎(もちづきげんごろう)先生であった。

 

 先生は今まで、家に掛かってきた電話に出ていたため、不在だったのだ。……電話が鳴ったのは首藤氏が来訪してきた時。それから今に至るまで十五分ほど経っている点を考えると、結構長電話だったようだ。

 

「おや、首藤君はもうお帰りか?」

 

 望月先生はのんびりした口調でそうおっしゃる。……「勝負はどうなった」ではなく「お帰りか」と言ったあたり、螢さんの勝ちを最初から確信していたと考えて良いだろう。

 

 螢さんは小さく「ん」と頷く。かわいい。

 

「お義父(とう)さん、随分と遅かったけど、電話は誰から?」

 

「イサからだったよ」

 

「イサ……ああ、樺山(かばやま)勇魚丸(いさなまる)閣下のこと。閣下は何と?」

 

「今度、久しぶりに遠出をしないか、とのことだ。わしとイサ、そして(あけ)さんの三人で、ホノルルあたりでな。……返事は保留としたが」

 

「行くの?」

 

「……行って良いかな?」

 

「行けば良い。お義父さん、樺山閣下、そして(ほし)閣下も、もう良い歳だから。楽しんでくれば良いと思う」

 

「ありがとう。では、誘いに乗ることを前提で考えておこう」

 

 交わされる親子の日常的なやり取り。

 

 しかしその中でビッグネーム(・・・・・・)が二つも出てきた。

 

 樺山勇魚丸……十一年前の日ソ戦争時、海軍大将だった人だ。

 

 それに「(ほし)」という苗字と、「(あけ)さん」という呼称……十中八九、星朱近(ほしあけちか)氏のことだろう。同じく、十一年前の空軍大将だ。

 

 そこに我が師である望月先生の名前が加われば——ソ連による侵攻からこの帝国を守護した三人の名将『三傑(さんけつ)』が揃う。

 

 御三方ともすでに軍から退いているが、その武勇と、それが勝ち取った現在の平和の尊さは、学校の教科書にしっかりと載っている。

 

 こういう何気ない会話の中で垣間見える、「英雄」としての望月先生の片鱗。

 

 そして、剣客としても、先生はまごうことなき大人物だ。

 

 僕はそんな偉大な人を、師と仰いでいる。

 

 誇らしいと思う反面、重責のようなものも時折感じる。

 

 そんな偉大な人が、のほほんと過ごしても許されるであろう残り少ない余生の一部を、自分のようなちっぽけな小僧に切り崩して与えてくれている。……だからこそ、僕は頑張らねばならない。先生が差し出してくれたものを、余さず受け取りきらなければならない。

 

 無論、僕の最終目標は、螢さんに勝利することだ。

 

 しかし、僕は今学んでいる望月派至剣流を、そのための手段(・・・・・・・)としてだけ(・・・・・)で終わらせる気は、もう無かった。

 

 去年行った、嘉戸宗家との「三本勝負」に勝利してから、そう決めたのだ。

 

「年寄りが話の腰を折ってすまないな。何だったか、天覧比剣について話していたのではなかったかな。……先ほども言った通り、螢は団体戦としては準優勝で終わったが、螢個人としての戦績で見れば全勝無敗だったのだぞ。だから安心して良い、コウ坊」

 

 僕の内心の胸騒ぎを読んでいたのか、望月先生がからかうようにそう告げてきた。

 

 思わず顔が熱くなった。いや、「螢さん大好きー!! 結婚しましょー!!」って気持ちは常日頃からこれ以上無いくらい露わにしているはずなのだが、それでもなんか恥ずかしかった。

 

「北海道代表が相手だったから、仕方が無い。あの頃はみんなよく健闘したと思う」

 

 螢さんがそう淡々と述べる。

 

 エカっぺが気になった様子で尋ねた。

 

「北海道って、そんなに撃剣強かったっけ?」

 

「強い。より正確には……北海道の玄堀(くろほり)中学校が。あそこはここ十年間、天覧比剣の常連状態。まごうことなき強豪」

 

 螢さんの口調に、少し強みが増しているように聞こえた。

 

 エカっぺも、そして僕も、彼女の発言を聞いて合点がいった。

 

 玄堀中学校——すなわち、かの有名な『玄堀村(くろほりむら)』にあるであろう学校だ。

 

 十一年前の、ソ連による北方侵攻。沿岸部の村々は為す術もなく蹂躙されていったが、たった一つだけ、ソ連軍の魔の手を退いた村があった。それが玄堀村だ。

 

 ゲリラ戦に有利な地形と、豊富な武具や食料、軍学に通じた武士の末裔、さらには村人の四分の三が柳生心眼流を学んでいたという「一村一流」……それらの要素を駆使し、玄堀村は日本軍の反転攻勢が始まるまでの間、ソ連軍の侵攻から村を守り抜いたのだ。

 

 そのため、今の玄堀村には、実際に戦争を戦った人達が多い。

 

 つまり、今の玄堀中学生は、そういう人達から指導を受けているのだろう。

 

 ……なるほど。それなら強くないわけがない。

 

 そして、いつも平坦な態度な螢さんが、かすかにだが口調に感情がこもったのも頷ける。

 

 玄堀村は……螢さんの憧れ(・・)だから。

 

 香坂(こうさか)さんが口を出してきた。

 

「でも、お嬢のいるヨシ女だって負けてねぇだろ? 毎年じゃねぇが、結構な頻度で天覧比剣に出場してるじゃんか、ヨシ女の『清葦隊(せいいたい)』はさ」

 

「……ん。それもいえる。特に今年の『清葦隊』は、中等部三年生の女子が隊長に成り上がった。彼女は強い。きっと良い場所まで上がっていける」

 

「確か『清葦隊』って、ヨシ女の学祭の自警団と、撃剣部とを兼ねてるんだっけか? おまけに完全実力主義で、上下関係がコロコロ入れ替わってんだろ?」

 

「そう。実力さえあれば、初等部一年生でも隊長になれる。その実力主義こそが、ヨシ女の『清葦隊』を強豪たらしめている要素」

 

「ちなみに、お嬢が所属してた頃はどうだった? 序列は」

 

「わたしが隊長だった。隊長になると必ず天覧比剣出場のレギュラーになれるから、入隊した時隊長だった先輩を倒してその座を奪った」

 

「……やっぱすげぇな、お嬢は」

 

 そんな風に話す二人を、僕は見つめていた。

 

 僕の胸中に宿るのは、奇妙な感覚。

 

 「ざわざわ」とした感覚。

 

 不快ではない。しかし、落ち着かなくて、居ても立っても居られないような、そんな感覚。

 

 天覧比剣について耳にするたび、その妙な感覚が胸に去来する。

 

 僕の手が、我知らず胸を掻く。稽古着のガザガザした感触。

 

「どうしたんだ、コウ坊?」

 

 望月先生が、そんな僕の微かな変化に気がついたようで、そう尋ねてきた。

 

「えっと、その……なんだか天覧比剣のことを耳にするたびに、胸がざわざわするといいますか……」

 

 この「ざわざわ」は、今に始まったことではない。

 

 昨日、ミーチャの「天覧比剣を目指す」という言葉を聞いた時。

 

 いや、そもそも学校で、撃剣部部長の氷山(ひやま)先輩と天覧比剣の話をしたその時点から、僕の中にかすかな「ざわざわ」があった気がする。

 

 これは、いったい、なんだろうか。

 

 自分の中に溜め込まれたありったけを、どこかにぶちまけてしまいたいような。

 

 しかしそのありったけを注ぐ場所が見つからず、落ち着かない。

 

 これは、本当になんなのだろう。

 

「コウ坊」

 

 そんな僕に、望月先生は優しく呼びかけてきた。

 

 まるで、全てを見透かしたような、そんな笑みを浮かべていた。

 

 僕の悩みの正体すら、看破したような。

 

「その「ざわつき」は、お前さんの心が、「次」へ行きたがっている証だ」

 

「次……?」

 

「そうだ。「次」だ。——天覧比剣に、興味があるのだろう?」

 

 さらには、僕の自覚していない「僕」を、呼び起こしたり。

 

 そうだ。

 こんなに胸が「ざわつく」のは——天覧比剣に、出てみたいと思っているからだ。

 

 僕が本格的に剣を学び始めて、すでに半年を過ぎている。

 

 手前味噌になるが、確かに僕の至剣流は最初よりそこそこ上達し、切紙(きりがみ)免状まで頂いた。……切紙の取得まで一年かかった螢さんよりも速く。

 実戦も、何度か経験した。

 しかし、それは路上の喧嘩ばかりだ。

 みんなが見るような、みんなが認めるような、みんなが集まるような……そんな「場」において、僕は一度も戦ったことが無い。

 

 天覧比剣は、その「場」として、最たる舞台だろう。

 

 剣士にとっては、参加することに意義がある、そんな晴れ舞台。

 この狭い帝都東京だけでなく、日本全国の強者たちと剣を交えられる。

 これは——これ以上無いくらいの、修行になるのではないか?

 

 螢さんも、この大会に出たのだ。

 ならば、自分もそれを目指すべきではないのか?

 

 何より————自分が、どこまでやれるのか、試したい。

 

「——出てみるといい。たとえ勝っても負けても、お前さんにとっては必ずや良い経験となるだろうから」

 

 その言葉を聞いて、僕はようやく決心を固めた。

 

 

 

 

 

 僕は今年、天覧比剣を目指す、と。

 

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