帝都初恋剣戟譚 作:新免ムニムニ斎
卜部さんから撃剣部入部を勝ち取ってから、その翌日。
放課後。
「——よし。んじゃ、行きますか」
帰りのホームルームが終わると同時に、僕は意気込みをもって席から立ち上がる。
教室の出入り口へ流れていく級友たちとは流れを反する形で、エカっぺが僕に歩み寄ってきた。
「ふふ、いよいよ稽古ね。撃剣部員くん」
「そうだね。ちょっと緊張するかも。部活に入るのなんて初めてだからさ」
「普段やってる撃剣授業とそう変わらないと思うわよ。まぁ、頑張んなさい」
軽く笑いながら、僕の肩をポンと叩くエカっぺ。
その笑顔を見て、僕の胸中に、
「……エカっぺ、ごめんね」
「何が」
「その……昨日、入部、諦めさせちゃって。やっぱり僕……説得してみようか? エカっぺも入れてあげてくださいって」
「やめてっての」
エカっぺが僕の胸をもみじ張り手する。
「言ったでしょ。あたしはあんたほど
「…………エカっぺ」
「コウ……」
「なんか連れションって例え、ちょっとお下品かも」
「う、うっさい! 他に良い例えが思いつかなかったのよ、ばか!」
お相撲さんみたいに連続で突っ張ってくるエカっぺ。軽いけど。
「——でも、ありがとうエカっぺ」
「……ん」
「あのさ、じゃあせめて、天覧比剣には応援に来てよ。……お弁当いっぱい作ってさ、二人で食べよ?」
それを聞いたエカっぺは、大きく目を見開き、ようやく明るく笑った。
「うんっ! あんたが好きなもの、いっぱい作って持ってきてあげるね! ——よし、行ってこい!」
彼女に嬉々として背中を押された僕は、「行ってきます」と笑い返し、鞄を持って教室を出た。歩調が軽い。
エカっぺにあそこまで言わせたのだ。僕はまっすぐ前を向いて、優勝目指して突っ走るのみだ。
帰りの生徒達を追い抜きながら体育館へ向かう途中、見覚えのある大きなラメ入りビーズの髪飾りが目に入ったので、声をかけた。
「卜部さんっ」
ミディアムほどの髪をポニーテールにした女子生徒——
「その竹刀と防具って、やっぱり自分のだよね?」
もう部員同士なのだからコミュニケーションは取らなければ。そう思い、僕は卜部さんの隣へ駆け寄って話題を振った。笑顔で。
「……だったら何」
対し、卜部さんは低まった声でそう言い、目を細めてちろりと睨んでくる。うお、怖い。
「え、いや……やっぱり僕も、いつか自分で用意しなきゃいけないのかなぁって」
「当たり前のことを聞かないで」
卜部さんは声を低くして、そうにべもなく答えた。
……早くも絶望的なまでの
「……私に勝って良い気になっているのかもしれないけど、天覧比剣でそんな調子で戦ったら負けるわよ。そんなに甘い戦いじゃないんだから。私ごときに勝ったくらいで天下を取った気になってるなら、もう戦力にならないから辞めたら?」
「む。天下を取った気になんてなってないよ。今一番勝ちたい人にだって、まだ一太刀も触れられてないんだから」
一昨日に行われた、
卜部さんの歩みが速くなる。
僕もそれについて行くため早歩きとなる。
卜部さんは心底嫌そうな低い声で、
「なんのつもり」
「ああ、いや、目的地は同じなんだし、一緒に行こうかなって」
「一人でいけば」
「同じ撃剣部員じゃないか。もっと話しようよ」
「私が反対派だった事もう忘れたの? わかる? あなたが嫌いなの」
こうもはっきりと拒絶の言葉を告げられると、もはや是非も無い。
僕は歩くスピードを落とし、早歩きで体育館へ向かう卜部さんの背中を見送った。
……天覧比剣よりも、まずはこっちの問題をどうにかしないといけない気がする。
正式に入部したのは昨日だが、その時の僕は稽古着も体操着も持っていなかったので、部活動の見学だけで終わった。
なので、今日が初めて、部員として参加する日となる。
体育館一階にある稽古場では、竹刀で打つ音、踏み込む音、倒れる音が絶えず鳴り響いていた。
かく言う僕も、ちょうど相手の打ってきた竹刀を払ってすかさず面を突く『
「交替っ!!」
そこで、
僕は目の前の部員との打ち合いを止める。
それから、並んで向かい合った二列のうち片方だけが右へズレて、先ほどまで打ち合っていた相手の隣の人と対面。列の右端の人は左端へ戻って、そこで待つ人と対面。
そして、再び打ち合いが始まる。
これをさっきから、何分繰り返しているだろう? ……さっき一人当たりにかかる時間を頭の中で概算した結果、一人一分くらいだった。そして今から八人目と打ち合う。つまり七分繰り返している。
今行っているのは、撃剣における
剣術において大切なのは、型だけではない。むしろ、それを不自由無く行えるようにするための、基礎的な体力を養う必要もある。そうしなければ型に魂と威力は宿らない。仏作って魂入れずという有様になってしまう。
地稽古というのは、そんな剣術において基礎的な体力を養うための稽古の総称だ。
たとえば、望月先生が僕に課している、一つの「構え」を長時間維持したままにさせる稽古。
あれは型稽古であると同時に地稽古でもある。
その構えを心身に覚え込ませるだけでなく、その構えを行う上で最低限の筋力配分を身につけるためのものだ。
そうすることで、立ち方そのものからも無駄な力を削ぎ落とし、剣と骨格と大地を氷山の一角のごとく一体化させる。すると筋力だけでなく、足底から地面の力も引き出して剣を振ることができ、太刀筋が鋭くなる。
……螢さんがあんな小柄で華奢で可愛くて可憐でお美しい見た目に反して凄まじい剣の威力を発揮できるのも、そこに秘密があるという。
……今やっている撃剣の地稽古へ話を戻す。
この地稽古は、何分もぶっ通しで打ち合いを行うことで、持久力と気力を鍛えるためのものだ。いざ実戦の時、心身の状態を少しでも長くベストな状態で動かし続けられるようにするため。
さらに打ち合う相手を逐一変える。相手が変われば打ち合いのリズムも変わる。それによって、実戦時における相手の動きの変化にも柔軟に対応できる適応力も鍛える。
ただがむしゃらに打ち合うのではない。合理的な理由がちゃんとあるのだ。
とはいえ、
(や、やばい……けっこう、疲れる……!)
七分間も全力で動き続けているため、すでに息は乱れ、四肢には酸っぱいような怠さが宿り始めている。
先生のもとで行う「構えの維持の稽古」は
おまけに顔は面金で覆われているため、顔に触れない。なので顔に流れる汗が拭えず、それが目に入って
それでもなお、動きの質が落ちないよう全身を激励し、それでいてやけっぱちな動きにならないように心身を制し、目の前の相手に当たる。……とはいえやはり疲れていることに変わりは無いため、打ち合う相手からは必ず一人一本は打たれた。
そんな終わりの見えない苦行を繰り返し、また一分経過。
「交替っ!!」
氷山部長の一声によって、また右にズレて交替。
その声は、さっきより近くから聞こえてきた感じがした。
当然だ。僕の次の相手が、氷山部長だったからだ。
「エィィッ!!」
部長は僕と対した瞬間、鋭く袈裟懸けに竹刀を放ってくる。すでに八分が経過しているのに、掛け声に滲む気合には衰えを感じなかった。
僕は目の前の仮想の球体を内側からなぞるような太刀筋で、氷山部長の袈裟斬りを下から
このまま反撃の刺突に移るつもりだったが、そうはさせないとばかりに氷山部長は自ら身を寄せてきた。このまま身を委ねれば胴か小手を打たれる。なので僕も部長へ身を寄せた。
自然と、僕らは鍔迫り合いとなった。
面金の向こうにある、部長の顔がよく見える。冴え冴えとした端正な顔つきは汗まみれだが、なおも気力に満ちていた。
「……どうかな? 我が撃剣部の稽古の感想は?」
氷山部長が、そう話しかけてくる。
僕は部長の竹刀と足運びを警戒しながら、息切れ気味に述べた。
「けっこうっ、大変ですね……っ!」
「ふふ。大変じゃなきゃ、稽古にはならないからな。できることだけをやっていては、いつまでも上達はせん。できなくて、それでいて手を伸ばせば届くモノを常に目指していかなければな……!」
部長が立ち位置を変えるたびに、僕もそれに対応して立ち位置を変える。自然と僕らの動きがダンスじみたものになる。
「ところで、
その問いに、僕は自分の知っている範囲のこと……そう、学校の撃剣授業で教わったことを振り返り、それを述べた。
「この竹刀が、本物の刀であると思ってやること……ですか?」
「そうだ。撃剣は確かに競技化されているが、同時にこれは戦技の訓練でもある。競技であり戦技だ。ゆえに戦技であることを忘れ、単なる競技と割り切ってしまうと、途端にその剣は骨抜きとなる。剣士として大切な危機への警戒心が薄れ、
部長が後退するのを感じたので、僕も合わせて前へ進む。鍔迫り合いをキープする。
面金の奥の部長の唇が微笑む。
「それともう一つ、撃剣には大切なことがある。それは何だと思う?」
「え、えっと…………なんでしょうか」
「教えてあげよう。それはね——」
次の瞬間。
「え」
僕の体が
いや違う。氷山部長に担ぎ上げられていた。
しかも、そこに力任せな強引さは感じられなかった。まるで僕の全身が羽毛のように軽くなり、一息で吹き上げられたような感覚。
まずい——そう思った瞬間には、背中に硬い衝撃が走っていた。
「かはっ——」
投げられた。仰向けにされた。
急いで立とうとした時には、面を竹刀で軽く叩かれていた。
試合であるなら僕の負け。実戦であるなら僕の死。
竹刀を視線で伝った先にある氷山部長の面。その向こう側にある顔は、悪戯っぽさのある微笑を浮かべていた。
「——女だからといって