帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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通り魔、そして「いつぞや」の……

 小田切(おだぎり)秀蔵(しゅうぞう)は、足取りを怒らせながら、夜の千代田区神田の街中を歩いていた。

 

 日焼け気味の(えら)()った顔つきに、骨太で大柄な体格。建設現場にて鍛え抜かれたその巨躯は、普段でも威圧感を感じさせる。怒りに身を任せている今はなおさらであった。

 

「くそっ! あの詐欺師めっ! 人の懇願を軽く見やがって! 死んじまえ!」

 

 道行く人々が思わず身を引いて避けるほどに、秀蔵の怒気は並々ならぬものであった。

 

 その左手にあるのは、鞘に収まった一振りの日本刀。

 

 先ほど質屋に売りに行って、少し鑑定してみた程度で「贋作(がんさく)」と言い渡された一振り。

 

 「九州肥後同田貫」。その刀の(なかご)には、そう銘打ってある。

 

 ——同田貫(どうだぬき)とは、戦国時代、九州(きゅうしゅう)肥後国(ひごのくに)菊池郡(きくちぐん)(現在の熊本県菊池市)にて活動していた刀工の一派である。

 

 その歴史は鎌倉時代に端を発している。

 当時に肥後を支配していた氏族「菊池氏」が、名匠来國俊(らいくにとし)の系譜を受け継ぐ刀工「延寿國村(えんじゅくにむら)」を領地に招いた。

 南北朝時代になると、その延寿派の刀工は複数の村へ分散し移住。……その村の一つこそが、「稗方村(ひえかたむら)同田貫(どうだぬき)」であった。

 

 さらに年月を重ね、加藤清正(かとうきよまさ)小西行長(こにしゆきなが)の支配下になると、稗方村同田貫の刀工はさらに他の村々へ移住し、そこに鍛冶屋町が生まれた。……その刀工達は自分達のかつていた村の名である「同田貫一派」を名乗るようになった。

 

 同田貫一派は加藤清正のお抱え刀工となり、熊本城の常備刀となった。

 

 肥後もっこすの職人技の結晶である同田貫の刀は、実用刀として優れた性能を誇った。

 その強靭さと斬れ味の鋭さは、明治時代の天覧兜割りにて榊原鍵吉(さかきばらけんきち)が実証済みだ。華美を追求した江戸期の刀が兜を斬れぬ中、同田貫だけが斬ることに成功したのだ。

 

 名刀と名高い助広(すけひろ)虎徹(こてつ)とは違い、同田貫は武用刀としての側面が強く、美術的価値は低いとされてきた。

 しかし、加藤清正の死後に重用されなくなったことで同田貫一派が技術ごと衰亡したこと、実用刀であるがゆえに使い尽くされて残存数が少ないこと、展覧兜割りで刀としての強さが証明されたことなどで、同田貫の価値は高まった。

 

 しかし、高い金銭が絡むと、それにあやかろうとする者が現れるのは、洋の東西を問わぬ世の常。

 

 武士の時代が終わりを告げた明治時代、刀剣はその需要を急激に下げ、数多の刀工が仕事を失った。それでもなんとか食っていくために多くの刀工が手を染めたのが、名刀の贋作作りであった。

 

 それによって、多くの名刀の贋作が世に出回ってしまった。

 

 ——あの質屋が言うには、この「九州肥後同田貫」もその贋作の一つなのだそうだ。

 

「くそっ!!」

 

 秀蔵は苛立ち任せに、左手の刀を地面に叩きつけようとして、やめた。

 

 ……たとえ偽物であったとしても、この刀は亡き祖父からの譲り物だ。刀に罪は無い。

 

 いったん落ち着こう。

 

 深呼吸をして気持ちを静めようと努めつつ、人の往来の中を歩き出した。

 

 その時。

 

 

 

 ————ちくっ。

 

 

 

「っ……」

 

 右の二の腕に、鋭い感触と微かな痛みを覚え、思わずそちらを見る。

 

 着ていたジャケットの右上腕部の袖に、ぱっくりと切れ目が口を開けており、その下にある肌にも綺麗な一文字の傷ができていた。極細の傷に沿って、ぷくぷくと小さな血の雫が浮かんでいた。

 

 ——何だこれは。誰かの荷物に引っかかったのか?

 

 しかし、このジャケットは革製だ。ちょっと引っかかった程度で切れるとは思えない。まして、こんな綺麗な切り口で。

 

 人がせっかく気持ちを抑えようとしていたのに…………

 

 沈静化されかけていた怒りが、再び激発した。

 

「くそがっ!!」

 

 激情の赴くまま、近くにあったパンジーの花壇を蹴り倒した。

 

 腹立たしい。苛々する。憤懣(ふんまん)やるかたない。

 

 どいつもこいつも幸せそうな顔して歩きやがって。道行く人々に睥睨(へいげい)を送ると、おののいた様子で秀蔵から身を引いた。ざまぁみろ、良い気味だ。

 

 それでもなお、秀蔵の気は晴れない。

 

 それどころか、さらに膨れ上がっていた。

 

 心中にある「黒いモノ(・・・・)」が、みるみる膨張していく。止まらない。鎮まらない。

 

「くそっ……くそっ…………なんで俺が、俺ばっかが、こんな思いしなきゃなんねぇんだよ……!!」

 

 秀蔵は己の不幸を、ぶつぶつと吐き出す。

 

 自分の人生にケチが付き始めたのは、いつからだ?

 

 ……そうだ。あの時だ。十一年前だ。十四の頃、親父が北海道で戦死してからだ。

 

 ソ連による軍事侵攻が起こった十一年前。秀蔵の父も陸軍として戦地へ赴き、そして帰らぬ人となった。

 

 父がいなくなったことで、家の収入が大幅に落ちた。軍から恩給金はもらえたが、戦死した時の階級が低かったため端金(はしたがね)。家は貧困にみまわれた。

 

 そのことを、秀蔵は子供心に理不尽だと思った。

 

 確かに悪いのは、侵略をしかけてきたソ連だ。特にヴィークトル・ヴォロトニコフ——日本侵攻を指示した当時のソ連最高指導者が目の前に現れたら、即座にこの手元の刀でバラバラにしているだろう。死んだ父のことを考えたら、百回殺しても足りないくらいだ。

 

 しかし、そんな下劣な侵略者と勇敢に戦い、そして散っていった、父に対する政府の仕打ちは何なのか。

 たとえ階級は低くても、父は同じ日本人のはずだ。

 父祖(ふそ)の地を同じくし、帝という同じ太陽を仰ぎ、護国に殉じれば靖国の英霊となる——そんな同胞であるはずなのに。

 ただ階級が低いという理由で、なぜここまで軽く扱われなければならないのか。

 これではまるで、家畜ではないか。

 

 そんな釈然としない思いを抱えながら秀蔵は中学を卒業し、建設現場で働き始めた。

 

 職場の社長や上司は、大声と暴言と鉄拳制裁しか取り柄のないクソみたいな男ばかりだった。だからせめて世代交代が起こった後、このクソみたいな上司のようにはなるまいと己を戒めながら仕事を黙々と続けてきた。

 

 しかし、そんなクソ溜めみたいな会社でも、自分を雇って養ってくれていたことには変わらない。

 

 会社が倒産して職を失ったことで、それを思い知る。

 

 次の仕事を探しているが、なかなか見つからず、貯めた金も日に日に減り続けている。

 

 自分一人ならばまだしも、二年前から腰を悪くした母親の面倒を見ることも含めると、とてもじゃないがやっていけない。

 

 金に困った秀蔵は、やむなく祖父から譲り受けた日本刀を売る決断をした。断腸の決断だった。

 

 しかし、それも「贋作です」の一言で片付けられ、二束三文の値を付けられた。あまりに腹が立ったので売らずに店を出て、今に至る。

 

 どこまでも不幸だ。自分の人生は。

 

「……くそっ」

 

 憎い。この世の中が憎い。

 

 自分から何もかも奪い去っていく世の中が憎い。

 

 自分より幸せそうな周りの人間が憎い。

 

 こいつらは自分から幸福を吸い上げ、己の糧にして生きているのではないか。

 

 社会とは、幸福の奪い合いで成り立っている。

 

 他者から奪い取る能力の高い者ほど幸福を享受し、低い者ほど不幸という泥沼の中で一生(あえ)ぎ続ける。

 

 自分は奪われた側。

 周りの連中は奪い取った側。

 

 奪われたものは——奪い返さねば(・・・・・・)

 

 ちょうどそう思った時、目の前に二組の若い……いや、まだ幼い男女が見えた。

 

 学生だ。あの学ランとセーラー服は、この辺りにある富武(とみたけ)中学の制服だった。二人とも、学生鞄と、撃剣用の防具入れと竹刀袋という手荷物は共通していた。

 

 二人とも、何やら言い合っているようだが、秀蔵の眼にはその様子がどこか仲睦まじげに見えた。

 

 こいつらも、自分から幸福を奪い取って幸せそうにしていやがる。まだガキの分際で。大人の俺よりも幸せそうにしやがって。

 

 秀蔵の目が、こちら側に背中を向けている女子生徒の頭部に向く。大きなラメ入りビーズの髪留めで纏められたポニーテールの後ろ頭。

 

 「九州肥後同田貫」を握る左手の親指が、自然と鯉口(こいぐち)を切った。

 

 ——そうだ。ここでこの「同田貫」が本物であるかどうか、自己鑑定(・・・・)してやろうか。榊原鍵吉はこの「同田貫」で兜を割ったという。あの雌餓鬼の頭部を見事一太刀で真っ二つに出来たなら、この刀は紛れもなく「同田貫」だ。あのインチキ質屋が何を言おうと「同田貫」だ。

 

 右手で柄を取り、おもむろに抜刀。

 鞘を放り捨て、両手で柄を握る。義務教育時代の剣術授業で習った握り方。

 

 やめろ。早まるな。正気に戻れ——そう必死に呼びかけてくる自制心も、天井知らずに膨れ上がる「黒いモノ」に覆い隠されていき、何も聞こえなくなる。

 

 上段に振りかぶり、目を付けた女子生徒へ近づく。

 

 秀蔵が刀の間合いに女子生徒を納めるのと、男子生徒が秀蔵に気づいて女子の片腕を掴むのは、まったく同時だった。

 

 刀を真っ直ぐ振り下ろすのと、男子が女子を引っ張って抱き寄せるのも、また。

 

 

 

 †

 

 

 

「うおぁっ!?」

 

 僕は掴んだ卜部(うらべ)さんの腕を渾身の力で引っ張り込み、胸の中に抱き寄せる形で庇った。

 

 ちりっ——見知らぬ男が振り下ろした一太刀は、どうにか卜部さんに当たる事はなかったものの、何かに(かす)った音がした。

 

 卜部さんと、彼女が持つ防具入れと竹刀の重さがまとめて雪崩のように押し寄せてきたことで、僕もろとも共倒れとなる。

 

 僕を大嫌いと公言する卜部さんと密着する形になっていたが、そんなのは今はどうでもいい。

 

「卜部さん、大丈夫っ!?」

 

「へ? え、あ……」

 

 僕は返事を聞かず、彼女の制服の背中に触れ、急いで目でも確かめる。よかった、どこも斬れてない。

 

 いや——ポニーテールが解けて、ミディアムくらいの長さの髪が下りている。

 

 ぽとっ、という小さな落下音のした方へ視線を向けると、そこには卜部さんの髪を束ねていた髪留めがあった。紐が切れているのは言うに及ばず、それを飾る大きなラメ入りビーズが真っ二つに割れていた。

 

(げっ、本物じゃんっ……!?)

 

 それを見て、僕はあの男の持つモノが本物の日本刀であるという、最悪の現実を突きつけられた。

 

「あ、あ……!?」

 

 卜部さんも、それを見て同じ確信を抱いたのか、目を大きく恐怖で見張る。

 

「あ……ああっ……!!」

 

 だが、彼女は立ち上がって走り去るのではなく、その壊れた髪留めへ向かって這いずった。

 

 まるで溺れている人が(わら)にもすがるような勢いで、髪留めの残骸を必死に拾っていた。

 

 男の刀の間合いへ再び入っていることにすら構わず。

 

「ちょっ——」

 

 何考えてるんだ。そう叫ぶよりも早く、男は再び刀を振りかぶった。その狂気で爛々とした瞳は、髪留めの残骸を呆然と見つめていた卜部さんを真っ直ぐ向いていた。

 

「ああもうっ!!」

 

 僕は手元にあった防具入れを力の限りぶん投げ、卜部さんに襲い掛かろうとした男に当てた。

 

 防具の重みを津波のように浴び、男が仰向けにぶっ倒れた。

 

 その隙を見計らい、僕は卜部さんへ駆け寄った。

 

「何してるの!? 早く立って!! 逃げるよ!!」

 

 必死にそう呼びかける。

 

 それに反応して僕を見上げた卜部さんの顔は……まるで、迷子になって泣きそうな子供のようだった。普段浮かべている気丈そうな表情が嘘みたいに。

 

「だ、だめ……」

 

「ええっ!?」

 

「だめなの……あし…………足が、うごかない。腰、たたない……」

 

 なるほど。恐怖で腰が抜けてしまったのか。

 

 確かに、背後からいきなり日本刀で斬りかかられたんだから、そりゃ怖がってしまうのも無理はない。

 

 ならどうする? 卜部さんを担いで逃げる? いや、速度が足りない。すぐに追いつかれて斬られてしまう。助けを叫ぶ? 今いるこの通りは人気が少ないけど、悪くない手だ。でも助けが来る前に斬られたら意味が無い……そんな風に思考している間にも、男は立ち上がりかけていた。考える時間が無さすぎる。

 

 ——仕方がない。こうなったら。

 

 僕は鞄と竹刀袋を捨て、左腰に差してあった木刀を抜いた。いざという時のために携帯しているモノだが、今はこの木刀すらも心許なく感じた。

 

 卜部さんを後ろに庇うように立ち、木刀を男へ向けて構えた。

 

「……僕が時間を稼ぐから、卜部さんはその間に頑張って立ち上がって。そして逃げて」

 

「あ、あなた、何を言って——」

 

「口じゃなくて足動かす!!」

 

 なおもまごつく卜部さんに、僕は少し苛立った口調で促した。

 

 そうしている間にも、すっかり立ち上がった男は、再び刀を構えた。

 

 その構えから感じられる練度は薄い。学校の剣術授業でしか剣に触っていないのだろう。

 

 僕の方が、明らかに剣の腕は上。

 

 だけど、男が持つのは、月明かりを鮮やかに反射する抜き身の刀身。

 

 世界最強の斬れ味を誇る刃物。

 

 おまけにその刀身は、直刃(すぐは)(におい)出来(でき)。飾り気は無いが、武用刀として優れた刀の特徴だ。

 

 ばっさりと斬られずとも、動脈を掠めただけで命に関わる——

 

 そんな武器に、僕は木刀なんかで挑もうとしている。

 

(怖い——)

 

 僕の両腕は、どうしようもなく震えていた。

 

 怖い。怖すぎる。怖くてたまらない。

 

 だけど……やらなきゃ。戦わなきゃ。

 

 あの人——(ほたる)さんなら、臆することなく立ち向かうはずだから。

 

 四肢の震えを強引に殺し、僕は構えを取った。

 

 剣を置く位置は右こめかみ。切っ尖は相手の顔に向ける。

 至剣流の「稲魂(いなだま)の構え」。

 他の剣術にも多く見られる形の構えで、いわゆる「(かすみ)の構え」という俗称で呼ばれているものだ。

 

 「稲魂の構え」は、鉄壁の防御の構えである。

 この構えは『電光(でんこう)』の型を使うための準備姿勢だからだ。

 「稲魂の構え」から『石火』の動きを用いて剣を振る『電光』。きつい曲線状に刻まれるその太刀筋は『石火』譲りの速さと鋭さを誇るだけでなく、高さや位置を自由に変えられる。攻撃よりも、相手の太刀を弾く防御として役立つ型だ。

 

 僕は己の腕を信じ、男の出方を伺う。心身の震えと必死に戦いながら。

 

 男は、僕から見て左上から袈裟斬りを放ってきた。

 

 迫り来る、絶死の一太刀。その殺気。

 

 しかし、遅い。

 

 そしてこの速さなら、振り放たれてからでも、僕の『電光』の方が速い!

 

 「稲魂の構え」から、柄を握る両手を一気に絞り、前足に後足を一気に引き寄せる——『石火』の手の内と体捌きによって、木刀が稲妻じみた疾さで虚空にきついカーブを描いた。至剣流『電光』の型。

 

 男と僕の太刀筋がぶつかり合い、

 

 

 

 かん。

 

 

 

 そんなちっぽけで素っ気無い音とともに、僕の木刀が半ばから真っ二つとなった。

 

 虚空で回転する木刀の片割れと、木刀の綺麗な断面を見るともなく見ながら、僕は過去の記憶を振り返っていた。

 ——日本刀は、刃と力の向き(ベクトル)さえ合致すれば、たいていのモノは両断できると、聞いたことがある。

 そして日本人は、義務教育で必ず剣術……至剣流と接する。

 すなわち、刃筋の合わせ方(・・・・・・・)は、みんな知っている。

 目の前のこの男も、例外にあらず。

 

 男は再び刀身を引き戻すと、今度は僕から見て右から袈裟斬りを放ってきた。二太刀目へ至るその刀身の軌道は、アラビア数字の「8」を横にしたような軌道で放つ連続斬り『衣掛(ころもがけ)』のソレである。嘉戸(かど)派至剣流に伝わる型だ。

 

 迫る二太刀目。

 

 防御の術を持たぬ僕。敵の間合いの中。今から動いても間に合わない。

 

 斬られる。

 

 殺される。

 

 死ぬ。

 

 そう思った時だった。

 

 

 

 

 

 ————金色の蜻蛉(トンボ)が、僕の目の前の虚空に現れた。

 

 

 

 

 

 嘘でしょ。

 なんで?

 もう『蜻蛉剣(せいれいけん)』は使えないはずじゃ——

 

 一気に生まれた数々の疑問を置き去りにして、僕の体が勝手に動く。「いつぞや」の再現のように。

 

 半分になった木刀の断面が、すぐ目の前でホバリングしている金の蜻蛉を自然と追いかける。

 

 それらが触れ合った瞬間——金の蜻蛉はフッ、とその姿を消した。

 

 同時に、

 

 ペキャキ!!

 

 という破滅的な木の音とともに、男の刃が僕の木刀の断面にめり込み、斬り進み、僕の手元に達する寸前で止まった。

 

「なにぃ……!?」

 

 男が驚きつつも、刀を引き戻そうとする。しかし刀身は僕の木刀にしっかりめり込んでおり、外れない。

 

 好機とみなし、僕は動いた。

 足腰と手の捻りを同時に行い、その勢いによって手元の木刀を激しく震わせ、男の手元の刀をその勢いに巻き込んで奪い取った。『鴫震(しぎぶるい)』における防御の太刀を応用したものだ。

 

「おおおおぉぉぉっ!!」

 

 得物を失い、ガラ空きとなった男の側頭部めがけて、渾身の回し蹴りを叩き込んだ。

 

「がはっ——!?」

 

 腰をしっかりと入れた蹴り。さらに爪先という一点で引っ掻くように叩き込まれたことで、さすがの大男も効いたようだ。気力の萎えた表情となり、大きくのけ反ってぶっ倒れた。

 

 残心。呼吸を整え、男の様子に注意を配る。

 

 男は起き上がらない。のびているようだった。

 

「はぁっ……!」

 

 それを確認した瞬間、僕は一気に腰が抜けそうになる。しかし我慢。

 

 脅威であった刀は、今や僕の手元。

 

 ひとまず、逃げることはできそうなので、そこはひと安心だった。

 

 だけど、それ以上に。

 

(……今、僕……『蜻蛉剣』を使った)

 

 間違いない。

 

 僕にしか視えない金の蜻蛉。

 

 その金の蜻蛉を刀身で追いかけることで、その刀身に「必勝」を付与する、勝ち虫(・・・)の剣。

 

 半年前の嘉戸宗家との三本勝負にて、絶望的な状況から僕と『望月派』を救った剣技。

 

 しかしそれ以降、全く使えなくなってしまっていた、僕の至剣(・・・・)

 

 『蜻蛉剣』に、他ならなかった。

 

 それが今になって現れたことへの驚きの方が、凶刃を退けた安堵よりも大きかった。

 

 「卜部さんを逃す時間稼ぎ」という目的さえも、忘れかけるほどに。

 

(まさか、使えるようになったのか……?)

 

 だとしたら朗報だ。

 

 僕はもう一度、金の蜻蛉を呼び出そうと念じてみた。

 

 

 

 

 

 

 何度も試したが、金の蜻蛉はもう現れなかった。

 

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