帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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精霊の剣

 げんぶアリーナの中にも、稽古場が存在する。

 

 そこを利用するのは主に、自分の稽古場を持たない至剣流の指導者だ。至剣流はもはや「国民剣術」と呼んでさしつかえないほどの広まりを見せているため、他の剣術のように周囲を閉じ切って秘伝のような形で教える必要があまり無い。たいていの内容は、すでに学校の剣術教育や、嘉戸(かど)宗家認可の至剣流テキストにて説明済みだ。それでも指導者に就くメリットは、目録を持った師のもとで稽古を積んで剣を磨けば、いずれその師を経由して嘉戸宗家から切紙(きりがみ)や目録をもらえるからである。あと、独学ではやはり上達に限界がある。

 

 ——閑話休題。

 

 (ゆかり)(ほたる)は、その稽古場に来ていた。

 

 幅十五メートル、奥行き三十メートルほどの長四角状の空間の真ん中に、双方竹刀を持って向かい合っていた。……ちなみにどちらの竹刀も紫のものだ。万が一破損した時のために、スペアをもう一本用意している。国産真竹(まだけ)製の高級品なので、そうそう壊れないが。

 

 「青岸(せいがん)の構え」を取った紫と、「正眼の構え」を取った螢。……当てられた漢字は異なるが、読み仮名と、中段で竹刀を構えるという点では同じ。

 

「……では、行きますわよ。螢様」

 

「いつでも」

 

 簡潔に淡々と了承する螢。

 

 紫は己の切っ尖から、螢の切っ尖、螢の二星(にせい)嶺谷(みねたに)遠山(とおやま)——両手・両腕・両肩のこと。新陰流(しんかげりゅう)ではこれらを「目付(めつけ)」と呼び、ここを常に見て次の動きを予測する——を見る。

 

 そして、自分と同じく己の切っ尖を通してこちらを見ている、螢の瞳とぶつかる。

 

 底の知れない、深くて綺麗な泉のような黒い瞳には、自分の顔がはっきり映っている。

 

 紫の胸が甘く高鳴る。まるで螢と息がかかるほどの間近で触れ合い、接吻を交わそうとしているような錯覚に陥りそうになる。

 

 しかし、それは新陰流において「病」だ。

 

 今、目の前にいるのは「想い人」ではない。

 全力をもって斬るべき最強の剣士だ。

 「病」に冒された心では、彼女は斬れない。

 

 心のボルテージを鎮め、雑念を斬り、心をば「(たい)」にする。

 

 「待」となった心にて眼を遣い、螢の全体を捉える。

 

 そこから、攻めやすそうな箇所を探す。そこを突いて螢の心身を「(けん)」にし、冷静さと正確さを欠いた攻撃を誘発させる。

 

 しかし。

 

(いったい……どこを攻めればいいの……!?)

 

 不気味なくらいに、隙が無かった。

 どこから斬りかかっても、即座に防御と反撃を稲妻のように行い、逆に自分が斬られる。

 ひどく鮮明に、その想像をしてしまう。

 

 どちらも動かないまま、時間がしばらく過ぎていった。

 

 やがて、螢が動いた。

 先に動かす、という点では紫の思惑通りの展開だが、これはこちらにとって良くない動き方だ。

 動いてはいるが、その心は揺るぎない「待」だ。

 

 間合いがぶつかる。

 

 螢はなおも進む。

 

「っ!」

 

 紫は覚悟を決めた。心を「待」の状態に保つよう己を律しながら、斬りかかる。

 

 螢はあっさり防ぐが、なおも止まらず、別の位置へ移動しながら剣を発した。自分が攻めやすく、相手が攻めにくい「水月」の間合いを作りながら。

 

 太刀筋と立ち位置と角度と間合いを目まぐるしく変えて、何度も剣を打ち込む紫。

 

 だが、そのことごとくを螢は防ぎ、それでいてこちらの間合いの奥底へ入らんとしつこくズンズン突き進んでくる。

 

 龍が舞うように変幻自在の剣さばきで攻撃を受けながら、虎が獲物を追うように攻撃的な勢いで近づいてくる螢。

 

(『龍虎剣(りゅうこけん)』……!)

 

 至剣流の型の一つに含まれる動きだと理解する。

 

 だが、どういう動きであるのかが分かれば、対策がある程度取りようがある。至剣流がどういうものであるのかを知っているというのが、自分が螢に対して持っている貴重なアドバンテージの一つだった。

 

 そう思っていた時だった。——螢が竹刀を引っ込めながら、間近まで急迫してきたのは。

 

(体当たりっ? いえ違う、これは「裏剣(りけん)の構え」——!)

 

 剣を背後に隠す「裏剣の構え」。さらに至近距離まで身を詰めてこちらの視界を顔と上半身で埋めて、次の太刀筋を余計に読みにくくするこの動きは——電撃的な思考速度で次の動きを予測した紫は、竹刀を中取りに構えながら大きく飛び退いた。

 

 次の瞬間、螢の全身が爆ぜるように横へ開きながら後退。その突発的な動きから、電光石火の疾さで横薙ぎが発せられた。両手で構えられた紫の竹刀とぶつかり合い、ガキュィン!! という竹刀らしからぬ鋭くも重厚な音が鳴った。——やはり至剣流の『白虹貫日(はっこうかんじつ)』だった。

 

 お互いに後退したため、遠間が出来上がる。

 

 先ほどの螢の強烈な一太刀を味わった両手が、紫の意思と関係無く小さく震えていた。

 

 ——凄い。

 

 繰り広げた剣戟の一瞬一瞬から、望月螢という若い女剣豪の非凡さを感じた。

 

 今まで多くの剣術達者を見てきたが、螢はその中で極め付きだった。

 

 まさに神童。

 

 彼女は間違いなく、中澤琴(なかざわこと)の再来だ。

 

 ……怖い。

 

 だがそれ以上に、嬉しい。

 

 やはり、彼女は清葦隊(せいいたい)隊士が慕った通りの剣士だった。

 

 紫は再び「青岸の構え」のまま、螢へとじりじり近づく。

 

 螢も同じく「正眼の構え」で、じわじわと距離を詰めていく。

 

 双方ともに移動速度は亀並みであったが、互いが互いに近づけば、間合いの接近が早まるは必定。

 間合いが触れ合う。

 間合いが重なる。

 ——常に「目付」として注視していた、螢の上半身に微かな動き。

 

 紫は鋭く身を進めて鍔迫り合いに持ち込み、螢の太刀を先んじて止めた。

 

 そこから素早く竹刀を引っ込め、螢の喉元を切っ尖で狙おう——と考えた瞬間、紫の足元が()()()

 

「っ——!?」

 

 竹刀同士の接点を中心に台風じみた斥力(せきりょく)が働き、女子にしては長身寄りな紫の体を平行に振り回し、やがて宙に放り出した。

 

(何ですの、今の技は!?)

 

 虚空を舞いながら、今の理解不能な現象に混乱を覚える紫。

 

 ——紫は知る由もないが、今の技は至剣流の『颶風(ぐふう)』の型だ。

 

 身を翻しながら相手の死角へ移動し、剣で薙ぐ。それが『颶風』の型の使い方だ。

 しかし『颶風』は、熟達すればもう一つの使い方が可能となる。

 鍔迫り合いに持ち込んだ時、剣同士の間に働く摩擦抵抗を巧みに利用して、相手を()()()()()()()というものだ。

 至剣流の基本である『四宝剣(しほうけん)』をみっちり学んだのちに多くの型を身に通す——そんな「本来の至剣流」を学ぶ者のみが知り得る、今の時代となっては秘法と化した使い方。

 

 ……だが、「本来の至剣流」を知る者にとっても、螢の『颶風』は異常以外の何ものでもないだろう。

 「崩した」のではなく「投げ飛ばした」のだから。

 しかも、上から見て楔形(くさびがた)である刀と違って、(まる)く、表面もツルツルとした竹刀で。

 

(とにかく、今は体勢を整えないと——)

 

 混乱を一度捨て、受け身を取る紫。

 

 柔らかく転がって、その流れで立ち上がり、迅速に竹刀を構え直す。

 

 螢はすでに、太刀筋を竜巻よろしく身に纏いながら、紫に迫っていた。『旋風(つむじ)』の型だ。

 

 紫はその一太刀を防ごうとした。

 

 双方の竹刀が触れ合い、

 

 ()()()()()()()

 

「くっ……!?」

 

 『旋風』の太刀にあるまじき爆発力。理解不能に次ぐ理解不能に、紫はまたも床を転がされた。

 

 ——そう。今の剣技は『旋風』ではない。『旋風』の流れの中に混ぜられた『石火(せっか)』だ。

 

 螢は『石火』の動きを極限まで圧縮させ、ほぼノーモーションに等しい小さな動作で使うことが出来る。

 さらに、それをあらゆる剣技の流れの中に、威力同士を喧嘩させることなく継ぎ目無し(シームレス)に織り交ぜることが出来る。

 ()()使()()()()()()()()()()()を繋げることは、双方の威力をぶつかり合わせてしまい、全身の硬直を招く。その硬直は剣の戦いにおいて大きな隙となる。

 今、螢がやってのけた事がどれほど無茶で、なおかつ神業であるのかは、至剣流を知る者であれば誰でも理解できる。

 

 紫はもう一度受け身を取る。

 

 しかし今度は、立つことは出来なかった。

 

 立とうとした紫の喉元に、螢の剣尖が突きつけられたからだ。

 

「…………参り、ましたわ」

 

 紫がか細い声でそう告げると、螢は持っていた竹刀を翻し、柄を先にして紫へ返してきた。紫はそれを受け取る。

 

「——いい勝負だった。今でまだ目録位だというのだから、もっと稽古を積めばあなたはもっと強くなれる」

 

 ……もっと、強くなれる?

 

(無茶を仰いますわね……)

 

 その時でも、貴女はもっとわたくしの先にいるでしょうに。

 

 こんなに強くて、天賦の才にも恵まれているというのに、なおも練磨をやめないのだから。

 

「じゃあ、わたしは帰る。さよなら」

 

 音も無く稽古場から出ていく螢の後ろ姿を、見えなくなるまで見送って。

 

「…………ふふふっ、あはははははっ……!」

 

 それから、笑った。

 

 負けた自分に対する自嘲ではない。

 

 心の底から晴れやかになった笑い方だった。

 

 先ほどまで心に巣食っていた惨めな気持ちは、綺麗さっぱり消えていた。

 

 ——あんな凄い人には、わたくしでは到底及びませんわね。

 

 螢のことを想って二年だが、剣を交えたのは今日が初めてだった。

 

 剣を交えて初めて分かった。

 

 ——彼女の振るう剣には、精霊が宿っている。

 

 大昔の倭人(わじん)は、嵐や雷といった人の力の及ばぬ自然の猛威を、神や精霊に見立てていた。それが神道という土着宗教の始まりであると言われている。

 

 人をして、人の身にあるまじき剣を振るう者。

 

 螢の剣は、まさしく精霊の剣だ。

 

 精霊であるということは、人では及ばないということ。

 

 自分の振るう剣は、所詮は人の剣。

 

 彼女の剣を敗れるのは、彼女と同じ精霊の剣のみだろう。

 

 ——本当に、参りましたわ。

 

 こうまで圧倒的なモノを見せつけられては、諦めをつけるしか無いではないか。

 

 自分を恋焦がれさせ、苦しめたのは螢だ。

 

 しかし、その苦しみを取り除いてくれたのも、螢だった。

 

 自分の抱く葛藤を、彼女はその剣で一刀両断してくれたのだ。

 

「…………よぉ。随分と派手にやったみたいじゃねーの」

 

 稽古場の入口から声。

 

「……(しの)

 

 あと、ギーゼラもいた。

 

 二人とも、とっくに中等部の白いセーラー服に身を包んでいる。行方をくらました自分を探していたのだろう。

 

「……二人とも。今日は色々と、ごめんなさい」

 

 急にいなくなってしまった事だけでなく、今日負けた事と、大きな恥を晒してしまった事。

 

 紫の「ごめんなさい」には、それらが凝縮されていた。

 

 だけど……二人とも、笑っていた。

 

 まるで、世話の焼ける友人を見るように。

 

 二人は歩み寄り、しゃがみ込んで左右から肩をポンと叩いた。

 

「んで、どうよ? ——()()()()()()()()?」

 

 篠のその言葉に、紫は目をギョッとさせた。

 

 左を振り向くと、ちょっと意地悪そうな微笑を浮かべた篠の顔。

 

「……篠、貴女まさか、気づいて」

 

 顔がどんどん熱くなってくる。

 

 右のギーゼラが「きゃはは」と小憎らしい笑声を漏らした。

 

「そりゃ、望月先輩の前でいつもあんなキョドりまくってたら、嫌でも分かるっつーの。尻尾踏まれた猫みたくさぁ」

 

「だ、だまりなさいよ! 校門に吊しますわよ!」

 

「きゃははは! そんな真っ赤な顔で凄まれても可愛いだけなんですけどー! 天沢先輩チョーカワイー! きゃはははは!」

 

 ぐぬぬぬ、と生意気な後輩に羞恥混じりの怒りを覚えていると、篠がなだめるように言ってきた。

 

「まぁ、まだたったの二ヶ月ちょいくらいだけどさ…………それでもあたしらは、その間、ずっとあんたの隣を歩いてたんだから。なんとなく分かってたよ。……あんたが、望月先輩に惚れてたって事」

 

「……気持ち悪いって、思いませんの?」

 

「別に? てか、衆道(しゅうどう)とか流行ってた国だぜ、ここは。歴史全体を通して見てみりゃ、それほど異端な事でもねーだろうよ」

 

「篠……」

 

「それにさ、たとえ女好きの女であったとしてもさ——それでもあんたは、清葦隊の一員であって、あたしらの先頭を立つ最強の隊長サマなんだから。それは以前変わりねーじゃんよ」

 

 その言葉に、目頭が一気に熱くなる。

 

 慌てて下を向く。泣き顔をこの二人に見られるのは何か嫌だ。

 

「あ、泣く? 泣いちゃう? いいぜホラ。篠おねーさんの胸に飛び込んで泣きなさいよ。こう見えてあたし結構胸あるんだぜ?」

 

「うるさい、ですわよ。しませんそんなことっ」

 

「あ、やっぱいいや。なんか今のあんた汗臭いし」

 

「もぅっ!!」

 

 苛立ち任せに拳を振り上げると、二人とも悪戯小僧のようにきゃぴきゃぴ笑いながら離れだす。

 

 ——ほんっとうに、この二人は。

 

 だけど、悪い気は全然しない。

 

 この二人が自分の隣で、本当に良かったと、今日ほど思ったことはない。

 

「おら、いつまでも座ってねーで行くぞ。隊長」

 

「そうよそうよ。とっととシャワー浴びてきなさいよ。んで、反省会!」

 

 入口へ戻りながらそう急かしてくる篠とギーゼラを、紫は目元を袖でゴシゴシ拭ってから、

 

「——もう、分かってますわよ!」

 

 晴れやかに笑いながら、追いかけたのだった。

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