帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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箕輪澄江

 二〇〇二年五月二十八日、火曜日。正午————東京都千代田区霞ヶ関、内務省庁舎。

 

 

 

『警察官発砲 無辜(むこ)の一般人が被害に』

 

 新聞にでかでかと書かれたそんな見出しに、樺山(かばやま)(あゆむ)は思わず顔を覆った。

 

「勘弁してほしいな……」

 

 廊下の行き止まりにある、自販機付きの狭い休憩所。そこにある椅子の一つに沈むように腰掛けながら、歩は虚脱感のある呟きを漏らした。

 

 この記事は、昨日、千代田区岩本町にて起きた、警官による銃乱射事件のことを書いたものだ。

 

 五月二十七日、岩本町にある小料理屋に警官が入り、いきなり奇声をあげながら官給品の拳銃を店内に向けて乱射したという。

 

 幸いにも、死傷者も怪我人もいなかった。小料理屋を営む夫婦の妻がその場で破水してしまい病院に担ぎ込まれたそうだが、その女性も赤ん坊も無事であるとのこと。

 

 犠牲者がいなかったことだけは本当に幸いだ。

 

 問題なのは、

 

「警官が、犯罪を犯すなんて……これから面倒になるぞ……」

 

 ()()()()が犯罪を犯したというところだ。それも銃乱射という、危険な犯罪を。

 

 警察機構というのは、一般人の犯罪には敏感だが、それ以上に身内の犯罪に敏感である。

 

 警察に対する信用が失われかねないからだ。

 

 それはそのまま、治安の悪化と、体制への疑問視へと繋がる。

 

 一つ一つは小さな瑕疵(かし)だ。しかしそれも積み重なれば重傷となり、黴菌(ばいきん)の入り込む隙を作り、国そのものを揺るがす。

 

 体制への認識が「悪」となれば、それを倒す「正義」を求めるのは千古不易の人の性。そして人はすべからく「正義」に酔い、暴走しやすい。そんな「正義」によって滅んだ国家は多い。

 

「……やはりコレも、『呪剣』の仕業、なんだろうな」

 

 歩は新聞の他の記事を見るともなく見ながら、一人呟く。

 

 ここは内務省だ。全国警察を統括する場所である。ゆえに、耳さえ付いていれば、事件のあらましが嫌でも聞こえてくる。昨日の乱射事件のことも。

 

 ——「黒いモノ」に突き動かされた。

 

 それが、乱射を犯した警察官の供述だという。

 

 さらには、制服の左袖が、刃物で切ったみたいに綺麗に裂けていたという。その下の肌も。

 

 ……十中八九、『呪剣』の仕業だろう。

 

 『特研(とっけん)』にその調査依頼をしてから、すでに一ヶ月が経過している。

 

 その一ヶ月の間に、今回の乱射事件を含めて、帝都で二十件の不可解な事件が起きている。

 

 犯人は全員「黒いモノに突き動かされた」と供述している。

 

 流石に同僚もその共通性に疑念を抱いているらしく、それら二十件の事件のあらゆる考察をしていた。

 曰く、催眠術によるものか。

 曰く、新型の薬物によるものか。

 曰く、新型の感染症によるものか。

 

 ——全部間違っている。

 

 それをもたらしているのは、剣術である。

 国民剣術たる至剣流の修練の果てに到達する奥義、至剣による。

 至剣流の伝承を古来より一括管理してきた嘉戸(かど)宗家をして、危険すぎると太鼓判を押すほどの至剣。

 少しでも切り傷を受けたら最後、精神を侵され、自他を傷つける凶行に走らずにはいられなくなるという邪悪な力を持った『呪剣』。

 

 薬物や感染症であった方が、まだ良かった。

 

 科学によって解明できるからである。

 

 『呪剣』に対しては、それができない。

 

 だから文明社会の法では裁けない。

 

 頼みの綱は『特研』のみだが、その『特研』からも目ぼしい音沙汰が無い。

 

 歩の思考が暗雲の奥底に飲み込まれようとした、その時。

 

「——「じゅけん」って、何の話?」

 

 突然真横から声をかけられ、歩は思わずビクッと身を震わせた。

 

 振り向くと、そこには見知った顔があった。

 

 その細い体に黒いパンツスーツをしっかりと着こなした、一人の女性。

 

箕輪(みのわ)……」

 

 自分と同期で内務省に入った同僚の名を、歩はぼんやりした口調で呼んだ。

 

 柔らかなショートの髪は少年っぽさを感じさせるが、意思の強そうな大きな瞳、スッと高く通った鼻筋、引き結ばれた唇、なめらかだがシャープな顔の輪郭……明らかに大人の女性らしさがあり、そして同時に侮ってはならない感じのする女性だった。

 

 箕輪(みのわ)澄江(すみえ)。それが彼女の名前である。

 

「……あぁ、この事件」

 

 そんな澄江は、歩の手元にある新聞の紙面を一瞥するや、歩と同じように顔をしかめた。

 

「上の人たち、今この話でもちきりよ。ほんと、身内の犯罪に対しては敏感よね、警察って」

 

「まったくね」

 

 苦悩の半分でも共有できただけで、歩はいくらか楽になれた。

 

 澄江はさらにぼやく。

 

「警察側の不祥事に敏感なのは、マスコミもよね。昔から変わらず、体制の動きには()()(たか)()。不備を見つけては「国民代表」としてそれを叩きにかかるもの。まったく……報道業界の(うみ)は『バザロフ事件』で軒並み取り除けたんじゃなかったのかしら」

 

 ——警察官発砲 無辜の一般人が被害に

 

 例の乱射事件を、新聞社はそんなミスリード性の強い見出し文で報じた。

 

 確かに警官は銃を国民に向けてしまった。それは変えようのない真実。

 

 しかし「被害に」という言葉はひどく曖昧だ。小料理屋の壁に穴が開いたり、物が破損したりといった物的被害はあったものの、人的被害は皆無だからだ(その場で破水して病院に担ぎ込まれた妊婦はいたようだが)。

 そこへさらに「無辜」という強い単語で扇情性を増幅させている。

 

 記事本文も、使うことを許されている単語を巧みに扱い、警察の在り方をさりげなく、そして痛烈に批判していた。なんとも見上げた文章力である。小説家にでもなればいいのに。

 

 体制への批判的姿勢というのが一般的な報道機関の在り方だ。それ自体は悪い事ではない。

 

 しかし、批判のし方も問題だ。「なんとなく体制批判」だったり、調査不足や知識不足を偏見と固定観念で補ったり、特定の方向に読者の思考を持っていきたいがために限定的事実だけを切り取って報道したりといったやり方は、なまじ影響力が強いだけに害悪でしかないのである。

 

 ……とはいえ冷戦期に比べると、マスコミの羽織ゴロっぷりも大分マシになったのだが。

 

 あの頃は今よりも低劣で扇情的な報道が多かった。小さなかすり傷すらも虫眼鏡で大きくして「重傷だ」と報道するような。

 

 特に、当時は武装中立状態だった日本の国防を支えていた柱の一本である国民皆兵制に対する批判は、今の比ではなかった。

 

 のちに『バザロフ事件』——日本に亡命してきた元KGB職員アレクサンドル・バザロフが、対日情報工作における日本側の協力者を記録してある『バザロフ文書』を公開した事件がきっかけとなり、報道機関の中にかなりの数におよぶ共産主義者やソ連協力者が潜んでいたことが明らかとなった。それらはのちに逮捕された。

 

 KGBは情報工作と浸透工作の達人だ。あらゆる手段を用いて他国の中枢に入り込み、情報をコントロールすることでソ連に都合の良い国に仕立て上げるのが得意だった。

 

 西側諸国の中で特にその浸透ぶりが酷かったのは英国だ。百人以上の下院議員がソ連と疑わしい関係を持ち、ナチスドイツにさえ知られなかったエニグマ暗号機の存在までも知られ、挙げ句の果てには女王専用機のエンジンまで盗み出されてしまったのだから。共産主義者に対して不信感を抱いていたウィンストン・チャーチルの懸念は正しかったといえる。

 

 ——閑話休題。

 

「ところで、さっき言ってた「じゅけん」って、何のことかしら?」

 

 めんどくさく、なおかつすぐには解決しないであろう話題からは話を逸らす形で、澄江はそのように訊いてきた。

 

「あ、えっと、それは……」

 

 歩はしどろもどろになりながら、考えた。

 

 ——()()()()なら、冗談として受け取ってくれるだろうか。

 

 『呪剣』のことは、その話の性質上、話題にできる人間がひどく限られている。現時点で、寂尊と、酒井の二人だけ。どちらも超常現象に馴染みの深い者達だ。

 

 自分と同じく法治に携わる彼女には、無縁の話だった。

 

 だが、それでも、流石にこの話を二人にしかできないというのは、流石に窮屈だった。

 

 全てを明かさずとも、ちょっとした冗談としてだけでも、誰かに吐き出したい。

 

 そんなおセンチな気持ちを抱いている自分に自嘲しながら、歩は口を開いた。

 

「まぁ……一種の都市伝説みたいなものだよ。ちょっとでも切られたら精神を冒されてしまう、呪いの剣技さ。だから『呪剣』なんだよ。その使い手がこの帝都で暗躍しているとしたら、君はどうする?」

 

 澄江はきょとんと目を丸くし、それから可笑しそうに笑った。

 

「——あっははは! 馬鹿ねぇ、そんなの迷信に決まってるじゃない! 妖刀村正(ようとうむらまさ)じゃないんだから! あははは、あー、おっかしー!」

 

 ひとしきり笑ってから、澄江は笑いの響きの残った声で言った。

 

「そんなものはないだろうけれど、もしあったら大変よ。だって、呪いは法で裁けないんだもの。こっちは手を出せないのに、あっちはバレさえしなければいくらでもその『呪剣』を振るえる。やりたい放題じゃないの。そうなったら帝都はあっという間に崩壊するわよ」

 

 ……彼女ならば、自分には出せない案を出せるのではないかと、心の中に一抹の期待を抱いていたのだが。

 

 だが彼女もやはり、自分と同じ法治の番人なのだ。法で裁けないものは裁けない。そう結論づけた。

 

 それでいて、『呪剣』の危険性も言い当ててみせた。

 

「ありがと、樺山君。昨日の事件のせいで陰鬱としていたけど、君の冗談のおかげで少しだけ元気出たわ。あ、そうだわ、これから一緒に昼食はどうかしら?」

 

「ああ、僕はいいよ。ちょっと一人になっていたい気分」

 

「そう。じゃあ、また後でね」

 

 言って、澄江はきびすを返して颯爽と歩み去っていった。

 

「…………彼女、本当に()()()()なぁ」

 

 姿が見えなくなってから、歩はひとりごちた。

 

 去年までの彼女だったら、今の歩の「冗談」に対し「そんなくだらない事にかまけていないで仕事したら?」くらいの冷淡な答えが返ってきたことだろう。

 

 それくらい厳しく、物言いもキツかった。

 

 周囲の同僚も、彼女に対して近寄りがたさを覚えていた。

 

 だけど今の彼女は、前に比べてかなり(かど)が取れている。

 

 別人かと思うくらいに。

 

 それに、

 

「なんだか……綺麗になった、かな」

 

 きびきびと精密機器のように無駄の無かった以前の所作と比べて、今の澄江のソレからは、瑞々しい色気のようなものを感じる。時々ドキッとさせられるくらいに。

 

 自分と同じく三十三のはずだが、十歳くらい若返ったように見える。

 

「——()()()でも、出来たのかな」

 

 

 

 

 

 †

 

 

 

 

 

 

「——ただいま」

 

 午後八時、箕輪澄江はマンションの一室へ帰宅した。

 

 玄関に入ると同時に、良い匂いがした。この匂いはカレーか。

 

 それと同時に、大切な「待ち人」の存在を強く感じ、幸せな気分となった。

 

 廊下を歩いてリビングにたどり着くと、その「待ち人」はソファに座りながら本を読んでいた。

 

「おかえり。澄江さん」

 

 彼を一言で形容するなら「陽気な熊」だろうか。

 

 見臭さを微塵も感じない、さっぱりと切られた短い黒髪。精悍(せいかん)でありつつもゴツゴツした印象を与えない、角の取れたパーツで構成された顔つき。

 遠くから見ると細身だが、近くから見ると濃厚な筋肉が凝縮された頼りのある体つきだ。……何度も彼の体に触れてきたから分かる。

 

 そんな彼——木崎(きざき)圭介(けいすけ)は、澄江を見た途端に柔和に微笑んだ。

 

 澄江もまたそれを見て、幸福感で口元をほころばせる。

 

「お疲れ様、澄江さん。今日は少し遅かったみたいだね」

 

「そうなのよぉ。もう、今日はいろいろと大変でね。マスコミ対策とか警察署への立ち入り調査とかいろいろ。身内が事件起こすといつもこうよまったくもう」

 

「ははは。お役人も楽じゃないね。やっぱり鈍臭い俺には向いてないよ。あ、お風呂沸いてるよ。ご飯もできてるし。どっちが先がいい?」

 

 澄江は少し考えてから「お風呂にするわ」と答え、それから可笑しそうにクスリと笑った。

 

「なんか、奥さんみたいね。圭介さんってば」

 

「澄江さんと結婚できるなら、男でも女でも良いよ」

 

「もぉっ。……じゃあ、入ってくるわね。それとも一緒に入る?」

 

「い、いいって」

 

「ふふ、照れてる。圭介さん可愛い」

 

 最愛の人の愛らしい照れ顔を見て満足した澄江は、軽やかな足取りで脱衣所へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 入浴し、食事をとった。夕食はカレーだった。

 

 料理がさほど得意ではない彼のカレーはちょっと濃くて、じゃがいもがほぐれ過ぎてルーと溶け合って同化しかけていた。ニンジンの大きさも不揃いだ。

 

 だけど、そんなカレーが、澄江は好きだった。

 

 それに、彼は自分が帰ってくるまで、待っていてくれた。先に食べて寝ることも出来たはずなのに、いつも帰りの遅い自分を待っていてくれて、こうして団欒に付き合ってくれる。

 

 ここ一年、毎日繰り返されているこの団欒が、澄江はとても幸せだった。——自分には、ずっと縁の無いものだと思っていたから。

 

 食事を食べた後の片付けも、圭介がやってくれる。

 

 台所で食器を洗っているその大きな背中を、澄江はソファーに座りながら眺めていた。

 

 片付けを終え、ダイニングチェアに腰掛けて一休みしようとした圭介に、澄江は「ん」と拗ねた唸りを出しながら自分の右隣を叩いて示した。……幼い子供みたいな仕草だった。庁舎で働く同僚らが見たら確実に唖然とするであろう。

 

 圭介は仕方ないなとばかりに困った笑みを浮かべ、澄江の隣に座った。

 

 途端、澄江は圭介の左腕にしがみつき、体重を預けた。

 

「ふふふふっ……」

 

 筋肉の密度の高いたくましいその腕に、猫のように頬擦りする。

 

「……本当に甘えん坊だなぁ、澄江さんは」

 

「だって。圭介さんの腕、好きだもん」

 

「腕だけ?」

 

 澄江は「いじわる」と頬を膨らませて言うと、より一層左腕に顔を押し付けて、甘ったるい声で言った。

 

「圭介さんの、全部が好きよ」

 

「俺も……澄江さんが好きだよ。愛してる」

 

 圭介はおもむろに澄江の顔へ右手を伸ばし、輪郭を上から下へそっと撫で、おとがいを持ち上げた。

 

 熱病に浮かされたように潤んだ澄江の瞳が、圭介の真っ直ぐな眼差しとぶつかる。

 

「…………ね。圭介さん」

 

 澄江は甘くささやいた。

 

 大きく、たくましい体。それにしなだれかかる。それだけで幸せ。

 

 だけど、澄江は欲張りだった。

 

 もっと——彼が欲しい。

 

「澄江さんっ……」

 

「圭介さ、あっ……ん」

 

 唇で、唇を塞がれた。

 

 いつもは怜悧(れいり)に働く頭が、甘美な痺れを起こす。思考が曖昧になる。

 

 彼の大きな重みが、優しく、被さってくる。

 

 その幸せな重みを、澄江は快く受け入れた。

 

 ——そこから先のことは、あまり覚えていない。

 

 

 

 

 †

 

 

 

 

 箕輪澄江に両親はいない。

 

 母は自殺し、父は蒸発した。

 

 父は男として最低の部類だった。

 

 金は稼いでくるが、その大半を独り占めして、母にはほとんど渡さなかった。

 

 毎日飲んだくれて母を殴った。

 

 家の金の大半は父が稼いでいたため、母はずっとその関係に甘んじてきたが、限界は来るべくして来た。

 

 澄江がある日小学校から帰って来たとき、母が首を吊っていた。

 

 ……徴兵検査の合格率が異様に低く形骸化しかけているとはいえ、日本は国民皆兵制だ。それを成立させるための下敷きとして、学校では剣術授業などを通して「人はどう死ぬか」をある程度教わる。だからこそ、母がてるてる坊主の真似事をして遊んでいるのではなく、死んでいるのだと子供の身でも分かった。

 

 数ある死に方から「家での首吊り」を選んだのは、自分を散々奴隷のように虐げてきた夫への意趣返しの意図もあったのだろう。てるてる坊主と化した母を見た父は逃げ出し、そして二度と帰ってくることはなかった。

 

 その後、澄江は親戚の家へ引き取られた。

 

 当時の澄江の心にあったのは、父と、そして母への憎悪だった。

 

 ——稼ぎと腕力を武器にして母を奴隷のように扱った、暴君のような父。

 

 ——横暴な夫を相手に刃向かうどころか逃げることすらせず、ひたすら奴隷に甘んじてきた、脆弱な母。

 

 自分は将来、こんな人間にはならない。

 

 至剣流剣術の初伝目録を手にし、難関であった帝都大学付属高校に合格し、そこからトップの成績で大学へ進学し、大卒後に内務省の官僚となってメキメキとキャリアを積み上げてきた今の澄江の骨子となっているのは、そんな両親への憎悪だった。

 

 ——だからこそ、恋なんて、絶対しないと思っていた。

 

 男にしなだれかかるなんて、まさしく父に虐げられながらも依存していた母を彷彿とさせる行為。アレと同じになる自分なんて想像できなかったし、したくもなかった。

 

 

 

 ……木崎圭介と出会うまでは、そう考えていた。

 

 

 

 きっかけは去年の春。

 

 マンションの一室へ帰宅するために夜道を歩いていた途中、武器を持った見知らぬ男達に取り囲まれた。

 

 二人か三人程度ならば澄江は遅れを取らないが、相手は六人いた。日本刀を持つ者もいる。

 

 なので澄江は逃げたが、追い詰められてしまったので、やむなく応戦。

 

 落ちていた木の枝を剣代わりにして応戦し、三人を倒したが、日本刀によって枝を切られて武器を失う。

 

 返す刀でまさに斬られるその寸前——大きな影が自分を包み込んだ。

 

 それこそが、圭介だった。

 

 澄江の危機的状況を見つけた圭介は、澄江を庇う形で押し倒し、背中に一太刀を浴びた。

 

 しかし、圭介は渾身の力で立ち上がって、危険を顧みず刀持ちの方へ勢いよく詰め寄り、刀を強引に奪い取った。

 

 そして言った。

 

「——これ以上狼藉を働くなら、俺はこの刀でお前たちを斬ってやるぞ!! 去れ!!」

 

 その喝破に、六人は気圧されて退き、やがて退散していった。

 

 その後、澄江は圭介を病院まで連れて行った。治療費を払えないという理由で圭介は断ろうとしたが、澄江は自分が払うからとそれをさらに断った。

 

 幸いにも、斬られた傷は浅く、大事には至らかったため、その日で帰れた。

 

 澄江は圭介に深く感謝を告げてから、「助けてもらったお礼がしたい」と訴えた。

 

 すると圭介は、恥ずかしそうにはにかみながら言った。

 

「じゃあ、その……職探しを、手伝ってくれませんか。通っていた会社が潰れちゃって、貯金も底をついて家も追い出されちゃって……」

 

 澄江と圭介の同居生活はそれから始まった。

 

 無論、最初は警戒した。恩人とはいえ、相手は男だ。同じ屋根の下で寝るのは抵抗があった。けれど寒空の下に寝かせるわけにもいかなかった。だから澄江は警戒を厳として過ごした。

 

 だけど、圭介の人柄に触れ、すぐに澄江の警戒心は薄れていった。

 

 陽気な熊のような人。それが圭介に対する印象だった。

 

 職も家も失って、しかしそれでもなお陽気な笑顔を絶やさない人だった。

 

 忙しい一人暮らしの身ゆえにおろそかになりがちだった家事を、率先してやってくれた。料理は不得意らしく何度かフライパンを丸焦げにしたが、それも笑って許せてしまった。

 

 そんな圭介に——澄江はいつしか強く惹かれていた。

 

「ずっとここにいて。私が養ってあげるから」

 

 遠回しの愛の告白を、圭介は顔を真っ赤にして動揺しながらも、それを受け入れてくれた。

 

「澄江さん、もしちゃんとした仕事が見つかって、そこに腰を据えられたら……その時は俺と、結婚してくれませんか」

 

 澄江は二つ返事でそれに頷いた。

 

 こんなに幸せだった時は、これまでの人生に無かったかもしれない。

 

 

 

 

 †

 

 

 

 ……何分、いや、何時間経っただろうか。

 

 気がつくと、時刻は夜中の三時となっていた。

 

 二人はベッドで横になって寄り添い、その素肌と熱の感覚を触れ合わせていた。

 

 圭介が、ささやくような声で言った。

 

「ここのところ、楽しそうだね、澄江さん」

 

 圭介の分厚い胸板を指先で愛でながら、澄江はくすぐったそうな声で答えた。

 

「変わらないわよ。いつも大変。もし楽しそうに見えるのなら…………それは、あなたがいるからよ。圭介さん」

 

「……よかった。澄江さんがそう言ってくれるなら、穀潰しじゃないって少しは自信を持てるよ」

 

 澄江は圭介の肌をギュッと軽くつねった。

 

「怒るわよ。圭介さんは穀潰しなんかじゃないわ」

 

「でも、まだ仕事見つからないし……」

 

「何度も言ってるでしょ? 私が養ってあげるって」

 

「こっちこそ何度も言ってるじゃないか。良い仕事見つけて、澄江さんと所帯を持ちたいって」

 

「……もぉ」

 

 クスリと笑い合い、ついばむように軽く唇を合わせた。

 

 それからまた、澄江は分厚い胸板から来る人肌の温度に浸る。

 

 愛する男性の体温は非常に心地よい。このままこの体温に浸って、まどろみの中に意識を沈めていくかと思った、その時。

 

「——ねえ、澄江さん。『呪剣』について、もうちょっと詳しく教えてくれないかな」

 

 圭介からの思いがけない問いに、澄江は意識を覚醒させた。

 

 『呪剣』……今日の昼間、同僚である樺山歩から聞かされた、荒唐無稽な都市伝説。

 

 彼と甘い夜を過ごしている間、いつのまにか自分はその都市伝説のことすら喋ってしまっていたらしい。

 

 とはいえ、それをわざわざ知りたがる圭介に疑問を感じ、澄江は問い返した。

 

「どうして?」

 

「なんとなく興味があるから、かな」

 

 ……教えても良いのだが、そこで澄江の心に、期待感と悪戯心が湧いた。

 

「どうしようかしら」

 

「教えてよ」

 

「えー」

 

「言わないなら……言いたくなるようにさせてあげるよ」

 

「きゃあ」

 

 やや強引に抱きついてきた圭介の大きな体を、澄江は嬉々として受け入れた。

 

 ……明日も早くから仕事だったが、澄江はこの至上の幸福を味わうことを優先した。

 

 




幕間的な話なので、今回は単話で投稿しました。
これからまた書き溜めます。
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