帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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名刀、そして野暮用

 氷山(ひやま)部長曰く、富武(とみたけ)中学校に撃剣部なるものが出来たのは、十年前だそうだ。

 

 いや、より正確に言うならば「撃剣部が復活したのは」である。

 

 それより前にも撃剣部はあったそうだが、部員数がゼロになって、一度廃部になったそうだ。

 

 ——それが復活を遂げた理由は、ひとえに、日ソ戦争に勝利した影響だった。

 

 対外戦争に勝利するたび、この帝国ではたびたび国粋主義(こくすいしゅぎ)的な気風が生まれ、それに関する変化が生じてきた。嘉戸(かど)宗家が至剣流を学校の必修科目にねじ込めたのも、そういう世間の気風に上手く乗ったからだ……そう香坂(こうさか)さんから教わった。

 

 それと同じように、ソ連という超大国を打ち倒したことで、国粋主義の気風が帝国民の間に高まった。その気風の主な矛先は、日本剣術という純国産文化であった。

 

 至剣流の正式入門者が爆発的に増加したのもそうだが、撃剣部の無かった全国中学校にまるで雨後の(たけのこ)のように次々と撃剣部が生じていったのである。富武中撃剣部もその筍の一つというわけだ。

 

 とはいえ、全ての部がバリバリに天覧比剣(てんらんひけん)を目指したかというとそうではなく、ユルくやっているところも少なくない。

 

 富武中撃剣部は割と本気で天覧比剣を目指している方だが、どうしても千代田区予選を十年間超えられずにいた。理由はひとえに、葦野女学院(ヨシ女)という全国級の強豪校がいるためだ。

 

 だが、十年間超えられなかったヨシ女という壁を、今年になってとうとう超えられた。

 

 なおかつ、千代田区予選で優勝してみせた。

 

 いずれも富武中撃剣部始まって以来の快挙である。

 

 このことは区予選最終日の翌日、つまり五月二十八日に学校で大きな話題となった。

 

 僕ら富武中撃剣部レギュラーは、学校内で注目の的になった。

 

 峰子(みねこ)も僕も、周囲の生徒からワラワラと集まられ、称賛を浴びまくった。氷山部長もおそらくそんな感じだろう。

 

 思ったとおりというべきか、峰子はそういう称賛のされ方を嫌ったようだ。群がる生徒らを喝破して追い払った。

 

 僕はというと、そんなことが出来るほどの度胸も厳しさも無いため、称賛の嵐を甘んじて受ける羽目になった。おかげで朝からすっごい疲れた。

 

 だがどうしてだろう。峰子の時は男女ともに多かったが、僕に集まってくる生徒は女子率が異様に高かった。男子も何人かいたが、多くが遠巻きから面白くなさそうに見ているだけだった。

 

 ひょっとして僕って女の子にモテモテ? ——なんていう自惚れに満ちた考えは即座に一刀両断した。んなわけない。ただ一時の話題として乗っかられているだけだろう。それに僕には(ほたる)さんがいるのだ。

 

「何よまったく。先週まで一瞥(いちべつ)もしてこなかったくせに。鬱陶しいのよ」

 

「そうよそうよ。掌返しじゃない。手首にモーターでも入ってんのかよって話。……コウも、女子相手にデレデレしてさっ。このスケコマシ」

 

 峰子とエカっぺは、その称賛の嵐を否定的に評した。……エカっぺのは後半ただの偏見だと思うけど。

 

 まあ何にせよ、僕ら撃剣部は無事に都予選への切符を手に入れたのだ。

 

 都予選の開催は今年の六月末だ。つまり、およそ一ヶ月後。

 

 帝都東京の二十三区と、西半分の多摩地区からの代表者が一箇所に集まり、東京代表団体を決める戦い。それが都予選だ。

 

 千代田区予選で優勝しても、そこで終わりではない。

 

 天覧比剣への、否、天覧比剣優勝への道のりは、まだまだ長いのだ。

 

 

 

 

 †

 

 

 

 

 僕、秋津(あきつ)光一郎(こういちろう)は最近思うのだ。

 

 自分はなんと恵まれた人生を歩んでいるのだろうか、と。

 

 歴史学界に強固な顧客を多数持つ老舗古書店の息子として生を受け、

 隣国からの領土の掠奪(りゃくだつ)の歴史も経験せず、

 何一つ大病を患わない健康優良児として育ち、

 打ち込める趣味を見つけ、なおかつそれを業界人に称賛されたり、

 深く付き合える悪友ができたり、

 本気で尽くそうと思える想い人ができたり、

 その想い人の義父である偉大な将軍に師事するという奇縁を得たり、

 人一倍速く剣が上達したり、

 

 ——想い人の作ってくれる料理を、毎週必ず食べられたり。

 

 望月家での至剣流の稽古は、休日である毎週の土曜日、日曜日に行われる。

 

 それを終えたら、浴室を借りて汗を流し、なんとお昼ご飯までご馳走になれるのだ。

 

 そして、そのご飯を作ってくださるのは誰か?

 

 ——螢さんである。

 

 確かに僕は、現時点では螢さんとお付き合いも婚約もしていない。したいけど。

 

 しかし、彼女のあの綺麗な御手が作ってくださる料理を、定期的に御相伴に預かれる。

 

 どうだろう? これって、互いの同意が無いというだけで、実質的に交際では? 違うだろうか? ……うん、違うね。

 

 だけど、相当に恵まれた人生であるというのは確実だろう。

 

 そんな恵まれた僕は今日——六月一日土曜日も、稽古後に螢さんの出したお昼ご飯を食べた。

 

 今日は茄子(なす)のもみ漬けと、茄子とひき肉の味噌炒めだった。茄子づくしなのは、ご近所さんから大量の茄子を分けてもらったからだそうだ。茄子は冷野菜であるため、暑くなってきた今の季節にちょうど良いだろう。……言うまでもなく、どれも美味しゅうございました。僕は幸せです。

 

 食器の片付けは、螢さんとエカっぺの二人で行った。残された僕は望月先生にお茶を入れることにした。何を入れてさしあげようかと少し考え、玄米茶を選択。急須に葉っぱを入れてから、電気ポットのお湯を注ぐ。しばらく蒸らしてから、すぐに湯飲み茶碗へと移した。

 

 小さな盆の上に乗せて、望月先生の部屋まで訪れた。

 

「お茶をお持ちしましたー。入ってもよろしいですか?」

 

「ああ、構わんよ。どうぞ」

 

 お許しが聞こえてきたので、引き戸をそっと開いて中へお邪魔する。

 

 先生のお部屋は何度も見ているが、必要最低限のモノしか置いておらず、ひどく殺風景であるというのがここへ来るたび抱く僕の感想だ。そんなに広い空間ではないが、モノが少ないせいか随分広く感じる。

 

 僕のいる引き戸から真正面奥に窓。そこから差し込む陽光が、本棚や机、それから望月先生の姿を見せている。

 

「おお、すまないね。そこの床に置いておいてくれんか」

 

 先生は中央にある小さな卓の前に座りながら、刀の手入れをされている途中だった。

 

 丁子油(ちょうじゆ)を染み込ませたティッシュペーパーで、刀身に新しい油を塗っているようだ。

 

 僕は茶碗の乗った盆を端に置くと、その刀に寄り、見入っていた。

 

「……きれい、ですね」

 

 そんな陳腐な感想しか出てこない自分が恨めしいくらい、その刀身は見事なまでの美しさを誇っていた。

 

 僕は刀剣には詳しい方ではないが、それでもこの一振りがたいそう良いモノであるということはなんとなく分かる。

 

 だけど、その見事な刀を見つめる望月先生の目は……少し悲しそうだった。

 

「そうか。——これは、日ソ戦勝利の功績を讃えられ、(みかど)より(たまわ)った一振りだ」

 

 僕は目を大きく見張った。

 

「……これが、そうなんですか。話には聞いたことはあります。なんでも、鎌倉の文永(ぶんえい)年間の名刀なのだとか」

 

 本当に僕は得難い人生を歩んでいると思った。まさかこの目で直接、御下賜(ごかし)(ひん)である名刀を見ることになろうとは……

 

 ちなみに文永年間とは、元寇(げんこう)が起きた年だ。中国大陸からヨーロッパの一部までを大きく支配していた蒙古(モンゴル)帝国からの侵攻を、鎌倉の武士達は決死の抵抗で食い止めたのだ。……なるほど、ソビエト連邦という超大国の侵攻を食い止めた功績を讃える品としては、相応しいものかもしれない。

 

 望月先生は、ん、と小さく首肯。その頷き方はやっぱり螢さんに似てるなと僕は思った。

 

「…………その、先生、大変下世話な質問で申し訳ないんですが……その刀って、売るとどれくらいのお金になるんでしょうか」

 

「これ一振りで、家を軽く十軒は建てられると聞いた」

 

 僕は電光石火の速さで壁際へ退いた。さすが御下賜品、レベルが違う。触れるどころか刀身に映り込むことすらおこがましく感じる。

 

 先生はそんな僕に苦笑してから、穏やかに、けれどどこか重みのある口調で言った。

 

「確かにこの刀は、国宝級と呼んでいい価値を持ったものだ。だが、不敬な物言いになるであろうが……そんな相対価値など、わしにとっては些事(さじ)だ」

 

「え……?」

 

 僕が目をしばたたかせると、先生は、静かに述べた。

 

「——この刀は、あの戦争で命を落とした部下達の、誉れと無念の結晶だ」

 

 ……あ。そうか。そういうことか。

 

「わしはこの刀があまり好きではない。見ると、あの戦争で死んだ部下達の事を嫌でも思い出してしまうから。そして、そんな多くの屍を積み上げて得たものが……このような細い鉄の塊では、あんまりではないか、と思ってしまうのだ。だが、押し入れに閉じ込めて錆びさせるわけにもいかん。それをやってしまうと、犠牲になった者達をも粗末に扱うことになってしまうから」

 

 刀身に映る先生の顔に、自嘲のような笑みが浮かぶ。

 

 その笑みが、いつもの先生らしからに異様な歪み方をしていて、僕はゾッとした。

 

「……いや、もしかするとわしは、存外この刀が気に入っているのかもしれん。この刀が欲しかったからこそ、わしは多くの部下を屍に変えて、それを階段にしてこいつを手に入れんとしたのかもしれ——」

 

「——違う!」

 

 僕は思わず声を荒げていた。

 

「そんな刀、ただのオマケです! 先生やその部下の人達は、命を賭けてこの国を守ったじゃありませんか! ナニナニ時代の名刀なんかより、もっと素晴らしいモノを勝ち取ったじゃありませんか! それを忘れちゃダメです!」

 

 振り返って僕を見ていた先生は、目を見張っていた。

 

 先生は、それから目を閉じ、数度深呼吸し、ようやく表情を落ち着かせた。 

 

「…………すまんな、コウ坊。少しおかしくなっていたようだ。やはり、あの戦争の事を話し出すと、弱いな、わしは……」

 

「本当ですよ、まったく。心臓が弱いんですから、あまり考え込むのはお控えください」

 

 ん、とやっぱり螢さんに似てる頷き方を見せてから、先生は少しからかうような笑みを僕に向けてきた。

 

「それにしてもコウ坊、お前さんも随分と豪気になったなぁ。帝から下賜された品を「オマケ」と断ずるとは」

 

「げ」

 

 僕は思わず、失言を吐いてしまった我が口を両手で押さえた。日光東照宮の猿みたいに。

 

 それを見て可笑しそうに笑ってから、先生は訊いてきた。

 

「なぁコウ坊、わしがお前さんに譲った『蜻蛉剣(せいれいけん)』は、元気でやっているか?」

 

 先生が今言った『蜻蛉剣』とは、僕の至剣のことではない。

 

 僕が切紙(きりがみ)免状(めんじょう)を受け取ったその日に譲っていただいた、蜻蛉(トンボ)の絵が刀身に彫られた無銘刀である。

 

「あ、はいっ。もちろん。教わった通りのやり方で、定期的に手入れをしています。どこへ出しても恥ずかしくないくらい綺麗な状態です」

 

 そうか、と満足げに頷き、望月先生は続けた。

 

「あの刀は、わしが若い頃に二天一流の師から、皆伝の祝いに頂いたモノだ。これから陸軍人への道を進むわしに「勝ち続けられるように」とな」

 

「……そんな大事なモノを、僕に譲ってもよかったんですか?」

 

「構わんよ。……わしは、()()()()()()()()()()()()()

 

 先生は再び、名刀へ視線を戻す。美麗極まるその刀身に映る先生の顔は、昔を懐かしんでいるようだった。

 

蜻蛉(勝ち虫)験担(げんかつ)ぎが効いたのかは知らんが、わしはこれまで軍人として勝ち続けてこられた。士官学校では恩賜刀(おんしとう)を授与され、その後も高みに登り続けて、大将にまでなってしまい、ソ連軍との戦争にどうにか勝利し、一部の連中が人神にしたがるほどの英雄として祭り上げられるに至った…………だが、勝ち続ける、というのは、至上の幸福というわけでもないようだ。特に、殺し殺されの世界では、な」

 

 先生は名刀を持つ手を動かし、位置を変えた。

 

 それによって、先生の顔だけでなく、僕の顔も刀身に映る。

 

「コウ坊……わしはお前さんが、これから一度たりとも、殺し合いなどという場に立たずに済むことを、切に願うよ」

 

 静かな、切なさのこもった声に、僕は少したじろぐ。

 

 強い言葉ではないはずなのに、ものすごい「重さ」を感じたからだ。

 

 思い出すのは『玄堀(くろほり)の首斬り小天狗』の言葉を借りた、氷山部長の言葉。

 

 ——刀を武器にしていたのは、「人を斬って殺した」という感触を得られて、なおかつその修羅な経験を忘れずにいられるからだ。

 

 それを聞いて、僕は感じた。人を殺してきた人間特有の「重さ」を。

 

 今の望月先生の言葉にも、その時感じたのと同じ「重さ」があった。

 

 ……先生が優しいのは、たぶん、生来の気質だからとかではない。()()()()()()()()人を殺しすぎたせいで、争う事そのものに嫌気が差しているからだろう。『玄堀の首斬り小天狗』と、同じように。

 

 僕は返事に窮する。

 

 もちろんです、と返したい。

 

 当たり前だ。殺すのも殺されるのも御免である。

 

 だけど……螢さんが前に言ったことを、思い出す。

 

 ——螢さんが剣を学んだ理由は、「牙」を持つため。

 

 ——侵略者に良心を期待して無抵抗に殺された、ご両親や周囲の大人達と同じになりたくないから。

 

 ——たとえ時代遅れの剣術だとしても、自分を殺そうとしてきた者へ噛み付くための「牙」を持ち、なおかつそれを鍛え続けるため。

 

 螢さんもまた、戦災孤児という形で、十一年前の戦争を肌身で体験した人だ。

 

 彼女が剣を学ぶ前提には「殺し合い」がある。

 

 そんな姿勢を、自分の伴侶となる人にも求めている。……好みの問題ではない。ご両親のような別れ方をまた繰り返しかねない人間と、深い仲になりたくないからだ。トラウマである。

 

 僕が「殺し合い」の可能性を度外視して、剣術に取り組んだとしよう。

 

 それで、()()()()()()()()()()()()

 

 「殺し合い」という側面から目を背ける僕を、螢さんが認めてくれるのか?

 

「……僕は」

 

 どのように返せばいいのか、頭を捻っている時だった。

 

 ——インターホンの鳴る、音がした。

 

「あ……お客さんですね。ちょっと出てきます」

 

 僕はそそくさと、先生の部屋を後にした。

 

 まるで先生から逃げるようなその振る舞いに後ろ髪を引かれる思いをしながらも、居間へ行き、インターホンと繋がるマイクの電源を入れた。

 

「はい、望月ですけど」

 

『おめぇは秋津だろ。いつの間にお嬢の婿になったんだよ?』

 

 やや皮肉めいた響きを持つその声は、知っているものだった。

 

「香坂さん、ですか?」

 

『おうよ。俺もそろそろ稽古の時間なんでね。お邪魔すると師範にお伝え願うぜ』

 

 そのまま「分かりました」と言いたいところだが、今日はちょっと拗ねてみたり。

 

「……香坂さん、僕の千代田区予選、結局一度も見に来てくれませんでしたよね」

 

『悪ぃ悪ぃ。ちょっと野暮用があったもんでね。……今日来たのは、稽古のためってだけじゃなく、その「野暮用」についても説明したかったからなんだよ』

 

「と、おっしゃいますと」

 

 僕が尋ねると、香坂さんの声が、やや緊張を帯びた。

 

『区予選優勝の余韻に水を差すようで忍びねぇが——今年の都予選、かなり面倒くさくなりそうだぜ』

 

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