帝都初恋剣戟譚   作:新免ムニムニ斎

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径(ちかみち)、そして神速

 六月二日、日曜日——

 

 本当ならば今日も稽古があるのだが、今日はお休みにさせて頂いた。

 

 お母さんに店番を任されたからである。

 

 いつもなら「稽古に行きたかったのに……」と多少のぼやきも漏らすのだが、今日に限ってはそれが無かった。

 

 なぜか?

 

 ——ここで待っていれば、「彼」に会えるかもしれないと思ったからだ。

 

 そう。この『秋津書肆(あきつしょし)』の最年少の常連さんである、「彼」と。

 

 無論、確実に来てくれる保証は無い。

 

 それでも「彼」が来てくれることを期待して待った。

 

 ……いつも来てくれるのを楽しみにしていたが、()()()()()()余計に会いたくて仕方がなかった。

 

 その期待は、どうやら天に通じたようだ。

 

 午前十時ちょっと。出入り口のガラス戸をゆっくり開いて入ってきたのは、その「彼」だった。

 

「——おはよう、光一郎(こういちろう)

 

 僕が「いらっしゃいませ」と言うよりも早く、弾んだ声で挨拶をくれた金髪碧眼の美少年——ミトロファン・ダニーロヴィチ・ボルショフくんである。

 

 緩い巻き毛を描くブロンドヘア。浅葱色(あさぎいろ)の瞳。白人でありつつも角張った感じのしない、丸みを帯びたパーツで出来た美貌。まるで何処かの国の王子様みたいな美少年だ。

 

 僕が「ミーチャ」という愛称で呼んでいる彼は、周囲の本ではなく、まず一直線に僕のいるカウンターまで来た。その美貌が余計に輝かしく見える瑞々しい笑顔で、

 

「今日は光一郎が店番なんだね。会えて嬉しいよ。三週間ぶりくらいかな?」

 

「それくらいだったかなぁ」

 

 いつもの僕なら、次に「どんな本をお探しで?」と実務的な話に移るところである。

 

 しかしながら、今回は違う事を訊きたかった。

 

 そのために、僕は、ミーチャの来店を期待していたのだから——

 

「ミーチャ——()()()()()()()()()()()()()。おめでとう」

 

 僕はまずその言葉で切り込む。

 

 ミーチャはそれに対し、その青瞳を大きく見開いて驚きを表した。

 

 だが、すぐに観念したような苦笑を浮かべつつ、緩んだ口調で言った。

 

「……参ったなぁ、知ってたんだ。ボク、これからその事を言おうと思ってたのになぁ」

 

「ごめんね。僕の知り合い……のさらに知り合いが、港区予選を観戦していたらしいんだ」

 

「そうだったのか。光一郎って、意外と顔が広かったんだね」

 

「まぁ、そこそこね。それで、訊きたいんだけど……」

 

 僕は一瞬、ためらいを覚えた。

 

 教えてくれるか分からなかったし、()()()()()を使っていたミーチャのことを、今までのような「本好きの美少年」という印象だけで見られなくなっていて、そのことに戸惑いを感じていたのもそうだろう。

 

 意を決して尋ねた。

 

「——君が、港区予選で使った()()()()が、君が解読を進めていた古文書から得た技なのかい?」

 

 

 

 

 

 †

 

 

 

 

 

 香坂(こうさか)さんは、確かに一度も千代田区予選を観に来てはくれなかった。

 

 しかし、それには理由があったのだ。

 

 ——千代田区予選と並行する形で行われていた、帝都東京の他の区予選の視察。

 

 僕ら富武中がこれから戦う都予選は、東京二十三区と多摩地区から選別された代表団体同士を戦わせて、「天覧比剣東京代表」を決めるための大会である。

 

 香坂さんは、自分と、かつて自分が率いていた喧嘩屋集団『雑草連合(ざっそうれんごう)』の旧メンバーの協力を得て、全ての区予選を視察していたのだという。

 

 ……余談だが、何か言いたげに見つめてきていた望月先生に、香坂さんはへりくだった態度で「い、いや別に『雑草連合』を復活させたわけじゃないっすよ師範。解散したからってその頃のメンバーと何一つ交流を持つな、なんて酷な話じゃないっすか。ダチとして力を借りただけっすよ」と弁解していた。望月先生が二天一流を彼に教える前提条件が「『雑草連合』の解散」だったからだろう。

 

 話を戻す。

 

 香坂さんの仲間達は、それぞれ一人ずつ各区の予選を観戦していた。

 

 さらに、めぼしい試合をしている中学があったら、持参していたビデオカメラでソレを録画したという。

 

 ……全ては、僕と富武中が天覧比剣に参加できるよう、手助けをするために。

 

 僕は、その事自体にはとてもありがたさを覚える一方、そこまでする必要が果たしてあるのかとも思った。その疑問をぶつけると、

 

「ちょれー事言ってんなよ。そんな甘ぇ戦いじゃねぇんだ、天覧比剣は。孫武(そんぶ)に倣って敵を知っておくのがスジだろうが」

 

 という、なんとも香坂さんらしい意見が返ってきた。

 

 僕は香坂さんに感謝をし、各区予選の中で選別したという「めぼしい試合」の記録されたテープをありがたく拝見させてもらうことにした。

 

 その際、「まず初めにこれを見ろ」と差し出された、一枚のテープ。

 

 言われた通りにソレを再生し——そして僕は驚愕に支配された。

 

 そのテープに記録された試合は、港区予選参加校の「赤坂(あかさか)(ひがし)中学校撃剣部」のものだった。

 

 所属しているレギュラー選手の先鋒に、ミトロファン・ダニーロヴィチ・ボルショフ——つまりミーチャがいたのだ。

 

 それだけでも驚きだが、彼が見せた技はさらに僕を驚かせた。

 

 お互いに、剣の届かない遠間になってから、試合は始まる。

 

 審判の「始め!!」という一声とともに——ミーチャはその立ち位置を瞬時に相手の間合いの中まで移動させて、相手から一本を取ったのだ。

 

 間合いを詰める速さが、普通ではなかった。

 

 過程が全く見えなかった。

 

 開始宣言が発せられた次の瞬間には、ミーチャの姿が開始位置から消え、そして相手の間合いの中に()()()のだ。雷光の明滅のように。

 

 足で床を蹴って全身を移動させたというより、()()()()()()()()()()()()()()()()()みたいな。

 

 「速い」という言葉すら不適当に思えるほどの「神速」。

 

 テープの故障ではないのか——僕はもっともらしい、現実逃避気味な問いを香坂さんにぶつけるが、彼はかぶりを振った。なぜならそのテープを撮ったのは、他ならぬ香坂さん本人だったからである。彼は肉眼でこの技を見たのだ。

 

 当然ながら相手は微塵も反応することが出来ず、一方的に二本取られてあっという間に負けた。

 

 ミーチャは全ての試合にて先鋒となり、その神速の剣技で圧勝してみせた。全ての試合を一分未満で終わらせた。

 

 勝ちが確約された先鋒戦の後、次鋒か大将が勝利する——そのような戦法で、赤坂東中学は見事に港区予選で優勝した。

 

 テープの再生を終えた後、香坂さんは言った。

 

 冷や汗の浮かんだ微笑を交えて。

 

「……都予選では、こいつらには十分用心しときな。こんなクソ速ぇ剣、俺だって初めて見た。熟練の剣士だって出せやしねぇ。ハッキリ言って異常だ。——クソが。こんなの、()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 †

 

 

 

 

「——そうだよ」

 

 僕の問いに対し、ミーチャは微笑んだ。

 

 いつも通りの笑みだったが、今はひどくプレッシャーじみたものを感じた。

 

「光一郎の考えている通りさ。アレこそ、ボクが伝書を解読し、そして復元させた剣術——『径剣流(けいけんりゅう)』だよ」

 

 初めて聞くその剣術の名。

 

 驚きをなおも捨てられない僕に、ミーチャはあくまでいつも通りの論調で説明してくれた。

 

「この『径剣流』はね、嘉戸(かど)至剣斎(しけんさい)の門弟が作り上げた剣術なんだよ」

 

「至剣斎の弟子が、創始者……?」

 

「そう。その伝書を書いた人の名前は、字が薄れてて読めなかったけど」

 

 ミーチャは、本の内容をそらんずるような口調で次のように述べた。

 

「——魚が如何(いか)(げん)を尽くそうとも、(ひれ)(えら)を持たぬ虎に己が泳法を教伝すること(あた)わず。

 虎が如何に己が狩りを垂範(すいはん)しようとも、牙も爪も持たぬ魚に(おか)禽獣(きんじゅう)撲食(ぼくしょく)すること能わず」

 

 突然の古めかしい語彙の数々にきょとんとする僕に、彼はいつも通りの口調に戻って説明を再開した。

 

「『径剣流』の伝書に記されていた、至剣に関する説明の一文だよ。……伝書によると、至剣というのは「技」というより、その人の肉体にのみ宿った「身体機能」みたいなものなんだって。そして、そういう「身体機能」は、他者に教えたくても教えられない。今言った一文のように、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。その人にしか使えない技術を、他の人に伝えることはできない。至剣というのは「技術」ではなく「その個人にしか備わっていない身体機能」といえる技なんだよ。……まあ、この伝書を読んだ限りでは、という情報だけど」

 

 僕は「へー」と相槌を打つが、すでに知っている事実だった。望月先生から聞かされているからである。

 

 他ならぬ僕自身も、至剣を使ったとき「どういう振り方・体捌きをしていた」というのは分からない。ただ、なんとなく、その至剣を使えただけだ。具体的な技術内容を教えろと言われても無理だ。

 

 使っている本人にすら、どういう原理で成り立っているのか分からない。だから教えようが無い——それこそが『至剣』なのだ。

 

「この伝書の筆者は、()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()と考えた。それから残りの生涯の全てをその研究に費やし、晩年になってようやくそれを成し遂げた。だけど年老いて寿命が近く、弟子を取っての教伝が不可能と判断した筆者は、この伝書に己の編み出した剣術を書き記したんだ」

 

 ミーチャがこれから何を言おうとしているのか、理解できてしまった。

 

「……その「体系化された至剣」というのが、『径剣流』なの?」

 

「そうだよ」

 

 とんでもないことを、あっさり肯定する異人の友達。

 

()くに(こみち)()らず——論語にある一文さ。(こみち)、つまり「近道」に頼らず、正攻法で進んでいくことの尊さを解いた言葉だよ。ボクもこの言葉は好きだ。何かを学ぶ上では、手っ取り早く覚えようとするより、まず押さえておくべき基礎から積み上げていく方が後々になって盤石になるからね。だけど……()()()()()()()()()()()()

 

 言うと、ミーチャはカウンターまでさらに踏み込み、その上に乗っけた僕の右手を自分の両手で握りしめた。左手、右手の順番で、僕の右手をひんやりと包み込んでくる。

 

「え、ちょっと、ミーチャ?」

 

 脈絡の無い行動に僕は目をしばたたかせるが、ミーチャの浅葱色の瞳はいたって真剣だった。

 

「光一郎、今、ボクの両手は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 僕は動転しつつも思い出す。

 

「えっと……右手が大きく弧を描きながら近づいて、左手はまっすぐ一直線に近づいてきた」

 

「どっちの手の方が到着が速かった?」

 

「そりゃあ左手だよ。右手はわざわざ大きく遠回りしてるから。……それがどうかしたの?」

 

「——行くに径に由らず」

 

 再びさっきの論語の言葉を口にするミーチャ。

 

「この言葉をさっきのボクの両手の動きで例えるなら、遠回りせずまっすぐ光一郎の手へ進んだ左手の動きが「(ちかみち)」にあたるんだ。……この「径」を使うことこそが、『径剣流』の骨子さ。普通の人の動きでは絶対に通れないこの「径」に自分の剣と身を通すことで、誰よりも速い動作と振りを可能とする」

 

 思い出すのは、ビデオで観たミーチャの神速。

 

 そう。あのミーチャの動きは、確かに誰よりも速かった。過程が全く目で追えないほどに。

 

 彼の試合の時、相手は例外なく攻めどころか防御さえする間もなく二本取られ、惨敗してしまった。

 

 あれは、ただ「動きが速い」という言葉で処理できるほどではなかった。

 

 物理的な速さを超えた「何か」がある。

 

 そう思わせるほど、人として異質な動きだった。

 

 ——香坂さんの言うとおり、まるで至剣のような。

 

「そういえば、聞いたよ。光一郎の富武中学校も、千代田区予選で優勝したんだろう? おめでとう」

 

 突然そう祝福を送られ、僕は「あ、ありがとう……」となんとか返す。

 

 だが、次にミーチャは、その柔らかな笑みを真剣なものに引き締めた。

 

「でも——たとえ光一郎でも、都予選では手加減はいっさいしないよ。ボクもこの天覧比剣に、賭けている思いがあるから」

 

 僕の右手を握る彼の両手にも力がこもった。ひんやりしていた手の温度も熱くなっていた。

 

「……分かった。もしも都予選で当たったら、その時は正々堂々戦おう」

 

 僕は頷いて笑いかけ、ミーチャも合わせて笑ってくれた。

 

 しかし、僕の頭は……今なお、彼のあの異様な剣技のことでいっぱいだった。

 

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