「……あー、俺俺。今、エレジア着いたけど、今どこいるんだ? ……は? まだそこなの!?」
思わず声が大きくなる。慌てて口を押さえ、周囲を見回す。静かだ。誰もいない。
「いやいやいや、距離感おかしくない? 俺もう着いたんだが?…… 何? 観光中? 何してんねん!! いや、今回は任務じゃないし、俺の私用だけどな? 」
電伝虫の頬が、むにっと膨らむ。
あ、これ絶対めんどくさがってる顔だ。
「ごめんごめん。怒ってない。怒ってないけどさぁ……時間に間に合わないのは、百歩譲っていいけれども、ちゃんて来てくれないと困るわ」
瓦礫の上に腰を下ろし、靴先で小石を転がす。
乾いた音が、妙に大きく響いた。
「で、ちゃんと持ってきてる? いや、俺が使うんじゃねぇよ。芸術は爆発だ?……何言ってんだお前」
電伝虫の目が半眼になる。
完全に“面倒くさい相手から電話きた”の顔だ。
「おいその顔やめろ。傷つくわ」
ため息を一つ。
「まあいいや。とりあえず、着いたら合図くれ。目立たない感じで頼む。今回はほんと、派手にやると歌姫が泣く」
そこで一瞬、言葉が止まる。
遠くから、風に乗って微かな旋律が流れてきた気がした。
気のせいかもしれない。けど、胸の奥が嫌に冷える。
伝わったらしい。
「おー、分かった分かった。お前のペースでいいから、頼むぞ? 切るからな……はーい」
通話を切る。
電伝虫をポケットに戻し、立ち上がる。
いつもの調子で肩を回し、軽く笑う。
エレジアの港に足を踏み入れた瞬間、潮の匂いに混じって、焼け焦げたような空気が鼻を刺した。
「……やっぱ、何度来ても慣れねぇな」
瓦礫は片づけられている。
建物の骨組みも、道も、最低限は整えられている。
それでも──“ここが一度、滅びた島だ”という事実だけは、どうしても消えない。
「ここが……エレジア……」
ミス・ウェンズデーが、思わずといった調子で呟いた。
声を落とすつもりはなかったのだろうが、自然とそうなったのが分かる。
「想像してたより……静かね」
ミス・バレンタインは腕を組み、周囲を見回している。
口調はいつも通り強気だが、視線はやけに慎重だった。
「初めてだもんな、二人とも。まぁ、観光地って感じじゃないから、期待しないでくれよ?」
「最初から期待なんてしてないわよ。それよりも、最後のメンバーがここに?」
ミス・バレンタインは、崩れた劇場の方角をちらりと見た。
「いるよ。まだ確定じゃないけどな」
ここに来た理由は一つだ。
ウタを、アイドルとして勧誘するため。
話を持ちかけた時、二人は意外なほどあっさり了承した。
「Mr.5は、以前にも来たことがあるんですよね?」
「ああ。何度かな」
ビジネスの話としても、悪くない。それ以上に──俺が気にかけている相手だということを、二人とも察していたのだと思う。
ミス・ウェンズデーが、少しだけ歩調を緩める。
「……その」
言葉を選ぶように、彼女は一度視線を落とした。
「その子……ウタさんは。どういう人なんですか?」
明るい、とも、暗い、とも言える。
人懐っこい、と言うには距離がありすぎて、冷たいといえばそうなのだが、あれはあえてそうしている気がする。
「……歌わない子だな」
そう答えると、二人とも一瞬だけ表情を変えた。
「歌わないアイドル?冗談のつもり?」
「本気」
肩をすくめながらそう言うと、乾いた砂を踏む足音が三つ、四つと重なった。
歌が嫌いなんじゃない。
歌が怖い。
それ以上は言わない。言える立場でもないし、あいつの中にあるものを、俺が勝手に言葉にしていいはずがない。
沈黙の隙間に、ミス・バレンタインが鼻で笑った。
「……随分、面倒そうな子ね。でも」
そう言いながらも、横顔にはわずかな愉快さが滲んでいる。
あいつは他人の厄介ごとに巻き込まれるのが嫌いなはずなのに、こういう時だけ妙に機嫌がいい。
「だからこそなんでしょ?」
「嗚呼」
短く頷くと、前方を歩いていたミス・ウェンズデーも振り返り、静かに同意した。
乾いた風が吹き抜ける。
城へ続く石畳の道は緩やかな坂になっていて、その先に灰色の外壁が見えている。崩れた装飾、割れた窓、十年前の出来事をそのまま凍らせたような景色だ。
そこにある近づいてくる規格外の影。
「おーい! くまさん!」
「やぁ、ジェム。待ってたよ」
そこには、くまさんが待っていた。
「良かったのか? くまさん。せっかくの休みに俺と一緒で」
見上げると、相変わらずでかい。
歩幅を合わせているのか、俺たちの速度に合わせてゆっくり歩いているが、それでも一歩ごとに石畳がわずかに軋む。
「ドラゴンから働きすぎだと言われてね。息抜きさせてもらって助かったよ」
低く、穏やかな声。口元がほんの少しだけ緩む。
くまさんと合流し、一緒にウタの元へと向かう。
ミス・バレンタインがちらりとくまを見上げ、すぐに視線を逸らした。ああいうタイプは苦手らしい。巨大で静かで優しい男、というのは、どうも調子が狂うのだろう。
「ウタって子、そんなに気にかけてるのかい?」
くまの問いに、俺は少しだけ考えてから答えた。
「まあな。放っとくと、ほんとに一人になりそうで」
冗談めかして言ったが、半分以上は本音だった。
ミス・バレンタインが小さく息を吐く。
「自分から壁を作る人ほど、本当は誰かを待っているものよ」
「白馬の王子様的な?」
「ふふっ、そうかもね」
風が吹く。
遠くで、壊れた鐘が揺れる音がした。
ウタのいつといる場所はすぐそこだ。
だが、そこにいるはずの少女の気配は、妙に遠く感じられる。
くまさんの足音。
ミス・バレンタインの軽い靴音。
ミス・ウェンズデーの規則正しい歩幅。
それぞれのリズムが重なり、奇妙な行進みたいになっていた。
冗談めかして言ったが、半分は本音だった。
あの子は、自分から人を遠ざけるくせに、完全に一人になる覚悟までは持てていない。だからこそ、危うい。
「私も会いたーい!」
何処からか声が聞こえて来た。
「え?」
「ん?」
くまさんの背後から元気な女の子の声が聞こえてくる。
「お父さん!」
「ボニー!? な、なんでここに!?」
その腕にぶら下がるようにしているのは、見た目十歳くらいの少女だった。ピンク髪に、やたらと生き生きした目。じっとしていない。というか、もう俺を見ている。
「ねえねえ! あんたがジェム? お父さんが言ってた人?」
「ちょ、待て待て。自己紹介って順番ってもんが──」
「ボニーだよ! 十歳! よろしく!」
勢いで名乗られた。握手まで求められた。元気すぎる。
「……どうも。ジェムです。えーっと……元気だね」
「当たり前じゃん! 冒険の途中なんでしょ? あたしも行く!」
冒険じゃないし、言い切ってるし、期待に満ちた目で見てるし。くまさんの方を見ると、ほんのわずかに、口元が緩んでいた。
ああ、この人、完全に甘やかしてるな。
「お父さんね、あんたのこと面白い男だって言ってた!」
「それ褒めてる? 貶してる?」
「褒めてる褒めてる! ねー?」
ボニーが見上げると、くまさんは小さく頷いた。
「……君と、気が合いそうだと思ってね」
ボニーはケラケラ笑って、俺の隣に並んだ。
「くまさん、この子は?」
「私とジニーの子だ。血は繋がっていないがね」
その一言で色々察することが出来た。やはり聞かない。
「そうか」
「ジェム! ばろっくわーくすの話してよ! 何回死にかけたの?」
「初対面で聞くのそれ?」
でも、悪くなかった。
この子の明るさは、作り物じゃない。無理をしてる感じもない。
横目でくまさんを見ると、さっきよりも、ずっと穏やかな表情で俺たちを見ていた。
……ああ。
この人は、こういう時間を守るために戦ってるんだな。
俺は、少しだけ背筋を伸ばした。
「まあ、一話だけな。グロいのはカットで」
「やった!」
俺が口を開こうとした瞬間、ボニーが目の前から消えた。
「え?」
の代わりに広がっているのは、灰色の地面だった。
乾ききった土。ところどころに散らばる黒い塊。焼け焦げた木材。
空気が重い。煙の匂いが肺の奥に張りついて離れない。
息を吸うたびに、喉が痛んだ。
「……ここ」
声を出した瞬間、自分の声が高く、細く、幼いことに気づいた。
視線を落とす。
小さい手。骨ばっていて、煤で黒く汚れている。
指の間に入り込んだ火薬の粉。爪の奥まで染み込んでいる。
腕の中には、布にくるまれた鉄の塊。
爆弾。
クマさんが語った“あの日の俺”が抱えていたものと、同じ形。
重い。
でも、その重さが妙にしっくりくる。
まるで、ずっと抱えていたものをようやく思い出したみたいに。
周囲から、かすかな泣き声が聞こえてきた。
どこかで子どもが嗚咽している。
遠くで誰かが怒鳴っている。
金属がぶつかる音。瓦礫が崩れる音。
戦場の残り香。
胸の奥がざわつく。
これは夢だ。
そう思おうとした瞬間、爆弾の冷たい感触が掌に食い込んだ。
現実としか思えない温度と重さ。
煙の向こうから、足音が近づいてくる。
「ジェム!」
その声を聞いた瞬間、心臓が跳ね上がった。
振り向く。
そこにいたのは、記憶にないはずの人。
でも、懐かしいとしか言いようのない人。
髪を後ろでまとめ、煤で汚れた頬のまま、息を切らして走ってくる。
目は強く、まっすぐで、でも優しくて。
笑っていた。
ああ、これが。
太陽みたいな人。
「ジニー……?」
────
空気が、ひどく粘ついていた。
崩れた劇場の奥。埃をかぶった椅子が幾重にも倒れ、天井から垂れ下がる幕は裂け、かつて音楽が満ちていたはずの空間は、今や乾いた沈黙に支配されている。
その中心に、カルナは立っていた。
「シクシクシク。嗚呼、楽しいですね、楽しいですね。人の不幸は
独特な笑い声は、囁きのようでいて、妙に遠くまで響いた。
黒いコートの裾を揺らしながら、ゆっくりと手を広げる。その指先には、見えない糸でも絡んでいるかのような繊細な動きがあった。芝居がかった仕草。舞台に倒れる人を避けながら、カルナはステージで舞う。
床に描かれた楽譜のような模様が、薄く光る。
どこからともなく、旋律が流れ始めた。
壊れたピアノの音。弦の切れたバイオリンの擦過音。
本来なら音にならないはずのものが、無理やり音楽の形を取っている。
意識の境界が、曖昧になる。
視界の端が歪み、色が溶ける。
瓦礫の灰色が、舞台の赤に変わる。
崩れた壁が、観客席へと変質する。
「人は常に罪を犯している。その罪の穢れは、ただ罰するだけでは落ちない」
スポットライトが落ちる。まぶしいほどの白い光。
そこで、無数の人間が歌に合わせ踊り狂う。
カルナの声が、どこからともなく響く。
「これはあなたのための舞台です。主演はあなた。観客はあなたの記憶。脚本はあなたの後悔。さぁ、悲劇の開幕です」
────
雨は降っていなかったが、空気は重かった。
そこは、一隻の船の中──バロックワークスの幹部だけが出入りを許されたその部屋は、いつもと同じ温度、同じ静けさを保っているはずだった。だが、その日だけはわずかに空気が揺らいでいた。原因は、たった一つの報告だ。
「Mr.5ペアが行方不明になったわ」
ミス・オールサンデーの声は、普段と寸分違わぬ落ち着きを保っていた。だが、その言葉の内容は、部屋の空気を確実に変えるだけの重さを持っていた。
対面に座る二人の反応は対照的だった。
ミス・ダブルフィンガーは、指先でグラスの縁をなぞりながら、わずかに眉を上げただけ。なんだか、退屈な話になりそうだという現れ。
一方、壁際に立っていた男──Mr.1は、ほんのわずかに視線を上げた。
「……やられたのか?」
低く、短い問い。
それだけで十分だった。
ミス・ダブルフィンガーはその反応を横目で見て、口元に薄い笑みを浮かべる。
感情をほとんど表に出さないこの男が、その名に反応した。それ自体が、少しばかり意外だったのだ。
「その可能性が高いわね。任務の準備のためにエレジアという島へ向かったMr.5、ミス・バレンタイン、そして、ミス・ウェンズデーの3名」
ミス・ダブルフィンガーは肩をすくめる。
「海軍にでも捕まったのかしらね。ほら、彼って抜けているところがあるし」
軽口だったが、完全な冗談でもなかった。
Mr.5は任務中でも平然と脱線する男だ。爆発音と笑い声を撒き散らしながら帰ってくることも珍しくない。
だが、ミス・オールサンデーは首を横に振った。
「彼を倒せる強者があの海域にいるとは思えないわね。逃げたという線もないわ。彼はボスを酷く恐れている。粛清対象となることを望んでいない」
その評価は、意外なほど高かった。
ミス・ダブルフィンガーはそれに気づき、わずかに目を細める。
あの男をそこまで買っているのか──と。
ミス・オールサンデーは視線を二人に向けた。
「Mr.1、ミス・ダブルフィンガー。あなたたちにMr.5の捜索が命じられました」
命令という言葉は使ったが、声の調子はあくまで穏やかだった。
だが、それが“ボスの意向”であることは疑いようがない。
ミス・ダブルフィンガーは即座に反応した。
「それは、バロックワークスとは関係ないことじゃない?」
彼女にとって重要なのは計画の進行だ。
個々のエージェントの安否は、基本的には優先度が低い。
それが組織というものだと理解しているし、感情を挟むつもりもない。
ミス・オールサンデーはわずかに微笑む。
「彼の力は必要になるかもしれないからよ」
それだけだった。
だが、その一言には十分な意味が込められていた。
Mr.5の爆発能力は、単純な破壊力以上の価値を持つ。
戦場を撹乱し、地形を変え、心理を揺さぶる。
計画の最終段階において、予測不能な火種は確かに有用だ。
ミス・ダブルフィンガーはグラスを置いた。
「なるほどね。戦力として必要、ってことか」
納得したというより、条件が提示されたから受け入れただけだった。
感情ではなく、利益で動く。
それが彼女のやり方だ。
沈黙の中で、Mr.1が一歩前に出る。
「……いいだろう」
短い承諾。
だが、それ以上の言葉は不要だった。
彼の中で何が動いたのかは分からない。
任務だからか。
戦力を回収する必要があるからか。
あるいは──あの軽薄な男の戦いぶりを、どこかで認めていたのか。
ミス・オールサンデーは二人を見渡し、小さく頷いた。
「最後に確認しておくわ。これは救出ではなく、捜索よ。状況次第では切り捨てもあり得る。その判断は現場に任せる」
組織としては当然の方針だった。
情を持ち込めば計画は破綻する。
だが、誰もそれに異を唱えなかった。
ミス・ダブルフィンガーは立ち上がり、コートを羽織る。
「行方不明の同僚探しなんて、柄じゃないんだけどね」
そう言いながらも、足取りは軽かった。
未知の敵。未知の状況。
それは退屈しない仕事だった。
Mr.1はすでに出口へ向かっていた。
振り返らない。
だが、その歩幅は普段よりわずかに広い。
部屋に残ったミス・オールサンデーは、机の上の書類に視線を落とした。
そこには、エレジアの名が記されている。
「──歌の島、ね」
静かに呟き、紙を閉じる。
彼女の瞳には、ほんのわずかに興味の色が浮かんでいた。
爆発する男と、歌う少女。
そして、その両方が消えた島。
計画とは無関係のはずの点が、線になり始めている。
それを理解しているのは、おそらく彼女だけだった。
バロックワークスの歯車は、音もなく回り始める。
行方不明者の捜索という名目で、もう一つの物語が動き出していた。
二十二話目にして初オリキャラです。