種も仕掛けもない手品など存在しないのです。
リッテンハイム侯爵が諦めたとき。
その手品の種が開示されるのでした。
ワールドシミュレーターには、全てのデータが表示されている。これは学校の授業である。
ゴールデンバウム朝銀河帝国、フェザーン自治領および背後にいた地球教、自由惑星同盟。銀河系に存在した人類の国家、その全てが滅びた激動の時代。
それから五百年が経過し、銀河系全土に進出した人類は、簡易なもの……過去を覗くだけだが、それでもタイムマシンを完成させていた。
同時に超高度なワールドシミュレーターも作成に成功。
過去のデータを正確に取ることが出来るようになった今。
主に学校の授業などで、ワールドシミュレーターを利用し。歴史の授業や、人類が犯した失敗などについて学ぶようになっていた。
そう。
リッテンハイムが何度も何度も死に戻りをしたのは、ただの授業。ワールドシミュレーターで行った事だった。故に思考も全て読み取ることが出来たのである。
壇上にいる教師が、咳払いをして解説する。
「ゴールデンバウム王朝の貴族の殆ど……特にほぼ全ての門閥貴族は、皆が見たように根本的な地点から、優性思想と選民主義によって思考が固定されていた。 ある意味ゴールデンバウム王朝の創始者、ルドルフ皇帝のもっとも忠実な犬だったと言える。 その思考回路はとても頑迷であり、何よりも柔軟性を欠いた。 結局ラインハルト=フォン=ローエングラムによって彼らは駆逐され尽くすのは皆も知っての通りだが、それは歴史の必然だったと言えるだろう。 むしろゴールデンバウム王朝のような体制が長期間続いたことそのものが異常だったと言える」
そのまま教師は、リッテンハイム侯について説明を続ける。
今回の題材に選んだリッテンハイム侯は、ゴールデンバウム王朝末期の門閥貴族の一人であり。
ブラウンシュバイク公とならぶ、ラインハルトの敵だった。
ブラウンシュバイクの二番手としか歴史的には知られていない事も多い人物ではあるのだが。
教師は知っていた。
今でも優性思想に簡単に人間は染まることを。
たまに見かけるのだ。
SNSにしても或いは紙媒体の本にしても。
優性思想を礼賛したり、貴族主義を礼賛したりするようなものを。
そこで現在の教育では、タイムマシンで思考回路まで完全に解析した門閥貴族をワールドシミュレーターで動かし。
その実態を見せ。
優秀などと言うというものからはかけ離れている現実を、分かりやすく理解出来るようにしているのだった。
今回は敢えてリッテンハイム侯を何度も記憶の一部を引き継いだまま死に戻りさせ続けたが。
それを理解していながら、リッテンハイムは最後まで自分が正しい。貴族は優秀だという思考を捨てる事が出来なかった。
それは五百年に及ぶ狂気の支配の結実。
その間に人類は三千億から四百億にまで激減したが。
それも当然だっただろう。
生徒の一人が挙手する。
赤毛で、どこかキルヒアイスを思わせる人間だった。
「質問です。 こんな王朝がどうして長く続いたのでしょうか」
「いい質問だ。 ゴールデンバウム朝は実の所、何度も崩壊の危機があった。 特に流血帝アウグストの時代などが顕著だろう」
写真を出す。
これは普通に映像媒体として残っているものだ。
ゴールデンバウム朝最悪の暴君として名高いアウグストは、シリアルキラーの上にあらゆる人格が破綻している狂気の存在である。
しかもこの人物が、具体的な実権を握ってしまったのだ。
即位した当日に後宮の人間を皆殺しにし、一週間で主要な官僚を殺し尽くしたアウグスト帝は。更には皇族も殺し尽くそうとして、それは失敗した。
もしも殺し尽くすことに成功していたら、恐らく銀河帝国は破滅していただろう。いずれにしても逃がしてしまった皇族によって、アウグストは破滅する事になる。
他にも何度も、銀河帝国破滅の機会はあった。
破滅しなかったのは、単に一つの理由。
運が良かっただけだ。
「バタフライ効果といってな。 歴史というのは、ちょっとした事が起きると、それによってどのような影響が発生するか分からない。 ワールドシミュレーターで調べて見ると面白いぞ。 例えばラインハルトとヨブトリューニヒト。 この二人に加え、当時歴史の暗部で暗躍していた地球教を排除してみる。 そうすると、実に簡単に銀河帝国が崩壊したりする」
「そのようなものなのですか?」
「ラインハルトにしても、若い頃から敵が多く、何度も危ない場面はあった。 暗殺者を送り込まれたことも数多く、味方に背中を撃たれ掛けた事もある。 彼は完璧超人でもなんでもなく、分艦隊指揮官になった頃は、同盟の名将ヤン・ウェンリーが立てた作戦にもろに引っ掛かって、戦死する寸前まで行ったこともあった」
誰でも、それは同じだ。
歴史上の重要人物だって、ちょっとしたボタンの掛け間違いで簡単に死ぬ。それがもし起きていたら、どれほどの影響があったか分からない。
今回教材で使ったリッテンハイム侯を倒したキルヒアイスだが。彼も余りにも早い夭折を遂げてしまっている。
それがなかったら、どうなっていたか。
事実興味を持った人間がワールドシミュレーターで実験をしているが。
キルヒアイスが生存している場合、帝国が同盟に勝つ確率はほぼ100%なのだが。その経過は試す度に異なる。
勝つまでの時間が却って伸びたり、逆に一瞬で勝負がついたりもしている。
特にキルヒアイスが生きていて、帝国が同盟を滅ぼすまでの時間が長く掛かる場合は、ラインハルトも夭折することなく、長生きするという不思議な結果が出ている。
教師は皆を見回して、その話をすると。
手を叩いて、授業の終了を告げた。
「レポートは後で提出するように。 それでは今日の授業は終わりだ」
今更、生徒を物理的な空間に集める事もない。
皆、教室から退出。正確には、ログアウトしていく。
教師もそれは同じだ。
資料は殆どAIが集める。今の時代のAIは、古い時代の人工無能などと揶揄された代物と違って、相応に優秀になっていた。
さて、次の授業だ。
次の授業では、同盟が滅ぶまでの題材を扱う事にしている。
激動の時代は歴史に大きな影響を与えたこともあり、密度が高い授業を何度も行うように決められている。
事実、今の時代は。あの激動の時代を生き抜いた者達が作ったのだ。
銀河系全域に広まっても、結局地球人類は他の知的生命体に遭遇する事は残念ながら出来なかった。
しかしながら、だからこそに。
地球人類は、過去の歴史を精確に知り。
その反省を踏まえ。
ゴールデンバウム朝のような歴史的な忌み子をまた作り出してはいけないし。
末期の自由惑星同盟のような、失敗を繰り返してはならないのである。
歴史を学ぶというのはそういう事だ。
教師は咳払いをすると、自室で資料をまとめる。
ワールドシミュレーターで、また幾つかのデータを見ておきたい。
未来ある若者達のためにも。
歴史教師という仕事は、とても大事なのだと。
そう教師は考えて。大まじめに、授業をしているのだった。
(終)
如何でしたでしょうか。
銀河英雄伝説の史実の遙か遠い未来。
過去の人間を完全再現出来るほどの性能をもつワールドシミュレーターが。多くの生徒達に歴史を学ばせるために、授業として行っていたこと。
それが怪奇現象の正体でした。
非道な行動の果てに果てたリッテンハイム侯爵は、歴史に建設的な功績は残せませんでしたが。
こうしてささやかな未来の一石にはなる事が出来たのです。きわめて皮肉な形ではありますが。