満ち足りないもの、満ち溢れているもの

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オレンジ

「……よし、今日はここまで、お疲れ様、アルダン」

「っ……ふぅっ……はい、御指導ありがとうございました、トレーナーさん」

 

本日も時間通り、きっちりとスケジュール通りにトレーニングが終わる。彼女の……メジロアルダンのトレーナーを勤めている以上、ウマ娘の肉体への負担については人一倍意識を高く保たなければならない。度を超えたオーバーワークなど、もってのほかである。しかし……

 

「あら?申し訳ありませんトレーナーさん、向こうにタオルと飲み物を置いてきてしまって……すぐに、取ってきますね?」

「ああ、ゆっくりでいいよ、行ってらっしゃい」

 

ターフの向こう側まで、言われた通りゆっくりと歩を進めるアルダンの背を、何気なくぼんやりと見つめる僕、すると……

 

「トレーナーさん!私まだまだ行けます!まだやらせてください!!」

「おう!そう言うと思ったぜ!そんじゃあと10周!行ってこい!」

「はい!!」

 

「………………」

 

遠くから響いてくる、燃え尽きそうな程の熱を持った声。見れば、僕らと同じくらいの時刻にトレーニングを始めたウマ娘とトレーナーである。もう随分な時間を費やしたはずだが、いつまで続けるのだろうか。みるみる遠くなっていくその子を、思わず見つめてしまう。

 

「…………アルダンは、どうなんだろうな」

 

いつ砕け散るやもしれぬ、脆い脆い、硝子の足、それを守る為の、負荷の少ないトレーニング。僕はそれを選択し続けてきたが、その選択は、僕自身の自己満足になってしまっていないだろうか。メジロアルダン、彼女自身が心から納得し、さっぱりと悔いの残らない、そんな指導が果たして今の僕に出来ているのだろうか。

 

「…………ううん……」

 

そういえば……今日のフィジカルトレーニングはあれで充分だったか?バランストレーニングは?もっともっと色々な子達に並走を申し込んだ方がいいのでは無いか?実戦経験はどうか?模擬レースの回数を増やし、より多くの経験値を得た方がアルダンのためではないのか?下唇を噛み締め、渋い匂いが口の中に広がっていく…………僕はいてもたってもいられず、トレーニングメニューを細かく記録した、自前のタブレットに目を落とす。どこか……どこか改善出来る点があるはずだ……どこか……

 

「……んん……んんー……あれ?」

 

……しかし、早速出鼻をくじかれる。タブレットの画面が、反射してよく見えない……少し息を入れて、僕はふと、空を見上げた。雲ひとつないオレンジの空、地平線の向こう側、綺麗にかじられたような夕日と……その足元には、いつもと変わらぬ優しい顔の、メジロアルダンがいた。

 

「………………」

「……お待たせしました、トレーナーさん…トレーナーさん?」

「…………あ、アルダン」

 

少し汗ばんだ額を拭い、凛とした表情でこちらに微笑むアルダン。淡く揺れる太陽を背にしたその姿は、まるで歴史的な絵画のようで、僕はすっかりと……目を奪われてしまう。

 

「どうされたのですか?そんなにぼんやりとして…」

「ああ、いや、えーと……ほら、夕日が綺麗でさ?ほら、アルダンも見てみてよ?」

「……まあ、本当……今日はずっと晴れていましたからねえ……」

「うん……ほんとに……」

 

……しばらくの間、僕達は二人並んで揺らめく夕日を見ていた。普段は落ち着いた紫色の光を携えたアルダンの瞳も、まるで熱く燃えるようなオレンジに染まっていて、不思議と、僕の胸も熱くなってしまう。

 

「……今日はどうだった?アルダン?」

「本日ですか?ええ、とても有意義なトレーニングでした、トレーナーさんのおかげですね?」

「……うん、ありがとう、アルダン……」

 

僕の思いを知ってか知らずか、屈託のない笑顔を向けながら語りかけてくるメジロアルダン。これが嘘偽りのない言葉である、なんてことは、さすがの僕にだって、分かった。

 

「……なんというか、アルダンは焦ったりとかしな…………あ、いや、違うな、そうじゃない、ごめん」

「……?」

「……僕の話だ、最近、焦ってるんだ、僕。このままでいいのかなって。僕が君の足枷になっていないかって、君の足を守ろうとする、その気持ちが、かえって君の成長を阻害していやしないか……なんてね」

「…………」

 

絵の具を薄めたみたいに、目の前のオレンジがじわじわと滲んでいく。気づけば一言、もう一言と言葉を塗り重ねていく僕の事を、アルダンは黙ってじっと耳を傾けてくれて、そうして……

 

「トレーナーさん?」

「アルダン?」

「……実は、ですね?私、夕日が少し苦手だったんです」

「……夕日が?どうして?」

「夕日を見ると、1日が終わってしまうのをどうしても実感してしまうんです。その度に……今日もまた、他の皆さんと比べて、余りに実りのない……枯れた一日を過ごしてしまったと……そんなことを否が応でも分からせられる……ただでさえチャンスの少ない私なのに、一分一秒でも無駄には出来ないはずの私なのに、一日を終えて残ったのは、ただ、昨日と何も変わらない、私だけ……」

「…………」

「だから、苦手でした。夕日は、この鮮烈な、暴力的なほど明るい色は」

「……うん、分かる、わかる……よ……僕も……」

「……でもね、トレーナーさん?今、貴方と一緒に見るこの夕日は……優しくって……何もかも、包み込んでくれるような色で……とても綺麗だと思います」

「え……?」

「それは、この一日が実りある……充実した一日だったから。限られた時間を、充分に使い果たすことが出来たから。そしてそれは、トレーナーさん、貴方のおかげです」

「本当?アルダンは今日に、本当に何も悔いはない?」

「ええ、何一つ」

「……ふふっ、そっか……」

 

迷いなく答えるアルダンに、つい、笑みが零れてしまう。きっと、きっと誰よりも一瞬一瞬の重みを理解しているアルダンにそう言われたのならば、きっと、僕の進んできた道はそう間違ってもいないはずだと、少しだけ、そう思えた。

 

「……なにもアルダンの身体を心配しての事じゃない、アルダンにこの道を、選ばせられてる訳じゃない。そうだ、忘れていた」

「ええ、昔……話してくれましたね。限られた時間の中で、いかに効率よく行動できるか……その思考は、そのままレースでも生きるのだと」

「ああ、レースというたった2分前後の限られた時間の中で、どれだけ最善を尽くせるか……そのためのトレーニング……まあ、僕だって受け売りで、たった今ようやく理解出来た気がするぐらいなんだけどね」

 

くすくすと、互いの目を見て笑みを浮かべる。日に照らされた彼女の顔は、健康的に少し火照って、暖かそうで、つい、伸ばしてしまった指先で咄嗟に鼻の頭を掻きむしる。不思議と、甘酸っぱい香りが鼻の奥に広がった。

 

「あ、でも、やっぱりあるかもしれません……今日やり残した、悔いが……」

「え?それって、何?」

「せっかくこんなに美しい夕日を見ることが出来たのならば、それを眺めながら、貴方とお茶でもしたかった、ですね?」

「……それは、また明日、かな?」

「ふふふ……そうだ、この間商店街で買ってきた、みかんを沢山持ってきますね?よく熟れていて、とっても甘いんですよ?」

「それは楽しみだなあ……じゃあ、明日も、今日と同じ……いや、今日より綺麗な夕日が見れるように、頑張ろうね、アルダン?」

「トレーナーさんも、ですね?」

 

明日も、いい天気になりますように。子供の頃ぶりに、強く、強くそう思った。


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