目が覚めた。
部屋は真っ暗。今、何時だろう? 充電ケーブルからスマホを抜いて、確認してみればもう午後七時。寮に戻ったのが一時半頃だったから五時間以上は寝ていたことになる。
「むぐぐっ」
指を組んで背をぐっと伸ばした。徹夜による眠気と疲労はもう残ってない。喉がからっからだったので、傍に置きっぱなしだったペットボトルのお茶を含んだ。凍てつく温度の液体が喉を伝って、多少は思考がすっきりする。
ベッドから降りて、部屋の電気をつけた。同室の子の姿は無い。確か、専属トレーナーとデートに行くとか言ってたから、今晩は戻って来ないかもしれない。
「ふわぁ……」
あくび交じりに、何の気なしにテレビをつけた。ニュースキャスターの顔が一杯に映りこむ。見るからに焦り顔で、なにかごちゃごちゃ言っている。
不思議な事に、そのニュース番組では上と左には見慣れない青枠がついていた。そこをずうっと白い文字がずらずら流れてる。たまに黄色とか赤いのとかも。良く目を凝らしてみると、そのほとんどは地名だと分かった。こんなニュース番組、あったっけ?
「なぁにこれ。……つまんない」
寝起きの頭では興味が全く惹かれなくって、あたしはテレビのスイッチを切った。女性キャスターの声がキンキンと無闇にうるさかったせいもある。あんなに早口で喋ったら、伝わるものも伝わらない。
「使い魔……ちゃんとトナカイに会えたかな」
静かになった部屋で、独り言。口にしてみると、その現実感の無さに自分でびっくりした。
あのボケた顔のトナカイが、のんびり極まりない使い魔と一緒にいる。そんな絵面を想像すると、まるで出来損ないのお遊戯会みたい。
座りの悪さ、あるいは居たたまれなさ? きっと見ているこっちが恥ずかしくなる。だいたいあの二人の会話する内容がまず思いつかない。
ベッドに戻って、枕をぼふんと殴りつけた。続けてぼこぼこと連打コンボを決める。締めにアッパーで弾き飛ばした。クローゼットにぶち当たって、結構大きな音が鳴る。
虚しさがいっそう増して、さっき起き上がったばかりのベッドにまた寝転んだ。天井を見上げると、自分で点けた白色ライトが眩しい。右手を上げて遮った。
それもすぐに疲れたので止めて、横になる。もうひと眠りしようかとも思ったけど、目を閉じても眠気は一欠片だって訪れなかった。
じっと固まってると、顔の真下にあるシーツがやんわりと濡れていった。
別にもう悲しくはない。昨日だって散々泣いた。そのはずなのに、出来た黒い染みは広がる一方だ。じゃあなんなのこれはと考えたけど、その答えが無いことも昨夜一晩かけて証明済みだ。
やりきれなくなって、スマホを取った。すると複数の通知が来ていた。タキオン、ファイン、カワカミ……あたしの友達からで大半が埋まってる。反対に、使い魔からは一通も来ていない。
面倒くさくて仕方なかったけど、ちゃんと確認することにした。
まずはこいつとタキオンのそれを開いてみると、そこには極めて難読のメッセージがあった。
『昨日の一連の出来事における個人的な考察と、その反省を生かした上での新たな見解を私なりに纏めたからぜひ目を通してほしい。そして可能なら早急に返信をくれ』
――といった具合の文面が複数のメッセージに渡って記載されている。二秒で読む気が失せたので、ファインに移った。
『スイープちゃん、こんばんは。さっそくだけど昨日、談話室に忘れ物をしなかった? 偶然に拾ったんだけど、これスイープちゃんのじゃない?』
画像が添付されている。開いてみると、そこには重厚な革表紙の本が。背表紙に記されたタイトルはブラックレターのラテン語。
間違いなく、あたしが図書館から借りた魔導書だった。確か鞄に詰めてたはずなのに……。
もしかしたら、昨日の一件の最中に何かの拍子に抜け落ちたのかも。特に、トロフィーに宝石を入れた後の記憶が曖昧だ。だってどうやって部屋に戻ったかすら憶えてない。
『ごめん、それあたしの。すぐ取りに行く』
そう送った後、
『やっぱやめ、明日行く。一応言っておくけど、読んだらダメだから』
と追伸した。今日はもう部屋から出る気力が湧かない。
ファインからの返事を待つかたわら、カワカミのメッセージに目を通す。
彼女は二人と違って、極めてシンプルで短い文章を送っていた。
『外!!! 見てください!!』
「はぁ……? 意味不明」
まぁ文の意味は分かるんだけど。そうさせる意図が読めない。
しかし他にすることも無かったし、これだけビックリマークを付ける勢いも気になる。あたしはベッドから起き上がって、傍にあるカーテンを開いた。
開いて――絶句した。
世界が白に変わってた。
どこもかしこも、真っ白。何もかも、視界に見える全てが白い。家も車も庭も道路も、どこまでいっても見渡す限り。ひたすら白の絨毯に覆われている。
「な……にこれ」
視界がガタガタ揺れると思ったら、自分の肩が震えてるだけだった。何か凄く嫌な予感がする。もう悪寒といっていいくらい。そう言えばなんで使い魔からのメッセージが無い? あいつのことだから、トナカイと会ったなら絶対にあたしに連絡くらいするはずだ。
午後六時の約束で、どうもあたしがサンタ役だと思い込んでたみたいだから、なおのこと。
そしてさっき一瞬だけ点けたテレビ。今になって分かる。
流れていたニュースは……災害時特有の緊急速報だ。十年ほど前、大きな地震で多数の被害が発生した時も似たようなニュースがあった。ゲリラ豪雨で洪水になった時も。同じくテレビに青い枠ができて、そこで逐一速報を表示していた。
「まさか……まさかよね」
スマホでこの街の名前で検索を掛けた。すぐに目当ての情報はヒットした。
「局地的な大雪……電車、バス、ほぼ全ての公共交通機関の臨時運休、交通網麻痺……」
歯の根はがちがちと噛み合わない。暖房のついてる部屋は少しも寒くないはずなのに、全身の震えが止まらない。
テレビのリモコンを取って、ついさっき消したばかりのニュースを点けた。
「――お伝えしていますように、強い冬型の気圧配置による局所的な大雪が、午後から更に勢いを強めています。特にこの五時間での積雪は200cmを越えていて、これは去年の12月の累積降雪量を遥かに上回る猛烈な値です。これにより各方面の道路で立ち往生、それに伴う著しい渋滞が発生しています。また、山間部では雪崩の危険性も報告されています。現在、外出されている方は最新の情報を元に、身の安全を守る行動を心掛けてください――」
そんな台詞を延々とリピートしてる。下に並べられる地名はどんどん増えていく。影響範囲の地図が表示されたと思ったら、トレセン学園はその真っただ中だった。
ついでに言うなら、丘の上にある展望台もそこにすっぽり収まってた。
「あぐっ……あっ」
ひきつった息が漏れるのを自分の耳で聞きながら、使い魔の番号をプッシュした。
だけど、出ない。何十秒経っても、二分経とうが出てくれない。
「出なさいっ……! 出なさいよぽんこつ使い魔! 何やってんのトナカイ! 遅刻したんじゃないでしょうね!」
今度はトナカイ側に連絡してみるも、彼もやっぱり受話器を取る気配は無かった。
「なんっ……。なんっで、出てくんないのっ!」
何度かけても状況は変わらない。このままじゃダメだ。打開策を求めて、あたしは他の人に連絡してみることにした。
とりあえずたづなさん。使い魔はあのナリでもトレセンのトップトレーナーだ。学園においてあらゆる事象を司る彼女なら、所在を掴める可能性はある。
だけどそれすら繋がらなかった。コール音はするのに、いっこうに向こうが出てくれない。
試しにタキオン、ファインと相手を変えても同じ結果だった。その辺りでようやく気付いた。相手が出てくれないんじゃない。そもそも電話回線が上手く働いてないんだ。
点けっぱなしのテレビを振り返ると、ちょうどそれについて話しているところだった。
「――また市内の特定区画内で通信回線が繋がりづらくなっている場合があるという情報が入っています。中継器が積雪により故障、もしくは多数の通信が一挙に入っているためのパンクなど、様々な原因が考えられ、現在のところ復旧のめどは立っていません。ラジオ、テレビなどの公共放送を活用し、落ち着いて行動を――」
「はぁっ……。はぁっ……」
ともすればパニックになりそうな心を、必死に深呼吸で落ち着ける。
大丈夫、いくら雪が積もったって、洪水と違って直ちに被害は出ないだろう。幸い、展望台近くは雪崩が起きるような地形じゃない。変に動いたりしなければ、命にかかわることは無い……はずだ。
「はぁー……ふぅ」
呼吸が元に戻ったら、ふっと疑念が頭を掠めた。なんでいきなりこんな天気に?
ニュースでも言ってたよう、明らかにこんな降り方は異常だ。
たった五時間で2m近く? たぶん新潟とか北海道だって、そんな積もり方はしないだろう。それがいったいどうして雪と縁遠いこの街で?
たぶんニュースを眺めていたって、この答えは見つからない。気圧配置がどうのこうので片付けてたし、彼らがそれ以上の理由を語ることは無い。
でもあたしの直感は囁いた。
何を惚けているの? スイープトウショウ。こんなこと奇跡でもない限り、起こりっこないじゃない。
あたしはベッドから机の前に移動した。そこには昨日から置いたままのあたしの鞄がある。
「嘘よね……」
絶対に、そんなはずない。これはおもちゃだ。グランマもタキオンもそう結論付けた。あたしだって納得した。宝石を嵌めてもうんともすんとも言わなかった! 役立たずのただのガラクタ。あたしが一か月をかけて築き上げた、ただの妄想の産物。
「嘘よね? お願い」
固く目を瞑って、それを鞄から取り出した。
そして開いた。
トロフィーはいつからか金色に輝いていた。カップの内には、ずっしりと七色の液体を湛えている。不思議な事に、斜めにしても下にしてもそれは滴らない。重力に逆らうようにして、カップにへばりついている。
試しに手に取ってみると、ほんのり熱かった。しばらくしてアルコールみたいに揮発した。それはあたかも、地上に生まれたエーテルがあるべき天界に昇っていくように。
昨日のあたしが言ってる。
――ほら見なさい、奇跡は起きたわ。どうよみんな、これがトロフィーの魔法よ!
「どこがよ! なにがしたいのこれは!」
――なんで不思議なの? これがあたしの願った魔法じゃない。
「んなわけないでしょ! 雪が積もってみんなが困って。……トナカイだって、使い魔に会えたかどうか……!」
――会えるわけ無いわよ。ていうか、会っちゃダメでしょ。
「は、はぁ!? なに言って――」
なに言ってんのは、あたしだった。
会っちゃいけないに決まってる。
だって二人が出会ったら、あたしの使い魔、いなくなっちゃう。
その答えが出た瞬間、やっと全てが理解できた。
トナカイのスマホが非表示設定に勝手になっていたこと。
彼がこの街にいて、ウマ娘となぜか一度も会わずにいたこと。
そしてなにより、こんな近くにいるにもかかわらず、一度も山藤礼奈に話しかけられなかったこと。
トロフィーの魔法は本物だった。
あたしの願いを、手にしたその瞬間から叶え続けてきた。
因果律を操作し、確率を改変し、時には人々の認識すらも改ざんして……ただ一点のことを為す。あたしの使い魔……山藤礼奈をトナカイと引き合わせない、それだけを。
――親子にはなれない。姉妹にもなれない。ましてや恋人には……絶対になれない。
「だけどずっと傍にいたい。ずっとずっと使い魔の傍にいたかった。だから、だったんだ」
今にして知った、ことの真相。
「