「タキオン! いるんでしょ!」
全力をぶつけられた研究室の扉が悲鳴を上げた。鳴り響いた衝撃音に、中にいたタキオンがギョッと顔を上げる。
「なな何事だ!? おわっ」
中身が入ったままのビーカーを器用にお手玉。この緊急事態にも関わらず、優雅に午後の紅茶を楽しんでいたらしい。
つかつか歩み寄って、その目の前のテーブルを両手でぶっ叩いた。さっき以上の爆音とともにテーブルが軋む。
「ストップ、落ち着けスイープ君! 何があったか知らないが、物に当たるのは良くない」
「これで落ち着いてられるかっての! あんた、外が今どうなってるか知らないわけ!?」
「知ってる知ってる! だからいったん深呼吸だ。君が本気で暴れたら、研究室がいくつあっても足りない」
「バカ言わないで、あんたが好き勝手できる部屋なんて一つで十分よ。カフェが心労で倒れる」
「それはそうかも」
至極納得したようにタキオンが頷く。
……今のは全く不必要なやり取りだったけど、おかげで多少は頭が冷えた。他人と会話するというのは、冷静さを取り戻す上で一番の特効薬だ。
黄金に光り輝くトロフィー。あれを目の当たりにして以来、沸騰しそうなくらい脳と心臓があったまってたから。
「とりあえず、あんたに一つ確認したいことがあるの」
「ほう、それは?」
タキオンの前側の席に回り込んで、あたしは座った。本当はすぐにでもこいつを引っ張って、外に駆けだしたいのだけど、ぐっと抑える。
一分一秒を争う事態でも――いや、だからこそ慎重に状況を見定めなければならない。闇雲に突っ込んだところで、この大雪の中では迷子になるのがオチだ。トナカイも使い魔も見つかりっこない。
今はとにかく情報収集に努める必要がある。そのためにこの研究室にわざわざ寄ったんだ。
「これのEt、調べてくんない?」
あたしはタキオンの前に、例の金色のトロフィーを掲げて見せた。途端に、タキオンの元から細い目がさらにすぅっと狭まる。
「……いつからだ?」
「分かんない。ついさっき昼寝から起きた時にはもうなってた。……早くあの装置出しなさいよ」
タキオンはU-MA2をいそいそと取り出し、その照準をトロフィーに合わせた。手にしたスマホを横目に見て……しかしすぐに首を横に振る。
「数値は0だ。昨晩と変わらない」
あたしは思わず歯噛みした。おかしい、そんなはずはない……絶対にこいつのせいに決まってる。いいや、そんな確信なんてレベルで言ってるんじゃない。
こいつだからこそ、ここまでの事態が引き起こせてる。つまりもはや事実であり結果だ。推測とか予想じゃない。
だけど現実問題として、改変度を示すパラメータが0である以上、他人を説得できる材料が無い。あたしが異常気象の元凶だと説明しても、誰も信じてくれないだろう。
そればかりか『危ないから君は部屋でじっとしていなさい』なんて言われる可能性が大だ。そんなのダメ。
「なぁ、スイープ君。まず事情を話してくれないか? どうもこの大雪以外にも焦ってる理由がありそうだけど」
「うっさい! ちょっと黙ってて。今必死に考えてんの」
「えぇ……。自分から押しかけてきておいてそれは無いだろう」
装置を持ったまま、困り顔を浮かべるタキオン。そんな彼女も一顧だにせず、脳内で可能性を総当たりしていると、一つ思い出したことがあった。
「……そうよタキオン。Etってどうやって出してるんだっけ?」
「なに? そりゃあ君、物体が滞留させている素粒子の変動域を測定した上で、それに不可視領域から相互に影響を与え合う異なる位相空間に定義される非実在の――」
「それは定義でしょ! あたしが聞きたいのは計算の方!」
「む?」
要領を得ないといった顔をする。あたしは苛立ちのあまり、指でこつこつテーブルを打った。答えのようなものは頭にあるんだけど、上手く言葉にするのが極めて難しい。
「だから……観測したEtって、結局なにかの基準があって数値に直してるんでしょ? メートルとかリットルと違って、Etは目に見えないものだから」
「いいや知覚できないだけで、存在は常にしている。別次元から、それは確かに現実物体に効力を及ぼしているんだ」
「そういうことが言いたいじゃなくって……! じゃあ、なんでトロフィーは宝石三つまでは高い数値を出してたわけ?」
「そのことか……。君のおばあ様にまさしく指摘されたことだが、それは環境要因によるものだった。この研究室がいけなかったんだよ」
あの時はちんぷんかんぷんだったけど、今にして思い返せば分かりやすい話だった。
要するに、カフェ由来の家具やアイテムが計測値を乱していた――ということ。
秘密保持のため、トロフィーの調査は全てこの部屋内だけでやるようにしていた。その配慮が逆に検証を不十分にしてしまったわけだ。
「悔やんでも悔やみきれないねぇ」とタキオンは言うけど、あたしは別にそんなのどうでもいい。重要なのはEtの値は周辺環境に影響される、という事だ。
「たしか……Etってキテイ……ゲンジツ? との差異を表す数値なんでしょ?」
「ああ。基底現実とは、何も無い通常空間におけるEt値……つまり0を指す。これを基準に、観測物体の効果でどれだけ数値が増加したか、その差を算出している。……それがなにか?」
「じゃあその通常空間の値が変わってたらどうするのよ」
「えっ」
タキオンは珍しく普通の女の子みたいな驚き方をした。目を何度かぱちくりとさせた後、やっと元の怪しげな顔つきに戻る。
「……ふむ。確かにその可能性はまるで全然考慮していなかった。だがそれは非常に低い確率だからだ」
「言い切るわね」
「私はこの広大な学園敷地内の随所に、温度や湿度、震度を計測する機器を設置している。U-MAの開発に際して、そこにEtの観測機能も追加した。複数の端末を同時に作動させることで、対象がどれだけ基準から離れているかをようやく知ることができる。……そのうえで、全端末が一斉に誤作動を起こすなど考えられない」
「別に誤作動とは限らないでしょ。例えば全部が一緒に、すっごく高いEtを計測したら? このトロフィーと同じくらいに。そしたらどうなるの」
「それは……」
その後に言葉は続かなかった。タキオンは薄く目を閉じたまま、何か思考を巡らせている。焦れたあたしは彼女のほっぺをつねって急かした。
「はーやーくー! こっちには時間が無いのよ!」
しかし引っ張ろうともペチペチしようと、タキオンが動く気配は無い。いっそ水でもぶっかけてやろうかと思ったその時、廊下かから異音が聞こえた。
「スイープちゃん~!」
ガッガッと上履きがフローリングを削る。猛烈な勢いで走ってきたのはファイン。開けっぱなしだった扉から駆けこんでくるやいなや、あたしの両肩を掴んでくる。あまりの衝撃に弾き飛ばされそうになるのを、ぎりぎりで堪えた。
「私、すっごい大発見しちゃった! ねぇねぇ聞きたい?」
「いっ……きりなり何よ! 吹っ飛ぶかと思ったじゃない」
「あっごめーん。急いで知らせなきゃと思ったのに、寮にいないから~。やっぱりタキオンと一緒だったんだね。クリスマス会? 仲良しさんで羨ましいなぁ」
「これが楽しいパーティに見えるなら、まず顔洗った方がいいわよ」
あたしの皮肉なんて聞きもしない。笑顔のファインは「これ見て!」と黒い本を開かれた状態で突き出した。メッセージでも見かけた、あたしの魔導書。どうやらそのページを読んで欲しいようだけど……。
びっしりラテン語で埋め尽くされた紙面に、あたしは首を振った。
「急に言われたって無理。一行読むのに何分かかると思ってるわけ」
「あれ? スイープちゃん読めないのに借りたの?」
「いいでしょ別に。っていうか、じゃああんたは……」
むふふ、とこれ見よがしにファインが胸を張る。よくよく考えれば、本場の国で格調高い儀式に長年携わってきた正真正銘のお姫様だ。古文書だってお手の物だろう。
「ここはだね~。いにしえより伝わる聖遺物について書かれた部分みたい。一番面白そうだったから、暇つぶしに目を通してたら、もうびっくりしちゃって。だってすごいんだよ~スイープちゃんもきっと驚くよ?」
ニヤニヤと良くない目つきであたしを見下ろす。こっちが内容を把握できてないのを知ってて、もったいぶっているようだ。
「いいから早く教えなさいよ」
「どうしよっかな~。私、そう言えばスイープちゃんに二つも宝石あげたのに、まだお礼してもらってない気がするんだよね。あー最近なんか肩が凝っておるわい~」
挙句に恩着せがましいことを言い出した。もうこいつは無視しよう。あたしは勢いよく振り返って、タキオンに視線を戻した。
しかし頼みの綱の彼女はいまだに思考に耽っていた。ぶつぶつと小声にぼやきながら、黒板にチョークで数式をずらずら書いてる真っ最中。なんのカッコつけだか知らないけど、状況が分かっているんだろうか?
「スイープさん!! そこにいらっしゃいましたか!」
二人の間に挟まれて悶々としていると、またもや廊下から叫び声。見ればカワカミのヤツが最終直線のギアでこちらに突っ込んでくるところだった。
道すがらに大きく踏み込んで跳躍、研究室の床へと轟音とともに着地する。余波だけで椅子の三つが転がった。
「ダイナミックエントリーですわ! スイープさん、ご歓談中のところ失礼します」
「あんたは失礼過ぎるのよ! 今度は何の用!?」
「どうもこうもボケたことを言わないでくださいまし。雪、それも大雪ではありませんか! 早く雪合戦しませんと! あとカマクラも作りたいです私!」
遊びたいだけだった。
何なのこいつら、三人揃いも揃ってまるで緊張感が無い。あたしがどんな気持ちでいるかも知らないで。一刻も早く使い魔を助けにいかないといけないっていうのに。
「もういい! ここに来たあたしがバカだったわ。一人で行く」
「お待ちください! どこに行かれるって?」
「外に決まってるじゃない! 使い魔を迎えに行くの!」
「ダメだ、許可できない」
唐突にタキオンが口を開いた。
「危険すぎる。私の仮説が正しければ、これは世界、いや宇宙レベルでの未曾有の大災害だ。行かせるわけにいかない」
「何言ってんのあんた。とうとうぱーになっちゃった?」
タキオンは握ったままのチョークで何やらガリガリ書き出した。今度は数式ではなく、図のようだ。ぐるりと円を書いて、そこに『世界』と付ける。
「計測Etは全ての端末で依然として0のままだ。これは地球規模でも変わらないと予測される。つまり現在、あらゆる空間は何ら異変も改変も無く、平常通りに運行されている」
『世界』の横に平常運転、と書き加えた。
「だがこの平常が曲者だ。果たしてこれは何に対して平常なのか? 現在、街では一時間あたりに40cmの積雪という猛烈な雪が降っている。全国平均すれば降雪量の少ないこの地方において、これは極めて異常だ」
「んなこと分かり切ってるのよ。結局、何が言いたいわけ」
「私は以前、三つ目の宝石が嵌まった際、トロフィーは既に現実改変を起こしているのではないかと見た。それは今回も同じ。全ての宝石の力を得て、途轍もない規模での改変が行われた。そして大雪は発生した。しかし――」
円の中に雪のマークを入れる。だが、タキオンはその上にも『平常』と書いた。
「これはもはや、世界からすると普通のことなんだ。どれだけ天気が変わろうが、例えば地震が起きようが何らおかしなことは無い。Etは常に0を指す。そういう基準の世界にされたからだ」
今度は円の隣に、もう一つの円を書いた。その横には『これまでの世界』と名付ける。自然な流れで、雪のマークのある円を『今の世界』とした。
「トロフィーそれ自体が大雪を発生させているんじゃない。こいつは基底現実をまるごと書き換えたんだ。何も無い空に雪雲が湧き、延々とそれが降っても不思議ではない世界に」
しん、と水を打ったように静まり返る部屋の中。誰しもが黄金のトロフィーに見入っている。
やがてぽつりと、ファインが呟いた。
「あらゆる異常が普通に起きる世界。それは……もしかして、誰かの意思に基づいて?」
みんなの視線が、一斉に彼女へと向けられる。
「ファイン君、それはどういう意味だ?」
「ほらさっき、大発見したって言ったよね。あれってこのトロフィーの正体についてなの」
するとタキオンは残念そうな顔になった。
「悪いが、こいつが何かは昨夜判明している。スイープ君のおばあ様が友人から譲り受けた、おもちゃの原型だ。それがなぜ現実改変を行えたかは謎のままだが……」
「ううん、たぶんそれ違う」
ファインはゆっくりと首を振って答えた。魔導書をぺらりと捲って、とある小さな図を指で示す。ごちゃごちゃした説明書きで満たされたそこには、確かにこのトロフィーらしき絵があった。分厚い魔導書の中の細かな欄だから、うっかりあたしは見逃していたようだ。
「私の国に伝わる伝説上の王様、アーサー王。彼が生涯をかけて求めたという、所有者の願いを何でも叶えてくれる神秘の秘蹟。その名を聖なる杯――聖杯にそっくりなんだよ」
どっかの財団風に言えばCK-クラスシナリオです。