「やーだー! ぜったいぜったい今から行ーくーの!」
駅のホームに、あたしの声が反響した。
「スイープちゃん……。ダメだよ、もう八時過ぎちゃうよ」
「なんでよ~! 寮が閉まるのって九時じゃない! 今から行ったって余裕で間に合うし!」
「ダメだ、こればっかりは聞き分けたまえ。電車だって、この時間帯からだと十分待ちが当たり前になってくる。君の言う通り理論上は可能だが、かなりのリスクを冒すことになるぞ」
「ふんだ! そもそも門限破りがなによ! あたし知ってるんだから。スズカなんて、前に夜中の十時くらいに帰って来たじゃない!」
「あれは……まぁスズカ君だから。言わば事故みたいなものだ。そもそもスイープ君はまだ――」
「中等部? それがどうしたっていうの! 来年にはもう高等部だもん! とにかく行くったらあたしは行くの! みんなは帰ればいいじゃない!」
「ふむ……弱ったな」
タキオンが呆れ顔でホームの屋根を仰いだ。ファインも同様に、頬に手を当ててため息を吐く。電灯の下で、それは白く広がった。十二月、陽も落ちてずいぶんと経ったこの時間。気温は凍てつくように寒い。
とっとと電車に乗って、暖房の良く利いた寮に戻りたいのはあたしだって同じだ。しかしそうできない理由ができた。
ミツバの店主の話によれば、宝石の持ち主の人がやっているのは『旨々亭』という店らしい。念のため検索してみたところ、それらしき店が確かに三つ先の駅で軒先を構えていた。
開店時間を確認すると、昼から深夜の二時まで空いている。これはもう早いところ行くしかない。そんな覚悟を決めてラーメンの会計を済ませたまでは良かった。
しかし駅の構内に入ろうとしたところで、あえなく二人の猛反発にあう。学園に向かう電車は、旨々亭とは真逆の路線。帰りがけに寄る程度では済まない以上、行かせられないと口を揃える。
彼女らの言い分は全くもって正論だと分かっている。しかし――。
「タキオンだけには言われたくない! 勝手に準備室を改造して、私物化してるくせに。こういう時だけ真面目ぶるのは止めなさいよ!」
「ぐ……痛いところを突くじゃないか。だがあれは一応、生徒会の許可を貰っているんだ。君の門限破りを見逃す理由にはならない」
「ならファイン! あんたもラーメン屋のハシゴすることあるんでしょ? あたしの気持ち分かるわよね!?」
「あれはお休みの日に、まったり午前中にやるから楽しいの。こんな寒い夜中に、それも一人でやったって悲しい気分になるだけよ。ね、だから帰ろう?」
「むぐぐ……」
何をどう言っても、二人には通じ無さそうだ。反論の糸口を失ったあたしは、ついに最終手段を取ることにした。
「じゃあいい! 二人が諦めるまで、あたしずっとここにいるもん! へーんだ、そしたらフジさんに怒られるのは全員だもんね~。それが嫌なら、早いとこ学園行きの電車に乗って行っちゃいなさいよ」
駅構内のホームを小走りに、手頃な屋根の支柱にかじりついた。徹底抗戦の構え、何があっても離れてなんてやるものか。
タキオンはお手上げのようなポーズを取ると、スマホを出して何やらしだした。誰かに連絡しているのだろうか? 内容は気になったが、距離が離れてしまったせいで良く分からない。
ファインの方はまだ説得を諦めていないらしく、あたしを追ってくる。……本気であたしを心配しているのだろう、若干、顔色が悪くなっているようにも見える。
「スイープちゃん、お願いだから帰ろうよ。風邪引いたら、トレーナーさんだって心配するよ?」
「あたし、雪の中で走ったけど風邪なんて引いたこと無いもん。あんたこそ大丈夫なわけ?」
「私だって慣れてるから平気。ねぇ、どうしてそんなに旨々亭に行きたいのかな。また次の休みに行けばいいじゃない」
「……それだと間に合わないかもしれないじゃない」
「え?」
不思議そうにするファイン。そう言えば彼女には、偉大な最終目標については説明していなかった。ピンとこないのも無理はない。だがこの状況で、冷静に一から話す気には到底ならなかった。
「とにかくあたしには時間が無いの! 旨々亭の店主が宝石をいつまで持ってるかも分からないし! もしかしたら明日にでも景品にしちゃうかもしれない。店に行ったらすぐ帰るんだから、行かせてよ」
「ごめん、やっぱり聞けない」
淡々と言ったファインはしかし、その直後に「くしゅん!」と盛大なくしゃみをした。無理をしているのは明らかだ。
帰したいのはやまやまなのに、あたしはそれでも動くわけにいかない。現状はまさしく打つ手を失った板挟み状態。
しまいにはごほごほと咳き込み始める。いよいよ自分でもどうすべきか分からなくなって、視界が滲みかけたその時――。
「スイープ……」
聞き間違うはずのない使い魔の声が、近くからした。
――――――
次にやって来た電車に乗って、タキオンとファインは帰って行った。
でもあたしはまだホームに残っている。今日行くって決めたんだもの。この意思を曲げるつもりは無い。
しかしそうはいっても、支柱に掴まり続けるのは辛いし目立つから、仕方なくベンチに座った。時刻表によれば、十五分ほどで旨々亭のある駅に向かう電車が来る。それに乗りさえすれば、ぎりぎり門限にだって間に合う可能性がある。
冷たいベンチに背中を預けて、街の明かりを遠目に眺める。乗り降りする人々の数は徐々にまばらになっていき、今ではもう数えられるほどしかいない。元から利用客のそう多くない駅だ。シンと静まり返った構内は、どこまでも寒々しさに満ちている。
「電車、まだ来ないねぇ」
「そうね」
「あの二人はもう寮についたかな。みんなと一緒の晩御飯に間に合っているといいけど」
「そうね」
「スイープはお腹空いた?」
「そうね」
「それは良くないなぁ。ラーメンだけじゃ足りなかった? 食堂のご飯、皆が残してくれてるといいね」
「……そうね」
いい加減、気付いてほしい。いちいち返事するのが面倒なんだけど。
タキオンがたぶん呼んだのだろう。あの時スマホを触っていたのは、こいつに連絡を取るためだったわけだ。……それにしても来るのが早過ぎないか? まさか尾行なんてしてないでしょうね?
「スイープ、寒くない? もっとこっち寄りなよ」
ほらほらと身に着けた厚手のマフラーを、あたしにも巻こうとしてくる。なんて図々しい奴だ。どうしてこの高貴な魔女が、使い魔ごときと一緒の布に巻かれなければならないのか。
「ふん!」
あたしはこれ見よがしにマフラーを跳ね除ける。でも当たり所が悪くって、それはくるりと回ってあたしの腕に絡まった。そのままするすると、蛇のように肩から首へと巻き付いてくる。あれよあれよという間に、あたしはマフラーで使い魔と結ばれてしまった。こいつ……いつの間にこんな高度な魔法を使いこなすようになったわけ?
「こうするとあったかいねぇ。えへ」
「なによ気持ち悪い笑い方して! 離れなさいったら!」
「ごめんごめん、嫌だった? でもほんとに寒そうだったから、つい」
使い魔は軽い口調で謝ると、マフラーを解きにかかった。しかしその表情は一目で分かるほどの寂しさに溢れていた。
しょうがない奴。
悔しいとも気恥しいともつかない、説明不能の感情に襲われる。あたしはマフラーを引っ掴んで、無理やり自分の首へ戻した。途端に、使い魔はにっこりとわざとらしい笑顔になる。
「やっぱりウザい!」
――けど、まぁ暖かかったのは事実なので、もこもこをしっかり抱き寄せて、顔を埋めた。冷気に晒されていた鼻先が、ゆっくり温まっていく。
レールの軋む音が鳴った。構内に入ってくる電車を目で追うが、それはあたしの待っていた路線ではなかった。やがてそれはちょうど反対側のホームに停車した。
開いたドアから漏れる、眩しいくらいの照明。何人かの制服姿の少女達が車内に覗く。ウマ娘ばっかり……中には見知った顔もいた気がした。当たり前だ、トレセン学園に向かう電車なんだから。
やがてアナウンスが流れくると、ドアは耳障りな音を立てて閉じた。あたしと使い魔は特に何を話すでもなく、トレセン行の電車を見送った。
駅の電光掲示板を確認した。次の便はなんと三十分後。敷地確保のために、学園は都市部から少々離れた立地だから、この時間になると極端に便が少なくなる。
門限はともかく、みんなとの晩御飯には確実にもう間に合わない。閑散とした食堂で一人テーブルに向かうことが決定した。
けどそんなことは別にどうでもいい。問題なのは隣のこいつだ。
「なんで何も言わないのよ」
「へ?」
相も変わらず、使い魔はのほほんとした顔をこっちに向けた。収まっていたはずのイライラがまた鎌首をもたげる。
「……電車、行っちゃったんだけど」
「そうだね。行っちゃったねぇ」
「そっくり繰り返さないでよ。……あんた、あたしを連れ戻しに来たんじゃないの?」
「んー」
使い魔は自分の両指を合わせて、腕をまっすぐ伸ばした。ずっと座りっぱなしで、身体が凝ったらしい。続けざまに、両脚も伸ばし始める。ぽきぽきと関節が乾いた音を出した。
「うわ、ジジ臭い」
「辛辣だなぁ。まぁ君からしたら、大人なんてみんな同じオジサン、オバサンか」
「そんなことないわよ。例えばたづなさんにそれ言ったら、たぶん死ぬより怖い目に遭う。……というか、あんたが特別すっとろいのよ」
「そう?」
「今のだって、問答無用であたしを電車に連れ込めば良かったじゃない。寮の規則を破ったら、担当トレーナーにだって注意が来るんでしょ? あんたそれでいいわけ?」
「うそ。スイープ、そのルール知ってたの?」
「呆れた! あたしの情報網を舐めないでよ」
すると何が面白いのか、使い魔は口元を押さえて笑った。閑散としたホームに、楽しそうな声が響く。ひとしきりそうした後、スッと真顔に戻る。
「別に注意なんて、いくら受けても気にならないよ。スイープが今どうしたいか……そっちの方が大事」
「……は?」
思いがけない一言にあたしが固まっていると、使い魔はいきなり手をこちらに伸ばしてきた。とっさの事に反応できないでいるうちに、頭をやんわりと撫でられる。耳を避けるようにして、どこまでも優しく。
「こんなに寒いのに、スイープはずっとホームで電車を待ってる。それを邪魔したいなんて思わない」
「……じゃああんた、何しに来たのよ」
「そこなんだよねぇ。何をしに来たんだったか。これじゃ心配してたタキオンに申し訳が立たないなぁ」
言葉とは裏腹に楽しそうに言い切ると、ようやくあたしの頭を解放し、使い魔はベンチに座り直した。
それきり話すことが無くなって、ホームには沈黙が降りた。
早いような短いような、どっちつかずの時間が流れて、気付けば目の前には電車がいた。旨々亭に向かう、あたしが待ちに待っていた電車。
「スイープ、来たよ?」
じっと黙っているものだから、あたしが眠ったと思ったのだろう。デリカシーの欠片も無い使い魔が、つんつんと頬を突いてくる。……うるさい、あたしはちゃんと起きてる。
でも、なぜだか足が動かない。身を焦がすほど感じていたはずの衝動が、今は煙をくすぶらせているだけ。どうしてもベンチから立ち上がれない。ホームから車内に乗り込む、たった数メートルが、途方もない長距離に感じられる。
「スイープ?」
そもそもこれから旨々亭に行ったとして、使い魔をどう誤魔化す? 店主に取材する際もこいつは来るだろう。こう見えて使い魔は勘が鋭いから、下手すれば魔法の研究を見抜かれる。そうなったらおしまいだ。
仮に首尾よく騙せたとしても、だ。旨々亭の店主は、協力の代わりにラーメンを注文してくれと言うかもしれない。貴重なコレクションを譲るのだから、そのくらいの代償は予想すべきだ。しかし今日は現金の持ち合わせが尽きたから、必然的に使い魔頼りになる。……それはあまりにも情けない。
後から後から理由が出てくる。履いてる靴はまるで鉄製に変化したみたい、一歩だって踏み出せない。
座ったままのあたしの前で、無情にも出発の合図が鳴り響く。待ち望んでいた電車は轟音と共に、暗がりの向こうへと消えて行った。
「行っちゃったねぇ」
バカの一つ覚えよろしく、使い魔がまた同じことを言った。
「違うもん」
それが無茶苦茶すっごく、有り得ないくらいムカついた。考えるより先に口が動く。
「行かせてやったのよ」
「はあ。そりゃまたなんで?」
「あんたがボサっとしてるからでしょうが!」
「え? え?」
キョトンとしたその顔に、さっきのお返しとばかりに冷え切った指先を沿わせてやった。
「わっ」
「あんまりにも寒くって、動けなかったの! ほらご主人様の指がこんなになってるのよ! さっさとお茶でも何でも買ってきなさい!」
頬に触れたあたしの指に、使い魔は自分のそれを重ねた。体格の違いのせいだろうか、向こうの方がやっぱり温かい。
「ご、ごめん。気付かなかった」
「言い訳はいいから、早く自販機探してきて」
使い魔はいそいそと立ち上がると、ホームを駆けて行った。見送る後ろ姿に「ばっかじゃない」と小声で呟く。
半分は自分に向けてだった。