気付いたら五百年前のフォンテーヌに居たので、水神を救おうと頑張りたいのだが……脳内で語り掛けてくるナニカがうるさい 作:たゆな
──クソ、だから嫌だったんだ。原神の世界観を知るために隅々までゲームをプレイした。自分以外の考えに触れて、考察サイトを見て解像度を上げるのと同じくらい……俺は存在しなかった救いを求めて二次創作を見ていた。ゲームになかった結末、失われなかった未来、誰も欠けない光景。あぁ、そういえばこの世界に来る前にも一つ見た覚えがある。たしか……眞とマハちゃんとフォカロルスが、それぞれ影とナヒーダとフリーナの凄さを自慢し合っているという、大変脳に優しいモノだ。そうだな、今となってはあの作品……あの光景が俺の目標なんだ。だから──
『……そう』
──そんな風に悲しそうにするのはやめてくれよ……。
彼がこの思いを口にすることはない。口にすれば、止まらなくなってしまう。
『……あらイツキ、今度は誤魔化さないのね』
つい先ほどの反応が無かったかの如く、眞の声音は普段のように明るい。
それが余計に痛い。
(──そりゃ確信している相手に何を言っても無駄だからな)
『……嘘を吐かないというのは良い事よ?』
善悪の話ではない。悪いことであっても嘘を吐けるなら吐いていた。
「おい、童……聞こえているなら此方を向け」
鈍感系主人公みたく"今、なんて?"戦法を使うことはできない。現在進行形で彼に話し掛けている神子の声は聞こえないフリができても、眞の言葉はその脳内に直接響く。
逃げたくても、逃げられなかっただけ。
──本当にそうか?
眞は以前"貴方……一度深く思考すると、かなりの時間……全くと言っていいほど周りの声が耳に入らない癖があるわよ?"と言っていた。
やろうと思えば彼には聞こえないフリができた。
──ずっと気付かないでくれ……と思っていたが、いくら誤魔化したところでいつかは気付くだろうとも思ってはいた。だがあの瞬間……風の音より、神子の声より、眞の声は大きく聞こえてしまった。
──彼が最も聞きたくなかった言葉が最も鮮明に聞こえてしまったのだ。
『……いつも明らさまにとぼけた反応ばかりで、あれでは答えを言っているようなものだったけれど』
──ならば、もっと早く言ってくれ……と、彼は頭を抑える。
『だからと言って、嘘を吐くのが悪いということではないの。そうね……今この瞬間まで私は、それをただの可能性程度に考えていたわ。貴方の嘘のおかげで、受け止める準備ができたとも言えるわね』
(そりゃ良かった。見返りに鳴神の加護かなんかでも貰えれば、雷極を使えて更に良いんだけどな)
『良いわ。でも──もう少しだけ、待って貰えないかしら』
その声音に胸の奥が軋む。
(だからそん、なこ……で言われたら)
「はぁ……何ともまぁ、良く固まる見習いじゃ。そろそろ作業を──」
──俺は。
『っ! ……イツキ!』
一瞬、沈みそうになった精神が元草神の声によって呼び戻される。
『向こうを見て……雷極が反応しているわ』
いつの間にか自身の両肩を掴んで、正面へと立つ神子。イツキは言われるがまま、その背後へと視線を向けた。すると、浮き島付近の雷極が電気を帯びながら振動しているのが見える。
(まぁ、稲妻人か雷元素力を持つ人が使えば反応するんだろ? 別に珍しいことではないんじゃないか)
稲妻では珍しくない光景──のはずだった。
『──貴方の身体から滲み出した雷元素力で、あの雷極が反応しているわ』
(──え? ど、どどど……え?)
『イツキ、落ち着いて? 原因は分かっているの』
一体何が起こったのだろうか。
──認識できない程の速度で眞と入れ替わった?
(……原因)
いや、わざわざ原因の説明をするのならば──そんなことではないのだろう……と、イツキは元草神の説明を待つ。
『これは貴方が──眞ちゃんへ寄り添い過ぎた結果……よ』
(……どういうことだよ)
『一時的にではあるけど、眞ちゃんの心へと寄った貴方の精神が……感情の層まで到達してしまった』
未だ説明が必要な様子のイツキ。
『干渉力が強すぎることの弊害ね。貴方の干渉は時に魂の輪郭を曖昧にする……結果、彼女が保有する元素力は貴方の身体に溶けだした。そして、感情に寄り添い過ぎた貴方の表情は──彼女の表情を同期した』
意味を理解した彼は即座に自身の顔へと触れる。どのような表情を浮かべているのか具体的には分からない。しかし、彼の内心で浮かべている驚愕の表情ではないということだけは確かだった。
「……っ」
ふと視界に入る彼の表情に呼吸を止める神子。
──その顔を、彼女は知っている。
イツキの指先が己の頬に触れたまま、僅かに動きを止める。眼前に立つ神子、その瞳には動揺の色がない。代わりに宿っているのは、静かな理解のような何か。
抗うことをやめた者の眼差し。失われたものを、もう二度と戻らぬものだと認めた者の顔。唇は強く結ばれているが、震えてはいない。眉は寄っているが、怒りではない。頬の力は抜け、視線は遠くを見ている。
悲しみはある。だがそれは絶望ではない。
泣き叫ぶことも、世界を拒絶することもなく。
ただ──喪失を、自分の内に置く覚悟を決めた顔。
その表情を神子は、かつて鏡越しに見た。
どれだけ神櫻へと祈りを捧げても、もう戻らぬ存在を理解した時。狐斎宮の死を認めるしかなかったあの瞬間。
胸を裂かれるような痛みと共に、それでも前を向かねばならぬと悟った者の顔。
神子の指が、ほんの僅かに強くイツキの肩を掴む。
「……汝」
普段の軽やかな声音ではない。からかう響きも、余裕も消えている。何故今なのか、そのような些細な問題など関係ない。目の前にいるのは、見習いでも童でもなく“喪失を受け入れた者”の顔をした何か。
神子の胸奥に、遠い日の痛みが蘇る。
あのとき自分が選んだのは、泣き崩れることではなかった。狐斎宮のいない世界を認め、それでも生きるという選択だった。
その選択をした時の表情が、今──他人の顔に浮かんでいる。
「……ふむ。これほどに離れた位置から、あれ等の雷極を震わせるとは……随分と大層な芸当じゃな」
冗談めかしているのか。だがその実、深くは聞かないという意思を感じる。
「木箱の運搬はゆっくりでよい」
「マジすか?」
「妾は元々……数日ほど、鳴神大社を空ける予定でおった。稲妻各地で起きた災厄の後始末が未だ残っていてな」
事務的な報告のようでいて、その声は柔らかい。
「復興の支援、各奉行との調整……何れも時間を取られる。じゃから木箱の運搬も、ゆっくりで構わぬ」
その言葉にイツキは一瞬、言葉を失う。
「……俺、一人で?」
「他に誰がおる」
どうやら彼女の中に慈悲というものは存在しないようだ。
(結局そこは変わんねぇのかよ)
「ふふ、冗談じゃ。妾が戻るまでに終わらずともよい。その時は、残りを勘定奉行に依頼することも認めよう」
そう言って、影向山を降りていく八重神子。
垣間見えた優しさに──これがゲイン・ロス効果か。と一人納得しながら、運搬作業に入るイツキであった。
*********
影向山を下る風が、イツキの袖を揺らした。
木箱の縁に手を置いたまま、彼は小さく息を吐く。八重神子の姿はすでに見えない。鳴神大社の入口には静寂だけが残されている。
「……そういや」
独り言のように零れた声。
──この国で眞の元素力なんか解放したら……秒で影ちゃんにバレそうなんだけど、さっきのアレって大丈夫なん?
直ぐ様、脳内に返答が落ちる。
『フォンテーヌの山頂で放った時と同じ規模なら、確実に感知されるでしょうね。先ほどの事に関しては……表情の同期はともかく、雷元素力は紛れもなく眞ちゃんのもの。でも、将軍人形を創造している最中の彼女が気付いたかどうかは怪しいところよ。万が一をも避けたいのなら、大豆の運搬に関しては私に任せて貰う他ないわ』
苦笑が漏れる。
彼は空を見上げた。青い。穏やかだ。だがどの国へ赴いたとしても、常に監視の眼に晒されている気がしてならない。
──ふむ、やはり俺の思考が垂れ流されているというのは便利だな。マハちゃんとリアルタイムで考えを共有できるのは楽だ。
木箱を軽く叩く。
──唯一の欠点は……会話の準備をしていないタイミングで話し掛けられた時に、びっくりして声をあげそうになるということだけ。
『慣れなさい』
「簡単に言うなよ」
足元の砂利が鳴る。イツキは箱の重みを確かめるように揺らしながら、腰を落とした。
『幸い……以前に眞ちゃんが元素力を放出してくれた事で、貴方の身体で草元素力を調整するのも難しいことではなくなった。限界まで抑えれば……蔦でイツキと箱を固定して、蔦で山を下りることができるのではないかしら』
イツキの視線が斜面へと滑る。急勾配だ。足場も不安定。通常の方法で下れば、転落の未来しか見えない。
──……千切れるくね?
転落自体は問題がない。転落した結果、木箱が破壊されるという事が問題なのである。
風が強まり、葉が擦れ合う音が響く。
『比較的に霧散しやすい雷元素力と違って……あまり大きい物を生み出すと、影向山の地盤を崩してしまう程の根を張る可能性があるわ』
──なるほどな。
イツキが眞の力を使わず木箱を廃神社まで運ぶ方法を探す為、いつものように元草神と話し合っていると──、
『──体内を回る程度に元素力を留めれば、影にも感知されないんじゃないかしら?』
(……え?)
何故か、彼女に伝わらないように会話していたはずの声をバッチリ聞かれてしまっていた。