ちょこんと腰を下ろしていたそれは、顎髭かの如く下顎にびっしり生え揃い、その全てが空を睨むように突き立てられた金色の牙を、引き裂かれたような上顎と噛み合わせ、不思議そうにふんふん鼻を鳴らしていた。
ボンレスハムのようにムチムチしていて、何も掴めなさそうな小さな腕に指、だらしなく伸ばされた太い脚。そして、身の丈ほどありそうな太く、刺々しい尻尾。
そんな彼の体躯は、紫色に色づいた美しい空の下、暗く影になった芝の中では目立たないものであった。
「――」
故に、彼女が
「ああっ……!?」
『ごあっ!?』
べちん! と身の詰まった音が静かな芝の上を伝って、その後に聞こえるのはゴロゴロかさかさと何かが芝の上を転がる音。
右足首に強い衝撃を覚え、灰を被ったような髪色の彼女が転がった音である。
「……あぁ、び、びっくりしたぞ」
すってんころりんとおでこから芝に突っ込んだ彼女――オグリキャップは、頬に芝の葉を貼り付けたままぺたんと座り込み、徐に後ろを向いた。
(何かに足を引っ掛けた……?)
その瞬間。
「……!?」
オグリキャップの視界の中で、もぞりとうごきだす一つの影――。
『ごるるるるる……』
猫? 犬? 否。それは地を這うような悍ましい咆哮を立て、ゆっくりと立ち上がった。
目を血走らせ、厳しい下顎に涎を滴らせ、それは重々しく脚を上げた。
「……?」
かさ、かさ、と尻尾をふりふりしながら近寄ってくる謎の生き物に、オグリキャップは首を傾げて立ち上がる。
「君、もしかして私が足を引っ掛けた……」
白い息を吐きながらそこまで言って、彼女はハッと顔を青くし――
――ところ変わり、トレセン学園の隣に位置し、総勢2000名ものウマ娘を抱える巨大な寮、その内の一つ――栗東寮の一室にて。
「……んぁあ、もう食べられへんわァ……」
白毛を枕に散らした彼女、タマモクロスは、苦しそうで楽しそうな表情を浮かべてベッドの上で眠りこけている。彼女の隣にあるベッドは空となっていて、畳まれた布団にはすでにぬくもりも残っていなかった。
チクタクと時を刻む目覚まし時計は午前五時半。薄暗闇に包まれた部屋の中には、タマモクロスの寝息と秒針の刻む乾いた音が響くばかりで、冷たく静まり返っていた。
「……んぉ?」
そんな安寧を打ち破るかの如く、タマモクロスの耳がピンと張り詰める。
――!
2回、3回と耳がぴこぴこ動いて、薄開きだったタマモクロスの瞼がゆっくりと開き、それに比例するように眉間に皺が寄っていく。
――ドドドド!!!
(なんやねんやかましいなぁ……)
何かが廊下を爆走しているのだろうか。おまけにその騒音は近づいてきているときた。
眉尻を吊り上げ、ぼやけた視界に目覚まし時計を入れたタマモクロスは、大きなため息の後に耳を引き絞った。
――ドドドドドド!!!
「……」
ぐっと立ち上がり、首を左右に振ってポキポキ鳴らし。寝巻きの中に手を突っ込んでお腹を掻きながら、タマモクロスは玄関の方へ足を進める。
玄関までたどり着いた彼女の手が、無造作にドアノブに伸ばされ――
がちゃん!!!!
「タマーーー!!!!!!」
「ああああぃ!!!!」
まるで後ろに置かれたきゅうりに気づいた猫かの如き跳躍。しかし、咄嗟に顔を上げたタマモクロスは、急に開いた扉の前に立つ汚れたジャージ姿の存在に気づくと、目玉が飛び出そうな表情を緩やかにしていった。
「なんやオグリか……っ」
しかし、安心したのも束の間である。タマモクロスは、何か焦燥した雰囲気のオグリキャップが抱えている物体に気づかざるを得なかったのである。
猫や犬適度の、色の濃いゴーヤ。それならどれほど良かったことであろうか。
しかし、それには小さな頭がついていて、ガウガウ言っている口元の、膨らんだ下顎には鋭い歯が皮膚を突き破るように不揃いに生えていて、貧相な腕に、恐竜のような立派な脚がオグリキャップから逃れようとジタバタもがいていて。
目をよーく手の甲で擦り、タマモクロスは二度瞬きし、
「なんやその、ゴーヤの妖怪…… 夢か……」
「夢じゃ無いぞタマ! さっき自主練してたら撥ねてしまって……! 怪我とかさせてしまっていないか……」
ぐおー、ぐおー、と文句を言っているようにジタバタ暴れる暗緑色の生き物、助けを求めている同居人の顔。交互に眺めて、タマモクロスは呆けた表情となってしまうのだった。
◇◇◇
「うにゃあ、ご主人〜!!! どこ行っちゃったのにゃあっ…… ここはどこにゃぁぁあ……」
「怖いにゃぁ、ぶるぶるにゃぁぁ。……だからボクは反対したのにゃあ、イビルジョー討伐なんて……」