息が切れる。
体温は下がり、痛みと目眩が動きを鈍らせる。
視界が眩む。
足取りは重く、孤独と恐怖が心を蝕む。
痛い。寒い。動きたくない。
───体を引きずりながら前へ。
辛い。怖い。
───心を奮い立たせながら前へ。
(どうしてこうなったんだっけ……?)
彼女は自問する。
何故、自分はこんな思いをしているのか。
何故、自分はこんな目にあっているのか。
彼女は、大澤すみれは足下の水溜まりを見つめる。
酷い顔だ。死にかけた人間とはかくもこのような形相になるのか。
「はは……」
思わず、笑ってしまっていた。
これは酷い。三日寝てない父もここまで酷い顔はしていなかったはずだ。
(お父さん……)
父の背中に憧れた。
家を空けがちで、たまに帰ってきても死にそうな顔で、そのまま死んだように寝て、また仕事に行く。
そんな父に、憧れた。
どれほど辛くても、真実を追い求めるその背中に追いつきたくて。
父と母が離婚する事になって、離ればなれになってもその姿は、彼女の心に焼き付いて。
(お父さん……今どうしてるかな……)
思考が曇る。
(お父さんも……こんな風に怖いって、思ったことあったのかな……)
意思が薄れる。
(あはは……もう、ここまでかな……)
意識が乖離する。
(お父さん、お母さん、ごめんね……私なんにも、返せてないや……)
そうして、とうとう生存すら放棄しようとした彼女を───
『信じてる』
「!!」
繋ぎ止める、声がした。
(まだ……)
足は動かない。
──構うものか。
(まだ……!)
意識が遠のく。
──ふざけるな。
(まだ!)
手が震える。
──言う事を聞け!
(まだだっ!!)
すべき事がある。
自分の友人。同じく真実を追い求め、文字通り命を懸けてなすべきことを為した変わり者の親友。
あの子もまた、恐怖に震えて。
それでもなお、希望を繋いだ。
ギチリ、と歯を食いしばる。
死にかけの体に喝を入れる。
足は動かず、呼吸も尽きかけ。
(構わない)
頭はまだ回る。手は重いが、幸い指はまだ動く。
なら、自分がやるべき事をやるのに、一切の支障はない。
変わり者の友人が、命を懸けてバトンを渡した相手。
未来から来た探偵と、今を生きる探偵達。
彼らもまた真実に向かって。
荒唐無稽なハッピーエンドに向かって、前へ進んでいる。
だったら、
(まだ、眠るわけには、いかない!)
震える手を意志の力だけで抑え込み、自身のブログに文字を打ち込む。
失血の影響か、はたまた恐怖と悔しさの所為で涙が溢れ出るせいか、霞み、滲む視界を振り切って、彼女は自分が知った情報を打ち込み続ける。
体温が更に下がる。
終わりが近い。
無念さが胸に去来する。
自分はここまでだ。
追い求めた真実を見届ける事も。
友人の仇をこの手で討つ事も。
このおぞましい闇を世間に明かす事も出来ない。
今この文章が最期の悪あがき。
大澤すみれにこのデッドラインは越えられない。
それでも。
(構わない。あの子が命を懸けて繋いだように、私も信じて託すんだ!)
渾身の力を込めて、送信を押す。
文章の乱れが無かったのは幸運だった。思ったより指が動いてくれたのも大きい。
そして、ブログの更新を見届けた瞬間。
「ぁ」
糸が切れたように、彼女はその場に倒れ込んだ。
(ここまでかな……)
先程までが嘘のように、体の感覚が無い。
「ぁ、あ」
痙攣が止まらない。
血を流し過ぎたせいか。
(さ、むい……)
急速に自分が消えていく。
視界はもう闇に覆われつつある。
(────)
もはや思考すら出来ないなか、不意に彼女の携帯が震える。
(……?)
見れば、ブログにコメントが付いた通知だった。
通知は止まらず、バナーで表示されるコメントには。
『後は任せて』
(ああ……)
良かった。
私は確かに、未来に希望を繋げたのだ。
足音がする。おそらくは彼女を追い、場合によってはとどめを刺す為にやって来たのだろう。
彼女はもう、足音を認識出来ない。
目は光を失い。
体は熱を失った。
けれど、その表情はとても。
───安心しきったように、穏やかなものだった。
「すみれちゃん!大学遅れちゃうよ!
「分かってるよ千春!でも取材の機材が〜!」
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