物語にはすべからく始まりがある。
しかし、誰もがその始まりに気付くとは限らない。僕の場合は――。
努力は報われると信じている。
ただし成功は二次曲線のような軌道を辿り、すぐに実を結ぶわけではない。しばらくの間は我慢の時が続く。その間も努力を怠らず、前に進み続けた者だけが成功を手にする。それまでに要する時間は人によって大きく異なるが、大事なのは決して諦めてはいけないという事だ。
高見さんと会ってから僕は変わった。いや、変われたという方が正確かな。僕はチームへの接し方を変えた。それまでの僕はチームワークの意味を誤解していた。皆の輪を壊しちゃいけないと無意識に考えていたんだと思う。
でも、そうじゃなかった。本当のチームプレーは個々人の勝ちたいって思いと勝たせてやるっていう意志によって初めて生まれるものなんだ。チームプレーごっこなんて必要ない。
アメフトは軍事と深いつながりがある。フィールドは戦場で、求められるのは戦士なんだ。弱卒は生き残れない。だから僕は馴れ合いを止めた。チームメイトへの遠慮を捨てて自分を主張した。試合にも出たいと言って頭を下げたんだ。
反発の声は多かった。突然手の平を返したんだから当然だよね。特に六年生は年下なのに偉そうな僕を嫌悪してたと思うし……。
それでも意志は伝染する。僕の勝ちたいっていう強い意志は下級生を中心に少しずつ蔓延していき、同級生の半数にまで広まった。勝利への意志は彼らを変えた。練習でも試合でも積極的に僕の意見を聞いてくれるようになったんだ。それでもレギュラーの多くは六年生だから、すぐ試合に勝てたわけじゃない。
結局、五年生の僕がフィールドに立つ事は一度もなかった。最後まで六年生が首を縦に振らなかったからね。まぁ自業自得の結果だと思う。最初から素直にしていれば……多分違ってたはず。
でも後悔はない。自分が未熟だったと知れた事は、そこからまた成長出来るって事だもんね。試合に出れなくても、僕は僕の為にベストを尽くした。正直、試合には出たかったけどね。でも、口が裂けても言わないよ。僕だって男だ、約束は守る。
それなのにチームが初めて試合に勝った日、僕は大泣きした。同級生や下級生のせいだ。彼らが口を揃えて僕のおかげだなんて言うから…………男なのに、僕は泣き虫だ。
六年生になって漸く僕は試合に出る事が出来た。デビュー戦は手足が震えた。武者震いってやつだよ。相手はあの鬼兵さんがいたチームだったけど、僕らは32対6というスコアで圧勝した。鬼兵さんの抜けた穴は大きかったみたいだね。去年までは全く歯が立たなかったのに……。
その後も連戦連勝して、とうとう地区大会で優勝したんだ。都大会のトーナメントじゃ二回戦であっさり負けちゃったけど、あの時勇気を出して本当に良かったと思う。他の子より頭半分以上大きかった僕は、地区のパス記録を塗り替えて最優秀選手に選ばれた。不覚にもまた泣きそうになったけど、そこは何とか我慢したよ。
井の中の蛙だって言われるかもしれないけど、凡人の僕にとっては快挙だ。徒競走で表彰された時よりも全然嬉しかったし、これからも頑張ろうって気持ちになれた。確かなバックボーンがあるのに、小学生に負けてちゃ話にならないもんね。
その頃にはチームメイトともフレンドリーになってて、親しみを込めて僕をあだ名で呼んでくれる――ハゲノッポ、と。
そう、僕の『ハゲ』伝説はすでに始まっていた。
現実は残酷だ。
子供は正直なだけで何も悪くない……と思いたいけど、僕につけられたあだ名をいくつか紹介しよう。
ハゲノッポ――これは見たままだね。
デコ神――ご利益あるかな?
なまはげ――意味が違うよ。
ハーゲンダッツ――商品に失礼だよ。
インテリハゲ野郎――悪口の境界線ってどこだろう?
気にしたら負けだと思って来た。鏡の前に立つ度、何度思った事だろう。
あれ……前よりおでこ広くない?
……いやいや、気のせいだ。きっと練習で疲れ目になってるせいだよ。
僕は見て見ない振りをしてきた。でも僕は……ハッキリと自覚していた。
努力すればする程、髪の毛が抜けるという事実を――。
『アリェナァアイ!!』
幻聴まで聞こえる。それでも僕は努力する事を止めれなかった。凡才の僕が努力を止めれば、そこで成長が止まってしまう。今のままでも小学生や中学生相手ならばそうそう負ける事はないだろうけど、高校生や大学生になれば僕のアドバンテージは消える。あそこは超人達の溜まり場だ。
だからこそ僕は死に物狂いだった。汗を流した分だけ髪が抜け、走った分だけまだ髪が抜ける。ならばと思い握力を鍛えてみても、どういうわけか髪は抜けた。お風呂場で、ベッドの上で、姿見の前で、抗え切れない現実を目にして、何度心が折れかかっただろうか。
子供は無邪気だけど、中には悪意のある子もいる。一年生の頃から何かと僕に絡んできた。
「この前辞書で調べたんだけどさ……前髪って、額の上部にある頭髪を指すんだって。おかしいなぁ、雪光君にはそれが見当たらないね」
「……」
学年で二番目に成績の良い黒縁眼鏡をかけた男子だ。
クラスが違うのにまるで待ち伏せていたかのようによく遭う。
「知ってる? おでこの広い人って知的に見えるんだって。特に頭のいい君は……もうすぐ後頭部まで広がりそうだね、おでこが」
「……」
僕は生まれてから一度も喧嘩をした事がない。どちらかと言えば、温厚な人間だと思う。
でも……なんだろう、この感情は?
チームメイトにハゲと言われた時には感じなかった気持ちだ。
「僕は何百メートル離れていても雪光君を見分ける自信があるよ。だって君は無駄に背が高いし、頭も……目立つよね。実にうらましいよ、あはははは」
僕の中で何かが切れる音がした。
僕の視線は20cmも低い子供に向けるものじゃなかったと思う。
「うらやましいの? だったら僕と同じに……いや、僕以上に知的にしてあげるよ」
「……え?」
「遠慮しなくイイよ。君にはきっと才能がある。だからそれを無理矢理伸ばして……いや、むしり取ってでも光らせてあげるから。クククククッ」
「ひぃぃ……あ……あ……」
その子は腰を抜かして尻餅をつき、半泣きでおしっこを漏らしてしまった。
先生が駆け付けてその場は収まったけど、後で僕は職員室に呼び出された。事情を説明して納得はして貰えたけど、もう少し大人になれと言われた。
大人気ない事をしたとは思っていない。僕は今子供だし、これは教育的指導をしたまでだ。こういう子は一度痛い目に遭わないと反省しない。きっと同じ事を繰り返して誰かを傷付ける……ような気がする。
でも少しやり過ぎたかもしれないから、僕も反省しよう。後悔はしていないけど、自分を省みるのも大事だ。
とにもかくにも僕の生え際は恐ろしい勢いで後退している。僕の計算が正しければ、このペースだと中学を卒業する前に僕の前髪は尽きるだろう。前髪の定義は彼の言う通りで、頭頂部を過ぎたらもう前髪とは呼べないよね。
恐ろしい……実に恐るべき事態だ。
子供の僕にはこの惨劇を止める手立てがない。能力向上の代償がこれだとすれば、努力をやめれば抜け毛も止まるはずだ。しかし、そうではない可能性も高い。過剰なトレーニングでホルモンバランスが崩れた可能性もある。
半生をアメフトに、残りの半生は医療に捧げると誓った。ここまで来て『ハゲ』のせいで後戻りは出来ない。でも一度ハゲたらもう一生ハゲっぱなしだ。ハゲ放題で元は取れない。僕は何日も悩んだ。そして、断腸の思いである決断をした。
涙の断髪式だ。
このまま後ろ髪だけを伸ばして落ち武者と呼ばれる事だけは避けねばならない。
ママに頼んでバリカンを買って貰い、僕は頭を刈った。
全く持って笑えない。丸めた頭を見ていると、なぜか雲水君が思い浮かんだ。
彼も天才の弟に勝てないと知りつつも、もがく努力の人だったなぁ。
あれ、キャラかぶる!? 僕も修行僧とか呼ばれるのかな?
そもそも雲水君の坊主と僕の坊主では根本が違う。彼の毛根は生き生きしているのに対して、僕の前頭部は活動を停止して完全に沈黙している。再起動の可能性は専門店に託すしかない。
しかし、現状では不可能だ。子供の僕にそんな予算はない。毎月のお小遣いは全てタッチフットの活動費に充てている。無料の体験コースは魅力的だけど、継続させないと意味ないだろうな。だから、今はこれでいい。
クラスメイトやチームメイトには笑われたけど、笑われる事には慣れている。坊主にしたおかげで抜け落ちた毛が気にならなくなった。シャンプーの時、どれだけ自分が神経をすり減らしていたか……。
大いなる力には大いなる代償が……こうして伝説の序章、僕の小学生時代は終わりを迎えようとしていた。それにしても、割に合わないと思うのは僕だけだろうか?
中学受験は有名私立か公立でも名門進学校をママは希望した。でも、勉強ならどこでも出来る。僕にとって大事なのはアメフトや個人練習を続ける環境だ。進学校ではどうしても勉強のカリキュラムが他より厳しい。必要以上の時間を勉強に割きたくはないからね。
そうそう都大会で二回戦止まりだった僕にも、実はスカウトが来た。あの鬼兵さんがいる古豪・柱谷中から一度練習を見に来ないかって誘われたんだ。柱谷は実力者揃いだけど、小柄な選手が多い。そこで僕に白羽の矢が立ったわけさ。
僕は小学生最後の身体測定で168cmだったけど、今でも毎日伸び続けている。地区で出したパスの記録と長身を買われたんだと思う。足だってもう遅くないし、キャッチ力にもそれなりの自信がある。正直飛び上がるほど嬉しかった。
それでも僕は丁重にお断りした。
即答するとは思っていなかったのか、あるいは断るなんて思ってなかったのかは判らないけど、スカウトマンがとても驚いていたのを覚えている。
僕だって都内の中学はある程度調べたよ。柱谷は決して悪いチームじゃないけど、僕のやりたいアメフトは出来ないと思う。これがもし王城だったら……僕はどうしてたかな?
あの日から高見さんには会っていない。一生懸命やってたら、会う時間が作れなくなっちゃったよ。きっと王城に入って頑張ってるんだろうなぁ。
計画では以前と同じ泥門三中に行くつもりだったけど、僕は大いに迷っている。
どこの中学を受験するのか、まだ決めきれていないんだ。
思い切ってヒル魔君達がいく麻黄中にすれば、クリスマスボールは四人の夢になるのかな。あの三人の絆はとても強くて、僕には眩しかった……羨ましかった。僕には友達がいなかったから……。
タッチフットのチームメイトからは隣町の中学に来ないかって誘われているけど、あの先輩達とまた絡むのは疲れそうだし……中学の評判も良くない。素行が悪いワケじゃないけど、何て言うか放任主義? 自由過ぎる校風には付いていけそうにない。あの町にはそういう風習があるんだろうか?
泥門二中にしてセナ君を待つのも悪くないけど、他人に構ってられる余裕が果たして僕にあるだろうか?
色々考えている内にまた今日が終わっていく。
願書の提出期限まであまり時間もない……どうする? どうしよう? どうすんの!?
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
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