ベッドに置かれた航空券を目にして、僕全身が寒気だった。
真夜中に無断外出して倒れたんだから非は僕にあると思う。でも……だけど、そうさせたのはコーチじゃないか。何の助言もしてくれないままこの仕打ちはあんまりだよ。
「な、納得し兼ねます。僕のアメフトが上手くなりたいって気持ちは真剣です」
「だから、ココを出て行けと言っている」
「ワ、ワケが解りません! どうしてそうなるんですか!?」
病室だというのに僕は取り乱し、ついつい声が大きくなってしまった。同室の患者さんが何事かと僕らを見てくる。でも、コーチはそんな視線を気にもしない。
「頭でっかちのくせに察しが悪いな。勉強は出来てもオツムは弱いみたいだな」
「くっ、貴方にそこまで言われる覚えはありませんよ!」
「なんだ……もうとっくに気付いていると思ったがな。やはり察しの悪さは筋金入りなのか?」
「だから、何なんですか!?」
「ふぅ、俺はお前が大嫌いなんだよ」
「なっ!? そ、そんな理由で……ッ?」
一指導者が語るにあるまじき理由に僕は落胆した。
昔から好かれるタイプの人間でない事は判っている。カリスマ性なんてない。級友もテスト前や宿題のコピーでしか寄って来なかった。
大人になっても仕事にまで私情を持ち込むなんて……。
中南部と違ってカリフォルニア州は人種差別が少ないと聞いていたのに……。
そんな理由でずっと僕を除け者扱いしてたなんて……酷いじゃないか。
僕は悔しさで思い切りシーツを握り締めた。破けるくらいだったかもしれないけど、昂ぶる感情を堪えるので必死だったと思う。もしかしたら殴りかかったかもしれない、次のコーチの話を聞いていなければ――。
「誤解のないように言っておくが、俺は日本人が嫌いってワケじゃない」
「…………えっ?」
「俺が嫌いなのは日本人だからじゃなくて、お前だからだよ」
ますます意味が判らなかった。完全な私怨だと思うけど、僕はその理由に見当がつかない。
僕が何をしたって言うんだ!?
「お前はうちのアカデミーがどういうものか"ちゃんと"理解しているか?」
「……それくらい理解してます。若いスポーツ選手を育成する機関でしょ」
「ふむ、やはりな。愚かの極みだ」
「な、何なんですか! さっきから!」
僕は頭に血が上っていた。この状況じゃ冷静でいられるはずもない。
「ただのスポーツ選手じゃない。うちは"プロ"を目指す連中を育てる機関であって、お前のような半端者が来る所じゃないんだよ!」
「半端者!? 確かに僕は才能も身体能力も欠けてるかもしれない……けど、僕だって真剣なんです! バカにしないで下さいッ!!」
「そうじゃない。お前に欠けているもの、それは"
「……志?」
「今よりただ上手くなりたいだけなら他所へ行け。アメフトは義務教育じゃない」
上手くなる為にアメリカまで来たんだ。
誘いのあった中学だって断ったんだ。今更後戻りなんて出来るワケないじゃないか!
「お前、両親には将来医者になると言ったそうだな。アメフトはそれまでの暇潰しか? 頭でっかちが立てそうなご立派な将来設計だな……反吐が出る」
コーチは明らかに怒っていた。怒りたいのは僕なのに、なぜか僕以上の憤怒をコーチから感じる。
「バカにしているのはお前の方だよ。うちのアカデミーを舐めてるのか? プロ目指して必死になってる連中を舐めてるのか? 暇潰しでやってるお利口なお前の趣味に付き合う程、俺も連中も暇じゃないんだよ!」
強く握り締めていたはずの手から力が抜けた。
「アメフトは甘くない。一生かけてもプロになれない奴なんて五万といる。うちに来たからと言って必ずプロになれるワケじゃない。なれない奴だって大勢いるんだよ。それでもプロを目指したいって死に物狂いで頑張る奴らの手助けがしたくて、俺はコーチを引き受けた。そんな俺にとって、お前の存在は邪魔者以外の何ものでもない。だから俺はお前が嫌いなんだよ。プロになる気もないくせに、推薦枠でのうのうとうちにいるお前がな」
上っていた血の気が引いていく。
「プロを目指さないお前に何を教えろと言うんだ? キャッチの指導をして欲しいと言ってきた事があったな。だが、それをしてどうなる? プロを育成する者として、お前に時間を費やすのは正しい姿勢なのか? 俺は普通の教育者とは違う。医者になりたいという者の面倒なんて見れん」
コーチの語気はさっきより穏やかになったけど、その言葉は今まで以上に僕の心を攻めた。
「医者を目指す事が悪いんじゃない。ただ、ココにいる必要はないと言ってるだけだ。見ての通り俺も不自由な
背筋が寒くなる。
さっきから何も言葉が出ない。
「必死に勉強しても医師免許の取れない奴だっているだろ? 医者になるのは
僕の立てた計画は盤石だと思っていた。それが音を立てて崩れていく。薄くて脆く儚い、まるでガラス細工のように。
「うちの授業料は安くない。お前は誰のおかげでココにいられる? 学力を盾に好き放題やってきたらしいが、親を何だと思っている? 医者になるってのは恩返しのつもりか? じゃあ何の為にココにいる? どうしてココでアメフトをやっている?」
先ほどは答えられたはずの質問に、今は答える事が出来ない。
「俺にお前を帰国させる権限はない。だから、
そう言ってロベルトコーチは病室を出て行った。
僕はコーチが去るのを見届ける事も出来ず、ベッドで俯く。ボタボタと零れる涙と鼻水でシーツが濡れた。声にならない声で謝罪の言葉を述べる。でも、自分でも何と言ってるか分からない。呂律が回らない。
僕は精神的ショックと長時間の嗚咽で過呼吸となって倒れてしまった。同じ病室の人がナースコールしてくれたおかげで大事には至らなかったけど、目が覚めてからも僕は泣き続けた。
結局、そのまま一睡もせずに朝を迎える。
頭まで布団をかぶせて声も押し殺してたけど、隣のおばさんは気付いてたみたいで心配された。大丈夫だと言いたかったけど、目も顔も酷い事になっている。
トイレを済ませて手を洗っていると、お腹が鳴った。こんな時でもお腹は減るんだね。朝食を残さず全部平らげた僕を見て、隣のおばさんは笑って「もう大丈夫そうだね」と言ってくれた。
確かに気分は良くなったけど、気は重い。僕はこれから大切な人達に電話をかける。言葉にしなきゃ伝わらない事は多いし、ちゃんと言葉にしないとダメな事もあるからね。
でも、いざ公衆電話の前に立つとなかなか受話器が持てない。僕はなんて愚かで小心者なんだろう。
『はい、八咫でございます』
意を決して電話してみると、若い女性が出た。
「えっ、あっ、僕は雪光学と言います。八咫監督にお世話になった者でして、重蔵氏はご在宅でしょうか?」
ちょっと予想外だったので僕の声は裏返ってたかもしれない。
『申し訳御座いませんが、旦那様はもうお休みになられています』
「もうって……あっ!?」
しまった……サンフランシスコと日本じゃ17時間も時差があるんだった。こっちは朝でも向こうは真夜中じゃないか。すっかり忘れてたよ。
『お急ぎの用でしたら』
「――い、いえ、全然お急ぎじゃないです! 夜分遅くに電話してしまい申し訳ありませんでした。また日を改めてかけ直すとお伝え下さい」
『かしこまりました。そのようにお伝えしておきます』
「あ、ありがとうございます。では、失礼します」
公衆電話に向かってお辞儀し、ゆっくりと丁寧に受話器を置く。
焦ったぁ……家政婦さんかな?
監督はあの八咫烏の会長でもあるし、若いお手伝いさんの一人や二人いるよね。
僕が監督に電話したのはアカデミーに推薦してくれた理由を監督の口から聞きたかったからだ。両親に電話する前にそれだけは確認しておきたかった。
ちょっと感傷的になり過ぎてテンパってるなぁ。失態の連続だよ……少し落ち着こう。
浄水器から水を汲み、乾いた喉を潤す。緊張のせいもあるけど、昨夜から流した涙のせいで水分不足は否めない。
「ロベルトコーチ……」
自然と名前を口にする。そこにコーチがいたわけじゃなく、昨日の出来事を思い出しただけだ。
「言葉を交わすっていうのも大事なんだね。嫌われる理由……僕にあったんだ」
自嘲気味に呟く。誰に言うのでもなく、自分自身に言い聞かせる為に。
過呼吸が原因で僕の退院は一日延びた。おかげでゆっくりと考える事が出来る。
コーチの言葉はとても堪えた。正直耳が痛くて、僕はなんて愚かで間抜けなんだろうって思った。だけど、コーチはそんな僕を笑わない。嫌いだなんだと散々言われたけど、アメフトをやってる時に嘲笑された事は一度もない。
僕はコーチの事を知りたくなった。このアカデミーの事、みんなの事をもっと知りたい。アメフトに関わってる人の事をもっともっと知りたくなった。
看護師長の許可を取って僕はノートパソコンを起動させる。メールBOXを開くと新着メールが沢山あった。ほぼ全てママからだけどね。
普段パソコンなんて使わないのに……僕の為に勉強したんだと思う。アメリカに来てから毎日のようにメールが届く。僕も返信するけど、毎日じゃない。それに、内容は嘘ばかりだ。
勉強は順調だとか、友達が大勢できたとか、コーチもよくしてくれるとか、こっちの生活は楽しいとか……全部嘘っぱちだよ。勉強なんて課題しかやってないし、休日一緒に出掛ける相手もいない。コーチには嫌われてるし、ホームシックで帰りたくなった事もある。
でも……そんな事書けない、書けなかった。
僕は返信画面に文字を打ち込む。
「大切な話があるので今夜電話します。22時頃ならお父さんも帰ってるよね? とても大事な話だから二人に聞いて欲しいんだ。あと脱水症状で倒れちゃって入院中だから、コレクトコールでかけさせてね。明日には退院の予定だから心配しないで……って言っても無理だよね。ごめんなさい。詳しい話はまた夜に」
形式的なあいさつ文の後に今の文章を追記した。内容を再確認してから送信ボタンをクリックする。ずっと誤魔化してきたけど、もう隠してはおけない。以前とは違う。状況も、環境も、僕自身もだ。何より僕を本気で心配してくれる人を欺くような真似はもうしたくない。
昼食を済ませて僕は気晴らしに少し散歩に出た。冬なのにそこまで寒くはないし、街の景観も素晴らしい。改めてサンフランシスコは良い所だと感じた。これまでの僕はこの街を楽しむ余裕すら無かったんだと思う。
病院の敷地内だけだったけど、僕にとっては良い気分転換になった。おかげで決意も固まったしね。でも答えが出たわけじゃない。それを探す為にもう少し残ってみる覚悟が出来たんだ。
次の日の早朝、僕は約束通り両親に電話した。ちゃんと時差を考えてかけたから今度は大丈夫だったよ。
でもママは僕がアメリカでヤンキーになったと嘆いて、こっちに来るとまで言い出す始末。それをお父さんが宥めてたけど、受話器の向こうは壮絶なカオスだったと思う。結局ママは号泣しちゃって、そこからはお父さんだけと話した。
我がまま言った事や学費や渡米費に関して、素直な謝意の気持ちを伝えたよ。そしたら想像もしてなかった意外な返事がきた。
『ここだけの話、謝りたいのと礼を言いたいのはお父さんの方なんだよ。ママには内緒だぞ』
「え? なに?」
『実は……お父さん、学の部屋でノートを見付けてな。書かれてたiPS関連の株を買って大儲けしちゃったんだ、ハッハッハッハッハ』
「……ハゲーンッ!?」
迂闊だった。
こっちに持ってこれない分はママが絶対読まないだろう辞書の間に隠したのに……まさか、お父さんが見付けちゃうなんて。これってインサイダー取引になっちゃうのかな?
ヤバいぞ……僕の事も怪しまれるんじゃ?
『凄いなぁ。学にあんな先見の明があったなんて……また良い投資先があったら教えてくれよ。勿論、ママには内緒でな』
……セーフだ。特に怪しまれた様子はない。
多分お父さんの気遣いでママには内緒なんだと思う。でも――
「うん、分かったよ。でも……ありがとう、お父さん」
お金があろうとなかろうと関係ないよ。僕の感謝の気持ちは変わらない。
退院してアカデミーに戻った僕は、一番最初にコーチの部屋を訪ねた。チケットを返してもう少し居させて欲しいと頭を下げたら
「……好きにしろ」
その一言だった。コーチはそれ以上の事は何も言わないし、聞いてこなかった。単に僕に興味がないだけかもしれない。
それでも良いと思った……今は、ね。
基礎体力トレーニング漬けの日々は相変わらず続いた。
僕が新品の防具を使うのは勿体ないからと言って、とても古い物を使われている。最新の防具であればヘルメットから各種パッドまで合わせても5kgくらいの重さだ。だけど古い物はその倍の重量がある。どうせタックルとか受けないから壊れる心配はないけどね。それでも10kgは重いよ。
そんな日々がしばらく続いたある日、僕にとっては転機となる日が訪れる。
州チャンピオン同士の練習試合が組まれたんだ。AMGはカリフォルニア州の王者、相手はインディアナ州の王者にして全米を制したあのノートルダム中。ミドルスクールの絶対王者として君臨するノートルダム中にはトニーが目標とする『Mr.ドン』ことドナルド・オバーマンがいる。彼にはもう大学やNFLからスカウトが来ているという噂まである。
ワールドカップ決勝の試合をテレビで見て、僕は戦慄した。あの峨王君と大和君の二人がかりを跳ね返した圧倒的なパワー、彼らの力を実際に体感した僕にとっては信じられない光景だった。今のMr.ドンにあの時のパワーがあるとは思わないけど、それでも脅威には違いない。
試合には出れないのに足が震えた。腕も震える。そして、心も奮えた。
体は怖いと感じているのに、僕の心は試合に出たがっている。その力の頂点に挑みたいと言っていた。
そして、奇跡とも言える偶然が起こる。
コーチや多くのレギュラー陣がいる上級生を乗せたバスが、ハイウェイの事故渋滞に巻き込まれて動けない状況だと言う。下級生は準備などもあり先発隊として早めに現地入りしていた。
引率のマネージメント担当は相当テンパっている様子でノートルダム中関係者と話をしている。
「中止もあり得るのかな?」
「俺は嫌だぞ。オバーマンと戦いたい」
僕の呟きにトニーが答えてくれた。彼はとても気もいい人だ。それに引き換え――
「おいおい、縁起でもない事言ってんじゃねーよ。このハゲ武者」
悪態をつく彼の名はデビッド・エルスマン。覚えているだろうか?
トライアウトで好成績を出した白人で4番手のクォーターバックをやっている。40ヤード走は4秒85、ベンチプレスも75kgという間違いなく逸材だ。二年後には司令塔としてチームを指揮しているかもしれない。少々口は悪いけどね。
「せっかくのチャンスじゃねーか! 上級生が遅れてるって事は、俺らが出れるって事だろ? 中止になんかされて堪るかよ!」
「おう。俺はオバーマンと戦えればそれでいい!」
事故を喜ぶのは褒められた事じゃないけど、熱い気持ちは凄く伝わる。僕だって同じ思いだもん。試合に……出たい。
プロを目指すだけあって彼らの向上心は強い。自分をアピール出来る機会を逃すまいとマネージャーを説得し、練習試合は予定通り行われる事となる。スタジアムの予約時間の都合もあり、ギリギリまで待っては見たが上級生を乗せたバスは間に合わなかった。
試合は下級生や2軍を中心にオフェンスとディフェンスの陣が組まれたけど、その22人に僕は含まれていない。最初は背番号もなかった僕だけど、三ヶ月を過ぎた頃に仮の番号を与えられた。僕の背番号は316番、レギュラー入りは程遠いなぁ。
こちらの事情を加味し、ノートルダム中も最初は2軍が出てきた。それでも州チャンピオンだけあって両者共にレベルが高い。トニー君の活躍でライン勝負はこちらに分がある。おかげでデビッドのパスもよく通っていた。
第1クォーター(Q)が終わって14対7と1タッチダウン分うちがリードしている。士気も高い。互角の勝負が出来ていると言えた。
でも第2Qに入って均衡は崩れた。
「哀しいなぁ。俺は哀しいぞ。ひとたび闘技場で剣を交えたならば、必ず全力で敵を殺さねばならない。それが頂きに立つ者の礼節というものだ。そう思わんか、カリフォルニアの超新星トニー・シジマールよ?」
「おう! 俺はお前を倒しに来た! 早く出て来い、オバーマン!」
超人の中の超人、それは怪物と言っても過言ではない。
ドナルド・オバーマンの参戦で戦況は一変した。先ほどまで無敵の強さを誇っていたトニー君が全く敵わない。全てを蹂躙するかのようにMr.ドンはラインを押し潰し、さらには後衛陣にまでその爪や牙の脅威は及んだ。負傷者が続出し、交代要員の数はどんどん減っていく。
リードしていた点差もあっさり逆転され、逆に点差は広がった。前半戦が終わってみると、14対30とダブルスコアである。点差以上に厳しいのが退場者と疲労だった。ラインバッカーやセーフティの選手はもう替えがいない。前衛もトニー君以外は1プレイ毎にボロボロにされていく。
あれだけ高かった士気もトニー君とデビッド以外は意気消沈している。これは拙い。僕は監督代行に直訴した。
「僕を、僕を試合に使って下さい。お願いします!」
「……お前の出場はコーチに禁止されている。私の裁量だけで出す事は出来んよ」
「コ、コーチに!?」
知らなかった。先手を打たれてたなんて……。
後半戦第3Qが始まっても状況は悪くなるばかりだった。二人がかりでもMr.ドンを止められない。せめてもう一人か二人1軍のラインがいれば対抗出来たかもしれないけど、彼のパワーは次元が違う。
14対44となり、とうとう点差は30点にも達した。さきほどマネージャーに電話があって、最終Qにならバスが間に合うかもしれないと言っていた。
1軍が来たら僕は絶対試合に出れない。今が最後のチャンスかもしれないんだ。ずっと試合を見て来た僕はある事に気付いている。それを実行出来れば……
「うわ、また一人倒されたぞ」
「なにっ、もう後衛は控えがいないんだぞ!?」
来た。正真正銘、最後のチャンスだ。僕にはもう後がない。
「代行、出ます。僕しかいません。僕が勝手に出たと言っておいて下さい」
「お、おい、待て雪光。もうすぐ1軍が到着……くっ、私は責任持てんぞ」
僕は代行を無視してフィールドに立った。無茶苦茶やってる事は自覚してる。謹慎や停学、下手すると退学だってあり得るかもしれない。でも、それでも僕はフィールドに立つ事を選んだ。
「マジかよ。もうハゲ武者しか残ってねーのか!?」
デビッドは呆れている。でも、彼の目はまだ試合を諦めていない。
「サムラーイ、オバーマンは強いぞ」
トニー君はMr.ドンに敵わないまでも、まだ潰されてはいない。手札は残った。これで僕も戦える。
「
僕は皆を招集して考えた作戦を説明した。
「――という作戦だよ。賭けの要素が強いけど、今はこれしかない」
「……俺は、オバーマンに勝ちたい」
トニー君は僕の作戦に少し不満があるみたいだった。
「アメフトは陣取り合戦だよ。アメフトで勝つって事は相手の陣地を奪う――つまりエンドラインにボールを運ぶ事じゃないの?」
「タッチダウン決めるっつう事か。まっ、当たり前っちゃ当たり前だな」
「……」
デビッドもこれには賛同してくれたけど、トニー君はまだ複雑な心境みたいだ。
「トニー君、押し勝てないなら、引き摺り勝つんだ」
「おいおい、攻撃側だとそりゃあ反則だぜ。まぁプロでもバレないようにやってるがな」
「知ってるよ。何も本当に引っ張れと言うワケじゃない。相手の力を利用して引き倒すんだ」
「
何人かは気付いたみたいだね。
「そう。そして僕がオバーマンの上を抜く」
「無理だぜ。んな上手く倒せるワケねーよ。お前も潰されて終わるぞ?」
「そうかもね……でも、だからこそ行く!」
「ケッ、バカじゃねーの」
みんな呆れてるけど、他に策もないから一応は乗ってくれる事になった。
「デビッド、話がある」
「んぁ?」
僕はデビッドだけを呼び止めて耳打ちをする。
「……正気かよ、ハゲ武者?」
「いや、あんまり」
「さっきは抜くっつってたろ!?」
「言ったけど、多分抜けないだろうね。だから、抜かない!」
僕は真剣だった。
デビッドは僕の目を見てどうするか考えている。
「……好きにしな。俺は、俺の仕事をやるだけだぜ」
「うん、ありがとう」
「キモいんだよ。礼なんて言うな!」
「分かった。ありがとう」
デビッドは怒ってたけど、僕は嬉しかった。
アメリカに来て最初で最後になるかもしれない挑戦だから、僕はワクワクしていた。挑む事は楽しい。
トニー君と僕で、Mr.ドンに挑む。
「哀しいなぁ~、シジマール。お前のその彼我戦力差も見抜けん無謀さが、俺は哀しい」
Mr.ドンが何か嘆いている。でも、そんな事は関係ない。僕は僕のベストを尽くすだけだ。足の震えは……きっと武者震いだ。だって僕はハゲ武者だから。
「HUT! HUT! HUT!」
デビッドがボールを受け取り、ライン同士がぶつかり合う。デビッドから僕にボールが移り、そのままトニー君目掛けて突っ込む。
「無駄だと言ったはずだぞ、シジマール」
「……俺は、勝つ!」
Mr.ドンを全力で押し返すトニー君。僕に欠けていたモノを彼は持っている。僕は彼に教えられた。正確には思い出したんだ。
『アメフトに敢闘賞はなく、栄光はただ勝利のみ』
頑張っても、努力しても、勝てなきゃ意味がない。
負けたくないと勝ちたいは、似てるようでイコールじゃない。僕は今、勝ちたいんだ。勝利をこの手で掴み捕りたいんだ!
今まで以上の気迫で押し返すトニー君に、Mr.ドンの表情も少し硬くなっている。
「今だ。
「おう!」
トニー君はワザと重心をズラしてMr.ドンを引き倒す。これまで押し一辺倒だったトニー君に、流石のMr.ドンも意表を突かれた。
「むっ、小癪な……」
トニー君は仰向けに倒れ込み、Mr.ドンも態勢を崩す。僕はその隙にMr.ドンを飛び越えるべくジャンプした。
「哀しいなぁ。お前の策も見抜けぬと思われているとは、俺は哀しいぞ」
ゾッとするような声が聞こえる。予想以上に早い立て直しでMr.ドンは起き上がり、僕は吹き飛ばされた。
「よし、ファンブルしたぞ」
「奪え、奪え!」
ノートルダム中の選手が何か言ってる。でも僕には聞こえない。
空中で大きくボールを手放した僕は、そのまま意識を失った。
・
・・
・・・
僕が意識を取り戻したのは、また病室のベッドだった。
起き上がろうとするけど、体がうまく動かない。仕方なく目だけをキョロキョロさせた。
「麻酔が効いててしばらく動けんぞ。しかし、お前はよっぽど病院が好きらしいな」
そう言って来たのはコーチだった。ベッドの横にあるイスに座って僕を見ている。ずっと待っていてくれたのか、テーブルには飲み物の紙コップがいくつも置いてあった。
「僕は一体……あっ、試合! 試合はどうなりました!?」
「負けたよ。惨敗だ。最後は1軍も出たがな、点差は変わらなかった」
「……そう、ですか」
「見てたぞ。無茶したものだ」
見られてたのか……全然気づかなかったなぁ。点差は変わりなし……僕の作戦は失敗だったんだ。
「左腕が折れている。一ヵ月は安静にしていろ」
「お、折れて……!?」
バカやった代償か。
麻酔が切れたら痛みそうだなぁ。
「実に愚かしい作戦だった」
そうだよね。そう思われても仕方ない。
いけると思った僕が甘かった。
「……が、今のお前は嫌いじゃない」
「え……っ?」
僕は耳を疑った。幻聴か!?
コーチは今なんて!?
「作戦自体は褒められたものじゃないが、見事だった。あのノートルダム中を完全に出し抜いたんだからな」
上手く……いってたんだ、僕の参戦。
「オバーマンにワザと飛ばさせるとはな。シジマールの仕込みも効いていて、連中はすっかり騙されていたよ」
「……第3Qまで、ずっと見ていて気付いたんです。オバーマンはチームメイトから絶大な信頼を得ているって。特に相手も2軍中心でしたから、その依存度は大きかった。だからこそ、ハメれると思いました」
「思惑通り、オバーマンがお前を潰したと思い込んで注意力が散漫になってたな。まさかファンブルを装ったパスだなんて、思いもしなかっただろう」
そう、僕の考えた作戦は自爆に次ぐ自爆の特攻だ。決して褒められた策じゃないけど、オバーマンを出し抜く事で得られる報酬は大きい。尚且つタッチダウンを奪えれば士気も上がると思ったんだ。
「お前のパスは確かにエルスマンに届いた。奴も驚いていたぞ、半信半疑だったのだろう。懸命に走っていたが……あと1ヤード届かなかったよ。お前に会わす顔がないと言っていた」
「そうですか……あのデビッドがそんな事を」
驚いた。彼だけには純粋に嫌われてると思ってたのに……僕って見る目ないな。
「それと、命令を無視した罰は重いぞ。怪我までしやがって……半年間、クラブでの活動を禁じる。スポーツ推薦枠のお前は必然的にクビってわけだ」
こうなる事は、予想していた。それだけの覚悟で挑んだからね。
「後悔、しているか?」
「してません。僕は後悔しません」
「骨まで折っているのにか?」
「はい。僕はアメフトに関わる怪我では絶対に後悔しません」
決めていた。
コーチに
「……一生ものの怪我を負ってもか?」
「アナタのように……ですか? ロベルト"東郷"コーチ」
「……調べたのか?」
「はい。無粋な詮索をして済みません。知りたかったんです。22年前、アナタはプロだった。でも、デビュー戦で再起不能の大怪我を負い、未だに後遺症が残る。そのサングラスや杖は、その為の物でしょう」
コーチの本名はロベルト・東郷。日系三世のアメリカ人で元プロ。何の記録も残せないまま引退し、ずっとリハビリを続けてきた。普通には自暴自棄になって腐りそうだけど、コーチは違った。歩けるようになったコーチは指導者としての道を歩み始める。
「例え二度とアメフトが出来なくなっても、僕は後悔しません」
「医者の道が途絶えてもか?」
「はい。僕は決めました。僕の一生をアメフトに捧げます。どんな形であろうと、一生アメフトに関わっていこうと思っています……だから、僕もプロを目指します。ココにいられなくなっても、日本に帰っても、どこにいても、死に物狂いで挑み続けようと思います」
そう宣言したら、突然コーチが笑い始めた。僕は真面目に話したのに……
「クックック、己の全てを捧げるか……バカだな。22年前の俺とそっくりだ」
「……え!?」
「重蔵氏はお前の心が非常にアンバランスだと心配していた。達観した面も多いが、ひどく幼稚な面もある。とてもバランスが悪い。頭や体の成長具合に対して、心が置いてきぼりのようだと言っていた。どうしてもっと幼稚な面を前面に押し出さないのか。どうして距離を置き安寧を図ろうとするのか。ある点では貪欲なまでに渇望しているのに、ある点ではまるで己の限界を知っているかのように冷めている。このままでは、いつかお前が壊れるんじゃないか、重蔵氏はそれを危惧していた」
し、知らなかった……監督のそんな思いがあったなんて。僕をそういう風に見てくれてたなんて。
「俺がお前を試合に使わないのも、タックルの練習をさせないのも、お前の体がまだ出来ていないからだ。日本じゃ飛び抜けていたかもしれんがな、お前の骨格や筋肉はまだまだ細い。体質もあるんだろうが、今のお前じゃアメリカ人と張り合うのはまだ早い。今はじっくりと基礎を固める方がお前の将来に役立つ」
何も言えなかった。
「太りにくい筋肉を赤く変えるより、長所をもっと伸ばせ。お前の遅筋は持久力に長けた証だ。何を見限ってるか知らんが、磨きもせずに諦めるな」
目頭がやけに熱い。
「もし、お前にその覚悟があるなら……半年我慢しろ。怪我が癒えたら俺の課すトレーニングだけを忠実にこなせ。そうすれば航空券の代わりに……来季トライアウトの
涙が溢れて耳に入ってくるけど、僕は動けない。
こんなにも僕を気にかけてくれる人達がいたなんて……それに、やっぱり僕は泣き虫だ。
「はい……はい、よろしくお願いします!」
僕の名前は雪光学。
これからプロを目指す。僕は絶対諦めない。僕が恩を返す相手は、アメフトだ。
あれこれ詰め込んだら長くなってしまいました。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。