澄み切った紺碧の空。雄大なコバルトブルーの海。純白の砂浜がきらきらと照り返す。
「すごいなぁ……」
青年は感嘆の声を上げた。南洋に浮かぶ小島。青年は海岸へと続く小道を下り、砂浜に足を踏み入れていた。浜辺に立つと、その壮観に改めて圧倒される。鎮守府の司令官として着任して数年ほど経つ。海を間近にして過ごし、もはや海は馴染みのものであると自認していた。だが眼前の南国の絶景は同じ海とはいえ、全くもって別世界であった。その青年、司令官はこの場所に来て正解だと感じていた。
すると司令官の背後から少女の驚嘆の声が飛ぶ。
「おぉ! ホントだな」
司令官のあとを追うようにひとりの少女が歩いてきた。女学生を思わせるようなセーラー服姿。癖っ毛混じりの髪は熱帯の湿気に晒され、普段より膨らんでみえる。その少女、吹雪型駆逐艦の深雪は司令官に追い付くと、彼の隣に並んだ。彼女は海を眺めながら、嘆息をもらした。海岸は悠然たる潮騒が響くのみ。辺りは2人以外に誰もいない。南国の海岸は神秘的であった。
どこか羽休めに行かないか。そう司令官が深雪を誘ったのは、梅雨半ばの頃だった。鎮守府の執務室。司令官と秘書艦の深雪は書類の作成に追われていた。司令官は作業の合間に深雪へ視線を向ける。深雪も単調な作業は堪えるようで、普段はお喋りな彼女も言葉少ない。作業に一通りの目処が付いたところで、司令官は深雪に件の話を持ち出した。深雪は話にすぐさま飛びついた。彼女は退屈そうな表情を一変させ、目を輝かせながら司令官に迫る。司令官は候補をいくつか挙げ、どの場所が良いか深雪に問うた。そして深雪が選択したのが、現在司令官と深雪が立っているこの小島という次第であった。
「にしても。服装変えるだけで見た目も変わるもんだなぁ」
深雪は司令官を眺めながら、そう呟いた。彼女の指摘に司令官は自身の姿を確認する。普段、鎮守府に居る時は白を基調とした略装なのであるが、今は私服であった。半袖半ズボンのカジュアルな格好。
「略装以外着るのは久しぶりなんだが。どうだろう? 」
すると深雪は司令官を値踏みするかのようにじっと見つめた。彼女は唸りながら答える。
「うーん……。微妙に頼りにならなさそうな感じだな」
司令官は拍子抜けして肩を落とした。ため息混じりに深雪に問う。
「なら普段はどうなんだ? 」
「シャンとしてるけど、どこか抜けてそうな感じ」
「変わってないだろ、それ」
「あぁそうだな。やっぱ、あんまり変わってないかも」
深雪は陽気に笑う。南国の蒼い海を背景に、天真爛漫な彼女の笑顔は眩いばかりであった。ふと、司令官は深雪に目を奪われていたことに気が付いた。途端に照れ臭さを覚える。
「ちょっと回ってみようぜ」
深雪は砂浜を波打ち際に沿って歩き出した。司令官もその後に続く。歩きながら司令官はズボンのポケットに手を入れた。小さな箱型の感触がその手に伝わる。
指輪を贈る。人との間柄ならば普通は恋慕の情を込めたものであるが、艦娘に指輪を贈るというのは他に理由があった。司令部の言葉を借りるならば、艦娘の能力向上の一環、として指輪を贈るという。
深雪は深海棲艦との闘いを繰り広げる中で、数多の危険な海域を突破し、どんな困難も乗り越えてきた。彼女は自身の能力の限界を、さらに越える域まで達したのであった。
深雪の能力向上が目的ならば、わざわざこの場所で渡す必要はない。鎮守府の執務室で渡せば事足りる。つまり司令官にとっては単なる羽休めではなかった。
海と砂浜の重なる波打ち際。司令官はひと休みと提案して、深雪と波打ち際に腰をおろしていた。彼の隣に座る深雪は静かに海を眺めている。その時に、司令官は話を切り出したのであった。ポケットから指輪の箱を手にして、中身を深雪に見せる。
「ホントにあるんだな、それ。初めて見たわ」
指輪を目にした深雪の感想は漠然としたものであった。司令官は深雪に指輪について訊ねてみる。深雪は海の方に視線を転じた。
「強くなるってことぐらいかな……」
「…………」
司令官はどう言葉を繋げるべきか逡巡する。すると深雪は海を真っ直ぐ見つめたまま、言葉を継いだ。
「だけどさ」
彼女はハッキリと続ける。
「だけど。ヒトに渡す時は別の意味があったりするんだろ。一応そういうことは知ってる」
深雪の言葉に、司令官は息をのんだ。意を決して口を開く。
「もし、その意味を含んでる、としたらどう? 」
「本当に? 」
そう問うた深雪は司令官の方にスッと顔を向けた。深雪と視線が合う。司令官は思わずドキリとする。深雪は真っ直ぐと見つめ返していた。押し黙った2人の間、司令官の耳には南国の潮騒のみがこだまする。
突然、深雪が吹き出した。彼女は顔を背け、お腹を抱えて笑い出す。あまりにも唐突な出来事に、司令官は呆気に取られて言葉が出なかった。やがて深雪は笑いながら弁解する。
「わりー。あんまり真面目腐った顔するもんだからさ」
司令官はハッと我に返り、口を開きかける。その瞬間、司令官が問い直すよりも先に、深雪が身体を寄せた。司令官の左頬に伝わる柔らかい感触。あまりにも一瞬で、あまりにも耽美な瞬間。深雪の身体がゆっくりと司令官から離れた。司令官は深雪から口づけされたことに気付くと、胸が熱くなるのを感じた。
「なんだよ、黙りこくって」
口を尖らせる深雪を見つめながら、司令官は思わず口走る。
「いや、嬉しくって」
深雪はやや頬を赤らめて目を伏せたかと思うと、自身の左手を司令官の方にスッと突き出した。
「それ、ちょーだい」
砂浜に座り込んだ深雪は自身の左手薬指で銀色に輝く指輪を陽光にかざしながら、司令官に提案する。
「なあ。今度は陸の場所、行ってみない? 」
「どこがいい? 」
「そうだなぁ……」
深雪は思案げに唸ると、司令官の方を顎で差した。
「そういう服とか売ってる場所」
「深雪ぐらいの背格好に合う服を売ってる店ならいくらでも……」
司令官の言葉を深雪は呆気からんと遮る。
「いいや司令官の。選んでやろうと思って」
「……そんなに変か? この服」
「うん」
深雪の直球な答えに、司令官は彼女を肩で小突いた。深雪はケラケラと笑いながら、再び海へと視線を転じた。
海と砂浜の重なる波打ち際は、乱反射して眩いかぎりに輝いている。2人っきりの常夏の世界は、どこまでも続いているかのように果てしなく。