ベッドにダイブするとふかふかとした寝具の感触が身体を包む。
「疲れた……」
結局戻ってきてしまったのは形ばかりの顔認証ホテル。いろいろと点検するべきところはあるのだが今は睡魔にすべて差し出してでも眠りたい。
宿探しを始めることになったことの発端はナイシャールという国で滞在していたホテルにある。ルームキーが顔認証だという売り文句に惹かれて選んだそのホテルは、隣の部屋もそのまた隣の部屋にも顔パスで入れてしまうというセキュリティガバガバホテルという有り様が判明。ホテルマンに文句を行ってもシステムは別会社だからわからないという要領の得ない回答ばかりで謝罪も返金も望めそうになかった。
「あーあ、高い勉強代だなぁ……」
ロビーから外に出るとアジア圏特有の湿度が高い風が頬を撫でていく。趣味の『闘ってみた動画』の撮影に費やす予定だったけれど早急に別のホテルを探し当てないといけない。ホテルマンの情報によるとこの辺り一帯は“最先端”のルームキーシステムを備えたホテルばかりらしく、必然的に別の地区から候補を探すことになる。
しかしながら。観光客が増えているとはいえ新興国のスラムのような街で土地勘のない外国人が安心安全な宿を探し当てることができるものだろうか。悪い予感を胸に抱えたままあちらこちらを訪ねてみるが、今夜の宿が見つからないままに無情に時は過ぎていくのだった。
「当たらないでほしい予感ほど当たっちゃうんだよな、俺って」
夕焼け時を越えて辺りはすっかりと暗い夜になっていた。路地で疲れ果ててため息と泣き言を吐いているといると喧騒が耳に聞こえてくる。声から判断するに女性と男性のケンカか、それともよからぬ事件か。ひとまず出どころと思しき袋小路へとたどり着いて目にしたものは。
「喰らいな!」
見覚えのある東洋人がとんでもない蹴りを繰り出してガタイのいい男をノックアウトする瞬間に立ち会った。倒れた男をさして息もあげずに足蹴にするその女性に声を掛ける。
「……ジュリ!?」
「あぁン?オマエ、……いつぞやの若様か?」
右も左もわからない街で久方ぶりに知り合いに会えた喜びに駆け寄ろうとしたが、彼女はにこりともせず鋭い足先を突きつけてきた。
「ちょうどいい。暇つぶしに付き合いな」
話をする間もなく突如として始まったストリートファイト。彼女と初めて会ったときも闘いを挑まれた思い出が脳裏を過ぎり、デジャヴにため息をひとつこぼして立ち向かう。
問答無用に繰り出される蹴りを躱したりいなしたり、反撃したり。ギャラリーは湧き、熱気がふたりを取り巻いた。暇つぶしのわりに容赦のない連撃に宿探しの疲れも忘れて次第に闘志が感化されてくる。
「イイねぇ、ノってきたじゃねぇか!」
不機嫌そうだった彼女の顔には生気が宿り、時々はしゃいだような笑い声が耳に心地よくてこちらも楽しくなってくる。
「スーパーラシードキィーック!」
「ハハッ、なンだそのくそダセェ名前!」
「カッコいいでしょ!マネしてもいいよっ!」
「誰がするかよバァーカ!」
ヒリつくような攻防の一瞬に間合いを取れば、互いに笑みを宿しているのがわかる。決着がつかないラリーは楽しくて仕方がなかった。
突如始まったストリートファイトはどちらともなく気が緩んだのがわかってきて構えを解けば相手は肩を竦ませる。それでお開きになった。
「で?若様はなンでこんな掃溜めみたいな街にお越しで?」
「興味の赴くまま旅してたら辿り着いたって感じかな。それでその旅の最中に『闘ってみた動画』ってのを投稿サイトにアップするのに最近ハマっててさ」
「ふぅン。つまんなさそ」
「一回見てから言ってよそういうことはさぁ」
「見る前からわかンだろ」
スマートフォンを弄り始めるジュリに近況や連絡先、投稿サイトのチャンネルを教える傍ら、先ほどいい蹴りをもらっていたガタイのいい男の他にも屈強そうな男たちの恨みがましい目つきが気になってくる。
「ところで……あちらさんはお友達?」
「ただの退屈しのぎのバカどもだ。アタシに勝ったら一晩付き合ってやるって言ってやったのにロクなヤツがいねぇ」
「えぇ……。大丈夫?変なことされてない?」
「束でかかってきたってカスリもしねぇよ」
「けど、そういう遊び方はあんまり良くないよ」
「ンだよ。アタシに指図すんじゃねぇ」
次第に雲行きの怪しくなってきたやり取りをどこから聞き耳を立てていたのかガラの悪そうなヤツらが下卑た野次を飛ばす。
「んだよ兄ちゃん、相手したくないなら俺がもらってやるぜぇ!」
「一人相手じゃ退屈だろ!みんなで相手したほうが楽しいだろうよ!」
「お前ら……!」
あまりにもあんまりな言い方に言い返そうとしたけれど、それより先に動いたのは彼女の方だった。ネオンカラーに彩られた指に顎先を摘まれて視線を移すとアシンメトリーな前髪から覗く左右で色の違う瞳と目が合った。普段とはまったく違う、絡むように高い声音が口ずさむ。
「ねぇ、ダーリン。あんな人たちほっといて見せつけちゃいましょ」
弧を描く唇が近づいてきて、そのまま唇に触れた。舌先同士が触れれば絡め取られて、体を離そうにも首元にはしなやかな腕が力を込めて巻き付けられていて身動きが取れない。やがて体を這う煽情的な手つきと長く執拗に続く口づけの僅かしか許されない息継ぎに思考は奪われ身体を徐々に反応させられる。
「イイ顔するじゃン、若様」
囁き声が耳元へ吹き込まれ、耳たぶを食まれて濡らされる。わざとらしく立てられる水音には羞恥を煽られ、はたとここは外だと我に返った。
「ジュリ……!」
鼓動が煩いほどに鳴り喚くのを感じながらもぐいと腕を伸ばして細い体を押しのける。手の甲で口元を拭うジュリは闘っているときのように楽しそうな顔で笑っていた。気づけばゴロツキたちは誰もおらず、こちらに当てられたのか情事を交わすアベックが視界のほうぼうに映る。
「ねぇ、宿無しサン。続きはどうする?
あンたとなら一晩付き合ってやってもいいぜぇ」
身に沸き起こる熱を自覚するが、それよりも苛立ちのほうが勝っていた。
「俺は、君のこういう遊びには付き合いたくない」
「ハン、涙目でおっ立てといて強がるねぇ」
「好き勝手やられたら少しは腹も立つってものさ。君がもし同じような目に遭ったら相手のことボコボコにするだろ?それと同じだよ」
「あ〜ら、ウブなお坊ちゃん相手にちょっと強引過ぎたかしら〜」
悪びれず唇の端を舐める艶めかしい舌に視線を奪われるが葛藤の末に逃げるようにその場を離れた。アハハと甲高い笑い声を背に形容しがたい感情を持ち帰る。
路地裏をどう抜けたのかもわからずたどり着いたのは今朝もう戻らないと思っていた宿。幸か不幸か、部屋にちょうど空きがあるとわかってしまいチェックイン、ベッドへと倒れ込む。
「なんなんだよ……」
自分が何に苛立っているのか、あるいは傷ついているのかわからなかった。ジュリがゴロツキどもに対して言ったというセリフをそのまま投げられたからか、突然にこちらを弄ぶようなことをしてきたからか、それとも、闘いの相手をするのとそういった遊びの相手をするのを同列に扱われたからなのか。
「疲れた……」
眠ってしまいたいのに脳裏に浮かぶのは彼女の瞳。吹き込まれた囁き声。こちらを捕食するかのような口づけ。身体を撫で回す手慣れた手つき。治まったかと思われた熱が身を燻らせ昂らせる。何が仕掛けられているか、いつ誰が入ってきてもおかしくない部屋だけど、この熱を持て余し続けるのも限界だった。彼女のことを思い出すだけで反応できてしまい、一発どころではなく抜けてしまう。疲労感と眠気に身を任せ、気を失うようにしてまぶたを閉じた。
翌日。晴れない気分とジュリで抜いてしまった罪悪感をシャワーで洗い流して宿探し。不発に終わる。夢に彼女が出てくる。
次の日。修行僧や観光客にもいい感じの宿情報がないか聞くが、どこも似たり寄ったりで評判は良くないらしい。また連泊する。また夢に彼女が出てくる。
その次の日。連日の夢のせいもあって、彼女のことが頭から離れない。起き抜けから寝具の中で悶えて罪悪感を新たにする。
気だるい気分に寝返りを打ち、ぼんやりとあの夜のことを思いだす。彼女にとっては闘っているときの楽しさもああいった遊びの楽しさも同じなのだろうか。同じだとしたら、俺のようにやられっぱなしだったなら楽しくないのも当然だし、彼女のように自分のペースが続けられればそれはさぞかし楽しいことだろう。そう考えるとあのときの自分の苛立ちの原因がなんとなくわかってきた気がする。
「闘いでは俺のペースも保てたけど、後半は全然だったもんな」
後半も自分のペースを保てたままでいられたら、それは楽しい遊びになりえただろうか。闘いが楽しくて仕方なかったときのように。がばと身を起こし、身支度を始める。どうしてだか居ても立ってもいられない。その理由は自分でもわからなかった。
彼女の活動時間が夜だと踏んで居所を探すさなか、まだ明るい時間だと言うのにあの晩見かけたゴロツキたちがキョロキョロと辺りを気にしているのが目についた。なにやらよからぬ匂いを感じてそれとなく近づく。粗野なやつらに隠し事は苦手らしく、ぼそぼそと形容するにはあまりに大きな声であのアマがだの、望み通りに束でかかってやる、だのと話しているのがよく聞こえた。察するに、ジュリに痛い目を遭わされたみんなでジュリに痛い目を遭わせようとしているらしい。さすがに聞き捨てならない内容だけれど、どうやって収めたものか。
「ねぇ、何してるの?もしかして悪だくみ?」
肩を叩かれたゴロツキのひとりはストリートファイトを繰り広げていたこちらの顔を覚えていなかったらしく、不審な目を向ける。
「……誰に聞いた?」
「えっと、あの袋小路辺り」
ジュリとやり合った辺りを指して答えるとジロジロとこちらを眺める。
「昨日の晩に治安維持でうろついてる傭兵さんに聞いたんだけどさ、今晩の巡回はいつもより人が多いらしいよ」
もちろんウソなのだが男たちは明らかに狼狽える様子を見せた。
「じゃあね。忠告はしたからね」
ヒラヒラと手を振ってからそれとなく様子を伺えば、余裕たっぷりの雑談から一転、片方はスマートフォンをしきりに触りながら路地裏へ、もう片方は急ぎ足でどこかへと散っていった。内心胸を撫で下ろすが、ハッタリがバレる恐れもあるのでまだ安心はできない。違う路地や、川沿いへも出向いてみる。
大きな声で雑談をするゴロツキを見かける度にウソの情報を提供していたが、あちらにも情報網はあるらしくさすがに怪しまれていた。
「仲間から聞いたぜ。アラビアン野郎が小賢しいことしてるって」
「あんまりしゃしゃり出ると痛い目見させんぞ?」
「いやでも、悪だくみは良くないんじゃないかと思ってさ。俺なりに穏便に済ませようと――」
うるせぇ!と声とともに拳が飛んでくる。けれどそれを待ちかねていた。
「お兄さんたち、これ見える?」
拳を難なく躱してからこれ、と指を差す。動画撮影用に身に着けているボディカメラのレンズはきらめき、起動ランプは赤く光っていた。
「言い忘れてたけど今撮影中なんだよね。この映像を警邏中の傭兵さんたちに渡したらどうなるかわかるかな?」
あからさまに聞こえる舌打ちとともに身を翻すゴロツキたち。
「お仲間さんにもそう伝えてよね~!」
遠くなっていくクソが!という叫びに手を振りため息をひとつ。このあたりのゴロツキの血の気の多さを思うにビビって日和る人数があまり多いとも思えない。空を見上げれば夜は深まり始めている。当たらないでほしい予感は当たりがちなのだ。急ぎあの袋小路へと向かった。
居住区を出て線路沿いを駆け抜けて路地へと入ると喧騒が聞こえ始める。声から判断するに女性と男性のケンカだ。袋小路の入口から遠目にも男数人に立ち向かっているのが女性ひとりだとわかる。それは夢に何度も出てきた憎さ余ってかわいさ百倍の彼女だった。
「スーパーラシードキィーック!」
ジュリの姿が男の巨体に隠れるのを見計らって助走を付けて蹴りをお見舞いする。驚いた顔をしたのはその場の全員だが、ジュリだけはやがて笑みを宿した。
「相っ変わらずくそダセェ名前」
「自分ではけっこう気に入ってるんだけどな」
「趣味の悪ぃヤツ」
束になってかかってくるゴロツキどもはみな思い思いに武器の類を持っていて、さすがに彼女ひとりでは分が悪いほどになっていたけれど、ふたりでなら結果は決まり切ったものだった。ストリートファイトと言うには喧騒が大きすぎたのか、やってきた治安維持の傭兵さんの格好を見るや、俺とジュリはその場を逃げ出した。
逃げ出した時にジュリとは散り散りになるかと思っていたけど、彼女は付いてきてくれていた。振り返ってその身を腕に収めても、彼女は逃げ出したりしない。
「大丈夫?変なことされてない?ケガもない?」
「束になってかかってきても雑魚は雑魚だったな。ま、ちょっとは楽しめたぜ」
「もう……相変わらずなんだから」
夢にまで見た彼女の身体は思いの外小さくてしなやかでたくましいのに華奢だった。
「あの晩、あの後どうしたの。手近な男でも引っ掛けて一緒に一晩過ごしたりしてたの」
「なンだ?アタシがどうしようが関係ないだろ」
「俺は君のことが頭から離れなくて、……君で抜いたよ」
「ハッ、アホだな。オマエこそ手近なヤツだか商売女でも呼び込めばよかったのに」
身を離して見つめる腕の中の彼女は少し戸惑っている。何も言わないでいるから、その唇を奪って貪る。熱くて柔らかくて、思っていたより甘い。ずっとそうしていたかったけど腕の中から力なく腕を伸ばすものがある。
「……調子に乗ってんじゃねぇ」
顔を赤らめて口元を拭う彼女にさらなる手を出したくなるし、身の昂りも自覚してはいるのだけどここは外。
「続きはどうする?君となら一晩付き合ってあげてもいいよ」
わざとらしく聞き覚えのある言葉を並べてあげると、ジュリの目には苛立ちが灯った。
「仕返しのつもりかよ?」
「そうそれ。やられっぱなしだった俺の気持ちをわかってほしくって」
いつも通りの笑みを浮かべてみせるけれど傍目から見ればさぞぎこちないことだろう。彼女も口の端を吊り上げてはいるけれど、いつも通りとは程遠い。
「……帰る」
「あ、そう?送って行こうか?」
「いらねぇよ!」
腕の中から苛立ちに溢れた彼女が出ていってしまう。引き止めたい気持ちはとてもあるけれど、今日のところは俺の勝ちにしたいのだ。
路地に消える直前に彼女が振り返る。
「あの晩のあの後のこと、知りたいか?」
「教えてくれるの?」
「……オマエをオカズにイッたよ。何回もな」
それだけを言ってジュリは姿を消し、その場に残された俺はしばらくの間生理的な理由で動けなくなってしまった。最後の最後に致命傷を食らったけれどギリギリ勝ったと思いたい。
結局帰ってきたのは最新式のセキュリティのあのホテル。ベッドにダイブするとふかふかとした寝具の感触が身体を包む。
「いろいろあった……」
扉には自費で買った外付けのスマートロックを取り付けたし、同じく自費で買った探知機で隠しカメラは取り除けたので安心して眠れるけれど、彼女とのことを思い出すと眠れる気配は全然ない。寝返りを二、三度と打ってからたまらず声に出す。
「やっぱり付いて行けばよかったかな〜〜」
付き纏う後悔に千載一遇という言葉が頭を過ぎれば、二度あることは三度あるという言葉も頭を過ぎる。けれど次第に愉快になってくる。闘いも、その前準備もなんだかんだと楽しかったし、ジュリの戸惑いや恥じらいが見え隠れしたのも思い返せば反芻できる。今ごろ彼女は苛立ちに塗れながらもあの晩の自分のように悶々としていることだろう。
部屋の明かりを落とし、彼女のことを想いながら眠りにつく。夢の中でもまた近い将来にも彼女と会えると信じながら。